FAKE

モドル | ススム | モクジ

  差し伸べられた手  

 頭の中がぐるぐるする。
 夕飯は大好きなグラタンだったのに上の空だったから味なんてろくにわからなかった。
 お風呂に入っていても昼のことばかり考えてしまってとてもリラックスなんてできなかった。
「あー、もう」
 重症だ。
 ベッドに突っ伏した由貴那は深い息を吐いた。
 昼に「身代わり彼女」を続けることに揺れてから今日一日散々だった。お弁当はほとんど手をつけられず、授業では先生に指されたけれど聞いていなかった為に答えられず叱られ、部活では恐ろしいくらいにミスを連発してひたすら謝っていた。
 あの時、森君の視線に気づかなければこんなことにならなかったのに。
 良くないことをしている。それくらいの自覚はある。大勢の人に嘘をついて騙している。
 好きでこんなことをしているわけじゃない。嫌なことだってたくさんある。しかも自分が得することなんて何もない。
「……そうでもないか」
 奈美の笑顔を守れる。誠也の彼女に向けられる嫉妬を奈美から逸らすことができる。
 綺麗な顔立ちをしている誠也はかなりもてる。中学で初めて出会った時からずっと変わらない。数多くの女の子に告白されてきたものの、意外にもつきあってきた女の子は少ない。
 誠也は女の子とべたべたするよりも、男連中と遠慮のないやりとりをするのを楽しむタイプだ。由貴那は中学の頃は結構男勝りな性格をしていた。それがきっかけで誠也ともよく話すようになった。背も高かったから全く女扱いなんてされなくて、失礼なやつだと思いながらもなんだかんだで楽しい毎日を送っていた。
 誠也と一番話すのが由貴那だったから、誠也に振られた女の子に呼び出されることも何回かあった。
『木村君とつきあってるの?』
『私、誠也が好きなの。邪魔しないで』
『あたしは振られたのに、桐島先輩が木村先輩の近くにいられるなんてずるい』
 誠也が彼女達を振ったのと由貴那は何の関係もないのにいちいちつっかかられるのは迷惑だった。友達と言っても悪友のようなもので、彼女達が羨ましがるようなものなんて誠也との間には一切無いのに。
 でも、それがまだまだ優しいものだと知ったのは高校に入ってからだった。何の腐れ縁か誠也と同じ高校に進学したのが良くなかった。
 誠也に振られた上級生の呼び出しは中学時代とは比にならなくて。そこに彼女達を牽制しようと考えた誠也が由貴那とつきあっているという噂を肯定したものだからたまらなかった。
『あんた目障りなんだけど』
『さっさと別れてよ。なんで私があんたみたいにでかいだけの女と比べられなきゃいけないわけ?』
『私の方が誠也君とお似合いなのよ』
『自惚れてんじゃねーよ、ブス』
 相手は集団でくることが多いからかなりのストレスになった。手を挙げられたことは一回しかないけれど、廊下ですれ違えば通りすがりに悪口を言われたり、集団で睨まれたり、笑われたり。靴箱に中傷を書いたメモが入っていることもあった。
 きつかったのは部活の先輩に目をつけられた時だ。相手が三年生の部長で、由貴那だけに大量の雑用を押し付けてきたり、きつい練習を受けさせられたり、仲間はずれにさせられたり。あの頃は散々だった。彼女が引退する夏までは本当に辛かった。
 そんな時にいつも一緒にいてくれたのは奈美だ。部室掃除を手伝ってくれたり、帰りに励ましてくれたり。奈美のおっとりとした雰囲気に接していると「明日も頑張ろう」という気持ちになれた。
 誠也だって黙っていたわけじゃない。由貴那の様子がおかしいと話を聞いてくれたし、知り合いの先輩を通して由貴那にきつく当たる先輩達に釘を刺してくれた。朝、休み時間、部活帰りと、傍にいて由貴那に変な真似ができないようにしていてくれた。――ただ、それに関しては誠也が蒔いた種なので感謝の気持ちは全く無い。当時もそうだし、今でもそうだ。
 だから、奈美と誠也がつきあうと聞いた時、これで普通の生活が送れるのかと思いながらも奈美がどうなるかと不安になった。
 自分が辛い時、傍にいてくれた奈美。奈美の笑顔が曇るのを見たくなかった。
 だから誠也が奈美を守ってくれないかと頭を下げた時、断ることができなかった。奈美からも「お願い」と言われて、頷くしかなかった。
 三年生が卒業して、先輩が一学年減ってからは一年の時のような状況はなくなった。今の三年生が厄介でないわけではないけれど、人数が減ったのは助かっている。一年生も陰口を叩いているけれど、そっちは全然気にならない。
 奈美は誠也との間にあった嬉しいことや楽しいことを笑顔で話してくれる。なんであんな男、と思いながらも、奈美が元気でいてくれるのが嬉しかった。それでいいと思っていた。
 嫉妬がこちらに向かっているのはうまくやれている証拠。
 大丈夫。ばれてない。そう安心していた。
 だから森君が本当のことを見抜いていると知った時は混乱した。それからしばらくの間びくびくして過ごして、メールを交換するようになってからはなかなか毎日が楽しくて。
 それでも不安だけは毎日大きくなっていく。
 そもそも、本当は「偽彼女」をやることを喜んでいる人なんて誰もいない。由貴那にとってはとんだとばっちりだし、奈美だって自分ではない女の子が彼氏の「彼女」扱いされるのを平気で見ていられるわけがない。誠也だって罪悪感を持っている。
 こんなこと早くやめればいいのに。
「……それが言えれば苦労しないのにね」
 それを言うには時期がまだ早いのか、遅すぎるのか。今の自分ではわからない。
 誰か答えを教えて欲しい。そんなことを思って、浮かんでくるのは森君の顔。たった一つの心当たりが奈美でも誠也でもないなんて。
 由貴那は携帯を手に取った。まだ十時まで時間がある。三十分待てばいつものように向こうからメールがくるだろう。
「でも」
 由貴那は身体を起こしてメールを打ち始める。待ってなんかいられなかった。頼れるのは森君しかいない。
<今、メールしていい?>
 書き出しに困って結局送ったのはその一言。
 返事はすぐにきた。メールを開いて由貴那は思わず目を瞠る。
<電話してもいい?>
 聞いたのはこちらなのに、思わぬことを聞き返されて。
 メールこそ毎日してるけれど、電話をしたことは一度もない。だから少しびっくりしたけれど、メールよりも電話の方がうまく話ができるような気がした。
 いいよ、と返そうとしてメール画面を閉じた。代わりに森君の番号を呼び出して通話ボタンを押した。
 森君はすぐに出た。
『もしもし』
「こんばんは、森君」
『桐島』
 名前を呼ぶその声に迷惑そうな感じが無くてホッとした。でもこれから話すことを考えると自然と緊張する。
 やだ、告白するわけでもないのに。――ううん、これだって告白だ。好きな人に想いを伝えることだけが告白じゃない。そう言えば、森君は好きだと言った時、やっぱり緊張していたんだろうか。あの時は自分のことばかり考えていてそれどころじゃなかったけど――。
 考えが違う方向にいっているのに気づき、頭を振る。今はそんなことはいい。
「ごめんね、突然」
『謝ることじゃないって。俺としては先を越されてびっくりした』
「私がかけたから?」
『そう』
「森君そういうの気にするの?」
『いや。ただ今は、先を越された!って思ってさ』
 ちょっと悔しかった。
 そう言う森君に思わずクスッと笑ってしまった。お陰で少しだけ気が緩む。
「あのさ、森君に聞きたいことがあって」
『どうぞ。俺でよければ聞くよ』
「森君じゃなきゃだめなの。あの……あのね、このままでいいのかなって思って」
 声に出すとまた不安が強くなる。
 由貴那はベッドの上で膝を抱えながら返事を待った。実際は少し間があっただけなのに由貴那にはとてつもなく長い空白のように感じられた。
『それは桐島が一番よくわかってるんじゃないか?』
「なんで?」
『こんなふうに桐島が言ってきたってことはさ、このままじゃだめだって思ってるんだろ?』
 その通りだ。だからこうして電話をした。
 すぐに答えられないのが由貴那の気持ちを物語っていた。それは森君にもきっと伝わっている。
「私のしてること、間違ってるんだよね」
『桐島だけじゃなくて、桐島達が、な』
 尋ねると言うよりは自分への言い聞かせだった。そこに訂正が入る。由貴那一人が悪いのではないと言われたのに気持ちは少しも軽くならない。
 必要な嘘だと思っていた。
 でも本当にそうだったんだろうか?
 本来ならば奈美と誠也の問題を由貴那が引き受けたところで、何の解決もされないんじゃないだろうか。
『焦ってもいいことないぞ』 
 不意にかけられた言葉に顔を上げる。目の前にあるのはクリーム色の壁。でもそこに森君がいるような気がする。正面から話しかけられているような、そんな声だ。
『俺は桐島がやってること反対だよ。本音を言えば今すぐやめて欲しい。でも流石にそれは無理だろ。長い間そうやってきたのにいきなり本当の状態に戻すのはできないんじゃないか?だから時間がかかるのは仕方ないと思う。ただ、でも桐島が辛いのをどんどん溜め込んでいくのは見たくない。俺で良ければ話せよ』
 どうして森君はこんなに優しいんだろう。
 こんなふうに手を差し伸べられたら、取らずにはいられない。
「いいの?森君嫌なんでしょ?私達が嘘ついてるの」
『嫌だけど。桐島がそれで悩むのはもっとやだ。それに、そうしてる内に桐島の気が俺に向いてくれるかもしれないだろ』
「……森君」
 最初は真剣に、最後の方は少し茶化すように言われて、顔が熱くなるのがわかった。胸の中は嬉しさと恥ずかしさと情けなさでぐちゃぐちゃだ。
「ごめんね」
『謝るなよ』
「うん、……ありがとう」
『本当に、頼ってくれよ。頼むから』
「もう頼ってるよ。こんなこと聞けるの、森君しかいない」
『一応、特別扱いしてもらえてるってことなのかな』
 どこか切なげな声に胸がぎゅっと締まる。
 森君だって辛いんだ。なのに、見離さないでいようとしてくれている。自分はそこまでしてもらえるような人間じゃない。どうして。こんな女のどこがいいのかわからない。でもそれを聞いてはいけないと思った。今、言えるのはこれだけ。
「うん、特別だよ。森君は特別」
 森君が本当になりたい「特別」ではないのが心苦しい。でも嘘はつけない。ただでさえどうしようもない嘘をついてるのに、これ以上嘘を重ねたくはなかった。それが森君なら余計に。
『いつでも電話してきてくれていいから。あ、塾の時間は出れないけど。そういう時はかけ直すし』 
「ありがとう。また電話したくなったらそうさせてもらうね」
『うん、待ってる』
 おやすみなさいの挨拶を交わして電話を切る。
 残ったのは電話を切る前よりも軽くなった気持ちと、僅かな胸の苦しさ。
 話せる人がいる。それがとても心強い。明日はきっといつものように笑えるだろう。
 でも、同時にそれは森君に辛い思いをさせることを意味している。
 もうやめないと。
 誠也と奈美と話をしよう。
 終わりにしよう、って。

 
 翌朝、由貴那は一人で学校に向かった。
 普段は誠也と一緒に行くことにしていたけれど、これからのことを考えたくて「今日は先に行くね」とメールを送った。
 頭の中を整理するつもりだったけれど、なかなかうまくまとまらない。
 ただ、向かうところは決まっている。本来あるべき形に戻す。その為にどうすればいいか。どう二人に話せばいいか。それを考えている内に学校に着いてしまった。
 昇降口で靴を履き替えているとすぐ近くに人の気配を感じた。顔を上げると、森君がそこにいた。
「あ、おはよう」
「おはよう」
 挨拶を返す森君は少し素っ気ない。学校ではこんな感じだった。これまではそれでもいいと思っていたけれど、昨日あんなふうに言ってくれたのにと少し寂しい気持ちになる。
 ねえ、普通に喋ってくれないの?
 通り過ぎようとした背中を追って横に並ぶ。
 学校で話したっていいじゃない。クラスメートで、メールも電話もしているのに。もう変なふうに気を使うのはやめよう。意識して距離を置くなんておかしい。
「昨日はありがとう」
 話しかけると、森君は少し戸惑ったようだった。すぐに視線を逸らして階段を上っていく。
「ちょっとは元気になったみたいで安心した」
「森君のおかげだよ」
「俺は何もしてないよ」
「してくれたよ。私、頑張るね。頑張って考えるから。話するから。だから応援してね。くじけそうになったら何やってるんだって背中押してね」
 そうしたら、頑張り続けられる気がする。
「まるで母親だな」
「そんなことないよ。森君は森君だもん」
「そりゃそうだ」 
 森君は相槌を打ちながらもこちらを見ない。それが段々物足りなくなる。
「森君」
「ん?」
「私、学校でも話したくなったら話すことにしたから」
「は?」
 森君が足を止めて振り返る。視線が合って、やっと物足りなさが消えた。
「森君のことだからね」
 そういうことでよろしく。
 笑顔でピースをすると森君はしばらく呆然としていたけれど、やがて柔らかな表情を見せた。
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