FAKE

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  暗転  

「おはよう」
 教室にいつものほんわかとした笑顔の奈美が現れた。一瞬で場が静まり、一斉に視線が奈美に向けられる。
 しんとした教室の不穏な空気に奈美は戸惑い、由貴那に「どうしたの」と目で尋ねてきた。
 まずいと思った由貴那が動こうとした矢先、クラスメートが零した言葉が耳に入った。
「うわ、最悪」
 小さな声だったが、無音の教室でそれは存在感を持って響いていた。奈美にもしっかりと届いたようで、目が丸く瞠られる。
 周囲の方は、一人言ってしまえば後は躊躇いもなくなるのだろうか。次々と口を開きだした。
「笑って由貴那に挨拶したよ。なにあれ、悪いとか思わないわけ?」
「やだ、怖ーい」
「つーか、きもくない?」
「有り得ないよね。あんな顔して男とるんだよ」
「意外にやるんだー」
「うわ、サイアクー」
 女子から発せられる悪意が奈美の表情を凍らせた。見回せば、男女問わず信じられないものを見る顔、嫌悪するような顔、いやらしくにやついた顔が奈美を取り囲んでいる。そして、奈美に対して由貴那がどう出るのかを窺っている。
 やっちゃいなよ。
 声に出さずとも、そんな視線がちらちら送られてくる。
 そんな中、緊張した面持ちの森君と視線が合った。
 まさか、こんなことになるなんて。
 なんとかしないと。
 今、この場には敵ばかりだということを奈美も感じ取ったのだろう、何が起こっているのか全くわからないと首を傾げた。
「由貴那ちゃん?」
 救いを求める声に、由貴那は固まっている場合じゃないと一歩を踏み出した。
「おはよう、奈美」
 笑うことはできなかった。
 それどころか、この教室で一番緊張している。
 奈美に状況を説明しなければならない。でも、上手くできるだろうか。何にせよ、ここでは無理だ。人のいない場所に行かなければ。
「あのさ、奈美、ちょっといい?」
 この発言も周囲は違う意味に取るんだろう。
 ああ、それよりも、二人で話せる場所に行かないと。でも、そんな場所、学校にある?今の私達はあまりに人目を集めすぎる。「設定」は今すぐにでも使える。ただ、何もわかっていない奈美がついてこれる保障はない。
「ねえ、由貴那ちゃん、なにかあったの……?」
「それがね、」
「奈美、しらけるのはやめたら?」
 何とか言いながら奈美をこの場から連れていけないだろうかと思ったところに、別の声が入りこんだ。こともあろうか、それはクラスの中で一番由貴那を目の敵にしていた美穂だった。彼女の刃が奈美に向けられたのを感じ、由貴那は息を飲む。
「あんた、由貴那の近くにいながらずっと誠也のこと狙ってたんでしょ。由貴那が誠也と危なくなった途端、手ぇ出すんだもんね。信じらんない。大人しい振りして最悪」
「なっ……」
「美穂!!」
 奈美の顔がサッと青ざめる。由貴那は奈美を背に庇いながら美穂を睨みつけた。美穂は心外だと言わんばかりに眉を上げる。
「なんであんたが怒るわけ?あんた、友達に男とられてるんだよ」
「余計なお世話だから!大体、私、あいつとはもう別れたし!後のことは関係ない!」
「別れた?へー、いつ?」
「先週。でもあんたに関係ない」
「そう?ならやっぱり関係あるよ。大きなチャンスが回ってきたってことでしょ」
 美穂が強気な瞳を光らせる。
 誠也はわざわざチャンスを待ってまでつきあうような男じゃない。胸の中で吐き捨てる。
 とにかく今は、関わられること自体が大きなお世話だ。
「うるさい。変な勘違いで奈美につっかかるのやめてよ」
「勘違いじゃないって。だって、奈美は誠也と二人で出掛けてんだよ。証拠もあるんだから」
 美穂は自分の携帯を見せびらかす。たくさんついたストラップがじゃらじゃらと音を立てた。
 奈美は意味がわからず由貴那に緊張したままの瞳を送る。既にその意味を知っている由貴那は眉間の皺を深くする。
 だめだ。埒があかない。
「やってらんない!奈美、行くよ!」
 由貴那は奈美の手を掴むと強引に教室を飛び出した。後ろから名前を呼ぶ声が追いかけてくる。
「ゆ、由貴那ちゃん……?」
 か細い声で説明を求める奈美に、由貴那は振り返らず答えた。
「まずいよ、奈美」 



 それは、メールから始まった。
 月曜の朝、目が覚めた由貴那はメールが届いているのに気づいた。
 森君だといいな。
 少し期待しながら携帯電話を開いた由貴那は「新着メール8通」の表示に眉根を寄せた。
 朝からこんなにメールが届くなんて、今日は一体どうしたんだろう。
 メールは全て<高校>のフォルダに入っていた。
 一体なんだろう。まだぼんやりした頭でメールを開いた由貴那は、目を丸くする。
「うそ」
 眠気なんて一瞬で吹き飛んだ。
 血の気が一気に下がる。
 これは夢だ。そう自分に言い聞かせたい。でも紛れもなく、これは現実だった。
 普段、大して話もしない顔見知りの同級生から突然送られてきたそのメールには。
 手を繋ぎ、楽しそうに顔を見合わせる誠也と奈美の写真がついていた。
<あんたの彼氏、浮気してるよ>
<奈美、木村に手出してるみたい。由貴那、あんな子と一緒にいない方がいいって>
<日曜の午後に二人で歩いてるの見た人が撮った写メだよ>
 どれもこれも同じ内容を伝えるものだった。似通った文面から情報を繋ぎ合わせたところ、二人は日曜に映画を観に行ってこの写真を撮られたようだ。
 半年うまく隠れてきた二人だったのに、とうとう見つかってしまった。由貴那に複数の人間がこの写真を送ってきたのだ。今頃この写真は多くの人に出回っているに違いない。現に、件名がFwで埋め尽くされているメールもある。この分だとクラス、学年はおろか、学校中に広まっているかもしれない。
 予想していなかった最悪の事態に由貴那は大きくうなだれた。
 周りが自分達のことをどんな目で見るか考えたら頭が痛くなる。
 誠也とつきあっている由貴那。由貴那と仲のいい奈美。その奈美が誠也を取ろうとしている。写真は誰がどう見てもいい雰囲気で、友達と遊びに行ったなんて言い訳は到底通りそうにない。とんだ三角関係だ。
 今日、学校に行ったらどんな騒動になるんだろうか。想像もしたくない。
 誰だか知らないけれど余分なことをしてくれた。誠也も誠也だ。もっと慎重に動いてくれればよかったのに。恨みごとを言いたい気分だが、由貴那も人のことは言えないことに気づいた。土曜に同じようなことをしていた身としては、もし森君と一緒にいた写真が撮られていたらと思うとぞっとする。とんでもなく厄介な話に森君を巻き込むことにならなくてよかった。
 でも、安心はしていられない。関係を整理する前にひどく面倒な状況になってしまった。なにより、奈美が心配だ。奈美にもこのメールが行っているんだろうか。誠也には?二人も由貴那のような朝を迎えたんだろうか。
 由貴那はいてもたってもいられず、動き出した。
 さっさと支度をし、朝食にも振り返らずに家を飛び出る。走って向かったのはいつも誠也と合流する四つ角だ。着いてから五分もしない内に誠也が現れた。普段よりもずっと早い時間にも関わらず走ってきた誠也の髪は乱れている。誠也のところにもメールが行っていたことは電話で確認済みだ。とにかく話をしようとお互い急いで家を出てきた。息をつきながら誠也は緊迫した表情を向けた。
「どうしよう、由貴那」
「どうしようもなにも」
 助けを求められても困る。こんなややこしい状況をどうにかできるような力は持っていない。それに、丸く収めるような考えも浮かばない。
「とにかく、私達が辻褄だけでも合わせないと。話がバラバラだとまずいって」
「じゃあ、由貴那のことを相談してたってことに――」
「バカ!?あの写真のどこが友達?そこはもうごまかせないよ」
 誠也と奈美がつきあっている、というところまではばれていないかもしれない。それでも、友達の一言で済ませるには危うい。それで納得しない人の方が多いに決まっている。
「じゃあどうすればいいんだよ。俺はお前とつきあってることになってるんだぞ」
 奈美といい感じになっていたらまずいじゃないか。
 焦る誠也に由貴那は頷いた。
「うん、だから――私達は週末には別れてたことにしよう」
「な……」
「木曜には喧嘩してたのは周りもわかってるんだし、最近合わなくなってきてたってことにして、私はずっと別れたがってたんだけど、そこでちょっともたついて、でも金曜には完全に別れた。そういうことにしよう。そうすれば、日曜のは浮気にはならないし。奈美は私とは違うタイプだから、私が嫌になった誠也がいいなって思っても不思議じゃないし」
 ここに来るまでに考えていたことを話すと、誠也は苦い顔をした。
「……こんな状況じゃもう、それしかないんだろうな」
 誠也は前髪を掻き上げながらため息をつく。どこか遠いところに向けた視線。きっと奈美のことを考えているんだろう。そして誠也は何かを振り払うように首を振り、由貴那と向かい合った。
「いつもいつも、悪い」
「……本当だね。私、誠也に巻き込まれてからろくなことがない」
「悪い。悪かった。でも由貴那、奈美のこと――」
 切実な声に由貴那は仕方ないなあと苦笑する。
 誠也が本気だと――それも今までにないくらいに強い気持ちだと――由貴那にはわかってしまう。親友だけど、悪友。誠也と一緒にいると本当にいいことがない。でも、今の誠也の奈美を守りたいという気持ちが痛いほど伝わってくる。そして、そんな誠也を応援したいと思う。何より、由貴那自身が奈美の力になってあげたいと思う。だから。
「わかってる。守るよ、奈美のこと。友達だもん。でもさ、誠也が頑張らないと、奈美はきっと耐えられない」
 これからどうなるのかわからない。由貴那が予想する最悪の事態は起こらないかもしれないし、由貴那と同じように奈美も嫌がらせを受けるかもしれない。もしかしたら、由貴那以上に非難されるかもしれない。ただ、状況が状況だけに何もないなんてことは有り得ない。そこで奈美がどこまで耐えられるか――きっと一人では耐えられない。由貴那だってそうだった。奈美と誠也がいたから頑張れた。
「これは私達の問題だけど、元々は二人の問題だから。誠也が全力で奈美を守らなきゃ、奈美、負けるよ」
 そうなった時、奈美は誠也から離れるだろう。
 誠也だってそれはわかっている。覚悟を決めた顔で「させるか」と吐き捨てた。
「絶対させねえよ、そんなこと」
「その息だ」
 由貴那は笑顔で頷いた。



 その後、由貴那は先に学校に急いだ。誠也は奈美に連絡を取ってから行くことにした。
 学校に近づくにつれ、増えていく生徒からの視線が痛い。校門をくぐる頃には「聞いたよ」と話しかけてくる生徒もいる始末。遠巻きに見ている生徒の「男とられたんだって」「かわいそう」「友達にだって」「あの性格じゃ仕方ないかも」「でもねえ」といった囁き声が鬱陶しい。振り切るように教室に入った由貴那を待っていたのはいやらしい好奇心に溢れたクラスメート達だった。奈美の姿はまだない。ホッとしつつ、奈美はもう知っているんだろうかと考える。誠也がうまく連絡を取れているといいんだけど。
「由貴那、やられたね」
 最初に声を掛けてきたのはこともあろうか美穂だった。同じ学年で一番由貴那のことを気に入らないのが美穂だった。どうしてだか誠也のことがいいらしく、「彼女」である由貴那にことあるごとにつっかかってくる。とても厄介な存在だった。
「誠也がいつまでもあんたとつきあってるとは思ってなかったけど、まさか奈美がちょっかい出すとはね。さすがにあんたでもちょっとかわいそう」
「ねえねえ、もしかして奈美って前から誠也に気があったの?」
「この間喧嘩してたのってそれが原因?」
「えー、なにそれ、友達なのに最悪じゃん」
 美穂に続いて女達が次々としゃべりだす。違うクラスの女子もいて、うるさいことこの上ない。無視しようにも由貴那はぐるりと周りを囲まれていて身動きが取れない。皆、意地でも情報を引き出すつもりだ。
「由貴那はあの二人が日曜に出かけてたこと知ってたの?」
「あれ見た時、相当ショックだったよね」
「まさか奈美がって、やっぱり由貴那も思った?」
 うるさい。
 うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。
 何も知らないくせに勝手なことばかり言って。
「つーかさ、奈美、有り得ないよね」
「むかつくんだけど。ずっと由貴那の近くで誠也狙ってたってことでしょ?」
「すっごい悪女だったわけ?」
 次々と飛び出す奈美への悪意。
 いけない、このままじゃ――。
 エスカレートする前に止めなければ。由貴那が口を開こうとした瞬間だった。
「あいつ、気に入らないなぁ」
 美穂が真顔で言った。
 本気だ。
 危険を察知した由貴那は「美穂!」と声を上げた。美穂が剣呑な視線を由貴那に向ける。
 そんな時だった。
 奈美が教室に入ってきたのだ。



 教室を飛び出た由貴那と奈美は四階のトイレに入った。特別教室しか入っていない四階は、朝はほとんど人がこない。
 そこで由貴那は奈美に一連の状況を話した。奈美に話が回っていないのは教室での反応でわかっていた。実際、誠也から電話やメールがきていたのに気づいていなかったという。
 事情を知った奈美は青ざめて震えだした。
「そんな……じゃあ、私……」
「しっかりして。誠也も私もついてるから」
「でも、でも……」
 既に教室で多くの敵意を浴びた奈美はこれからのことを想像したんだろう、顔を手で覆った。
 無理もない。奈美のような子が突然落とされる環境としては酷過ぎる。
 それでも。
「逃げられないよ、奈美」
 そう、今度ばかりは自分で受け止めるしかないんだよ。
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