猫と毒草

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  領主と奥方  

 心当たりのない呼び出しに応じてオリヴァーの執務室に入ると、エンイストンの領主はイオネに向かってこう言った。
「二十歳前後で気立てのいい娘を知らないかい?」
「どうしました」
「オルウェンにいい縁を見つけてやりたいと思うんだ」
 またか。
 イオネは声に出さなかったが顔にははっきりと出てしまっていた。領主の縁結び好きがまた始まったらしい。
 イオネの次は門番のオルウェンか。可哀そうに。彼はロレンス邸に勤めて一年くらいしか経っていないはず。年齢は確か二十歳を超えたばかりだと記憶している。わざわざ縁談など持ち込まれぬともいい年齢なのに。
「恋人がいるかもしれませんよ」
「いたけどふられたらしい。だから私が彼に春を運んであげようと思うのだよ」
 口元に笑みを浮かべるオリヴァーの背後に目に見えない圧力が渦巻いている。これは相当乗り気だ。考えてみればイオネに縁談を持ちかけた時から既に半年が経っている。その間、オリヴァーは仕事が忙しいやら体調を崩すやらで他のことにかまけている時間がなかった。今は仕事量がほとんど元に戻っていると言っていたから他人のことに口を出す余裕ができてきたのだろう。まったく迷惑なことだ。
「申し訳ありませんが私は存じません。他の方を当たって下さい」
 これだけの為に呼び出したのかしら。こっちは流行り病の薬を大量生産しなければならないのに。
 この場はさっさと切り上げよう。そう思ったところに、人が入ってくる。
「あら、イオネ。久しぶりね」
「奥様」
 執務室に現れたのはオリヴァーの妻デーナだった。最新流行のドレスに身を包み、華やかな美貌を振りまいている。イオネは慌てて頭を下げ、彼女の為にオリヴァーの正面を空けた。
 デーナはイオネを一瞥するとオリヴァーの前に出る。オリヴァーは鮮やかなドレスを纏った妻の姿を見るとにこりと笑った。
「これはまた華やかなお召し物だ」
「ええ、流行の最先端ですのよ」
 おわかりになって?とデーナはその場でくるりと回転する。イオネは襟元の刺繍と袖口、スカートの形を見て、なるほど、と頷いた。使っている生地も上等、装飾品も含めればイオネの一ヶ月分の給料といい勝負だ。
 オリヴァーは笑顔を崩さない。けれどもドレスについては触れなかった。
「我が奥方は私の財力を試しているのかな。民が困るから破産になるような買い物だけはやめてくれ」
「まあ、ご冗談を。わたくし、ちっともあなたのお金には手をつけていなくてよ。全部わたくしのお金で買ったものだもの。民を困らせるようなこともいたしません」
「それは良かった。私の奥方だという自覚はあるようだね。すっかり忘れられていたらどうしようかと思ったよ」
「見くびられたものね。子どもたちには人を見る目をつけるようにしっかり勉強させなくては。あなたみたいな大人になったら大変ですもの」
「それなら計算をよく教え込まないとね。見境なく物を買いあさるような大人になったら大変だ」
「それでしたらわたくし得意よ。子どものためにできることがあって嬉しいですわ」
 オリヴァーの温和な笑顔とデーナの挑発的な笑顔に挟まれているイオネは息が詰まりそうだ。笑顔のやりとりなのに穏やかでないのはいつものこと。この夫婦は顔を合わせると嫌味の応酬をしなければ気が済まないらしい。
 人の縁を結ぶのが趣味のオリヴァーだが、当の本人の夫婦仲は良いとは言い難い。イオネがこの屋敷に出入りするようになった時には既にこうだった。聞けば、結婚する前から変わらないという。
 名家の出身で派手好き・遊び好きのデーナ。彼女の散財は凄まじいものだが言い分にもあったようにロレンス家の財産に手を出しているわけではない。彼女は個人で投資を行い、莫大な財産を稼いでいる。一見すると到底賢そうには見えないのだが、なかなか食えない奥方だ。
 オリヴァーはそんな妻が気に食わない……かと思えばそうでもないらしい。二人にとってはこういうやりとりが挨拶化しているこのやりとりを楽しんでいる節すらある。デーナの方は楽しんでいるかどうかはわからないが、できることなら二人が揃っている場には関わりたくないイオネである。
「ところで、何か用事でも?」
 ここに来るからには話があるんだろうとオリヴァーが尋ねる。イオネはこの場を去るべきかと思い、口を開こうとする。しかしその前にデーナが答えた。
「そうそう、庭の花壇を作り変えたいのですけれど。いいかしら?」
「花壇を?今のままでも充分だと思うが」
「もう少し見栄えをよくしたいの。花の配置も変えた方がよくてよ。今のままではせっかく花を植えてもいまいち良さを出し切れていないもの。玄関や庭はロレンスの顔。しっかりとお金をかけるべきところですわよ」
「それはどう考えてもこちらの出費になるな」
「ええ。ですからこうして伺いを立ててますの」
「検討しておこう」
「いいお返事を期待してますわ」
 お願いね、と言ってデーナは踵を返す。そのまま部屋を出て行くかと思いきや、扉に手を掛けたところで振り返ってイオネを見た。
「そうそう、イオネ。そろそろ新しい香水が欲しいの。花はまた指定するからそのつもりでいてちょうだい」
「はい、奥様」
 イオネが頭を下げている間にデーナは去って行った。パタンと扉の閉まった音が響いた後、イオネは小さく息を吐きながら顔を上げる。
 これでやっと気が抜ける。イオネはデーナが苦手だった。
「毎回デーナが悪いね」
「いえ」
 薬草を始めとする植物を扱うイオネは香水を作るのも得意だ。それを知ったデーナは時々自分だけのオリジナルの香りを注文してくる。それも仕事の内だ。その仕事が入ると、デーナと顔を合わせる回数が増えるのは気が滅入るが仕方ない。その辺の薬師に比べたらよっぽどいい給料をもらっている。それくらいは我慢しなければ。イオネは自分に言い聞かせる。
「では、私はこれで失礼します」
「ああ、オルウェンの件だけれど、良さそうな人が見つかったら是非教えてくれ」
 その話は終わっていなかったのか。イオネは複雑な気持ちになりながら頷く。
「……はい」
 しばらくはオルウェンに哀れみの瞳を向けてしまうかもしれない。
 可哀そうに、オルウェン。これも独身でロレンス家に仕える者の運命なのよ。
 もし彼に縁談が降りかかったら、頭痛薬と胃薬をプレゼントしよう。
 イオネは密かにそう決めて執務室を去るのだった。
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