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  後悔  

 その日は散々だった。
 授業中、休み時間、どこにいても突き刺さってくる視線。奈美といるとそれは更に大きく、息をするのも苦しく感じられた。けれど、奈美を一人にするわけにはいかなかった。一人でいても、由貴那といても、奈美に降りかかる悪意の数々。由貴那と誠也が「別れたからもう関係ない」と主張しても、奈美には既に「親友の男を奪った女」のイメージが貼りついてしまっている。
 奈美を取り巻く空気は一気に変わってしまった。
 例の話をする人以外に、奈美に話しかける生徒がいなくなった。美穂のグループは奈美と目が合おうものならすぐさま睨んで言葉の攻撃を始め、他の女子はさっと目を逸らすようになった。関わらない。下手に触りたくない。その態度の中に、少なからず奈美を疑う気持ちがあるのが見えた。男子は最初半信半疑だったようだが、誠也が必死に奈美を庇う姿を見て逆に噂に信憑性を持ち始めたらしい。一部の男子が下卑た目で奈美を見ているのに耐えられず、由貴那は何度か喧嘩腰で怒鳴りつけるはめになった。上級生や下級生にも話はあっという間に広がり、奈美に当たる生徒もいた。
 森君は複雑な顔で由貴那達を見ていた。何度か目が会ったけれど、今日は森君のことを考える余裕が無かった。とにかく一日をやり過ごすのにいっぱいで、三人で学校を逃げるように去り、やっと一息つけた。部活をすっぽかしてきたので、今頃またいろいろ言われているに違いない。それでも、辛い場所だとわかっていて足を向ける気にはなれなかった。
 今、由貴那達は誠也の家にいる。今後のことをしっかりと話さなければならなかった。
 途中コンビニで買ってきたペットボトルやお菓子を囲みながら三人で誠也の部屋で座っている。ペットボトルは空いているものの、お菓子には誰も手をつけようとしない。とてもそんな気分ではなかった。
 奈美はひどく疲れていて今にも壊れてしまいそうな危うさが覗いている。
「すごく疲れたね……」
 由貴那が話しかけると、奈美は無言で頷いた。視線は下に落とされ、しかも焦点が合っていない。心はまだ学校の中にあるようだ。由貴那と誠也の視線が交差する。まずい。お互いに思ったことは同じだった。奈美を少しでも安心させなければ。例え一時的なものでも、落ち着いていられる時間が必要だ。
「奈美、しっかりしろよ。ここは俺の家なんだぞ。大丈夫だから」
「そうそう。いつまでも気を張ってないで、力抜いて。今は休まないと」
 二人で声を掛けるが、奈美はさっきと同じ反応を見せただけだった。今日一日で奈美が受けたショックのあまりの大きさに由貴那と誠也は顔を曇らせる。
「こうならない為に、嘘ついてきたのが裏目に出るとはな……」
 誠也が頭を抱えた。
 奈美を守るための「偽彼女」だったのに、そのせいでいろいろなことがややこしくなり、奈美にあらぬ疑いがかけられ、変に騒ぎたてられ、攻撃の対象になってしまうなんて。
 もし、誠也と奈美が堂々とつきあっていれば。それでなくとも、「偽彼女」なんて小細工をしなければ。奈美への風当たりがこんなに強くなることはなかった。変な誤解を受けることもなかった。
 皮肉な結果に由貴那はため息をつく。
「私も、もっと早く『やめよう』って言ってれば」
 そして、正しい形に直せていれば、今回の騒動は避けられたのかもしれない。少なくとも、こんな状態になることはなかった。
 森君と近くなってから、やめなきゃとずっと思っていた。それなのに、勇気が足りなくてもたもたしていたのは由貴那の責任だ。もっと早くに思い切っていれば。
「いや。由貴那が早く話をしてきたところで、俺は絶対に聞かなかった。自分のことが可愛かったんだ。俺達のことが。お前には悪いと思いながらも、ああするのが一番いいんだと思ってた。こんなことになってやっとお前の言う通りにしておけばよかったって思うんだ。今更だよな」
「ほんとだよ。誠也が私の言うことを聞いててくれれば……。これではっきりわかったよね。私達、間違ってたんだよ」
 後悔して落ち込む誠也に優しい言葉をかける気分になれないのは仕方ない。そもそも全ては誠也から始まっているんだ。協力した時点で由貴那も同罪だけど、でも――。
「目先のことしか考えてなかったんだよな」
 かっこ悪い、と誠也が舌打ちする。自分自身に対する怒りがピリピリと伝わってくる。 
 ここでまだ他人に責任転嫁するようだったらどうしようもない最低最悪男だった。でもこうして自分の非を認められるだけまし。誠也のこういうところは結構好きだったっけ、と思い出す。滅多にないから普段は忘れているけど。
「奈美が女どもにいじめられたら嫌だと思って――守ろうとしたのに、やり方を間違えたんだな。由貴那を巻き込んで、辛いのは全部由貴那に引き受けてもらって。それから、奈美にも」
 誠也は奈美の体を自分の方に引き寄せた。奈美は誠也の肩に寄りかかるような姿勢になる。虚ろだった瞳が変わる。奈美の意識が弱々しくも誠也に向けられていく。由貴那はほんの少し安堵してペットボトルに手を伸ばした。
「嘘でも、由貴那が彼女ってことになってて嫌な思いをさせた。俺、わかってたのに――」
 誠也の眉間に深い皺が刻まれる。
 奈美のことだとこんなにも苦しむんだ、こいつは。
 由貴那は何だか苦笑したい気持ちになった。奈美を大切にしようとする誠也は見捨てられない。こういうところがダメなんだろう。
 そして、自分のことを考える誠也を放っておけない奈美が首を振った。
「違うよ、誠也君。私も由貴那ちゃんに嫌な思いいっぱいさせた。そりゃあね、学校で誠也君の彼女扱いされてる由貴那ちゃんを見て辛い時もあったよ。でも……この前、由貴那ちゃんに言われた通りなの」
 奈美は肩に回された誠也の手を外すと背筋を伸ばして由貴那を見上げた。今にも泣きそうな顔で見つめられて由貴那は何も言えなかった。奈美は堰を切ったように話し始めた。
「嘘でも彼女って認められてる由貴那ちゃんが羨ましくて嫌なこと考えたこともある。いつまでこそこそしてなきゃいけないんだろうって思うこともあった。でもね、女の子達から嫌がらせされてる由貴那ちゃんを見て、私じゃなくて良かったって思ってたの。代わってもらってよかったって。私じゃ絶対に耐えられない。怖かったの。自分がああなることが。私じゃないことに安心してたの。由貴那ちゃんは私より強いからって。だからって平気なわけないのにね。それもわかってながら、由貴那ちゃんに辛いこと全部押しつけてた。ごめん……ごめんね……由貴那ちゃん。ごめんなさい……」
 奈美はぼろぼろと涙を零しながら頭を下げた。嗚咽を漏らしながらそのままじっと動かない。
 由貴那はそんな奈美に何を言えばわからなかった。
 いいよ、と安易な一言で済ませられる内容ではなかった。やっぱりそうだったんだという失望感と、ふざけないでよという怒りと。これまでのことを思うとあっさり許せるわけがない。ただ、許さないという強い気持ちもない。それ以上に、傷ついた奈美の姿があまりに痛々しく、胸が締め付けられた。
 奈美はもう、由貴那に役割を投げてきた報いを受けている。いや、まだ始まったばかりだ。ただでさえこんな状況なのに、これ以上奈美を苦しめるなんて到底できない。
「奈美、顔上げて」
 声を掛けると、奈美は由貴那の顔色を窺いながらゆるゆると頭を上げた。
「由貴那ちゃん……」
「奈美の気持ちはよくわかった」
 今は申し訳ないと思ってくれてること。それは伝わった。
 奈美に近寄って、頭をぽんぽんと撫でる。
「今、大変なのは奈美なんだから。私のことはいいって。奈美のことだけ考えよう。今度こそ、本当に。ね?」
 誠也に目配せすると、誠也は軽く目を瞠り、頷いた。そして由貴那と同じように奈美の頭に手を伸ばす。
「これからのこと、ちゃんと考えなくちゃな」
 ほら、落ちつけよ。
 二人でなだめている内に奈美の嗚咽は止まった。赤くなった瞳はそれでも元気がない。
「あの、あのね」
 奈美は自分から話を切り出そうとしながらも躊躇っている。やっとまともに話せる状態になったのだから、どんなことでも聞いてあげようと思った。誠也と二人で続きを促すと、奈美は視線を落としてポツリと言った。
「私、このまま誠也君とつきあってていいのかな」
 由貴那と誠也が同時に息を飲んだ。
 もしかしたら奈美がこの状況に耐えられなくてそんなことを言うかもしれないと想像していた由貴那は唇を引き結んだだけだったが、誠也の方は相当衝撃だったようだ。頭を突然殴られたような顔をしている。朝、由貴那からほのめかしたにも関わらずこれだけの反応を見せたのは、やはり本人から実際に言われるのはそれだけきつかったということだろう。
 奈美の気持ちもわからないではない。
 でも、奈美の口からそれが出てきたそれが由貴那の怒りに火をつけた。
「本気でそう思ってる?」
 低音にこめられた怒気に奈美がビクッと肩を震わせる。
「それは……」
 それ以上は言えないようだった。
 本気半分、弱音半分といったところか。誠也とは一緒にいたいけれど、このままの状況が続くのは耐えられない。つまり、そういうことだ。
 冗談じゃない。
「奈美の気持ちってそんなもんなの?辛くなったら別れてもいいって思うくらい軽い気持ちでずっといたの?私はその程度の気持ちの代わりをさせられてたってわけ?」
「違う!違うよ、由貴那ちゃん。そんな軽い気持ちじゃない!誠也君と別れるなんて嫌だよ!でも、今日みたいなのがずっと続くなんて……」
「二人が別れたところで奈美への風当たりは変わんないよ。もうそんな簡単に収まる状況じゃない。残念だけど」
「そんな……」
 奈美の顔が真っ青になる。同じく顔色の悪い誠也が奈美の肩をしっかりと支えた。
「だから、尚更離れちゃだめなんだ、俺達」
「何が何でもね」
 由貴那は誠也に同意する。
「絶対女どもの思い通りになんかなってやるか。なあ、奈美。そんな簡単に別れるなんてできないから、由貴那に彼女の振りを頼んだんだよ。守りたかったんだ。でも、本当は由貴那に頼ってちゃいけなかったんだ。だからこんなことになったんだ。俺、今度は全力で守るから。俺が盾になる。だから頼む、別れるとか言うな。一緒に頑張ろう」
「誠也君」
 見つめ合いながら二人の世界を作りつつある誠也と奈美に由貴那は呆れて肩を落とした。
 誠也の決意が奈美に伝わったのはいいとして、人の存在を無視した空気を出すのはやめて欲しい。せめて、由貴那が帰ってからにしてもらいたい。
 由貴那はパンパンと手を打って二人の気を引いた。
「はい、続きは後にしてね。先に明日からのこと考えよう。そしたら私、帰るから」
 状況を把握した奈美は「あ」と恥ずかしそうに俯いた。誠也は何も気にしていないようで、「そうだな」と体の向きを変えた。
 それから一時間半、三人でいろいろと考えたのだけど、なかなかいい案は思いつかなかった。取り敢えず、由貴那と誠也が先週末に別れていること、誠也の気が奈美に向いたこと、誠也が積極的に奈美にアプローチをかけたこと、その辺りの設定を煮詰めて明日以降に備えて解散になった。



『とんでもないことになったな』
 夜の十時、日課の森君との連絡を今日は電話でしていた。かけたのは由貴那からだ。今日はメールじゃ話が追い付きそうになかった。
 開口一番、森君から出たのはやはり今日のことだった。
「本当にね」
『朝、電車の中でメールが来てさ。やばいと思ったんだけど、学校に行ったら予想以上で。大丈夫……じゃないよな』
「うーん、神経をすり減らしていつも以上に疲れたのは確かだけど、大変なのは奈美だからさ」
『ひどい言われようだよな。取り敢えず、男子の半分くらいは牧田がそこまで言われることはないんじゃないかって思ってるよ。今のところは』
 今のところは、か。今後の状況でどっちにでも転びそうなところが怖い。それでも様子見をしていてくれる内はまだありがたい。
「私、誠也と奈美と喧嘩してたはずなんだけどな」
『それどころじゃなくなったな』
「でも、偽彼女はもう卒業したよ。不幸中の幸い……なのかなあ?奈美がああだから、あまり喜べないんだけどね」
『おめでとう。でも俺も今は喜べないな』
 本当に。
 誠也から解放されたら、森君との恋を進展させるつもりだったのに。まだしばらくは無理かもしれない。
「取り敢えずさ、まだ二人からは離れられないや」
『桐島らしいな』
 電話の向こうで森君が苦笑している。
 呆れられたらやだなあ。でも奈美を放りだすこともできない。
「バカだと思う?」
『いや。それができない奴の方が多いよ。尊敬する』
「なにもできなかもしれないけどね」
 むしろ、その可能性の方が高い。由貴那ができるのは奈美と一緒にいることくらいだ。でも、敵が多い時に常に傍にいてくれる人がいる心強さを知っている。教えてくれたのは奈美だ。ほんの少しの安心感だけでも奈美に与えてあげられればいい。
「頑張るから、応援してね」
『なんかそれ、最近聞いたばかりだな』
「本当だ」
 つい数日前、誠也と奈美に本音を話したことを伝えた時、一筋縄でいかない展開を予想してそう言ったのに。もっと大変なことになってしまった。
 でも大丈夫。
 気持ちは変わってない。
 森君がいるなら、どんな状況でも頑張れる。
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