猫と毒草

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  お呼ばれにはご用心  

「やあ。よく来てくれたね、二人とも」
 応接室に入るとオリヴァーが両手を広げて出迎えた。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
「久しぶりだね、ルイス」
「ごぶさたしております」
「イオネとは毎日顔を合わせているけれど休日に会うのは新鮮だ」
「私も同じことを考えていましたよ、オリヴァー様」
 挨拶を交わした後、席を勧められてルイスとイオネはソファに座る。
 休日の午後、イオネはルイスとロレンス邸を訪れていた。毎日通っている場所でも客人として足を運ぶとなれば緊張する。応接室なんて普段入らない場所だから余計に。それでもルイスよりは気が楽かもしれない。なにせロレンス邸は勤め慣れた屋敷で、オリヴァーもすっかり親しんだ顔だ。しかしルイスはオリヴァーとはほとんど面識がないそうだ。イオネとの縁談の話が出て初めてオリヴァーと顔を合わせたと言っていた。それから何度か会う機会はあったがまだ片手で足りる程度だという。
「式から三ヶ月経つけどどうだい?」
「お陰様で充実した日々を過ごしています」
「イオネが君を困らせるようなことをしていないかい?」
「いえ、そのようなことは」
 余計なお世話よ。オリヴァーの質問にイオネは声に出さずに文句を言う。ルイスがすぐさま否定したので「そうでしょう?」と非難の意味をこめた視線をオリヴァーに送るが、彼は笑顔でかわした。
「そんなことはないだろう。こちらの我侭でなかなか家に居させてやれない。君には申し訳ないと思っているよ」
「私は彼女が薬師であることを誇りに思っています」
 ルイスがはっきりと言った言葉がイオネの胸に広がっていく。
 結婚しているにも関わらず仕事を続けていることはイオネも自覚している非常識な行動だ。あくまで世間一般から見たらの話で、イオネとルイスには当てはまらないから問題とは思っていない。それでも時々申し訳なく思うこともあるから今のルイスの発言はありがたかった。何よりもイオネの仕事の部分を認めてもらったようで嬉しかった。オリヴァーの手前、お世辞も入っているのだろうけど。でも。
 そんなイオネの気持ちに気づいたオリヴァーは穏やかな瞳になる。
「そうか。イオネ、良かったじゃないか」
「はい」
 イオネが頷く。
 三人の間に和やかな空気が流れた。その流れのまま会話はいつしか世間話になる。ルイスも大分打ち解けた頃、オリヴァーが「ところで」と切り出した。
「良い縁談があるのだが」
「はい?」
 突然のオリヴァーの発言にルイスは戸惑ったようだ。それに対してイオネは休日までその話かと額を押さえる。先日の門番のオルウェンの件は今オリヴァーが相手候補の娘を絞っていると聞いている。門番も候補の娘達も知らないところで。それはまだしばらくかかるという話だったから、きっと別件だ。
「今度は誰ですか」
 尋ねると、オリヴァーは笑みを深くした。親しくない人間でも故意に作ったとわかるような笑顔だ。
「最近うちの息子が猫を飼いはじめてね。一匹じゃ寂しいだろうから、相手になるような猫が欲しいと思ったんだ。それでどうかな、猫を一匹、うちに嫁入りさせないか?」
 猫なのか。
 今度は誰が餌食になるかと心配していたイオネは脱力した。猫の縁談。確かに、最近ロレンス邸には飼い猫ができた。奥方が知り合いから譲り受けた猫で、性別はオス。育ちの良さそうな真っ白な猫だ。その猫に花嫁を、と。
 イオネはちらりとルイスの様子を窺う。表情は崩さない。けれども内心はかなり動揺しているはずだ。大事な猫を寄こせと言われて彼の心が荒れないわけがない。
「申し訳ありませんが、我が家にはご期待に添えるような娘はおりません」
 拒絶の言葉は、まるで猫ではなく人間に対してのもののよう。イオネは苦笑しそうになるが、危ないところで堪えた。
「期待?猫愛好家で名高い君の大切な娘をもらいたいというのはこちらの勝手なお願いだ。でも僕は親として息子のためになんとかしてあげたいんだよ」
 わざとらしく八の字に下がるオリヴァーの眉。器用だこと、とイオネは肩を竦める。もっともらしいことを言いつつ、敢えてルイスに猫を寄こせと言うあたり嫌がらせにしか思えない。しかし面識の少ないルイスに嫌がらせをする理由が浮かばない。人間でいい縁談がなかったからこの際猫でもいいからくっつけてしまえと思ったのか、それともからかう相手が欲しかったのか。なんだか両方のような気がする。
 ただ、ルイスがここで引き下がるはずがない。猫好きルイスの名は伊達ではない。
「相性などもありますし。私はうちの子たちには好きになった相手と幸せになって欲しいと考えていますので」
 うちの子たち、と言われてイオネはハワード家の雌猫の面々を思い浮かべた。メアリーにエリザベスにアンジェラ。勝手に出入りをしている猫も含めればまだまだいる。ただ、何十匹いてもルイスは手放さないだろうけれど。
「それならうちの猫を気に入る可能性もあるってことだね」
「ロレンス家の猫と我が家の猫では身分が合いません」
「身分なんて猫には関係ないよ」
「そんなことはありません」
「君も頑なだね」
「いえ、私には過ぎた話ですから」
 笑顔のオリヴァーと真顔のルイス。けれどもオリヴァーからはイライラした空気が、ルイスからはピリピリした空気が放たれている。
 なによこれ。やってられない。
 イオネはつきあっていられないとばかりに窓の外に目を向けた。


 馬車に乗り込んだ途端、ルイスは長いため息を吐き出した。真正面で表情の変化を見たイオネは苦笑せずにはいられなかった。
「お疲れ様です」
「……本当に」
 否定する気も起きないらしい。ルイスは疲れきった様子で頷いた。
 なにしろ猫の縁談についてオリヴァーと一時間も無意味な応酬を繰り広げていたのである。もっとも無意味だと感じたのはイオネであって、ルイスにしてみれば愛する猫を奪われないよう、けれども領主であるオリヴァーに無礼を働かないよう、これ以上ないくらい神経を使っていた。途中からオリヴァーは意地になっていたこともあり、拒絶を通すのはかなり大変だった。普段のルイスなら声を上げて騒ぎたい場面だったろうに。よく耐えたと思う。そこは素直に拍手を贈りたい。
「父はオリヴァー様のことをよくやっていると言ってたけど、人間性の方は疑わしいな」
「オリヴァー様は時々人をからかったりするんですよ」
「君もよくあんな目に?」
「そうですね、滅多にないですが」
 イオネの答えを聞いてルイスの眉間の皺が増える。
「感心しないな」
 はっきりと滲み出る嫌悪。ルイスが誰かに対して負の感情を抱くのを表に出すのは珍しい。基本的に人づきあいはあっさりしている。人間にはあまり執着がないようだ。だから特定の人物を非難するようなこともこれまでなかったのだが、どうやらオリヴァーは例外らしい。無理もない、ルイスから猫を取り上げようとするなんて宣戦布告も同然だ。
 イオネもオリヴァーをフォローするつもりはない。今日のはどう考えてもルイスいじめだ。からかって遊ぶつもりだったのだろうけれど、あれは度が過ぎる。ルイスの猫への可愛がりようをよく知っているイオネとしてはいただけなかった。オリヴァーは雇い主だが、ルイスは夫。身内の肩を持つのは当然だ。
 いつの間にかルイスが家族だということに違和感がなくなっている。
 結婚して三ヶ月。一緒に過ごした時間は伊達ではないらしい。
 ルイスは不機嫌な表情で「あの子達を僕から引き離そうとするなんて……」とぶつぶつ呟いている。イオネはその姿を見て瞳を細める。
「今日は疲れましたから」
「うん」
「家に着いたら、思う存分猫達と過ごしましょう」
 ね?と微笑むとルイスの眉間の皺が消えた。
「イオネも一緒に?」
「ええ。是非ご一緒させて下さい」
 夕飯までの間、ルイスと二人で猫達と戯れて穏やかな時間を過ごすのもいい。猫達の愛嬌のある姿はルイスの心を癒してくれるはず。
 イオネの返事を聞いたルイスの視線が柔らかくなる。
「大歓迎だよ」
 馬車はもうすぐ家に着く。
 一時間後には、きっと二人は猫に囲まれて笑っているのだろう。もうすぐ訪れる未来を描いてイオネは目を閉じた。
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