小さな村の診療所

モドル | ススム | モクジ

  秋 2  

 肉体労働ほどディーンに合わないものはない。それは重々自覚しているし、周囲だってそう思っている。ディーンを少し知る人物であれば誰しもわかりきったことであるのに、それでいながら重労働を課せるとはどういうことだろう。
「おいおい、先生、腰が入ってないぜー。そんなんじゃいつまでたっても終わらねーよ」
「わかってるさ」
 そうだ。わかっている。あくまで頭では。でも体が思い通りに動かない。日頃畑仕事をしている農夫達とは違うのだ。同じ働きを求めるのが間違いではないだろうか。
 ディーンは斧を地面に立て、腰に手を当てて空を仰いだ。
 今日は休診日だが、朝から祭りの準備に駆り出されて祭壇の部品となる木を切る仕事をしている。まだ半日しか過ぎていないが、体は既にボロボロだ。それでなくても最近、祭りの準備のせいで毎日夜労働させられている。村に住む者の一人としての義務だと自分に言い聞かせているがいい加減限界がきそうだ。
「俺が倒れた時は医師会に連絡してくれ。重労働で使い物にならなくなったってな」
「はは、これしきで重労働なんて言ってたら世話ないぜ。先生、あんた何かの間違いで先生でなくなったらどうやって生きてくんだい。これじゃ農夫にはなれねえなあ」
「おう、違いねえ」
 ハンスのからかいに傍にいたトムが同調する。農夫にだけはならないと言い返してやりたいが、負け惜しみにしか聞こえないだろうと聞こえなかった振りをした。しかし、それをいいことにハンス達の話はエスカレートしていく。
「サリーちゃんが見たらがっかりするだろうな」
「男としてこんな情けない姿は見せられないよなあ。逆に俺がサリーちゃんに見直されるチャンスかも」
「馬鹿いえ。綺麗なかみさんにガキが3人いて何言ってんだ」
「いやー、たまには潤いも必要だろ。若い娘に憧れられて嬉しくないやつはいないだろ。俺もまだまだいけるなって自信になるしさ」
「まー確かに、これに関しては先生よりお前の方がよっぽど輝いてるけどな」
「余計なお世話だ。そんなに言うなら代わりにやってくれよ。俺がひたすら頑張るよりも、手を貸しながら片づけた方がよっぽど効率的だ。それだけ喋る余裕があるなら切るくらいなんてことないだろ」
 斧を投げてやりたい気持ちに駆られながらもぐっと堪えて言い返す。けれども農夫達にはなんてことはないようで、トムが笑いながら場所を交換した。
「仕方ないな。先生に俺の勇姿を見せてやるぜ」
 はっ!と腹に力を入れた声を発しながら斧を振り上げる。ディーンより僅かに年上でありながら、肩から腕にかけてついた筋肉はディーンには無いものだ。何度かトムが斧を使っている内に、ディーンが苦戦していた丸太は真っ二つになった。見事な早業にディーンは拍手を贈る。
「お見事」
「あんま誉めんなよ、先生。こいつ調子に乗ると悪ノリすっから」
「それで怪我が多いんだな」
「いやあ、怪我は男の勲章ってな!ははは!」
 トムは豪快に笑いながら木を切っていく。過去を全く反省する様子のない友人にハンスが両手を挙げた。
「こりゃ次の怪我も遠くねえな。いつしでかすか賭けのネタになりそうだな。先生、どうだい?」
「冗談はやめてくれ。俺の仕事が増えるだろ」
 怪我なんてしないのが一番だ。
 トムが手際よく作業を進めていくのを感心しながら見ていると、女達がやってきた。サリーとハンスの女房のジェニーだ。
「調子はどうだい?」
「おう、先生が使いもんにならねえなあ」
 ジェニーの問いかけにあっけらかんとハンスが答える。本当のこととはいえそんなこと言ってくれるなとディーンが思っていると、ジェニーのげんこつがハンスの頭に炸裂した。
「失礼なこと言ってんじゃないよ!先生を主力にしようなんて思うな!こっちは手伝ってもらってるんだからね!」
「痛ぇなー。おまえ、先生にまで怖いところ見られてんぞ。もうちっとしとやかにだなあ……」
「なに言ってるんだい。ほら、昼ご飯を持ってきたよ。みんなで作ったサンドイッチだ。ちょいと休憩にしないかい?」
「おいしいですよ」
 サリーがにこにこしながらバスケットの中身を見せた。上にかけられたふきんの下から覗く白いパン。中に挟まれている卵やハムやジャムが鮮やかで食欲を刺激する。
「これはありがてえ。早速飯にしようぜ」
 トムが斧を小屋の壁に立てかけて汗を拭う。ディーンもすっかり疲れ切っていたので休憩は嬉しい。
「水もあるよ」
 ジェニーが持っていたバスケットの中には水筒が何本か入っていた。ここにあった水分はそろそろなくなろうとしていて、しばらくしたら補給に行こうかと考えていたところだったからこれも助かる。この村の女達は気が利いて感心するばかりだ。
 サリーとジェニーが比較的綺麗な場所に布を敷き、その上にサンドイッチが広げられる。そこに男三人で群がり、サンドイッチにかぶりつく。
「うめえ!これはマリ婆さんが作ったんじゃねえか?」
「中に挟むものは婆さんがやってくれたよ。よくわかったね」
「そりゃ、マリ婆さんは村一番の料理上手だもんなあ。わからねえはずがねえ!」
「まあ、ほとんどの女達は縫い物から手が離せなかったからさ。ようやく刺繍に入ったとこなんだけど、アガタ
婆さんがはりきっちまって。どうしても凝ったのを作りたいみたいなんだよ」
 お陰で時間がかかってしょうがない、とジェニーが眉を顰める。若い女衆の中ではリーダー的な役割を果たしているジェニーだが、老人達には敵わない。特に年に一度の大きな祭りでは経験が物を言う。方向性を決めるのはまだまだ元気な老人達で、若衆はそれを形にすべく奔走するのだ。
「サリーはついていけてる?」
 ディーンが尋ねると、サリーは頭を掻いた。
「頑張ってはいますけど……もう皆さんすごい集中力で。とっても器用だし」
 サリーはサリーで苦労しているようだ。それはそうだろう。町育ちのサリーと村育ちの女達では生活が違う。縫い物なら村の女達の方が圧倒的に慣れている。サリーは普段の生活はそこまできっちりしていないから、必要な時にしかやらなそうだ。逆に言えば最低限のことはできるから、ディーンのようにあからさまに足手まといになることはないだろう。
 苦笑いのサリーを笑い飛ばしたのはハンスだ。
「サリーちゃんだって器用だろ。この間巻いてもらった包帯、あれ上手かったなあ」
「そうですね。包帯なら村一番になれるかもしれないですね。でも縫い物は足引っ張らないように頑張るので精一杯です」
「足なんて引っ張られてないよ。サリーはあたし達にできないことたくさんできるじゃないか。頭だっていいし。町の話を聞かせてもらいながら作業してるから、全然退屈にならないしね。盛り上がって楽しいよ」
「私も村の話がたくさん聞けて楽しいです」
 サリーはうまく村の女達に溶け込めているようだ。それにホッとする。
 村にやってきて半年になるとはいえ、看護婦のサリーはほとんどの時間を診療所で過ごしている。接するのはディーンと患者が主で、他の人との関わりはどうしても薄くなりがちだ。それでも明るくて人なつこいサリーはディーンよりは多くの人間と触れ合っているようだが、祭りの準備では村の女達ほぼ全員の中に入らなくてはならない。村人は温厚とはいえ、少し心配だった。杞憂だったようで何よりだ。
「先生はどうですか?なんだか一足先にお休みしてましたけど」
 サリーの興味が自分に移ったのを察し、ディーンは無言で首を横に振った。ハンスとトムが豪快に笑う。
「先生は先生だよなあ。農夫にゃなれねえって話してたところだよ」
「でも俺達みたいにがっちり筋肉ついた先生も想像できねえよなあ」
「あんた、また失礼なこと言って。先生はお医者様なんだよ。あんたと同じにされてたまるかっての」
「まあな。へばるのも早いし、斧はてんで使えねえけど。それが先生だもんな。でも前の先生は全く何もしない人だったしなあ。やっぱこういうのは一緒にやってこそだろ。木こそほとんど切れねえが、掃除とかやってくれるから充分だよ」
 トムがサリーに向けて言う。どうして自分に直接言わないのかとディーンは思うが、口には出さない。サリーは「そうですか」と不思議そうな顔で頷いていた。そして彼女がディーンの方を向く。
「足引っ張ってる者同士、頑張りましょうね!」
 真剣な顔で言われてしまえば、もう口ごたえする気も起きない。
「…………そうだな」
 視線を動かせば、これから加工しなければならない丸太が積み上げられている。先は長い。
 明日は患者が来なければいいのに。そう思いながら、ディーンは水を飲み込んだ。  
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) ring ring rhapsody All rights reserved.
  inserted by FC2 system