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 塾に直行する予定は変更され、茜に促されるままに瑞穂は家に帰ることになった。塾は夕方からだ。それまで落ち着く時間を取った方がいいだろう。
 茜と家に戻ってくると、意外にも先に良臣の方が帰ってきていた。良臣は瑞穂の泣いた跡を見ると不満そうな顔をしたが、茜には普通の顔で「ご苦労」と一言声をかけた。
「……どこの殿様よ」
 思わずつっこむと、良臣はタオルを投げて寄越した。
「茶々入れる元気はあるみたいだな。顔洗ってこいよ」
「……そうする」
 雑だが、これも良臣なりの気遣いだろうか。
 茜が家に上がりながら良臣に今日の経緯を話すのを離れていく耳で聞きながら瑞穂は洗面台に向かった。
 自分で話すだけの気力は無いから、茜が説明してくれるならありがたかった。
 鏡に映った自分の顔は確かに酷くて、目どころか瞼まで腫れていた。
「あーこれはみっともないなー……」
 こんな顔で塾に行かなくてよかった。
 先週もそんなことを思ったなと苦い気持ちになりながら、瑞穂は水で顔を冷やしていく。一通り済んでリビングに行くと、良臣は大方話を聞き終えたところだった。
「おう、お疲れ」
「うん」
 労う良臣の顔には「あいつも馬鹿だな」と書かれている。
「取り敢えずさ、これで冬休みに入る訳だし。光二も流石にショックだったんじゃない?あれだけ言ったんだから、今度何かあったら動いちゃえばいいよ。瑞穂が渋るようならきっと狩屋が動いてくれるだろうし」
「俺かよ」
「ったりまえでしょー。ここまで人を散々こき使っといて、自分は何もしないわけないよね?ま、一応大丈夫だとは思うけど」
「わかんねーぞ。相手はストーカーだし」
「うーん、最後の一言は結構刺さった気がしたんだけどな。駄目なら狩屋、後はよろしく」
 茜は言うだけ言うと、彼氏と約束あるから、と勢いよく立ち上がった。
 そう言えば本当は駅まで瑞穂に付き合った後、彼氏と合流するつもりだったのだと思い出す。途端に申し訳なくなって、瑞穂は手を合わせた。
「ごめん!迷惑かけちゃったね」
「いいのいいの。これで理由話してぐだぐだ言うようなら両手ビンタの刑にしてやるわ。それよりも途中離脱しちゃうけどごめんね。でも、瑞穂が来て欲しいって言うならいつだって来るから」
「うん、また電話する。でも彼氏にも茜借りちゃってごめんなさいって伝えといて。なんなら電話で謝るから。お願いだからこのことで仲こじらせないでね」
「大丈夫だって。じゃあ、今日のところはバイバイ」
 茜は元気よく手を振るとマンションを飛び出して行った。
 良臣は呆れながらコンビニ弁当を食べている。
「悪い奴じゃないけど、平島とつきあう男とは気が合わなそうだな、俺」
 タイプじゃないとサラッと失礼なことを言う良臣に瑞穂は脱力した。
「取り敢えず、食う?」
 良臣はコンビニの袋からパンやら菓子やらデザートやら取り出して瑞穂の前に並べた。
「じゃ、これちょうだい」
「おう」
 瑞穂はカレーパンを選ぶと早速袋を開いてかぶりついた。中辛が今の気持ちには丁度いい。
「これもやるよ」
 良臣が差し出したのはグレープフルーツゼリーだった。たっぷり食べられるビッグサイズはいかにも良臣が好きな感じだ。自分が食べるつもりで買ってきたんだろう。でも、今日は遠慮しないでもらっておこうと思った。
「ありがと。またなんかお返しする」
「クリスマス辺り期待しとく」
「うん」
 もう少ししたらご馳走のことを考えなくちゃ。
 ぼんやりした頭でほぼ無意識にカレーパンを食べ終わり、今度はゼリーを食べ始める。
 会話がなくなれば、自然と光二のことを考えてしまう。
「本当に大丈夫かな」
 向こうがこれで終わりにするかは自信がなかった。
 自分ではきっぱりと拒否して別れを告げたつもりだ。
 でも光二はきっと納得していない。だとしたら、まだまだ瑞穂につきまとうだろうか。変わらない態度を取るだろうか。
「そこまで執着される理由がわかんない」
 どうして。
 他にもいい子はいっぱいいる。可愛い子、綺麗な子、性格がいい子、楽しい子。
 光二に告白する子も何人かいたのに。
 どうして光二は進めなかったんだろう。
 すがりたい程いい思い出も二人の間には無かったと思うのに。
「未練がましいな。あいつの中で、お前がそれだけ特別だったのかもしれないけど」
 良臣も考え込みながら言った。
「でも、そういうのは片方だけが頑張ってもだめだろ」
「……そうだね」
 仮に。万が一。いや、死んでも有り得ないけれど――もし瑞穂と光二の気持ちを同じ天秤に乗せたとして、一生かかってもつりあうことはないだろう。
「いつかは普通に話せるかもとか、甘いこと考えんなよ」
「狩屋」
「お前が終わらせたのは正解だと思う。切ったからにはあんな奴のことでこれ以上もやもやするのは止めろ。センターまで一ヶ月切ってるんだ。やらなきゃいけないことは死ぬほどあるんだぞ」
 頭を殴られたような気がした。
 そうだ。
 こんなことで迷っている場合じゃない。
 自分が必死に考えなきゃいけない現実は他にもあるのに。
 今日だって二学期の成績が渡されたばかりだ。それを思い出して、瑞穂は鞄から一枚の紙を取り出した。
「狩屋、これ見て」
「あ?ああ、成績か。へえ、結構上がってるな。テストで点数取るようになったから当然だな」
「もっと誉めてくれてもいいんじゃない?二学期すごく頑張ったんだよ」
「俺のお陰でな。お前一人だったらここまでいかないぞ。ほら、もっと敬った方がいいんじゃないのか」
「敬うとか……」
 どうしてこんなに自信満々なのかと呆れるけれど、実際にそれだけのことをしてもらっているだけに言い返せない。ここはやはり間近に迫ったクリスマスの料理を頑張ってお返しするしかないんだろうか。
 しかし、クリスマスと言うと――。
「ねえ狩屋、クリスマスイブって何か予定ある?」
「塾だろ」
「いや、その後」
「無いけど、なんだ、嫌味か」
「ううん、そうじゃなくて。実家に帰ったりするのかなって思っただけだから」
「それは絶対無い。俺、卒業するまであっちに顔出さないから」
 きっぱりと言われれば、それもそうだと納得するしかない。良臣は自分の家のことをよく思っていない。当然の反応だった。
 別に良臣に予定がないことが問題じゃない。問題だとすれば――――。
「あのさ、うちのお父さんとお母さん、クリスマスイブには二人でどこかお泊まりがお決まりなんだよね」
 瑞穂が中学生になった頃から続いている毎年恒例の予定だ。近場だったり、遠くだったり、それは毎年違うけれど。瑞穂はその日、友達の家に泊まって過ごすことが多かった。去年は一人で留守番していたし、今年は何の予定もないけれど。
 そのことを話すと、良臣は少し呆れたような顔をした。
「本当に仲いいな」
 それ以上の言葉は出てこなかった。多分、自分の両親と比べているのだろう。そしてそのあまりの落差についていけなくなっているように見える。 
「クリスマスの夜には何かお土産持って帰ってくるよ」
「へえ。ま、楽しみにしとくかな」
「うん。そうしといて」
「んじゃ、そろそろ勉強するか。塾行く前にセンター対策するぞ」
 食事のごみを片づけながら良臣が言う。
「二時間はできるね」
「丁度いい時間だな」
 二人で立ち上がって、それぞれの道具を持ってくる為に部屋へ向かう。
 瑞穂は光二のことを思い出したけれど、ほんの少し前は忘れていた事実に安心した。
 大丈夫、かもしれない。
 何かあったらその時はその時だ。そしたら今度は周りも巻き込んで大騒ぎしてやる。
 だから、何もない内は考えないようにしよう。
 狩屋がいればきっと大丈夫。 
 そう信じようと思った。
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