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 今年の冬休みはなかなかハードだ。
 朝起きたら塾に直行。午前中から勉強。昼も塾で食べて、午後も勉強。夕食も塾で食べて、夜も勉強。
 始まりと終わりの時間は取っている講座にもよるが、空いている時間はずっと自習室に詰めている。一日のほとんどを塾で過ごしていると、良臣と勉強する時間がなかなか取れない――筈だったのだけれど。
「おい、ここ公式間違えてるぞ。これはここでは使えない。使うのは――」
 瑞穂のノートに正しい公式をサラサラと書き込んでいく良臣。それを普段より固い表情で見守るのは仕方がない。だって場所が場所だ。
「よう、狩屋。お前にもついに女ができたか。こんな時期にいいご身分だな」
 話しかけてきたのは塾で良臣と同じクラスの男子だ。彼も確か全国模試でかなりいい成績を取っていた。ちなみに、学校は違う。
「うるせー。お前の目腐ってんじゃねーの?」
 言い返しながらも良臣は計算式を最後まで書ききった。「ほら、比べてみろ」と言われ、瑞穂はノートを手に取って自分の間違えた回答と見比べる。けれど、周囲の視線が気になって仕方がない。
 ここは家ではなく、塾の休憩室。
 食事をしたり、ほんのちょっと友達同士で勉強を教え合ったりするスペースだ。
 冬休みの初日、友達とタイミングが合わずに瑞穂が一人で昼食を取っていたら、授業が終わったばかりの良臣がやってきて隣に座った。一人分の席を空けるわけでもなく、誰がどう見ても隣、だ。それだけでも驚きだったのに、普通に会話をして、更には「自習室じゃ話せないからちょっと見てやるよ」ときた。それで、人目がある中で良臣に勉強を教えてもらうようになってしまった。
 同じ学校の人には『お前達、そうだったのか……』とか『いつから?』とか『あの狩屋が!』なんて言われてからかわれて大変だった。中には心底驚いている人や、声はかけないものの遠目で気にしている人達もいる。狩屋は何か言われれば言い返しているけれど、瑞穂が第三者だったら間違いなくつきあっているように見える。でも、自分の勉強の出来も知っているし、センター試験も近いから塾ではやめて欲しいなんて強く言えない。
「あれだよな。ずっと髪が長かった子。うちの学校の奴が告白して振られた」
「……あー」
 思わず声が出た。そうか、少し前に告白してきたあの人と同じ学校の人か。ちなみにその彼は、『言ってくれればよかったのに』とちょっとだけ残念そうに声をかけてきた。だから違うんだって!
 そんなんじゃないよ、と弱く言うことしか出来なくて、苦い毎日を送っている。
 ただ、お陰で光二のことはほとんど思い出さない。
 狩屋がそこまで考えているかはわからないけど。
「まあ、狩屋とあいつだったら狩屋だよな。普通」
 それはどうだろう?
 人には好みがあるし、彼の方がいいっていう子は絶対にいるはずだ。
 そんなことを考えていると、顔に出ていたのか、良臣が瑞穂の額にデコピンをくらわせた。
「痛っ」
「ぼんやりしてんな。ほら、ここの解説してやるよ。つーか桑田は向こうに行け。こいつが集中できない」
「いいねえ。青春だねえ。って、そんな睨むなよ。お邪魔虫は退散しますよっと」
 桑田と呼ばれた彼はそそくさと去って行った。
 良臣は瑞穂が間違えた問題の解説を始める。瑞穂も気持ちを切り替えてそれに聞き入った。
 ただ、問題なのはこれがまだ昼で、夕食の時も待ち構えているということだったのだけれど。
 でも三日も続けばもう腹をくくるしかない。
 瑞穂は自分に喝を入れた。



 瑞穂と良臣が家に帰ると誰もいなかった。
「ただいまー……って、イブだっけ」
「横浜のホテルだっけ?すごいよな」
 リビングに荷物を下ろすと、瑞穂はそのまま簡単な夜食を作るべくキッチンに入った。良臣もついてきて冷蔵庫を開く。
「流石に三日も続くと周りも慣れてきたな」
「え?」
「俺とお前が一緒にいること」
 今まではコンビニで待ち合わせをして帰っていたのに、最近はそれすらもしなくなった。塾のロビーで合流して駅に向かっている。
「百パーセント誤解されてるよ」
「だな」
「だなって……」
 良臣は何食わぬ顔だ。手には冷蔵庫から出したプリンがある。
「勘違いしたい奴にはさせとけ。センターまで時間がない。俺はともかく、お前はなりふり構ってられる状況じゃないだろ。センターは確実に取らないとやばい。そこで失敗したら志望校変えも考えないといけない。でも、お前にその気はないだろ?」
 その通りだった。
 センター試験でどんな点になろうとも、第一志望を変えるつもりはなかった。
「そうだけど。でも、三学期に入ったら学校でもいろいろ言われるよ」
「どうせセンターまでの短い間しかないだろ。その後は自由登校だし。うちのやつらだって基本的には自分のことで精一杯だ。それに、もしこれで中西が出てくるようならその時は堂々と俺が前に出てやる」
「あ……」
 光二が話を聞いた時にどんなふうに感じるかなんて考えていなかった。
 確かに、何か行動に出るかもしれない。
 急に不安が生まれ、野菜スープをかき混ぜる手が止まった。
 この三日間、光二からは何の音沙汰もなくて安心していたのに。
 宏樹からは光二から聞いた話のメールが送られてきていた。
 茜が言った『光二は瑞穂の将来を潰したいの?』は光二にとてつもない衝撃をもたらしたらしい。
 瑞穂のことは諦めたくないけど、瑞穂に悲しい思いをさせたくない。だからしばらく距離を置いた方がいいかもしれない。
 光二は宏樹にそう話したという。
 それを知ってホッとしたのは一昨日のこと。心も安定していたのに。
 考え込んでいると、良臣の手が頭に被さってきた。そこに軽くかけられた重み。温かくなった背中。良臣が瑞穂の上に置いた手の上に自分の顎を乗せたのだと知る。
「うだうだ考えんなよ。俺、夏に言ったよな?A大現役合格、絶対にやりきるぞって。俺がお前を引っ張る。誰にも邪魔なんてさせない。余分なことするやつは俺が張り倒してやるよ。だからお前は俺を信じてついてこい」
「……そんな言い方だっけ?」
「多少変わってるかもな。でも、お前を引っ張る気持ちは変わってない」
 あれは夏に良臣の家に入った時のことだった。
 そこで良臣は瑞穂の力になると言ってくれた。あの夏から四ヶ月、良臣はずっと言葉通りに瑞穂の勉強を見てきてくれた。それが少しずつ実を結んで、模試の判定も上がってきている。夏前に比べると実力もついてきていると自分でも実感している。
 狩屋についていけば間違いない。
 そう信じられるだけのものがここにはある。
「私も、何がなんでも狩屋についてくって気持ちは変わってないよ」
 ゆっくり後ろを向くと、良臣は瑞穂の頭の上から手をどけた。二人の距離は思いの外近かったけれど、それも心強かった。
「手、勝手に放すんじゃないぞ」
「そっちこそ」
 近い距離で二人でにやりと笑うと、後ろで鍋が噴き出す音がして慌てて火を止めた。
 スープをよそおうとすると、先に良臣が食器を渡してくる。絶妙のタイミングだ。結局、さっき取り出したプリンはスープの後にお腹に入れることにしたらしい。
「明日はご飯の準備したいから、夕方の授業終わったら先帰るね」
「ご馳走?」
「うん。クリスマスだし。お母さんと一緒に準備するよ」
「へえ。そりゃ楽しみだ」
 期待に顔を明るくする良臣はやっぱり良臣らしい。
 なんだかんだでいつの間にか不安がまたもや吹っ飛んでしまったことに気づいて、瑞穂は小さく笑った。
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