猫と毒草

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  休日の内緒話  

「本当に来ないのか?」
「ええ、私は家で留守番を」
「遠慮しなくていいのに」
「月に一度の楽しみでしょう?気兼ねなく楽しんで下さい」
「じゃあ、次は一緒に」
 長い押し問答の末、ルイスは残念そうな顔で出かけて行った。
 腕に数いる猫の中でも最もお気に入りの白猫メアリーを抱えながら向かったのは友人宅。
 今日は猫好き仲間で結成した三日月の会の月に一度の交流会だった。


 ルイスを見送ったイオネは自分の部屋に戻る。休日はマーナは来ないので今日は昼食の準備もイオネがしなければならない。けれども昼は義父とイオネの二人きり。義父トーマスとの関係は良好なので、やたらと猫を気に掛けているルイスがいない昼は快適でもある。
 ルイスが三日月の会に出かけるのは結婚してから今日で二回目。先月三日月の会のことを知った時は呆れ果てた。猫好き同士で結成した三日月の会は既に結成三年目になるらしい。今は十人くらいのメンバーで猫を愛し、保護し、情報を交換し合っているそうだ。名前が猫に全く関係ないが、三日月の夜に結成したのでそのまま名づけたという。
 アンジェラの手当てをして以降、ルイスの態度が軟化している。イオネが一人でいると猫を連れてやってきて猫について熱く語り出したり、猫についての悩みを相談してきたりする。イオネのところにトムがやってきてもきつい態度を取ることがなくなった。それどころか微笑ましそうに見ているのだ。
 あまりに猫猫猫猫で鬱陶しい時もある。仕事のことを考えている時は一人にして欲しいと追い出しているが、それ以外の時にはルイスにつきあうしかない。ルイスも猫も嫌いではないけれど、度が過ぎると引いてしまう。
 昨日の夜からルイスはイオネに三日月の会に行かないかと積極的に誘いをかけてきた。興味がない。行きたくない。せっかくの休日にどうしてそんなところに。そう思ってもストレートに言うわけにはいかない。だからイオネは色々な言い方で断ったのだけれど。結局出かける直前までやりとりは終わらなかった。
 これは多分、イオネがルイスに気に入られたということなんだろう。
 でもこういう好かれ方は疲れる。
 せっかくだから今日は思う存分休もう。
 イオネは時間まで寝ることにした。


「絶好の散歩日和だな」
 トーマスが空を見上げて目を細める。イオネも箒を動かす手を止めて空を仰いだ。
 綺麗な青がどこまでも広がっている。昨日の雨が嘘のようだ。
「お出かけになります?」
「そうだな。今はまだ日が高いからもう少し経ってから行くとしよう」
「でしたら私もご一緒させてもらおうかしら」
 こんなにいい天気なのだからたまにはのんびりと外を歩くのも悪くない。義父と一緒ならまったりとした時間を過ごせるだろう。
「それは嬉しい申し出だ。けれどルイスと入れ違いになるかもしれない」
「まあ」
 確かに、今日は夕方には帰ると言っていた。トーマスとのんびり散歩に出ているとルイスの帰宅時に家に誰もいなくなってしまうかもしれない。
「鍵は持っているだろうが、イオネがいなかったら残念がるだろうから。私も息子に恨まれるのは遠慮したい」
 トーマスは呑気に笑うが、イオネには義父から出た言葉が引っかかる。
 残念がる?恨まれる?
 それはどうだろうか。
「息子は君のことを好いているから」
「お義父様」
 自覚はしている。けれども人に言われるとなんだか気恥ずかしい。それに、「好く」の程度が実際のものと人が言うものとでは認識の違いがあるように思える。
 イオネが返答に困っていると、トーマスは穏やかな笑みを浮かべた。
「安心したんだよ」
「はい?」
「息子はああだからね。結婚しても簡単にうまくいくとは思えなかった」
 イオネもそう思っていた。ただでさえオリヴァーに進められた縁談。元々好きでもない人と一緒になるというだけでも不安があるのに、その相手が世間でも有名な猫好きとあれば。
 仕事が続けられれば幸せだと思うものの、やはり不安は不安。最初は猫が家中を歩き回っている生活や猫を前にすると人が変わったかのように可愛がる夫に抵抗があったものの、今では大分慣れてきてしまっている。ルイスだって猫以外のものにはほとんど興味を示さないとはいえ、イオネに対して冷たいわけではなかった。それなりの気遣いもあった。ただ、猫に関することではとばっちりを食うこともあったけれど。
 どうしようもない猫好きだけど悪い人ではない。それさえわかればかなり気は楽になった。
「最初は色々と気になっていたがね。最近はいい感じじゃないか。ルイスも楽しそうだ。君もそう思ってくれていればいいのだが」
 アンジェラの件以来、妙に懐かれてしまった。それ自体は嬉しい。ただ、何につけても猫なのがどうかと思う。うんざりすることも多いけれど、どうしようもなく嫌だということはない。それに、イオネが楽しんでいないといったら嘘になる。
「私も楽しいですよ」
 家で毒草を扱えないのが最悪だ、と思わなくなるくらいには。
「そうか、それなら良かった」
 トーマスは嬉しそうに頷く。
 義父は気になっていたのだろう。ルイスがよくてもイオネがそう思っていなかったらと。
 この際だから、とイオネは前々から思っていたことを口にする。
「でもお義父様、本当はいい家からお嫁さんをもらいたかったのでは?」
 ハワード家は名家だ。普通なら名家の娘を迎えるところである。それを領主の薦めとはいえ、普通の家に生まれたイオネを息子の嫁にすることになるとは。トーマスにしてみれば予定外ではなかったのだろうか。
「なに、息子があれだからうまくやってくれる人がいればそれでいいと思っていたよ。オリヴァー殿から見合いを打診された時は焦ったがね。なにしろロレンス家お抱えのエンイストンでも一二を争う名薬師。名家ではなくとも代々医者を続けているしっかりした家柄で。こちらが恐れ多いくらいだった」
「そんな大したものではありません」
「世間で君がそう言われているのは事実だ。何よりオリヴァー殿のお気に入りと評判の女性の不興を買ったらどうしようかと冷や冷やしてたのさ」
「お気に入りだなんて」
 その言葉には苦い感情がある。イオネはこれ以上この話を続ける気にはなれなかった。
「お義父様の期待に添えているかはわかりませんけれど」
「そんなことはない。これまでのルイスを考えれば上出来だ」
「そう言っていただけると助かります」
 トーマスが合格点を出したことにイオネはホッとする。
「至らぬところの多い息子だがこれからもよろしく頼む」
「こちらこそふつつか者ですがよろしくお願いします」
 二人で頭を下げて笑い出す。
 世の女は嫁姑問題で苦労するというが、イオネは何という幸せ者だろう。
 夫には少々難があるが、猫のことさえ除けば――その猫のことが少々というレベルではないのだけれど――イオネは随分と恵まれている。
 これはオリヴァー様に感謝するべきなのかしら?
 今度顔を合わせたら、少しだけ親切にしてあげてもいいかもしれない。そんなことを思った。
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