猫と毒草

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  静かな午後に  

 部屋には穏やかな陽光が射し込み、クリーム色を基調に整えられた部屋の中は自然と明るくなる。
 窓から見える大木の葉が風に揺れるのを見ていたイオネはゆっくりと流れる時間を感じていた。
 平日に家にいるのはどうも慣れない。けれども昨日作業を失敗して毒にあてられたイオネは完全回復するまで自宅療養を命じられている。
 普段は主寝室で寝起きしているイオネだが、今は自室のベッドに横になっている。捨てるのが勿体なくて昼寝用にと持ち込んだ一人暮らし時代のベッドがこんなふうに役立つとは思わなかった。主寝室のベッドはルイスと使っているものだし、昼間はイオネの部屋の方が光が入る。病人が休むならば自室の方が環境が良かった。
 昨日に比べると大分体調も良くなった。痺れは消えたし、頭痛も軽くなった。まだ身体はだるいし違和感があるが、食事と薬と睡眠で解消されることを知っている。これまでに何度もあったことだ。昨日は久しぶりで動揺したが、落ち着けば何てことはなかった。ただ、今までと違うこともある。
 机に目をやると書き物をしているルイスの姿。イオネがぼんやりとその様子を見つめていると、ルイスがふと顔を上げてこちらを見た。
「どうした?」
「あ……いえ」
 そんなふうに聞かれても、何も無いから反応に困る。しかしルイスにとってはそれで充分だったのか、目元が優しくなった。彼はペンを机に置いて立ち上がり、イオネのところまでやって来た。
「具合は?」
「横になっている分には何も」
 もう何十回目とも知れない問いに正直に答える。最初は「大丈夫」と言っていたのだけれど、ルイスはそれでは納得しなかった。「そんな顔色で言われても信用できない」「無理をしないでくれ」と真実を促すものだからイオネは根負けして自分の状態を偽るのをやめた。
「そう。じゃあ大人しくしていてくれ」
「してますよ、ずっと」
「うん、知ってる。ずっと傍にいたからね」
「……でしょうね」
 昨日、ロレンス邸からイオネが倒れたことを知らされたルイスは仕事を放り出してイオネの元に駆けつけた。イオネの状態が落ち着くのを待って家に帰り、夜は食事の世話をしたりずっと傍についていた。そんなふうにイオネのことを心配してくれる存在はここ数年いなかった。今日は一度役所に出かけたものの必要最低限の仕事だけして午後から休暇を取りこうしてイオネの傍にいる。明日明後日の分も休暇にしてきたと聞いた時はイオネは言葉を失った。申し訳なく思った。けれども肝心のルイスは全く迷惑な素振りを見せない。それが当然だとでも言うようにイオネの部屋に物を持ち込み、自分のことをしながらもイオネを気にしている。過保護な人だ。でもそんな彼の行動と優しさのお陰で病床にありながらも心強かった。
 心配してくれるのは嬉しい。でもいくらなんでもイオネに時間を割きすぎだ。今は寝ていさえすればいいのだから、つきっきりでいる必要はない。そう、平日に家にいることなんて滅多にないのだから猫との時間を楽しめばいいのに。
「あの子達はどうしていますか?」
「今日も元気だよ。それぞれ好きなように遊んでいる」
「でも、静かです」
 子どものように無邪気な笑顔がイオネに向けられる。イオネは恥ずかしくなって瞳を閉じた。しんとした空気を耳が拾う。猫は全く声を出さないで楽しく遊ぶ生き物だっただろうか。常に鳴くわけでもないことはこの家に来てよく知ったが。
「君が具合が悪いのを知っているから気を使ってるんだ。賢い子達だからね。騒ぎたい子達は外に出てる。僕には嬉しくても、今の君にあの子達の声は辛いだろうから。頭痛はまだ消えてないんだろう?」
「まだ少し」
「だったらあの子達の気遣いを遠慮なく受け取ってくれ」
「ええ、そうします」
「じゃあ、元気になったらまたあの子達と遊んでくれ。特にトムは喜ぶ」
「はい」
 ルイスはまるで自分の子を自慢するように猫の話をした。愛らしいだけでなく、賢く、思いやりを持っている猫達を誇らしく思っている。
 猫達がそう育ったのは他でもないルイスが手をかけたからだとイオネは思う。ルイスの愛は真っ直ぐだ。過保護で鬱陶しい時もあるけれど、それがルイスだ。そうでなければルイスではない。
 ふと、ルイスがイオネの頭を撫でた。
 子どもじゃないのに。そう思いながらもイオネは大人しく受け入れる。
 昨日もこうされた。あの時、今よりも辛くて苦しかった情況で与えられたこの手の優しさと心地良さは今日も変わらない。イオネの状態が快方に向かっているのは食事と睡眠と薬の効果だ。しかしこうして触れられていると、そんなものよりもルイスのこの手に癒されているような気分になる。医学的に裏付けされた薬や行動の力ではなく、ルイスの優しさが。
 ルイスに懐く猫の気持ちがわかるような気がした。ルイスはほとんどの人間に対しては興味を持たず淡白なつきあいしかしないが、一部の人間には全く違う接し方をする。ルイスの傍は温かい。持ち前の優しさも相まって、ひどく安心するのだ。知ってしまったら離れるのが惜しくなる。だから家に出入りする猫の数が一向に減らない。
 イオネもいつの間にかルイスに懐いてしまっていた。懐かれたなんて思っていたのはつい先月のことだったが、今ではルイスのことをそんなふうに言うことはできない。でもこれは一方的なものではなくてお互い様。そう思いたかった。
「ルイス」
「うん?」
「元気になったらトム達とも遊びますけど」
「うん」
「せっかくだから、次のお休みは私のお散歩にでもつきあって下さい」
 それくらいいいでしょう?
 イオネが見上げると、ルイスは微笑みを浮かべた。イオネの頭を撫でていた手を止め、今度はイオネの手に重ねる。
「いいな、そうしよう。約束だ」
「忘れないで下さいね」
「勿論、忘れないよ。楽しみにしてる」
「私も」
 今週中に体調を元に戻して、休日には外に出られるようにしよう。猫が一緒でもいい。重要なのは、ルイスと共に時間を過ごすことだ。
 イオネの顔に笑みが零れる。照れくさくはあったが、隠すこともなかった。嬉しい気持ちが少しでもルイスに伝わればいい。そう思った。
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