FAKE

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  問い掛ける視線  

 最近、夜の十時が近づくとそわそわする。
 宿題をやっていた手を止めて携帯を見つめているとランプが光って今お気に入りの流行ソングが流れ出す。開くと予想通り森君からのメールだった。
<塾終わって家に帰ってきた。夕飯に納豆があって食欲がなくなった。すげー腹減ってたのに。>
「あーあ、かわいそう。森君、納豆嫌いなのにね」
 この間、食べ物の話になった時に盛り上がってお互いの好きなものと嫌いなものを知った。森君は納豆が一番嫌いで、何があっても食べないとまで言っていた。納豆ご飯おいしいのに、とメールを返したら「最悪」なんて返事が来たくらいで。よっぽど嫌なんだなあと思ったけれど、食欲がなくなるくらい嫌いだったなんて。すごくお腹が空いていたのによりにもよって家で待っていたのが納豆だなんて森君も災難だ。
<ほんとに納豆嫌いなんだね。でもご飯食べないの?お腹すいてるんでしょ?>
 高校生の男の子はよく食べる。森君はその中でも大食いの方だ。それに気づいたのは、こうしてメールのやりとりをするようになってから。普段も何となく森君の姿を追うことが増えて、お弁当の時間にふと見た森君のお昼が結構多くて、しかも森君はそれを全部たいらげていた。男の子なんだなあ、って妙に感心した。
 森君からのメールはすぐに返ってくる。実際に見たことはないけれど、森君はメールを打つのがかなり早いんじゃないかと思う。
<納豆しまってから食べる。じゃないと腹減って寝れなそう。今日の塾かなり疲れてさ。頭の中すっからからかんになってる。>
<お疲れさま。でも塾行ってきたのに頭の中すっからかんじゃ意味ないんじゃないの?頑張りすぎた?>
<いや、わけわかんなかった。数学がさっぱり。>
<数学じゃ私もわからないだろうなー。残念。助けてあげられないや。岡本先生に聞いてみれば?>
<あのじーさんに聞くくらいならわからないままでいい。つか、次に塾行った時に先生に聞くことにする。>
<それが一番だね。じゃ、私も宿題の続きをやろうかな。今、英語の途中。>
<頑張れ。俺も晩飯食うことにする。じゃあな>
 また明日ね、と最後に一言送って由貴那は携帯を閉じた。
 今日のメールはこれで終了。
 最初、森君とメールを始めた頃は戸惑いながらやりとりをしていたけれど、二週間ほど続けている内にすっかり習慣になってしまった。基本的には向こうからメールがやってくるのだけれど、時間を過ぎている時は由貴那からも送っている。一日の終わりにこれがないとどうも落ち着かない。
 こんな予定じゃなかったのに。そう思いながらも、今の状況が楽しいのも事実で、それを自覚してからは森君に親しみを感じている。
 森君メールは他愛のないものだったり、ちょっとした愚痴だったり、一日の報告だったり、その日によって違うけれどそれが毎日続くことで彼のことが少しずつわかっていった。学校での森君はあまり喋らないけれど、メールでの森君は結構いろんなことを話してくれてそういうのが嬉しくもある。だからもっと本当の会話を増やしたいと思うけれど、突然森君と仲良くなるのも周りに変に思われるかもという不安が由貴那を躊躇わせる。
 学校で話しかけても、きっと普通に返してくれる。由貴那の長話にだってつきあってくれる。そう思うけれど、森君と親しくなった理由を奈美と誠也に知られるのが怖い。それも変な話だと思う。最初怖かったのは森君の方だったのに、今では森君のことはちっとも怖くない。あれから一切脅すような素振りはないし、奈美と誠也のことにも触れてこない。メールだからかもしれないけれど、今の関係が始まった原因なんて忘れてしまうくらい森君とはいいつきあいになっている。森君はいい人だ。今はそれをよく知っている。それでも、そんな森君が相手でも秘密を気づかれたことを奈美と誠也に知られたくなかった。奈美には純粋に心配をかけたくない。誠也に対しては、よくわからないけれど、多分これは責任感だ。二人の秘密を守らなければならない。二人が他でもない由貴那を頼ってきてくれたから。例え、その為に私が矢面に立たされていても。信頼にはちゃんと応えたい。
 森君にはばれてしまったけれど、他の人には気づかせない。そう決めたんだ。


「由貴那ちゃーん、今日ね、お弁当作ってきたんだあ。朝、渡しちゃった」
 えへへ、と恥じらいながらも嬉しそうに小声で報告をしてきた奈美はそれはもう可愛かった。恋する女の子の鑑。そう言っても過言ではないくらいに。
「あーもう奈美ってば!」
「ゆ、由貴那ちゃん!?」
 がばっと抱きつくと奈美が驚いておどおどしている。そんな様子も可愛くて頬が緩んでしまう。小動物みたいな可愛さは身長170センチ近くある私には縁の無いものだから羨ましくてたまらない。ああ、次に生まれ変わるならこのデカい背丈とはおさらばしたい。
「おい、奈美に襲い掛かってんじゃねーよ。怯えてるだろ」
 ぐい、と襟を引っ張られて奈美から離される。こんなことをするヤツは一人しかいない。奈美がお弁当を渡した相手、誠也だ。
「ちょっと乱暴なんだけど!制服が伸びたらどうしてくれんの」
「お前の毒牙から奈美を守ってやってんじゃねーか」
「毒牙って何よ。あいにく牙なんて持ってませんー。毒もね!」
 そもそも奈美を毒牙にかけたのは誠也のくせに何を言ってるんだか。休み時間までちょっかいを出しにきて。それでも表向きは私が「彼女」として対応しなきゃいけないから気を抜けない。
「誠也君、別に私、怯えてなんていないけど」
「奈美は本当にいい子だねー。ほら、誠也聞いた?私ってば奈美に信用されてるから。そもそもこーんなに可愛い奈美に危害を加えるわけないじゃない」
 奈美の腕を引き寄せてこれ見よがしにくっついて見せると誠也は少しイラッとしたらしい。それでも場所が場所だけにそれを顔には出さないのは流石だ。
「お前が馬鹿力で奈美を潰さないか心配してやってんだろ。俺ってすげー親切じゃねえ?」
「デリカシーのない親切なんて要りませんー。ほら、そろそろ自分のクラスに帰りな。休み時間終わるよ」
「仕方ねーなー」
 だるそうな背中を見せながら誠也が教室を出ていく。
「本当に誠也ってば」
 失礼しちゃう、と半分怒りながら同意を求めると奈美は苦笑した。こういう時の奈美の反応は大体こんなもの。誠也は奈美には絶対にあんな態度は取らない。あれは私限定の顔で、<学校では顔を合わせる度に何か言い合っているカップル>を演じているだけだ。――私にはがさつな対応なのは別に作っているわけでも何でもないのが少し悲しいところだけど。
 奈美が大事にされてるならいいか、と顔を上げると不意に森君と目が合った。物言いたげな瞳に、見られていたことを知る。胸がドクンと音を立てた。
「由貴那ちゃん?」
 固まった由貴那に気づいた奈美が声をかける。由貴那は咄嗟に笑顔を浮かべて「何でもない」と誤魔化した。丁度、次の授業開始のチャイムが鳴ったので奈美は自分の席に戻っていき、それ以上追及されることはなかった。それに安堵しながらも、由貴那は気まずい感情を拭うことができないでいた。
 森君はどう思ったんだろう。
 きっといい気はしないはずだ。こんなことを言うのは自惚れているみたいだけど、でも、本当に。
 ただ、それと同時に責められているような気がして。
 こういうことはこれまでにも何度かあった。教室での由貴那と誠也のやりとりを見た彼が視線を送ってくることは珍しいことじゃない。森君は何も言わない。それが逆に嫌になる。
 怖い、という気持ちではなく、罪悪感がどんどん募っていくような気分だ。
 奈美を守る。二人の秘密を守る。そう決めたけれど、このままでいいのか。そう考えずにはいられない。
 ところどころで揺れる自分の気持ち。しっかりして。自分で励ますけれど。
 森君は絶対に人に言わないとわかっているのに、こんなにも不安になるのは気持ちのどこかでこのままじゃいけないと強く思っているからだ。今はいい。でも、この先もずっとこんなことを続けるの?二人がずっと幸せでいられればいいと思う。でも、まだ高校を卒業するまでに一年以上ある。それまで隠し通さなければいけないんだろうか。卒業したら、由貴那の役目は終わり?それでいいの?本当に?
 不安はずっとあった。由貴那が「身代わり彼女」を引き受けた時から。でも、こんなにもいろいろ考えるようになったのは森君と関わってからだ。
 他の人には絶対に悟らせない。そんなことできるの?絶対なんて有り得ないのに?
 こんな気持ちじゃいけない。次の休み時間までには立ち直らなきゃ。でも森君を意識してしまうとそれもできない。
 揺れたくなんてないのに森君の存在がそれを許さない。
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