小さな村の診療所

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  秋 4

「先生、なんだか柔らかくなったんじゃないか?」
 診療中、馴染みのジョン爺さんがにこにこしながら話しかけてきた。
 そんなに固かっただろうか?と自分を振り返るがディーンに自覚はない。
「三年もいれば流石に慣れるよ」
「それだけかねえ。サリーちゃんが来てから先生とすごく話しやすくなった気がするよ」
「ああ。サリーはそういう力があるからね」
 ディーンが脈を測りながら返すと、傍らでベッドを整えていたサリーが怪訝な顔で振り向いた。
「なんですか。その力って」
「人と人を繋ぐのがうまい。誉め言葉だ」
「先生の言う通りだ。サリーちゃんが間に入ると丸く収まる。大したもんだ」
「よくわからないですけど」
 首を傾げたサリーは小さく笑って作業に戻った。邪魔にならないようにと一つにまとめた髪は出会った頃と比べると癖が大分弱くなった。肌の調子もよくなった。食事も少しずつ変わってきているし、その変化には目を瞠るものがある。
「……じゃあ爺さん、いつもの薬、出しておくから。忘れずに飲んでくれよ」
「おう。飲み忘れたらサリーちゃんに叱られるからな。サリーちゃんに嫌われたら終わりだ」
 はっはっはっと愉快そうに笑ってジョン爺さんは帰って行く。その背を笑顔のサリーが追いかけた。
「ジョンお爺ちゃん、お大事にー」
 明るく見送るサリーにジョン爺さんもご満悦だ。
 前任の看護婦であるモーリス夫人も患者を気分よく返す技に長けていた。勿論、経験も知識も豊富で、そんな彼女の代わりなど簡単に見つからないと思っていたのに、どうだろう。今は何も困ることがない。
 戻ってきたサリーの手には二つのカップがあった。
「先生、患者さんいなくなりました。一休みしましょう」
 手渡されたのは淹れたてのコーヒー。料理は苦手なサリーだが、飲み物を作るのは何故だか上手い。ディーンが不思議に思っていることの一つだ。
「ありがとう。今日はいつもより患者が少ないな」
「お祭り前だからかな。最近、元気な人が多いですよね。いいことです」
「病は気からって言うからね。反対も然りだ」
 医者としては喜ばしいことこの上ない。
「サリーも楽しみなんだろう?」
「ええ。だって初めてですもの。皆が楽しみにしてるし、やっぱりこの村では特別なことなんだろうなって」
「当日は俺とサリーは救護班の割り当てだけど、基本的に飲み過ぎで具合悪くなった人の介抱くらいしか仕事がないから結構自由に時間が使えるよ」
「だったら酔っぱらいが羽目を外しすぎなければ楽ができますね」
 サリーは期待に目を輝かせながら両手を合わせる。
 過去三回は最低一人は酔いつぶれて運ばれてきた輩がいる。それでも小さな村のこと、今年も少ないだろう。ディーンは出番が少ないだろう一日に思いを馳せた。



 祭りの当日は天候に恵まれた。
 村の広場には三日前に完成した祭壇が立てられ、そこに収穫物がたくさん並べられている。今年も豊作だと人々は喜び、踊りを踊ったり、屋台に詰めかけたり、昼間から酒を飲んだりと大変な騒ぎになっている。
「小さな村ですけど、すごい活気ですね」
 一通り店を回ってきたサリーは感心しながら買ってきた秋野菜のスープをディーンに渡した。小腹を満たすものを頼んでいたディーンはそれを受け取って早速一口飲んだ。と、焼けるような温度に思わず舌を出す。
「熱い」 
「よそってもらったばかりですから。気をつけて下さいね」
「そういうことは食べる前に言ってくれよ」
「言おうと思ったらもう遅かったんです」
 まるでディーンを食い意地が張っているように言う。
 でも仕方ないじゃないか、とディーンは思う。
 この昼過ぎまで具合が悪くなった人はいない。本来の仕事は全くなかったが、それをいいことにハンス達に引っ張られ、薪を何度も運ばされたり、水を汲みに行かされたりと、結局今日も肉体労働に従事させられている。
 夕方くらいになったらまたよろしく頼むと解放されて休憩所に戻ると、そこは女達の集会所と化していた。留守を頼んでいたサリーも当然のようにその中にいて、男女の扱いの差に頭が痛くなった程だった。
「男の人は大変ですね。今日も走り回ってて」
「女は交代制で食事担当なんだろ?量があるからそれはそれで大変みたいだが」
「おじいちゃんおばあちゃん達も楽しく仕事してますよね。ミアおばあちゃんなんてその場でネックレスを作ってくれるから大人気で人だかりがいっこうになくならないんです」
「サリーも作ってもらった?」
「はい。私、新参者だし遠慮しようかと思ったんですけど、ジェニー姉さんが背中を押してくれて」
 そう言ってサリーはつけていたネックレスをディーンに見せた。金髪碧眼の彼女に緑の石がよく似合っていて、ミアばあさんのセンスの良さに感心する。
「よかったな。よく似合ってるよ」
 心のままに誉めると、サリーが顔を赤らめた。
「ありがとうございます」
 恥じらう様子に、可愛いな、と思う。
 考えてみれば、ディーンの前でサリーが恥じらったり照れたりすることは今までなかったかもしれない。ひとえにそういう状況がなかっただけで、サリーも普通の女の子なのだと改めて思う。いや、女の子ではなく、女性か。
「先生、他に何か欲しいものありますか?」
 ディーンの前に買ってきた料理や菓子を並べながらサリーが尋ねる。ずらっと並べられたそれらを見て、ディーンは昼食分は大丈夫だろうと見当をつけた。
「今はいいよ。足りなくなったら今度は自分で見に行く。サリーも食べるといい」
「じゃあ、いただきます」
 ディーンの横に座りながら、村の女達が作ったパンにかぶりつくサリーはとても幸せそうだった。



 夜になり、祭壇の近くに積まれていた薪の山に火が点された。
 日が落ちたというのに広場は赤々と照らされている。村の名人達が軽快な音楽を奏で、人々は老若男女入り乱れて火の周りで踊りに興じている。一応型はあるようだが、それを守っている人は少なく、それぞれが好きなように踊っているのが賑やかだ。
 今日出た最後の患者という名の酔っぱらいが奥さんのところに戻るのを見送ったディーンとサリーは休憩所に腰を下ろした。
「今年は三人だったか。あと一人くらい出るかもしれないな」
 夜はこれからだ。月が高くなる夜中まで祭りは終わらない。
「そう言う割には、嫌って顔じゃないですね」
「今日は祭りだしね」
 周囲に迷惑をかける酔っぱらいは歓迎できないが、それでも今日だけは微笑ましい。普段診療所に通ってきている人々の表情もいい。夕方にも肉体労働に駆り出されたディーンの身体は今日もがたがたになってしまったが、それでもいい一日だったと思える。
「いいですよね、こういうお祭り」
 サリーが踊る人々を見ながら目を細めた。
「町の方が規模は大きいし、もっと大騒ぎするけど、この村では皆でお祭りを作って参加しているから。皆本当に楽しそうだし、すごく温かい」
「ああ」
 頷いて、ふと思う。
「サリー。この村に来て良かったと思わないか?」
 町に比べると不便なことも多い。若い娘には我慢できないこともたくさんあると思う。でもこの村にはこの村の良さがある。村人達の絆は強い。けれどよそ者を仲間外れにはしない。温かく迎え入れ、困った時は助け合って生きている。最初は苦労したディーンが三年以上ここで頑張ってこれたのもそのお陰だ。
 尋ねられたサリーはふふっと笑ってディーンを見上げた。
「そんなこと、ずっと前から思ってますよ。親切な人達ばかりだし、先生も優しいし。ここに来てから私、変わりました。前より優しくなれた気がするんです。髪や肌だけじゃなくて、この村での出会いが私を成長させてくれるんです。感謝してるし、すごく好きです」
 真っ直ぐにディーンを見つめて好きだと言ったサリーに、胸が一際大きな鼓動を刻んだ。
 ディーンのことを好きだと言ったのではない。だけど。今、すごくサリーが眩しくて、愛しい。
 溢れ出る想いに戸惑っていると、踊りの輪の中からハンスが声を掛けてきた。
「おーい、もう酔っぱらいはいねえんだし、先生とサリーちゃんもこっちに来いよ!」
 ハンスの後に続いて、何人もの村人達に誘われる。
「あの踊り、よくわからないけど」
 困ったと言いながらもサリーは腰を上げる。一歩踏み出そうとして、座ったままのディーンを振り返った。
「先生も行きましょう?」
 差し出された手をディーンは無言で取り、サリーと共に踊る村人の群れに加わった。ディーンも村の踊りはよくわかっていない。でも他の踊りだったら多少は知っている。本来の型など一切気にせず、サリーと手を繋いで踊っていると、サリーが驚いた顔を見せた。
「先生って結構踊るの上手なんですね」
「学校行事にあった」
「あ、私も」
 クスッと笑ってサリーはくるりと回る。
「サリーも慣れてるな」
「踊るのは好きなんです」
 そう言うだけのことはあって、サリーは本当に楽しそうに踊っている。その表情にどんどん惹かれていく自分を最早無視できなくなっていることに気づき、ディーンは踊りながら脳を回転させる。
 自分とサリーが似合いだなんて、とっくに知っていた。
 そこまでの気持ちは無いと思っていたが、今この瞬間、これまでとは同じことを言えなくなっている。
 サリーとの距離を縮めたい。医師と看護婦ではなく、もっと個人的な関係を持ちたい。
 サリーはディーンのことをどう思ってるだろう?嫌ってはいない筈だ。村の男よりは余程好かれていると思う。
 ただ、ディーンは春になったら新しい赴任先に動く身だ。期限までもう半年を切っている。ここで動いたところで、別れが辛くなるだけじゃないか。それならば、残りの時間は自分の気持ちを抑えて過ごすのか?――それも辛い。
 長々と踊って、休まないかと提案してきたサリーに頷き、ディーンは休憩所に戻ってきた。サリーが水の入ったコップを差し出す。それを受け取って、一気に飲み干した。喉は冷たい水で潤いすっきりしたが、頭の方はいっこうに冷めない。もう一杯飲もうかと顔を上げると、上気した顔でディーンを見上げるサリーと目が合った。
「先生と踊るの、すごく楽しいです。こんなに楽しいの、久しぶり」
 にこっと笑うサリーに、もう何も考えられなくなった。
「可愛いな」
「何言ってるんですか」
 ディーンから自然に漏れた言葉をサリーが軽く流そうとする。けれど、ディーンは冗談で終わらせるつもりはなかった。サリーを引き寄せてキスをする。一瞬では済まされない時間唇を合わせた後、少しだけ顔を離して覗き込んだサリーの顔は真っ赤に染まっていた。
「サリーは可愛いよ」
 そう、ディーンの決意なんて呆気なく消し去るくらいに。
 期限なんて後のことは知らない。今はただ、自分の気持ちに正直になりたい。
 ディーンは再びサリーに口づけ、ゆっくりと瞼を閉じた。
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