猫と毒草

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  領主と薬師  

「やあ、イオネ。待ってたよ」
 イオネが寝室に入るなり、明るい声がかかる。ベッドに横になっているオリヴァーが青い顔で苦笑しながらイオネを見ていた。
「なに笑ってるんですか」
 イオネは一包みの薬を取り出してオリヴァーに渡す。
「これ苦いんだよな」
「その分効きますから飲んで下さい。飲まないなら人を呼びますよ。身体を押さえつけて無理やり飲ませますから」
「乱暴なのは好きじゃないな。どうせならイオネが飲ませてよ。口移しなんてどうか……うわっ」
 オリヴァーの科白が終わるのを待たずにイオネはオリヴァーから薬を奪って開いた口に放り込んだ。そしてコップを押し付けて水を流し込む。されるがままになっていたオリヴァーは水を飲むとケホケホとむせた。
「い、いきなりはないんじゃないかな」
「さっさと飲まないからですよ。取り敢えず、様子を見ましょう。夜の分と朝の分はそれから決めます。今日は無理をされませんよう」
「そうだね。明日は外に出る用事があるからそれまでに何とかしたい」
 オリヴァーは目を閉じて息をついた。今は身体を休めることが大切だ。何しろ、オリヴァーは毒を盛られたのだから。
 強い毒ではない。けれど、普段通りに動くのは困難だ。急激にオリヴァーを襲ったのは酷い嘔吐感と寒気。イオネより先に医師が診て毒の種類を判別し、イオネに薬を指示した。イオネも念の為に毒の種類を分析したが、聞いた症状と実際にオリヴァーの様子を見て医師の見識が一致した。
 オリヴァーがこうして毒を盛られるのは時々あることだった。食事に入れられていたり、思わぬところに仕掛けられていたり。死に至るような毒はなかなか無い。けれども軽い毒でも使い方や処置次第で身体に危険を及ぼす。イオネが若くしてロレンス家の臨時顧問薬師についているのには、イオネが毒の扱いに長けているところが大きかった。先代の顧問薬師がイオネの師匠だったこともあるのだが、それはそれ、これはこれ。
 けれど、ここ最近はこういうことがなかったのに。聞けば外出先で食事をした後に異変が起きたという。今頃、その店は警察に囲まれていることだろう。
「久しぶりですね」
「ああ、ちょっと油断してた」
 誰の手のものか。気になるが、それを解明するのはイオネの役目ではない。イオネがするべきことはオリヴァーを早く回復させることだ。若き領主には元気な姿が一番似合う。
「回復して体調が安定したら、少しずつ耐性をつけていきましょうか?」
「そうする。ところでイオネ、新婚生活はどうかな?」
「……思ったよりお元気そうですね。ここに仕事を持ってくるようにセバスチャンさんに伝えましょうか?」
「いや、それは無理だよ。今日は大人しく寝ているさ。でもイオネ、私を元気づける為に楽しい話をしてくれてもいいじゃないか」
「楽しい話ねえ」
 ただ単に楽しい話をしろと言うのならネタが無いこともない。でもオリヴァーが望んでいるのはイオネとルイスの楽しい新婚生活の話だ。そう言われると困る。
「なに、不満でも?」
「それは……」
 本当は否定するべきところだと思う。何しろ相手はイオネの雇い主で、イオネとルイスの結婚を勧めた人物なのだから。更に今は具合を悪くしている。それでもこれだけは言いたい。言わずにはいられない。
「猫がいるので」
「ああ」
「家に材料を持ち込めません」
 しかめっ面でイオネは告げる。けれどもそれを聞いたオリヴァーはフッと笑う。
「なるほど。それはさぞかしつまらないだろうね」
「ええ」
 結婚するまでは一人暮らしをしていた為、家に薬草を持ち帰ろうが毒草を置いたままにしようが全く問題なかった。家に入るのはイオネ一人。気を使うことなく、家でも空いた時間を使って薬を作ることができたというのに。
 結婚してからはルイスと義父と猫がいる生活。マーナも出入りするから危なくて家に材料を入れることができない。特に問題なのは猫。勝手に部屋に出入りするものだから重要な書類は持ち込めない。万が一のことがあっては困る。それに、もし家に毒草を持ち込んで、猫が口にして毒にあたってしまったら。イオネはルイスに殺されるかもしれない。冗談ではなく、本当に。そもそも、それが起こらなかったとしても突然猫が鳴きだすあの家では危なっかしくて調合なんて行えない。そう思うと猫が憎い。
「調合室でしか毒草を扱えないなんて……!!」
 結婚にこんな不都合があるなんて思いもしなかった。こうなると知っていたらあの時オリヴァーに結婚はまだ早いと主張したのに。
「家ではもっと違うことをするべきだよ」
「猫と遊べと?」
 それなら不本意ながらやっている。毎日ではないけれど、2日に1回くらいなら。特にすることがない時、傍にいる猫に構って時間を潰している。そしたら最近、どうやらトムに好かれているようでよく近寄ってくるようになった。トムはハワード家に2匹いる黒猫の内の片方だ。毒草を扱うイオネに黒猫なんて不吉な組み合わせにしか思えないのだがそうなってしまったものは仕方が無い。ルイスには敵対心を持たれたのか、「その程度でトムの気持ちを理解したと思ってもらっては困る」なんて言われてしまった。別にルイスからトムを取るつもりもないし、猫のことで張り合うつもりもないのだけれど。猫に執着するルイスは少し鬱陶しい。他の場面では割とあっさりしているし、ちょっとした気遣いも見せてくれるのに。
「猫好き夫婦で名を広めるのも悪くはないが。新婚なんだからもっと甘い時間を楽しんだらどうだい」
「結構です」
「もったいない。新婚時代は短いんだよ」
「オリヴァー様が言うと説得力がありますね」
「先輩の言うことは聞くものだよ」
「それなら参考にさせていただきます」
 投げやりに答えるとオリヴァーはクスクスと笑った。イオネがオリヴァーの言うことを聞くつもりがないのは明らかだ。それを楽しんでいる。
 まったく、この人は。
「もう、笑ってないで少しお休みになって下さい。今は身体を休めて体力をつけることがあなたの仕事です」
「わかっている。私は少し眠るよ」
「はい。夕方にまた来ます。よい眠りを」
「ああ」
 オリヴァーが目を閉じるのを見届けてイオネは部屋を出る。外には執事のセバスチャンがいた。イオネはオリヴァーの状態としばらく休むこと、それから今後の処方について伝えて調合室に戻った。
 明日は早朝出勤になる。久々の早起きだとイオネは眉間に皺を寄せた。
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