猫と毒草

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  薬草を愛する人  

「これが現在研究中の灰雪草の実験データでして……」
「まあ!こんな掛け合わせができるなんて!しかもこちらは意外な効果が見込めそうですね」
「ええ。もっと研究を続けていけば肺病のいい薬になるかもしれない」
「肺病と言えば、白壊草もいいですよね」
「白壊草が?それは初耳ですね。あれは非常に扱い辛い上に用途が難しいのに」
「少しお待ち下さいね。ええと……そう、こちらが私の研究データです。多種類の薬草を必要とし、手間がかかるので大変ですがエンイストンでは酷い肺病にはこれを出しています」
「なるほど、今度是非試してみますよ」
 数時間前にオリヴァーの執務室で引き合わされたイオネとゲイリーは調合室でファイルや研究書を広げて和気藹々と話しを続けていた。話題はもっぱら薬草や薬に関するもので、二人の勢いは止まることを知らない。途中で使用人がお茶を入れに来たが、専門用語の飛び交う部屋に長居する気にはなれなかったらしく仕事を済ませるとそそくさと退室していった。
 イオネは熱くなった顔を落ち着かせようと冷めたお茶で喉を潤す。ゲイリー・マクラウドは三十一歳という若さにしてはかなり優秀な研究者だった。彼の知識は素晴らしいし、研究内容もとても興味深い。エンイストンと隣り合うフレウルカで研究をしている彼の話にはイオネが普段手に入れられない薬草も出てきて心が躍る。着眼点や発想も見事だ。けれども一介の薬師でしかないイオネを見下すような態度は欠片も見せず、紳士に接してくれる。何よりも薬草を愛しているという点においてはイオネに引けを取らない。親近感を覚えかつ尊敬に値する人物に出会えてイオネは薬師としての満足感を得ていた。
 彼との話の中に出てきた幾つかの技術はすぐにでも試してみたい。初対面の人との会話でこんなに気分が高揚するなんて。けれどもオリヴァーの声が蘇ってきて盛り上がっていた気持ちが沈んでしまう。
『君と気が合いそうな男がいるんだ』
 ゲイリーはイオネの新しい夫候補として紹介された男だ。最初はそれで警戒していたのに、話が弾んでついつい忘れてしまっていた。現状を思い出せば嫌でも心が冷める。ゲイリーはいい人だ。この人と一緒に仕事ができたらどんなに楽しいだろう。そう思わずにはいられない。恋愛対象にはならないが友人としてなら好きになるだろう。薬師としては言うまでもない。
 いっそのこと嫌な人だったら良かったのに。それならこんな戸惑いも持たずに済んだ。
 ふと視線を落として何も言わなくなったイオネの変化にゲイリーは苦い表情を浮かべる。
「仕事の話しかしない男といるのは疲れますか」
「あ、いえ。そんなことは」
 イオネは慌てて顔を上げる。
「私も仕事の話は好きですもの。特に毒草の話は。だからゲイリーさんのお話はとても興味深くて」
「それは光栄ですね。しかし、そうだとすると貴方が浮かない顔をする原因は――やはりそういうことなのかな」
「え?」
「見合いに気が進まない。そういうことでしょう?」
 見合い。これも見合いなのか。だとしたら前回とは大違いだ。初めて会ったのに仕事の話でこんなに盛り上がっているなんて。イオネはルイスと初めて会った日のことを思い出す。
 オリヴァーによって設けられた席には最初イオネとルイス、オリヴァーとルイスの父トーマスがいた。一通り挨拶が終わった後にルイスと二人きりにされたが淡々と事務的な会話をしていたと思う。気が合いもしなかったし、話に花が咲くこともなかった。ただ結婚相手に求める条件を出し合った。それを双方が問題ないと判断したから結婚したのだ。
 なんて冷めていたんだろう。今ならそう思う。そして今のイオネとルイスの関係からは程遠い。あの見合いからまだ一年も経っていないが、その間によくこれだけの愛情を抱くようになったと思う。それは偶然でいて、必然であって、でもとてつもない奇跡なのだろう。その幸運を手放したくない。
「見合いと言われても困ります。私には夫がいますから」
 だからこれは見合いであってはならない。自分とルイスを引き裂くものを許してはいけない。イオネは気を持ち直して強い視線でゲイリーに告げる。
「オリヴァー様はそう考えてはいないようですが」
 ゲイリーは少し迷うような素振りを見せた。しかし意を決したように語りだす。
「実は、少し前からオリヴァー様にエンイストンで研究をしないかと声を掛けていただいてるんです。フレウルカでは研究できない薬草もあるだろうからこちらに拠点を移してみてはどうかとね。設備や資金は保証するとも。それに、私と気の合いそうな薬師もいるから是非会わせたいと。新婚だが別れて私と一緒になるのもいいだろうと言われた時には流石に驚きましたが」
 イオネは眉間に皺を寄せる。
 それはつまり、イオネはゲイリーをエンイストンに呼び寄せる為の餌にされたということではないか。冗談じゃない。ゲイリーの気を引きたかったら、待遇面でオリヴァーが誠意を見せればいい。その範囲内でゲイリーを振り向かせることができなかったら諦めるべきだ。巻き込まれる身はとんだ災難だというのに。
 その一方でイオネは考える。ゲイリーをエンイストンに迎えるということは、イオネの能力では満足できないということなのか。だからゲイリーのように知識も技術も高い人物が欲しくなったのだろうか。イオネもゲイリーも薬師と研究者の面を持ち合わせているが、基本的にはイオネは薬師でゲイリーは研究者だ。同列に考えることは正しいことではない。オリヴァーはエンイストンの薬師の質を上げたいのかもしれない。そう思ったところではっきりとした答えが出ないのがもどかしかった。
「いくらなんでも酷い冗談だと思いましたよ。でも実際にこうして会ってみてオリヴァー様の意図がわかりました。確かに貴方とは気が合う。公私共にうまくやっていけそうだ」
 思いがけない内容にイオネは目を瞠る。人の言葉を疑ったのは記憶に新しい。
 しかし、ゲイリーの言葉は歓迎できるものではなかった。
「やめて下さい、そんな冗談」
「冗談ではありません。私と貴方はお互いの仕事を誰よりも理解できるし、同じものを見ている。そんな相手を得られる機会は滅多に無い」
「でも私は既婚者です」
「それなら問題にはなりません。貴方さえ頷けばオリヴァー様は貴方と今の夫君の離婚に手を貸して下さるでしょう。離婚歴のことなら私は気にしません」
 そういう問題ではない。ゲイリーは論点のずれに気づいているのか、それともわざとずらしているのか。
 離婚歴なんてつけられてはたまらない。それがルイスとの別れを意味するのなら尚更。
「どうでしょう、私との生活を考えてもらえませんか」
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