猫と毒草

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  新婚旅行と言えど  

 新婚旅行。
 それはそう、人生に一度の甘〜い旅行。
 人生で最も幸せな時間の一つ。
 けれど。

「ああ、なんて可愛いんだ。そんな瞳で見つめられたらもう離れられなくなるじゃないか……!」
「こんな素敵な宝物がいっぱいあるだなんて……!店主、他にはどんなものが……?」

 ここに二人、新婚らしい甘さを欠片も持たない夫婦が一組いた。


 新婚旅行を外国にして良かった。
 旧姓イオネ・クラーツ改めイオネ・ハワードは初めて訪れるクィタールの地で歓喜していた。
 滞在三日目。観光も一通り終わり、本日この街を離れ帰国の途に着く予定になっている。その前に買い物でもということでルイスと待ち合わせ場所を決めて自由行動をすることになった。
 お互い見たいものもあるだろうし。そう言ったルイスはまあまあ理解のある夫ではないか。イオネは迷うことなく街の薬屋を目指した。薬を買う為ではない。普段は手に入れることのできない材料を仕入れる為である。
 そうして店に入ったイオネの目に写ったのはこれまで図鑑でしかお目にかかれなかった薬草の数々。特に毒草の種類が並々ならない。
「あれはダクス?ああ、あっちは夢食草じゃない!それにギール、クレイア、白壊草、青流草まで!」
「おや、お嬢さん詳しいね。あんた医者かい?」
「エンイストンで薬師をしているの。クィタールには旅行でやってきたのだけれど、こんなに貴重なものに出会えるとは思わなかった。ねえ、これ私が買うことはできるかしら?」
「エンイストンなら薬師免許があればサイン一つで大丈夫だ。免許は持ってるのかね」
「ええ、ここに!」
 イオネは興奮しながら免許を出す。忘れないで持ってきてよかった。
 店主は目を輝かせるイオネに笑いながら免許を確認した。
「本物だ。よし、紙を用意するからどれをどれだけ欲しいか考えておくれ。ほれ、これが料金表だ」
「ありがとうございます」
 イオネは真剣な目で商品リストに目を通す。エンイストンで手に入るものは無視。取り寄せで何とかなるものも無視。ここでしか手に入らないものを、どれだけ買い込むか。
 欲を言えば全部欲しい。それも大量に。この店にあるものを全部買い占めてしまいたい。けれどそれは不可能だ。となると、優先順位の高いものから選ぶしかない。それにしても試してみたい材料が多すぎる。ここにある毒草を自分の手で薬に変える。それを想像するだけで胸がときめいた。ここはまるで天国だ。気を抜くとすぐにでも気分が舞い上がりそうになる。それじゃいけない。イオネは自分の顔をペチペチと叩くと再びリストと睨めっこを始めた。


「ありがとうございましたー」
 店主の声を背に受けてイオネは薬屋から出た。両手いっぱいの袋に心はうきうきとしている。結構散財してしまったが、申請すれば薬師協会から補助金が出る。それに毒草を扱うのはイオネの趣味のようなものなので今から楽しみで仕方ない。中には猛毒を持つものもある。扱いが難しいが、それはそれでやる気が出るというものだ。
「ふふふ……」
 口から漏れる笑いが止まらない。ああ、新婚旅行とはなんて素晴らしいものなのだろう。こんなにいい買い物が出来るなんて。
 目的が済んだイオネはもう寄るところもないと思い、待ち合わせ場所に足を向けた。広場の噴水はすぐそこだ。
 けれども、噴水に辿り着く前にイオネの足が止まる。ある店の前で、待ち合わせをしている相手を見つけたからだ。
 そこが何の店かを確かめたイオネの顔が引き攣る。ルイスらしいというか何と言うか、そこはペットショップだった。先に行って広場で座っていようか。迷ったが、ルイスがいる場所が場所だけに、待ち合わせの時間を過ぎてもそこを動かない可能性がある。それならば。
「ルイス」
 声をかけると、ルイスが振り返った。そして、視線がルイスの両手に行く。
「イオネ。……なんだかたくさん買ったようだね」
「ええ。仕事関係でね。掘り出し物がいっぱいありまして。そちらは?」
「うちで留守番をしている子達へのお土産を買ったよ。けど、僕も思わぬ出会いをしてしまって」
 ルイスは切ない表情で視線をガラスの向こうにやる。イオネが見ると、ガラス越しにこちらを見ている白い猫がいる。真っ白な毛並みに青と金のオッドアイ。ルイスの視線はじっと白猫に注がれていた。
「艶やかな毛、意志の強い瞳。この子を一目見た瞬間から、ここを離れられなくなってしまったんだ」
 何かの恋愛小説でそんな台詞があったような気がする、とイオネは記憶の彼方を探ってみる。悲しいかな、夫の対象は猫であるが。
「では連れて帰るんですか?」
 白い猫もオッドアイの猫もハワードの家にいた。ただ、この白猫はシルエットが細いのが特徴ではある。それでもイオネにしてみれば同じ猫。既に飼い猫が5匹いるし、遊びにくる猫はもっといるのだからこれ以上増やさなくてもと思う。だがルイスにしてみればそんなことは関係ないのだろう。きっと「それぞれに良さがあるんだ」とでも考えているに違いない。けれど、返ってきた答えは意外なものだった。
「いや、買うつもりはない。僕は買わない主義なんだ。うちの子達も拾ってきた子ばかりだよ。生き物なのに商品扱いされて売買されるのは気に入らない」
 そうだったのか。
 イオネはルイスを少し見直した。そういう考え方は嫌いじゃない。しかしルイスは頭を抱えてため息をついた。
「でも、ごらんよこの愛くるしい姿を!ここまでくると魔性のごとき美しさだ。僕は買わない。主義に反する。でもこの子と離れるのは辛い。ああ、どうすればいいんだ……」
 知るかそんなこと。そう思ってもイオネは口に出さない。代わりに懐中時計を出して時間を確かめる。本来の待ち合わせの時間まであと5分。汽車に余裕を持って乗る為には5分以上ここにいるわけにはいかない。
「好きにすればいいじゃないですか。ただあと5分。5分経ったらここを動かなければ」
「5分!?たった5分でこんな重大なことが決められると思うのか!?僕は今人生の分岐点に立っているんだ!3日あっても足りないくらいだ!」
「3日後にはエンイストンに戻って仕事に行かなければならないのにそんなこと言ってられますか。5分以内で決めて下さい。それで決まらなければこのまま駅に行きます」
「そんな!無茶なことを言うな!」
「無茶じゃありません!」
「君には僕の苦悩がわからないんだ!」
「だから時間の許す限り考える時間をあげたでしょう?」
「5分なんて時間の内に入らない!」


 結局、イオネとルイスの口論は止まらず。
 5分が経過し、ルイスは泣く泣く白猫を諦めて駅に向かうのだった。
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