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 センター試験を一ヶ月後に控え、学校の授業はほとんど受験対策になった。センター試験対策、二次対策、両方を効率よくやっている辺りが進学校のF学院らしい。そんな中、受験と関係のない僅かな教科――体育と家庭科と技術もそろそろ終わりに近づいてきた。
「サガちゃんもわかってるよなー。受験でカリカリしてるこんな時期に調理実習立て続けに入れるなんて」
 宏樹が食器を洗いながら一人頷いている。横で同じく使い終わったボウルを洗っている良臣は「まあな」と同意してみせた。
 家庭科はあと二回で終わりなのだが、家庭科担当の佐賀はそのラスト二回に調理実習を入れてきた。教員歴二十年くらいの女教師だが、生徒のことをよくわかっていると思う。こんな時期に机に座って家庭科なんてやっても意味がない。内職する奴や睡眠時間にする奴が多発するだけだ。でも、調理実習にすればしっかり授業になるし、生徒もいい息抜きになる。現に、良臣も最近では珍しく学校に行くのを楽しみにしていた。
 今日のメニューはご飯、サラダ、白身魚のタルタルソースがけ、スープだ。サラダとスープは班で自由に材料を決めていいところもいい。
 そろそろどの班も調理の終盤に差し掛かっているが、よくある光景で女子が主導権を握っている。男子は水仕事を押しつけられがちだが、その方が味は確かだろうと良臣は考えているので中学の頃から一度も不満を言ったことはない。
 調理室にはいいにおいが漂い始めた。スープが煮えてきて部屋の温度も上がっている。一石三丁だな、と思いながら良臣は班に戻る。良臣の班ではサラダと白身魚の盛りつけが終わり、後はスープが出来るのを待ってご飯をよそうのみになっていた。
「ねーねー、美味しそうになってきたよ」
「狩屋と石原も近寄ってみなって!」
 女子に誘われて、石原と鍋に近寄る。なるほど、確かに食欲をそそるコンソメのにおいが広がっている。
「ほんと、美味そうだな」
「でしょー?」
 女子の機嫌がよくなってから数分後、スープができあがり、盛りつけも完了し、食事開始となった。今日は班によって差が大きいので出来たところから班で食べて良いことになっている。出来上がりをすぐに食べられるのは嬉しい。
「いただきまーす」
 女子の明るい声を合図に食事が始まる。丁度昼時だから腹が空いて仕方ない。今日は調理実習だから弁当はない。その分ここでしっかり食べて午後の活力にしないと。――――と、意気込んで食事を始めたものの、思わず手が止まった。
 ん?
 なんつーか、これは……。
 女子に不審に思われないようにすぐにまた箸を動かすが、食べれば食べる程感想が一つにまとまっていく。
 まずくはないが、美味しくもない。
 食べるには食べる。でもお代わりするほどではない。
 何故だろう。去年までの調理実習で作ったものはもっと美味しかった。今回同じ班になった女子に問題があるのか。いや、以前にも彼女達と同じ班だったことがある。その時は普通に美味しいと思った。でもいつもの食事に比べてあまりに――――。
 思考の流れで原因を突き止めた良臣は思わず頭を抱えたくなった。
 普段美味い食事を食べていると、こんな弊害があるなんて。
 志帆は料理上手だ。瑞穂も料理上手だ。それこそ、良臣が料理につられるくらい。瑞穂にあれこれ夕飯のリクエストをするのも、瑞穂がそれに応えるだけの腕を持っていてなんだかんだ言いながらも美味い食事が出てくるからだ。倉橋家に行く前は家政婦の作った食事ばかり食べていた。それも美味かった。でも、倉橋家の食事があまりに自分に合いすぎていたらしい。
 思わぬ事態に密かにショックを受けながらも良臣は一食たいらげた。そこに女子が期待の目を向けてくる。
「まだあるよ。狩屋、お代わりは?」
 無理だ。
 満腹じゃないが、これ以上食べる気はしない。
「悪い。腹いっぱいなんだ。朝食べ過ぎたかな。石原に頼むよ」
「え、ちょっと俺一人であのスープ残り全部頑張れと?」
「俺今日はほんと無理だから。なんなら他の班から助っ人探してくるよ」
「えー。美味いからなんとかなりそうだけど……」
 石原の言葉を聞いてまたショックを受ける。普通の高校生男子にとっては充分美味いと言えるレベルらしい。
 自分がとんだわがままな人間になった気がした。



 昼休み、宏樹に調理実習でのことを話すと、「あーあ」と軽い調子で言いながら宏樹が距離を縮めてきた。
「そりゃ毎日あんな美味いの食べてりゃそうもなるよな。一昨日五組も同じのやったんだけど、凄かったらしいぜ。他の班の奴ら、それも女子も混じってお代わり争奪戦になったってさ。来週はケーキだろ。既にクラスのほとんどの奴が狙ってるって話だぜ」
「無理もない」
 冗談に思えないところがすごい。瑞穂なら今日のメニューももっと美味く作れたんだろう。他の奴の手が加わっていても、それなりにはなってると思う。それが次はケーキとなれば――同じクラスだったら争奪戦に加わっていたかもしれない。自分が特進クラス以外に行くなんてことは有り得ないが、それでも違うクラスでよかった。
「お前、それを春から独占状態だって気づいてた?そりゃ舌もわがままになるよ」
「喜んでいいんだか、悲しむところなんだか」
 あまつさえ好きなものをリクエストしてこれでもかというくらい充実した食生活を営んでいる。ひとえに瑞穂、それから志帆のお陰だ。
「喜べばいいだろ?お前、よく食べるんだし。味もうるさいし」
「かもな」
 とは言うものの、先のことが不安でもある。四月からは一人暮らしを始める予定だ。食生活がどうなるのか。自炊の為にも瑞穂にカレーの作り方くらいは習っておいた方がいいかもしれない。
 良臣が考えていると、更に宏樹が声を潜めた。
「倉橋と中西、なんかあったっぽい気がするんだけど」
「聞いてないな」
 聞いたとすれば、この間中西光二の志望校がT大だったということくらいか。最近あいつの危険情報はこれといって入っていなかった。瑞穂からも、宏樹からも、茜からも。瑞穂がメールに苛立つことはほとんどなくなったし、今は落ち着いてると思っていた。
 気になることがあるのかと尋ねると、宏樹は難しい顔をした。
「なんかなー、二人揃うと妙な緊張感があるんだよ。倉橋だけじゃなくて、中西も。つい最近になって出てきたきがするっていうか。でも、前にあいつらが別れた時やまた一緒につるみ出した時もそれに近いものはあったし……」
 どう判断していいかわからないと宏樹は天井を見上げた。
「向こうが構える何かがあるのかもしれないな」
 宏樹が出した前例と今回の件が同じだとは思わないが、共通点を上げるとしたら中西の方も意識しているのだろう。それが何かはわからない。場合によっては酷く厄介だ。
「実は既に中西に何かあったか聞いてみたんだけど、『何も』の一言で切り捨てられた。ピリピリしてたけどな」
「何かありましたって言ってるようなもんだな」
 そうだったとしたら、瑞穂の変化を見落としていたのか。
 毎日顔を合わせているのに。
 気づけなかった自分にイライラする。
 今夜聞いてみよう。



 今夜の食事のメインは牡蠣のグラタンだった。グラタンとは言っても、程よく和風テイストにしてあって、それがまた食欲を増進する。こんなに美味いものばかり食べてるから舌がわがままになるんだ、と不条理な八つ当たりを胸の中でしながら、あっという間に一食たいらげてしまった。隣でホットレモンを飲んでいた瑞穂は面白そうにその様子を見ていた。
「今日は新しい味にチャレンジしてみたんだけど、どうだった?」
「美味い。ゆずがさっぱりしてて食べやすいし牡蠣と合ってた。何かの本にでも載ってたのか?」
「立ち読みした雑誌にね。ちょっとアレンジ入れてみたけど。お父さんとお母さんにも好評だったの。狩屋も夢中で食べてくれたし、大成功だね」
 瑞穂は心から嬉しそうだ。これはまた、そう遠くない内にこのグラタンを再会できそうだ。
 曇りのない笑顔を見ていると安心してしまう。でも、昼のことを思い出して良臣は話を切り出した。
「最近、どうなんだ?」
「なにが?」
「中西だよ。坂本から、あいつの様子がちょっと変だって聞いたから」
 光二の名前を出すと瑞穂の目が泳いだ。
「あーーー、そうなんだ。宏樹はそう感じたわけね」
 言葉だけ聞いていれば特に何もなかったということになるが、そうでないのは瑞穂の反応が物語っている。それを見逃す良臣ではなかったが、肝心の瑞穂に話す気がないのがネックだった。瑞穂は助けを求める時は自分からはっきりと発信する。でも今はただ戸惑っているようだった。少し困ったような苦い表情は、良臣に話すことに抵抗があるようにも見える。
 無理矢理話させるか、今日は触れずにいるか。  
 考えているところで、瑞穂が口を開いた。
「大したことはないの。でもちょっと、光二も切羽詰まってるんだと思う。取り敢えず、二人にならないようにきをつけてるから」
 それだけ言って席を立ち、良臣の皿を下げて洗い始めた。これ以上話を続けるつもりはないらしい。肝心なことは何一つ言わない瑞穂に不満を抱きながらも、良臣はそれを出すまいと感情を抑える。気に入らないが、ここで自分が怒ってもきっといいことはない。だから言うべきことだけ言った。
「大変なことになる前に言えよ」
 すると、瑞穂の手が止まった。振り返った顔に浮かぶのは先程見た困ったような表情。
「ありがとう」
 その言葉がやけに深く胸の奥まで入ってきた。
 
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