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  75  

 それはないでしょ。
 帰り道の脇にある公園の入り口に佇む人影を見つけて瑞穂は思わず足を止めた。
 茜は今日も彼氏と待ち合わせていたので一人で帰路を歩いていた。多分、向こうもそれを知っていての行動に違いない。光二は考え込んでいるような顔で瑞穂を見ていた。
 校内で待ち伏せされるのは構わない。大体茜か宏樹がいるからそこまで困らない。二人きりになっても、何かと用事を作って逃げ出せる。でもこの状態では無視できるわけがない。
 ここ数日はお互いに意識していた。光二の探るような目に、瑞穂もこれまで以上に気を張っていた。それは周囲の人間にもわかる程で、良臣の耳にも届いていたくらいだ。
 無言の睨み合いも今日で終わりなんだろうか。
 どう考えてもいい方向に行く気がしなくて気が滅入る。それでもここで走り出しても無駄だろう。それこそ、光二は追ってくるだろうから。
 瑞穂は覚悟を決め、光二のところまで歩いて行く。
「どうしたの?」
「瑞穂を待ってた」
 その一言で緊張が走った。
 ついに来たか。
 そう思うものの、光二が何をどう切り出すのか予想がつかない。ただ、逃げられないことだけは感じていた。走ってこの場を後にすれば今だけはしのげるかもしれない。でも光二は必ず次の機会を作る。いずれにせよ避けて通ることはできないだろう。
 だったら瑞穂も覚悟を決めるしかない。
 できることなら予告が欲しかった。心の準備をする時間をくれればよかったのに。
「それ、時間かかる?」
「……ああ」
「……わかった。ちょっと待って」
 瑞穂は誠吾と志帆に向けてメールを打った。今日はそのまま塾に行くから夕飯は適当に買って、と。
 とてもじゃないけど家に戻る時間なんて無いだろう。
「お待たせ。塾があるから、それまでなら」
「ああ」
 答える光二の声は重い。
 もしかしたら塾にも間に合わないかもしれない。瑞穂はもう一つ覚悟した。



 駅の近くの公園に着くと、二人でまず飲み物を買った。
 外は寒いけれど店の中では周囲が気になる。かと言って光二が待ち伏せしていた公園だとあまりに人気がなさ過ぎる。何かあっても嫌だったから、二人で話はできるけれど、人がよく通る道の隣にあるこの場所にやってきた。
 コートにマフラーに手袋にタイツと寒さ対策は完璧だ。でも寒いものはやはり寒い。
「冷えるね」
 そう呟いてみるものの光二の反応は無かった。ベンチに隣り合いながら座った光二の横顔が思い詰めたように見えるのはきっと気のせいじゃない。
 このまま何も聞かずにいたら、何も話をしないまま電車の時間になるかもしれない。そんなことも期待したけれど、光二が自分から作ったチャンスを逃すはずはなかった。
「後悔してるんだ」
 俯きながら光二が出した言葉に、瑞穂は思わず顔を逸らした。
 何を、と聞く勇気は無い。一体いつのことなのか、何のことなのか、心当たりはいくらでもある。でもどうしても一番嫌な部分を想像してしまう。そして、残念ながら光二が後悔しているのもそこだった。
「あの時、俺が焦らなければ、瑞穂のこともっと考えていたら、瑞穂と別れたりしなかったんじゃないかって。瑞穂がちゃんと俺のこと見てくれるまで待てていたら、今頃どんなふうになってただろうって。ずっと考えてた。考えずにいられなかった」
「……もし、なんて考えても仕方ないよ」
 そんなこと言ったら、もし光二に告白された時にきっぱり断れていたら、と考えたくなってしまう。実際に光二と付き合っていた時期の最初と最後は毎日のように考えていたけれど。
「……そうかな」
 掠れた低い声に、「うん」と返すと、光二は深い溜め息をついた。
「わかってる。起きたことは無かったことにできない。だから今こんなふうになってるんだ」
「……うん、私もそう思う」
 言葉こそ軽いけれど心は重かった。光二と二人してどうしようもない圧力を共有しているみたいだ。
「別れたところまでは仕方ないかもしれない。それはわかってるんだ。でも、どうしても離れてるのが嫌で、耐えきれなくて、友達としてやり始めたはずなのに最近またおかしなことになってる。それでまた耐えられなくなってきた」
 視界に映る光二の体が瑞穂の方を向いた。
 ここで光二を見ちゃいけない。本能がそう告げる。
 だから瑞穂は自分の足元を見たまま体を固くした。
「やっぱり俺は瑞穂を諦められない。好きなんだ」
 決定的な言葉に息を飲む。
 ずっと感じていたこととはいえ、直接言われるとショックだった。自然と震えだした手を合わせてきつく指を絡める。
「ごめん、光二」
 声も震えていた。
 胸に大きな穴を空けられたようなとてつもない心細さに襲われる。
 隣にいるのに光二の気持ちはどうしようもなく遠くて、一人ぼっちになってしまった気がした。
 最近は嫌だと思っていたはずなのに、それでも光二は瑞穂にとって高校受験の辛い時期を支えてくれた大切な思い出のある相手だった。今更だけど仲違いしてしまうのが心苦しい。
 でもそんなこと言っていられない。自分が優柔不断なせいでその後苦しい思いをしたことも忘れてない。応えられないのならはっきり言わないと。
「俺達、やり直せないかな」
 光二が僅かに距離を縮めてくる。瑞穂はその分横に動いて距離を元に戻した。顔を上げると、光二が必死な顔で瑞穂を見ていた。辺りは暗くなったとはいえ公園には幾つか明かりがある。ベンチの傍にある外灯は互いの表情を照らしていた。瑞穂の困った顔も光二にしっかり見えている。
「無理だよ」
「どうしても?」
「無理だって。光二から友達のライン越えそうな話題が出たりメールが来るのが嫌なの。私、光二をそういうふうに見れない」
 自分の言葉で光二が傷ついたとしても、曖昧にして取り返しのつかないことになるのだけは避けたかった。それは自分の為だけじゃない。その時に深い傷を負うのは光二も一緒だ。
「でも俺はもう友達じゃいられない。とっくに限界なんだよ。気づいてるだろ?だから瑞穂の周りの男が気になるし、瑞穂が俺と距離を置けば冷静じゃいられなくなる」
「でも私は光二とはつきあえない」
「瑞穂」
 光二から伸ばされた手を振り払って瑞穂はベンチから立ち上がった。
 キッと睨みつけると、光二の瞳には剣呑な光が見え隠れしていた。
 光二も立ち上がり、二人で向かい合う。
「いつからかな……瑞穂がこうなったのは。前はそんなふうじゃなかった」
「人間は変わる生き物でしょ?私だって変わるよ。いつまでも同じところにいられない。次に進むのに一生懸命なの」
「瑞穂と別れる道だったら俺は進みたくない」
「光二」
「瑞穂が好きなんだ。だから一緒にいたい。そう思うことの何が悪い?」
 悪くない。それは人を好きになれば誰もが考える自然なことだ。だからと言って「じゃあ一緒にいよう」なんて展開にはできない。
「私は光二と同じように光二を好きじゃないし、好きにはなれない。光二にそういうふうに見られるのも辛いの」
「今度は待つ。瑞穂が大丈夫になるまで。俺のことを好きになるまで」
「そういうレベルの話じゃないの!」
 声を荒げながら、視界が滲んでくる。
 もうなんだかわけがわからない。
 どうしてこんなことになってるのか、どうして光二はわかってくれないのか、どうして光二はまだ自分のことを好きだと言うのか。
 頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。
「無理なものは無理!もうやだ……!やだ、こんなの…………」
 嗚咽がこみ上げてきて涙がポロポロ零れてきた。拭っても次から次へと流れてきて止まらない。
「み、瑞穂……」
 動揺した光二が肩に触れようとするのを二歩下がって避ける。
 どんな状況でも光二が近づくのを許してはいけないと思った。それで光二が逆上しても。変な欲を呼び起こす原因になっても。
「瑞穂…………」
 光二は伸ばした腕を引っ込められないまま立ち尽くした。傷つき、途方に暮れた表情を涙でぼやけた視界の中で認識すると、瑞穂は静かに背を向けた。



 瑞穂が塾に着いたのは結局授業が始まってしばらくしてからだった。
 あの後光二の前からすぐに去ったものの、駅のトイレから涙が止まるまで出てこられなかった。一応顔も洗ったけれど泣きはらした目は誰から見ても明らかだった。塾を休もうかとも思った。でも家に帰ったら両親が心配する。起こったことを話すわけにもいかない。迷った末、遅刻とわかりきっていながら校舎まで来たのはいいものの、こんな顔で途中から入るのかと思うと玄関の前で足が止まってしまった。
 どうしよう。
 一つ目の授業が終わるまでどこかで時間を潰そうか。
 いっそのこと、今日はさぼって塾が終わった頃に戻ってきて何事もなかったように狩屋と合流しようか。
「瑞穂?」
 逡巡しているところに声を掛けられて驚く。顔を上げると、財布を持った良臣がいた。瑞穂の顔を見た良臣は目を僅かに見開いた。
「お前、どうしたんだよ」
 至極当然の質問だ。
 でも光二とのことをそう簡単に答えられるはずもない。
「えっと……」
 言葉に詰まる瑞穂に、良臣は眉を顰めた。
「ちょっと待ってろ」
「え」
 良臣は校舎内に戻って行ったかと思うと、すぐに荷物を持って出てきた。渋い顔で瑞穂の前に来ると、「行くぞ」と歩みを促した。
「え」
 どんどん歩いて行く良臣の姿に瑞穂はまたもやどうしていいのかわからなくなる。
 良臣は今の時間は自習室に詰めているが、次の授業は取ってある。それなのにどこに行くのだろう?
 困惑して立ち止まっている瑞穂に気づいた良臣はちっと舌打ちして戻ってきた。
「ぼやぼやすんな」
 そして瑞穂の手を乱暴に取り、再び歩き出す。
 瑞穂は何が起こっているのか全くわからないまま引っ張られるままにふらふらとついていくしかできなかった。 
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