FAKE
殻を破る時 前編
「今度ね、お菓子フェアがあるんだって」
「CMでやってたやつ?」
「そう、それ。行ってみたいな」
「桐島もそういうの好きなんだ」
「うん、やっぱり気になるよ」
昼休み、奈美と誠也がいい雰囲気になったのを見計らってその場を離れた由貴那は森君の前の席に陣取っていた。向こうは傍で石山が目を光らせているからきっと大丈夫。もし何かあっても、由貴那も同じ教室にいるからすぐに対応できる。時々ちらちらと奈美の方を窺いながらお菓子への期待を話す。
せっかく地元にこういうイベントが来るんだから覗いてみたい。どうせなら森君と一緒に出かけたい。本当は森君と一緒なら何だっていいけど、口実があった方がいい。だからテレビでこの情報を見つけた時はチャンスだと思った。でも学校にいるせいか、なかなか切り出せない。
これは夜に話をするしかないかな。
そう考え出した時、森君が軽く眉を顰めた。
「桐島。左目、ちょっと赤くなってる」
「え?そうなの?」
かゆみも痛みもない。一体どうしたんだろう?
「平気なんだけどな。見てて気になる?」
「ちょっと。自分で見た方がいいんじゃないか?」
「うん。そうする」
勧められるまま、トイレに足を向けた。今日はうっかり鏡を家に置いてきてしまったから、自分の顔が見える場所まで移動するしかなかった。
中に入った途端、見えた人影に思わず苦い気持ちになる。
二枚ある内の片方の鏡を占拠していた美穂は、鏡越しに由貴那の姿を捉えた。けれど何も言わないで化粧直しを続け出す。それなら、と由貴那は何も言わずに美穂の横に並んだ。そして、鏡に映った左目に「あー」と声を漏らす。
確かに、うっすらと赤くなっていた。
気づいた人が、つい一言かけたくなるくらいには。
でも原因がわからない。疲れだろうか?保健室に行って目薬でももらった方がいいかもしれない。でも、今から行くのもちょっとめんどくさい。
「なに鏡じっと見つめてんの。そこまで見とれるような顔じゃないくせに」
突然かけられた言葉にこめられた棘に由貴那はムッとする。こんなの日常茶飯事だけど。でも、言われっぱなしでいるつもりはない。
「お互いにね。いい加減、その厚化粧やめたら?」
「うるさいよ、でかいだけの女が」
マスカラをつけているからだろう、美穂はあくまで鏡に集中している。それでも由貴那にかけられる言葉は辛辣だ。
奈美には何も言わないのに、こっちには相変わらず。違いは一体何――と考えて出てきたのは石山の顔だった。やっぱり、彼女の存在があるからとしか思えない。
由貴那にしてみればありがたいけれど、でも、美穂は。
美穂にしてみたら、今の状況は辛いんじゃないだろうか。石山が離れても平気なら、最近の美穂の態度は不自然すぎる。もっと遠慮なしに奈美を攻撃したと思う。
「石山のこと、このままでいいの?」
興味半分で尋ねると、化粧直しを終えた美穂にギロリと睨みつけられた。太いアイラインで強調された目は流石に迫力がある。
「あんたがそれを言うわけ?ハルに助けられてるくせに」
「そうだけどさ。でも、戻ってきてほしいんじゃないの?」
「……あたしが言ったところで、ハルは聞かないよ。ハルはなんでも自分で決める子だから」
美穂は化粧ポーチの中身を整理しながらため息をついた。どこか諦めているような、仕方ないと割り切っているような姿は珍しく、何が美穂をそうさせるのか気になった。
美穂は少しの間考え事をしていたようだったけれど、また一つため息をついてから語り出した。
「ハルとは同じ中学だったんだけどさ、あたし、中3の時に女子から無視されてて。一人ぼっちになったところに、ハルがきてくれたんだよね。それまでそんなに話したことなかったのに。友達っていうにはちょっとあっさりしてたけど、ハルが一緒にいてくれたおかげでかなり気が楽になって。ちょっとずつ、無視をやめてくれる子もでてきて」
固かった美穂の表情に小さな笑顔が生まれる。
「嬉しかったんだ。だからそれからもハルと一緒にいて。高校も同じにして。高校でも一緒にいて。相変わらずハルはハルだったけど、それがまた安心できて。だから、ハルがあんた達のところに行った時、すごくショックだった。周りは裏切った、なんて言ってるけどそうじゃない。ハルはあたしを見限ったんだ。今のあたしはダメだって」
まさか美穂にそんな過去があって、こんなふうに思っていたなんて。予想もしなかった石山との関係に何も言えなくなった。石山は美穂とは同じ中学だっただけとしか言わないけれど、本当はそんな言葉では終わらせられないものだと思う。
美穂にとって、石山は特別だった。
でも石山は?石山はそうじゃなかったのかもしれない。美穂を助けた、なんて思ってもいないんだろう。今、奈美の傍にいながらもそれを大したことだと思っていないのと同じように。
だとしたら、美穂に同情せずにはいられない。きっと、美穂はすごくショックだったと思うから。
でもそれは、石山のことに関してだけだ。日頃のことはそれと関係ない。やっぱり美穂が由貴那にとって嫌な相手であることに変わりはない。
「ハルは恩人だからさ、責めるなんてできないよ。これ以上ハルに軽蔑されたら、流石に立ち直れない」
でも、と美穂はつけ加える。
「ハルがさっさとあんた達に呆れて、こっちに戻ってきてくれないかって、思ってるよ」
「……それはどうだろうね」
あんたが変わらなきゃ無理じゃない?
暗にそう言うと嘲笑うような反応が返ってきた。
本当に、嫌な女だ。
美穂と一緒に教室に帰ってきた――と言っても、タイミングが同じだっただけでその間、一切会話はしていない――由貴那は、美穂のグループの数人が奈美の前に立っているのを目にして息を飲んだ。
「いっつも人と一緒にいてさ、いつまで逃げ回るつもり?」
「ちょっと周りが静かになったからっていい気になってるんじゃない?言っとくけどね、こっちはまだ気が済んでないんだから」
「ほら、そうやって誠也や石山にかばってもらって。恥ずかしくないの?」
「お前らは黙ってろ!!」
次々と奈美に向かって悪意をぶつける女達に、誠也がキレて机をバン!と叩いた。一瞬で教室が静まりかえる。
でも、向こうはそれすらも攻撃の材料にする。
「あんた、誠也にこんなふうに言ってもらえるだけの価値が自分にあると思ってんの?」
「こんなふうにされたらつけあがるのも無理ないかもねぇ」
「冗談じゃない。いい加減にしなよ。いつまでも後ろにいないでさっさと前に出てきなよ」
「本当にね。大体、由貴那もむかつくよね。男とられていながら、私達友達ですーって感じで無理して奈美のことかばっちゃって」
「そんなの、いい子アピールでしょー?きもいよね」
あははははは、と耳障りな笑い声が響く。
「……あいつら」
隣から美穂の舌打ちが聞こえてきた。それで我に返った由貴那はこんなところで固まっている場合じゃないと足を踏み出した。なんとかしないと、と口を開いたその瞬間。
「いい加減にするのはそっちでしょ!!」
耳をついたその声に、目の前で起こった光景に由貴那は驚いて足を止めた。
驚いたのは由貴那だけではなかった。奈美に難癖つけていた女たちも、誠也も、石山も、他のクラスメートも、美穂でさえも、その場にいた面々は皆自分の目を疑っていた。
それまで黙っていた奈美が、誠也と石山を押しのけて前に出て、大きな声で反撃するなんて。
まさか。
信じられない人々を置いて、奈美は怒りの表情で声を荒げた。
「私に文句があるんじゃないの!?それなら由貴那ちゃんの悪口を言うのはおかしいじゃない!!由貴那ちゃんはそんな子じゃないんだから!あなたたちに由貴那ちゃんの何がわかるって言うのよ!!二度と由貴那ちゃんのこと悪く言わないで!!絶対に許さないから!!」
「奈美……」
奈美が由貴那をかばう日が来るなんて。
それも、あまりの剣幕に向こうが圧倒されている。
奈美はその勢いのまま続けた。
「それに、そっちが気に入らないって言っても関係ない。誠也君の彼女は私なの。誠也君が選んだのは私!絶対に誠也君は渡さない!!」
あの、気弱で涙もろくて、守られるだけだった奈美が――こんなに強く主張している。
いや、違う。
奈美も強くなったんだ。逆風にさらされて、いろんな人に守られながら。その中で強くなっていった。
由貴那の表情が緩む。奈美に声を掛けようとしたけれど、それより速く動いたのは誠也だった。奈美を後ろから抱きしめ、名前を呼んだ。
ちょっと、ここは学校なんだけど。
思わず茶々を入れたくなったけれど、その前に誠也が顔を上げる。睨んだのは唖然としている美穂のグループの女たちだ。
「よく聞けよ。奈美に何かしたら絶対に許さねー。その時にはただじゃおかねーからな」
普段より低い声は妙に迫力があり、誠也の本気が伝わってきた。
急に奈美と誠也に対する不安が減ったような気分になる。
まだ何も解決していないけれど、これで終わりじゃないけれど。
なんだか大丈夫な気がしてきた。
今の二人ならきっと乗り越えていける。
由貴那がパチパチと拍手をすると、人々の視線がこちらに動く。それを気にしないで拍手を続けると、別の拍手が重なった。それは森君だった。そこに石山、藤本君、クラスメート、と拍手が続いていき、教室中が拍手で包まれた。昼休みなのに盛り上がるクラスを不思議に思って廊下から顔を出す人もいる。
奈美につっかかっていた女たちは救いを求めるように美穂に視線を送った。しかし、美穂が返したのは冷ややかな眼差しだった。
「馬っ鹿じゃないの」
他でもない自分達に向けられた言葉だと悟った仲間達の顔に焦りが生まれる。
「美穂」
「あたし達は」
「言い訳なんて聞いてない」
美穂のきつい一言がぴしゃりと投げつけられる。
「今後一切余分なことするんじゃないよ」
そして、険しい瞳が奈美に向けられる。
「人のものに興味はないから」
それは事実上の撤退宣言。
ここのところ奈美には関わらないでいた美穂だけれど、今の発言で美穂のグループは奈美から手を引かざるをえなくなった。ばつが悪そうに「ごめん」と美穂に対して謝る取り巻き達に、「あんなやつらと関わってもつまらないから」と返す。そんな美穂を見て、石山が面白そうに笑っている。
「石山様のお気に召した?」
「なに、その石山様って」
冗談っぽく尋ねたのが気に入らなかったらしい。石山は嫌そうな顔をしたが、再び美穂を見た。
「そうだね、今のは結構よかったんじゃない?」
石山がそう思うなら、美穂との関係が元に戻る日も来るのかもしれない。それは石山にしかわからないことだけど。
すっかり普通の状態に戻った教室の中、石山が「そう言えば」と内緒話をするように顔を寄せる。
「あんた、なかなか見る目があるみたいだね」
「え?」
「森だよ。桐島に続いて、拍手したからさ」
「え、ちょっと」
石山には森君のことが好きだなんて一言も言ってなかったのに。
石山は「甘い」と一蹴しながら笑顔を浮かべた。
「あれだけわかりやすい態度取っておいて、違うなんて言わせないよ」
「……はあ」
知らない内に石山にもばれていたらしい。この分だと、あとどれだけの人が気づいているんだろう。
別にいいけどね、と自分に言い聞かせるけどため息が出る。
本人に伝えなければ意味がないのに、周りが知ったってどうにもならない。
「さっきの酒井と木村もよかったけど、あんたと森もよさそうな気がする」
「そう?」
それが本当なら嬉しいんだけど。
少し期待をしたけれど、石山は「あんた達次第だけどね」と言って話を終えた。
確かにその通りだ。少しずつ状況は動いている。でも、それでも何もしなければ人の関係なんてそう簡単に変わるものじゃない。
奈美と誠也も安心できるようになったし、そろそろいいかもしれない。
由貴那は一人頷いた。
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