小さな村の診療所

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  秋 3  

 バキ、と嫌な音がした。
「痛っ!っっってぇっ…………!!いたたたたたたた!!」
「あっちもこっちも固いですねー。これは朝起きるのも辛かったんじゃないですか?」
「ぎゃああっ!」
 月曜日。日曜の力仕事で体がガタガタになっていたディーンは歩くのも辛かった。全身筋肉痛だし、情けないことに腰にも痛みがきていた。普段の倍の遅さで動くディーンを見て出勤してきたばかりのサリーは診療台にうつぶせになるように指示した。患者が来るまではそうしていた方が楽かと思ったディーンはあっさりと従ったのだが、そんなディーンにサリーが襲いかかった――否、マッサージを施してくれた。
 マッサージとはいえ、異常なくらい体が固くなっている身にはかなりの衝撃だった。サリーはああ見えてなかなか力もある。看護婦も体力仕事だ。
「サ、サリー!もう少し優しく……!」
「充分優しくしてますよ。先生が酷くなってるだけです。ほら、これ以上のろのろしてたら最初の患者さんが来る時間に間に合わないので要所だけでも押さえていきますよー」
 普段患者と接するように明るく優しい声でサリーが宣言した。次の瞬間、更なる痛みがディーンを襲った。バキどころではない。バキバキゴキゴキと体中が悲鳴を上げている。ついでにディーンも悲鳴を上げた。
「無理だー!助けてくれ!し、死ぬっ!」
「こんなことで死ぬもんですか。先生ってば冗談が好きなんだから」
「ほ、本気だっ!あ、ぎゃあああああ!」
 苦痛の時間はしばらく続き――ディーンにとっては永遠のようにも感じられた――もうそろそろ診療開始時間というところでサリーのマッサージは終わった。
「さ、どうぞ。もう起きても大丈夫ですよ」
「あ、ああ……」
 既に心身ボロボロだったが、立ち上がって腕を回してみると思いの他体が軽い。痛みもかなり治まっている。拷問だと思ったが、サリーのマッサージの腕はかなりいい。
「ありがとう。すごく楽になった」
「時間があればもう少し丁寧に痛みも少なくしてできるんですけどね。あくまで応急処置ですから。時間があればまたやってあげますね」
「いっそ今日は診療所を開けずにやってもらいたいくらいだ。本当に、あいつらのせいで。俺は体力仕事は向かないって言ってるのに。あんなに斧を使わせやがって……」
 ハンスとトムへの恨み言を言えば、サリーが呆れて腰に手を当てた。
「だめですよ、先生。調子が悪い時だけ近い存在だから普段敬遠されるんです。日頃から身近な先生でいなくちゃ」
「身近っていうのは、農夫の仕事を手伝うことじゃないと思うんだが」
「そんなこと言ってません。お祭りに協力することが大事なんです。村の人ともっと仲良くしないと。大体ですね、年輩の看護婦がいいなんて言ってるようじゃだめです。人の良さはそれぞれなんですから。医者や看護婦をやってる人ならどんな人でも一つはいいところがありますって。もっと世界を広げないと」
「サリー、初めて会った時のことまだ根に持ってる?」
「いえ。最初はちょっと頭にきましたけど、今は全然」
 つんとして、受け付けの方に行ってしまったサリーはそうは言うもののやはり気にしていたのだろう。これは今度菓子でもやって機嫌を取るべきか。丁度今日は菓子作り名人の老女が診察に来る予定になっている。サリーに気づかれないようにこっそり頼んでみよう。そう決めるとディーンは診察室の椅子に座り直して最初の患者を迎える準備を整えた。



 祭りの準備もいよいよ大詰めに入ってきた。今年は取りかかりが遅かったので準備がかなりの強行軍だったが、なんとか当日には間に合いそうだ。お陰でディーンの身体はもうずっとガタガタだ。
「もう少しでこの苦行から離れられるな」
 片づけをしながら言うと、ハンスが後ろから小突いてきた。
「せっかくだし、祭りが終わってもうちの畑を手伝わねえか?そんなやわじゃいざって時にサリーちゃんを守れねえぜ」
「どんな状況だよ」
 そんなことが起こっては困る。
 仮にも平和なこの村で厄介な事件は起こる筈もないが。
「実のところ、先生はサリーちゃんのことどう思ってんだ?」
 またか。この手の質問はとっくの昔に聞き飽きた。それでも黙っていることが必ずしも得策ではない。だからディーンは当たり障りのない答えを返す。
「いい子だと思うよ」
 ハンスは小さく息を吐いて、声を顰めた。
「それだけ?いい子?確かにそりゃあいい子だよ。俺らともすぐに打ち解けてくれたし、街のもんとかお裾分けしてくれるしな。明るいし、街の人間だからって気取らねーし。段々可愛くなってくしな。俺らもサリーちゃんといるのは楽しいし、どんどんサリーちゃんが好きになってくよ」
 それはそうだろう。
 サリーがいると場が明るくなる。面倒見もよくて多くの人に好かれるタイプだ。
「でもな、先生。それでもサリーちゃんは街の人間で、俺らにとっては高嶺の花なんだよ。サリーちゃんなら田舎暮らしもできるさ。合ってるかもしれねえ。でもやっぱり、サリーちゃんが眩しい時があるんだよ。俺らじゃ釣り合わねえ」
「それ以前にあんた達には嫁さんがいるだろ」
「そりゃ違いねえ。でも先生、例え一人でいたって、サリーちゃんを嫁になんて大それたことできねえよ」
「考えすぎだ。サリーはそんなこと気にしない」
 サリーにとって相手がどこの生まれかなんて問題にならない。ディーンが知っているサリーはそういう人間だ。しかし、ハンスは首を振る。
「街の人間には街の人間が一番だよ。同じ村で育ったって、一緒になればちょっとした違いですぐ喧嘩になるんだぜ」
「それは相手によるんじゃないか」
「ははは。かもしれねえ。ただとにかく、先生、あんたとサリーちゃんは合ってるよ。だから俺らはサリーちゃんに余計なことを考えないでいるんだ」
 ディーンとサリーが合っている。
 そんなことディーンだってわかっている。
 サリーを可愛く思うのはディーンだって一緒だ。いや、毎日接している分、村のどんな人間よりもずっとその思いは強い。それを先に進めるのはたやすい。何かきっかけがあれば簡単に飛び越えてしまうだろう。
 でもディーンは次の春にはこの村を去ることになっている。それを考えるとこのまま可愛いと思って終わりにするべきだろう。楽しい思い出と共に新しい場所に行けるのなら、それが一番だ。
 だからディーンは言う。
「本当に余計な心配だな」
「気にしてくれなくて結構ってか?」
「そういうことだ」
 これ以上の話は無用だとディーンは片づけの手を早める。それが伝わったのか、ハンスはもう追究してこなかった。
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