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  変化 後編  

 昇降口で奈美を待っていた時、突然声をかけられた。
 誰かと思ったら奈美と同じクラスのやつだった。でも名前が思い出せなかった。そんな俺にあいつは「森だ」と名乗った。
『少しずつ落ち着いてきたみたいだな』
『……少し、な』
 いきなり今問題になっていることに触れられて気分が悪くなったけど、変なことを言われるわけじゃなさそうだったから普通に返した。これがからかいやいやらしい内容だったらその場でキレていたところだ。
『俺としては、早く元の状態に戻って欲しいけど。でもそれはそっちの方が深刻だろ?』
 これにはかちんときた。迷惑だって言いたいのか。
『そりゃな。他人にわかってたまるかよ』
『だったら、最初から桐島に頼らなければよかったんだ』
『どういう意味だよ』
 何を言っているのかわからなかった。
 森は辺りに人がいるのを見て、声を潜めた。
『本当は桐島とつきあってなかっただろ。かなり前から酒井とつきあってたはずだ。見るやつが見たらわかる』
『……なに馬鹿言ってんだ』
『桐島は知ってる。俺が本当のことを知ってるって』
『なんだってんだよ。なにが言いたい?』
『散々巻き込んだんだ。早く今の状況をなんとかして、さっさと桐島を解放してやれよ。いつまで世話になってれば気が済むんだ。大事なのは酒井だけ?それでもいい。でも今まで桐島に苦労させた分はちゃんと返せよ』



 森君との間にどんなやりとりがあったのかを話した誠也は深いため息をついた。
「何も言い返せなかった。言い返せる立場じゃないことは俺が一番わかってるからな。でも、由貴那」
 眉間の皺を深くした誠也が顔を上げる。
「あいつが言ってたことは本当なのか」
 すぐに言葉が返せない。それこそが答えになっていた。だからここで誤魔化しても何の意味もない。そもそも、もう隠す必要もない。「偽彼女」問題はかたがついている。
「そうだね。森君は知ってたよ。私が表向きの彼女でしかなかったこと」
「……なんで言わなかった?」
「森君が誰にも言わないって言ったから。ばれる心配はなかったし」
「でも、俺に相談してくれてもよかったじゃないか」
 由貴那は思わず瞬きを繰り返した。
 そういうことか。
 誠也は由貴那が森君に脅されたんじゃないかと気になったらしい。
 なんだか急に肩の力が抜けていく。
「特に、言う必要もないかと思ったんだ。森君、いい人だし。それに誠也達を心配させたくなかったしね」
「ふざけんなよ。俺達の問題だろ。お前だけが抱え込むことはなかったのに。俺、ほんと情けねー」
 誠也が額を抑える。森君から聞かされた事実がかなりこたえたみたいだ。奈美の為じゃなくて由貴那に対してこんな顔を見せたのは初めてだ。あの誠也をこんなふうにしてしまうんだから、森君ってすごい。ついつい場違いなことを考えてしまう。
 それにしても、森君の行動には驚かされる。
 まさかそんなことを言っただなんて。でも嫌な気分じゃない。寧ろ、由貴那のことを気遣ってくれているのが嬉しい。胸がじーんとしてるのを知ったら、誠也は怒るだろうか。
「本当に、何もされてないんだろうな」
「そんな人聞きの悪い。森君はそんな人じゃないよ」
 最初は何かされるんじゃないかってびくびくしたけど。でも、そんなことはなかったし。交換条件で始めたメールからどんどん森君のことを知っていって、好きになって。
 由貴那のことを本気で心配してくれるし、不条理な状況に本気で怒ってくれる。本当の意味で優しい人だ。
「……ならいいけど。でもな、俺、由貴那がどうなってもいいって思ってたわけじゃないから」
「うん」
「わかってたつもりだったけど、改めて他人から言われるときついな。本当に、迷惑かけてばかりだ」
「そんなこと」
「あるだろ」
 否定はできなかった。迷惑じゃない、気にしてない、とここで言えるほど人間ができてない。それでも。
「いいよ、もう。あんたの彼女役は辞められたから。誠也もすごく大変になったし、私がこれ以上何も言う必要はないよ。充分だと思うから」
 誠也と奈美はこれからが大変なんだと思う。最初の山は越えたのかもしれない。でも、辛い状況はまだ続いている。何が起こるかわからない。一緒にいるってことはそういうことだ。誠也のように目立つ男の彼女になった奈美はまだまだ苦労するんだろう。
「奈美もめんどくさい男を選んじゃったよねぇ」
 苦笑すると、奈美が困ったように下を向いた。
「めんどくさいって、お前」
「本当のことでしょ?私はあんたなんて絶対にごめんだもん。奈美は可愛くて女の子らしいんだけど、男の趣味だけは悪いと思うよ。これだけは人の好みだからしょうがないけどさ」
「お前の好みに俺が入らないだけだろ。自分の意見を押し付けるなよ。奈美が困ってるだろ。なあ?」
 誠也が同意を求めると、奈美は曖昧な笑顔で応えた。この話題にはそれ以外の反応は見せず、すぐに真剣な顔になる。
「それよりも、本当にごめんなさい」
「奈美」
「私ね、周りから冷たくされてやっとわかった。私が、私と誠也君が、どれだけ由貴那ちゃんに酷いことしてたのかって。……わかってるつもりだったの。辛いことを代わってもらってるってことは。でもね、こうなってみて、今までのはただの想像でしかなくて、本当は私が考えていたよりもずっとずっと由貴那ちゃんを苦しめてたことがわかったよ。私、由貴那ちゃんに甘えてばかりで。どうしたら今までの分を返せるのかわからない。ねえ、由貴那ちゃん。私、どうしたらいい?どうしたらこれまでのこと償える?」
 身を乗り出して必死に訴える奈美の言葉はあまりに切実だった。
 自分が辛い状況で、そんなことを考えていただなんて。本当は自分のことでいっぱいいっぱいのはずなのに。つくづく、優しい子だと思う。自分がしてきたことの残酷さに気づいてしまったから、それでまた心を痛めたんだろう。
 気づけば、誠也まで深刻な表情だ。二人して由貴那の返事を待っている。居心地の悪さを感じながら、由貴那は口元を緩めた。
「そんなことはどうでもいいんだって。奈美がお返ししてくれたいと思うなら、周りに負けないで、誠也の彼女でいて。先のことはわからないけど、周りの圧力に負けて離れることだけはしないで。私はそれでいいよ。償いとか、そんなのはいらない。友達なんだから」
 罪悪感や義務なんかで縛られた関係にはなりたくない。その先にあるのは決して明るい未来なんかではないと思うから。綺麗事を言っているつもりはない。ただ単に、いつも胸の中に重いものを抱えて奈美と接するのが嫌なだけだ。そんなわだかまりがある状況を作り出すなんて考えられない。これまでだったらともかく、身代わりではなくなった今、そんな気持ちを引きずりたくなかった。
「由貴那ちゃん……」
 奈美の目に涙が滲む。
「うん、頑張る、頑張るね」
 何度も頷きながら繰り返す奈美に由貴那は目を細める。誠也が背をさすっているから由貴那が手を貸す必要はないだろう。
「由貴那」
「なに?」
「さっきの話の続きじゃないけどさ。お前、俺の好みじゃないんだけど、全然」
「あんたに好かれなくても結構。でも一体なにが言いたいの」
「でも、俺の好みじゃなくても、お前がいいっていう男はいるんだよな。やっと、なんとなくわかった」
「……どういうこと?」
 誠也が何を言いたいのかよくわからない。視線で更なる説明を求めても、誠也は笑って奈美を慰めるだけだった。



 夜の九時近くになって携帯が鳴った。森君でないことは着信音でわかったので、一体誰だろうと思いながら確かめる。
「え?奈美?」
 なんだろう、と思いながら電話に出る。
「もしもし?」
『あ、由貴那ちゃん。いきなりごめんね』
「なに?どうしたの?」
『今日はありがとう。私、頑張るね』
「あまり肩の力入れないでよ。すぐに疲れちゃうから」
 人間、ただでさえ慣れないことをすれば疲れる生き物なんだから。そもそも奈美は人と争うのは向いていない。でも立ち向かっていかなきゃいけない。誠也の傍にいる為に。あいつの為にいろいろなことを我慢して変わっていくなんて、由貴那だったらとても考えられないけど、奈美は違う。奈美にとってはそうするだけの価値が誠也にあるらしい。
 かくいう由貴那も、森君を好きになったから誠也と奈美と喧嘩をした。恋は人を変える。それはよくわかるから、今の二人を非難する気にはなれない。
 奈美は由貴那の励ましに「ありがとう」と嬉しそうに言って、それから「ねえ」と話を切り出した。
『ねえ、由貴那ちゃん。前に言ったよね。好きな人がいるって。それ、森君のことじゃない?』
 突然の指摘に由貴那は言葉を失った。あの喧嘩以来、その話はしていなかったのにいきなり図星を指されてしまった。面と向かって言われなくてよかった。今、ひどくうろたえてるって自覚があるから。
「……どうしたの、いきなり」
『女の勘ってやつかな。最近の由貴那ちゃんを見てね、なんだか森君と話してる時の由貴那ちゃん、可愛いから』
「可愛い?背ばっかりでかくて、可愛いとは無縁の私が?」
 ちょっと奈美、疲れすぎて目がおかしくなったんじゃないの?
 本気で心配になって尋ねると、「まさか、そうなったら学校休んで病院行くよ」と笑い声が返ってくる。
『由貴那ちゃんって普段、かっこいいなーって思うタイプなの。でもそれが森君と一緒だと可愛いんだよ。それって、そういうことじゃない?』
 そうなんだろうか?
 もし本当にそう見えるのなら、他にも気づいてる人がいるかもしれない。
「……そんなにわかりやすい?」
『私から見たらね。気づいたのは最近だけど、由貴那ちゃん、森君といる時嬉しそうだし』
 森君が好きだと認めると、奈美は理由をすんなりと教えてくれた。
「そっか」
 既に「偽彼女」ではなくなってるんだから、周りにばれても構わない。でも肝心の森君はどうなんだろう。なんとなくは気づいてくれてるんだろうか。もしかしたらこのまま自然につきあえる可能性もあるかもしれない。ただ、一度どこかではっきりとさせた方がいいような気もする。
『由貴那ちゃんには幸せになってほしいの。応援してるよ。もう私のことはいいから、自分のこと考えて』
「言われなくても考えてるよ」
『そうかな。でもつきあってないんでしょ?』
「つきあうどころか、告白もしてない」
『ほら。自分のこと後回しにしてる。相手が森君なら、きっと上手くいくって。誠也君にああ言ったの、由貴那ちゃんのためだと思うんだ。でも、ちょっといい人くらいじゃわざわざあんなこと言わないよね』
 実は既に告白されてますとは流石に言えなくて、言葉を濁す。
 相手が奈美とはいえ、これまでこっそりと築いてきた森君との関係を今明かす気にはなれない。それはまだ、由貴那の中で大切に温めておきたかった。
『頑張ってね、由貴那ちゃん』
 奈美が電話を切った後、そう言えば、いつから好きになったのか、とか、どこが好きなのか、といったことは聞かれなかったことに気づく。ということは、その内聞かれるんだろう。そうすると、まだまだ隠しておきたいことが多い由貴那としてはいろんなことを誤魔化していく日々が続きそうだ。
 でもガールズトークなんて、いかにも女の子らしい。やっと普通の友達らしさが戻ってきたことにホッとして、由貴那はメール画面を開いた。
 送信相手はもちろん森君。
 本当は電話をしようと思っていたけど、奈美とこんな話をした後だとなんか気恥かしい。だから、今日は文字だけで感謝の気持ちを伝えよう。

<森君、誠也から聞いたよ。ありがとう。すごく嬉しかった。>
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