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  敵か味方か  

 あれから、由貴那の周囲はがらりと変わった。
 親友に男を取られた女のレッテルが貼られ、同時に奈美には親友の男を取った女の汚名を着せられた。これまで由貴那につっかかってきた女達のほとんどが奈美に敵意を向けるようになり、中には由貴那を自分達の仲間に引き入れようとする人もいた。勿論、そんな馬鹿らしいことには見向きもしなかった。そうすると、再び態度を悪くする人もいる。でも由貴那にはどうでもいいことだった。大切なのは、ほとぼりが冷めるまで奈美から目を離さない。とにかく今はそれに限った。
 朝は誠也と一緒に奈美と待ち合わせて学校に行く。休み時間は必ず誠也が二人の教室にやってくる。昼食も三人で取る。帰りは誠也と奈美が揃って帰る。由貴那は最初の頃こそ二人につきあっていたものの、最近は部活に顔を出すようにしている。周りがいろいろと口を出してくるけど、ふざけた推測や邪な考えは容赦なく切り捨てている。
「あれ、今日も来たんだ」
 靴の紐を結びなおしているところに影が差した。顔を上げると、石山が準備運動をしていた。
「部員が部活に出て何が悪いの?」
「なにも。ただ、相方がいないんじゃ練習にならないんじゃない?」
 由貴那はつい喧嘩腰になるが、石山はそれをさらっと流した。
 確かに、ペアの奈美がここのところずっと休んでいるから、ペアでの練習ではいつも一人になってしまう。他にも休みがいたら余り同士でその場しのぎの練習をしてはいるけれど。
「このままじゃ、今度の大会、出られないかもよ」
 このまま奈美が部活に来なかったらそうかもしれない。でもさぼっているわけじゃなくて、来れない、というのが正しい。なにしろ、今、先輩の奈美に対する当たりがとても酷くなっている。
「桐島、なんなら酒井とのペア解消しない?」
「なに言って――」
「私の今の相方、最近やる気なくて。ほんといい迷惑。多分、あの調子じゃ一回戦負け」
 冗談じゃないよね、と石山が冷たい口調で吐き捨てる。
「だったらさ、あんたと組んだらいいんじゃないかって思ったんだけど。どう?」
「……それなに?あんたたちの仲間に入れってこと?」
 石山は美穂のグループの一員だ。でもあのグループの中では異色の存在でもある。基本的に冷めていて、美穂と同じ行動を取ることはない。一緒にいながらも離れたところから突き放した眼差しを美穂に向けている。由貴那や奈美にきついことを言ってくることもない。
 それでも、美穂の側にいる石山からペアを組まないかと言われたら勘繰らずにはいられない。
 石山は首を傾げた。
「私がしてるのは部活の話。あんた、相当気が立ってるみたいだけど、もうちょっと肩の力抜かないとその内潰れるよ」
 なんでそんなことを石山に言われなくてはならないの。
 不快感が胸に広がった。
 こんなに気を張ってるのは、周りが変に騒ぐからじゃない。
「無理言わないでよ。奈美が今辛い目にあってるっていうのに」
「あんたは?」
「え?」
「桐島は辛くないの?」
「なに言ってんの。だから奈美がああなって辛くないはずが――」
「……ふうん」
 石山は怪訝な顔をしながら、準備運動を終えた。壁に立てかけてあったラケットを取り、ぶんぶんと肩を回す。
「まあいいや。私とのペア、考えといて」
 そう言って、自分の相方のところに行ってしまった。
 なんなの、一体。
 どうも最近――誠也と喧嘩をした辺りから――彼女の方から話しかけてくることが多くなった。それまでは興味がない、といった感じだったのに。
 直接攻撃はしてこないからといって、油断はできない。だって、やっぱり石山は美穂の仲間なんだから。



 しかし、翌日の昼休み、事態は変わる。
 石山が思いがけない行動に出たのだ。
 いつものようにお弁当にしようとやってきた誠也を迎えた由貴那と奈美のところに、石山が「私も入れて」とお弁当を持って割り込んできた。
 驚いたのは由貴那達三人だけではない。美穂を始めとする石山が普段一緒にいるグループ、それから他のクラスメートも唖然としてその行動を見ていた。
 何考えてるの。
 疑ってしまうのも無理はない。だって、今、由貴那達に対してそんなふうに接する人はいなかった。触らぬ神に祟りなし。自分に災難が飛び火するのを恐れて誰も奈美に近寄ろうとしない。
 それなのに、石山は奈美の横の席をささっとキープしてしまう。呆気に取られている周りのことなど一切気にしていないのか、奈美のデザートを見て「私も何か甘いもの持ってくればよかった」なんて零している。
 美穂の差し金かと様子を窺うと、わけがわからないといった顔をしていた。そして、由貴那の視線に気づいて、やっと石山に声を掛ける。
「ちょっと、ハル、どういうこと!?」
 詰め寄る美穂に、石山は興味の欠片もなさそうな目を向けた。
「私、これから桐島達と一緒に食べるから」
「自分が何言ってるかわかってんの!?」
「そんなこともわからないように見える?」
 石山の馬鹿にしたような声が教室に響いた。辺りに動揺した空気が流れる。
 由貴那達と行動を共にするということは、つまり、美穂から離れるということだ。
 由貴那も突然のことに混乱した。奈美も誠也も戸惑っている。美穂や、その仲間さえも、教室に残っていたクラスメート達もどうしてこんな状況になっているのかわからず顔を見合わせていた。
「あんた、よくそんなこと――」
 美穂の顔が険しくなる。石山はそれをものともせずに笑った。
「勝手にすれば?私は別に美穂がどうしようが怖くないもの。できるもんならしてみれば?」
 怖いもの知らずの発言に教室内の空気が一瞬凍った。美穂の顔が怒りで真っ赤になる。この学年で一番敵に回してはいけない相手を裏切り怒らせるなんて。流石の由貴那も彼女のことが心配になってきた。
 美穂はしばらく石山を睨みつけた後、ぷいと横を向いて自分の椅子に乱暴に座った。そして、取り巻き達に「食べるわよ」とぶっきらぼうに言い放つ。それを合図に周りの人間が動き出した。様子を見守っていたクラスメート達もそれぞれの食事を始め出す。その中に、やはり戸惑いながらも由貴那に心配そうな視線を送ってくる森君がいた。
 本当、何が何だか。
 軽く首を振って、机を動かした。誠也が奈美の向かいを取ったので、由貴那は自動的に石山の向かいになる。
 もしかして、石山は美穂と何かあったんだろうか。気になるけれど、普段より静かでピリピリしているこの場では聞くこともできない。
 誠也と奈美も石山を気にしているが、どうすればいいのかわからないようで困惑した表情を交わしていた。そんな中、石山が「酒井」と奈美に話を切り出す。こちらに背を向けている美穂の肩がぴく、と動いた。教室にいる全員の意識が一斉に集中する。
「部活、まだ来ないの?」
「え」
「無理に出なとは言わないけど、このまま来ないなら、私が桐島と組みたいんだよね」
「石山さん?」
 まさか部活の話だと思わなかった奈美は目をぱちぱちさせている。ここのところ、由貴那と誠也以外の人から掛けられる言葉がまともじゃなかったせいで、まさか石山が普通に話を振ってくると思ってなかったらしい。
「桐島、巧いし。私も普通よりはって自信あるし?あんたと桐島のペア、結構良かったけど、このまま桐島にしとくのはもったいないでしょ?私も桐島と組めるならラッキーだし。とにかくそういうつもりだから、覚えててくれる?」
 石山が奈美を見る目にはここのところ奈美が受けてきた部類のものは全くなかった。ただ、同じ部員として単純に伺いを立てている。奈美はまともに返していいんだろうかと悩んでいるようだったが、最終的に頷いた。
「石山さんがそういうつもりなのは――わかった」
 同意しなかったことに由貴那は小さく安心した。ペアに捨てられなくてよかったのと、奈美が部活をまだ完全に投げ出したわけじゃないことがわかったことと。
 石山はその後も食事の合間に他愛ない話をした。最近とある先生が髪を染め直したこと、期末テストの範囲のこと、一年生の派手な自転車のこと。三人は彼女の様子を見ながらも話に応じた。最近、奈美に関して向けられる悪意にとても敏感になっていた誠也は石山が奈美を傷つける素振りを見せないのなら普通に接してもいいと判断したらしい。奈美の敵だと分類された女達はことごとく誠也から冷たい態度を取られ、場合によってはきつく当られていたので、由貴那と奈美以外で誠也がまともに女の相手をするのは久しぶりだった。石山に嫉妬が刺さっていくのを感じて由貴那はなんとも言えない気分になった。
 奈美と普通に話している時点でこちら側に入ってしまった石山なのに、それ以上嫌われる理由が増えていくのを見るのはいい気分じゃなかった。時間が経つにつれ、美穂の機嫌が悪くなっていく。その矛先が全部奈美に行く可能性を考えて由貴那の頭は重くなった。
 


「じゃあね、奈美。私、部活に行くから。誠也、後は頼んだよ」
 一日が終わり、誠也が奈美を迎えに来たところで由貴那は荷物を持つ。この引き渡しをちゃんとしないことにはとても部活には行けなかった。一瞬でも奈美を一人にさせられない。
 さて、体育館に向かおうと思ったところで奈美が「ねえ」と引き止めた。
「由貴那ちゃん、私、いつまでも部活休んでられないよね……」
 昼に石山が言ったことが気になっているんだろうか。
 奈美は小柄でおっとりしている割に運動神経がいい。由貴那とのペアで上位入賞することも度々あった。部活が嫌になったわけじゃないから、こうしてずっと部活に出ないことに罪悪感を抱いているに違いない。
「でも、奈美。先輩達が心配だし」
「先輩達が引退するまで待てってこと?でも、そしたらあと一ヶ月は出られないよ。そんなに休んでたら、私だけ置いてかれちゃう」
「確かにそうだけど――」
 誠也と共に返す言葉が見つからずに困っていると、そこに石山がやってきた。
「桐島、部活行かないの?」
「あ、これから行くところ」
「あれ、酒井どうしたの?」
 納得いかない顔で立っている奈美に気づいた石山はほとんど無表情で尋ねた。けれどそこに悪意はない。元々表情に乏しいのはわかっているからいいものの、知らない人間だったらきっとそうは思わない。
「部活、そろそろ行きたいなって思って」
 奈美の答えに石山は目を細めた。
「そっか。なに?私に桐島を取られるのは気が気じゃない?」
 奈美が返事に窮する。石山の言葉は「自分は人の男を取ったくせに」という意味に聞こえなくもない。由貴那が口を開くよりも先に誠也が厳しい顔で咎めた。
「石山。何言ったかわかってんだろうな」
「あ、そういうつもりじゃなかったんだけど。そもそも私、噂を信じてないから」
「口だけならなんとでも言えるんだよ」
 誠也がすごい迫力で睨む。奈美を後ろにやって、石山が視界に入らないように庇った。 
 しかし、石山はふっと笑った。腕組みをして胸を張る姿はあまりに堂々とし過ぎている。
「あんた達さあ、なんか変なんだもん」
「変?」 
 由貴那は思わずその単語を繰り返した。石山は「そうそう」と頷いている。
「桐島は男とられたって感じじゃないし、木村はどう見ても最近気になりだした女を守る態度じゃないし。みんなが考えてるのとは違うみたいだよね。だったら、いつまでも勘違いでほえてるのはバカみたいじゃん」
 最後が美穂のことを指しているのは一目瞭然だった。
 噂が真実ではないと気づいたのはありがたい。奈美に普通に接してくれるのも。
 でも、彼女の場合とてつもないリスクがある。
「美穂はどうするの」
「別に。同じ中学だから一緒にいただけ」
 なんでもないことのように言う石山は本当に美穂を恐れていないんだろうか。
 彼女の影響力は、少なからずこの学年内では絶大だ。その美穂を敵に回すことになって――しかも元々は美穂の傍にいたのに。
 自分から危険な橋を渡っているようにしか思えない。
「明日からどうなるかわからないよ。今更、遅いけど」
 今日の美穂は、ピリピリした空気を出しながらも石山に何もしなかった。ただ、話しかけもしなかった。それが攻撃に変わるのにそんなに時間はかからないはず。かと言って、美穂にあんな口をきいてのこのことグループに戻ることもできるわけがない。
「自分のことは自分で決めるよ。私、美穂に何の義理もないし。つきあってられないから離れたんだよ。あんた達が心配することじゃないって」
「でも、それで奈美がとばっちりを食うことになったら俺はお前を許さない」
 きっぱりと言った誠也に、石山は口角を上げた。
「そんなのそっちの都合でしょ?それに、こっちだってとばっちり食ってると思うんだけどね。お互い様だよ」
 そう言って、するりと誠也の横を抜け、後ろで守られていた奈美のところに行く。
「部活に出るのはもうちょっと待った方がいいかな。怪我したら大変だし」
「そうだよ、奈美。しばらく様子を見よう」
 由貴那も同意して奈美の肩をぽんぽんと叩く。そこに誠也が頭を撫でて、奈美は不満を残しながらも言う通りにせざるを得なかった。
 石山と二人で体育館に向かう途中、由貴那は再度尋ねた。
「本当に、美穂のことはいいの?」
「なんで桐島があの子のこと気にするかな」
「だって、ずっと一緒にいたのに」
「本当にいただけ。友達でもないし。それに、そろそろ美穂も目を覚ました方がいいよ。今のままじゃかっこ悪すぎる。それともなに?私が一緒にいるのが嫌?それなら関わらないでおくけど」
「――そういうわけじゃ」
 なにかと淡泊な発言が続くが、中には由貴那もそう思うところもある。何より、奈美に普通に接してくれる人が増えるのは嬉しかった。
 でも、もう少し様子を見ないと。
 きっと誠也も同じことを考えている。本当に安心だと確信を持つまでは、目を光らせることになる。
 ただ、できることなら石山の存在がいい方向にはたらいて欲しい。それを切に願った。
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