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 8月も終わりに近づき、蝉の声も少し減りつつある。
 瑞穂はリビングで制服のシャツにアイロンをかけていた。明日からは2学期が始まる。少し前までは2学期は9月からが普通だったのに最近は8月の終わりからだ。なんでも学校の授業をする日には決められた日数があってそれをクリアする為には9月からだと足りなくなるらしい。その場合他のところを削らなければいかず、「君達は大晦日まで学校に来たいか?」とうんざりしながら担任が言ったのは記憶に新しい。
「なんかかわいそうね。たった2、3日とはいえ、やっぱり8月いっぱいは夏休みじゃないと」
「確かに変な感じがするな」
 今日は珍しく昼から家族が揃っている。志帆と誠吾は並んでテレビを見ていたが志帆が明日から学校が再開する瑞穂達に同情した。誠吾もそれに頷く。
「仕方ないよ。それにどうせ、明日と明後日はテストだし」
「よくやるな。そういう堅苦しいの、もう俺には無理だ」
 誠吾が感心したように言う。志帆が隣で「あなたはねえ」と困ったような楽しんでいるような顔をするのを横目で見て瑞穂はシャツを良臣のものに替える。制服自体はクリーニングに出してあるからいい。でもシャツは夏の間しまっていたので皺がついてしまっていた。少しくらいなら気にしないけれど、やはり始めくらいは清潔感がある方がいい。
「でもお父さんだってしたでしょ、受験勉強」
「そりゃなあ。でも良臣君みたいに机にかじりついてはいなかったな」
「なんだかんだ言って天才肌なのよね。なんだか癪だわ」
 志帆が悔しそうに呟く。
 意外にも――瑞穂にとっては意外どころではないが――誠吾はT大の卒業生だ。そこで見識を広めた結果カメラマンになっているのがまた不思議ではあるのだがそれがまた誠吾らしいと周囲の人間は思っている。瑞穂もそうだ。誠吾がスーツを着こなして毎日颯爽と出勤していたらそれはもう父ではない。しょっちゅう家を空けては土産を持って帰ってきてこそ倉橋誠吾だ。そんな父が結構気に入っている。
「来週は確か模試もあったか」
「うん。学校の方でやってるやつ。その次の週は塾の方で模試があるよ」
「頑張るなあ」
「うーん、まあ、仕方ないよね」
 必要なことだからやる。それ以外のことをぐだぐだ考えていたらきっと嫌になってしまう。
「じゃあ、塾の模試が終わったあたりでみんなでどこかに食べに行きましょうよ。ちゃんと息抜きしないと窒息してしまうわ」
「いいな。店はいろいろ探してみるよ」
「私も幾つか見てみるわ。大体見当をつけたところで4人で決めましょうね」
 志帆の提案は誠吾が同意したところで決まってしまった。けれども瑞穂としてもそういう息抜きは大歓迎だ。良臣もきっと喜ぶだろう。食べることが大好きだから。そんなことを考えながら良臣のシャツを仕上げる。丁度いいタイミングで良臣がリビングにやってきた。
「狩屋、シャツできたよ」
「おう、サンキュ。水飲んだら持ってく」
「今ね、9月の塾の模試が終わったらみんなで食事に行きましょうって話をしていたのよ」
 志帆がキッチンに入った良臣に声をかける。良臣はペットボトルを持ちながら嬉しそうに振り向いた。その顔が子どもらしくて瑞穂は小さくふき出してしまう。
「いいですね。おじさんとおばさん、美味しい店知ってるからなあ。楽しみにしてます」
「最終的にはみんなで決めるから。それまでは気にせず勉強してくれればいいよ」
 誠吾が言うと良臣は「ありがとうございます」と小さく頭を下げた。そしてペットボトルを冷蔵庫にしまうと部屋に戻るついでに瑞穂からシャツを受け取っていく。その姿を見送ると、瑞穂は明日の準備をするべく立ち上がった。



 夏休み明けの学校はほんの少し賑わうものの、受験生ということもあってか3年の階は少なからず緊張感が漂っている。茜はそんな空気にぶすっとした表情になる。
「なんか固いよねー。そりゃ受験生だけどさ。この後もテストだけどー。夏中勉強づけになってたのに学校来てもこの雰囲気じゃやる気なくすよ」
 瑞穂は相づちを打ちながら英語の構文集に目を通す。
「でも仕方ないよ。まあ、私も勉強のやり過ぎで頭おかしくなるかと思ったけどさ」
 塾では精鋭揃いの先生達が。家では鬼教師良臣が。くつろぐ暇を許さなかった。それが確実にいい方向に進んでいるという自信があるのだけが救いだと瑞穂は思う。
「瑞穂、白いままだもんね。ほとんど外出なかったでしょ」
「そうでもないよ。でも遊びには行かなかったからなー。塾とスーパーくらい?」
「なんかさ、光二が嘆いてたよ。瑞穂が素っ気ないって。受験生の邪魔するなーって怒りのメールを返してやったけど」
「なに、そんなこと言ってたんだ」
 また光二か、と思ったのを顔に出さないように我慢する。
 夏の後半はほとんどメールを無視した。少なくともすぐには返事をしない。時間が経ってから「勉強してた。ごめんね」という内容を淡々を送って終わり。ほとんどそれの繰り返しだった。そうでもしないとストレスが溜まる一方で勉強に集中できない。それは自分も受験生なのに見てくれている良臣にも失礼だ。
「頭いいからって甘えてんじゃないよーって感じだよね。あたしだって彼氏と会うの結構我慢したんだからさー」
 それもあって茜はイライラしているらしい。瑞穂はもう苦笑するしかない。
「一緒に勉強とかしなかった?」
「塾の休みが重なった時はね。でもほら、塾自体が違うからさ。だから学校が始まるの楽しみにしてたんだ。学校ある方が絶対にたくさん会えるって」
「なるほどね」
 言われてみれば確かにそうかもしれない。そんなことは思いも寄らなかったというか、考える必要もなかったというか。それを寂しがるべきなのだろうが毎度の「受験生だから」という言い訳で納得することにする。考えようによっては便利な言葉かもしれない。じゃあ受験が終わったらどうするんだというのは置いといて。
「っていうかさ」
 茜が声を潜めて距離を詰めてきた。まだまだ暑いのに距離はほぼゼロだ。
「光二、結構いろいろ言ってきたんだけど。それって瑞穂としてはいいわけ?なんか……ぎりぎりアウトっぽい感じがしてさ」
 最後の方を躊躇ったのは瑞穂と光二のことにそこまで踏み込んでいいのかという茜の気遣いだ。2人がつきあって別れた経緯を知っている茜だからこそそういうデリケートな部分にはよく反応する。
 茜に距離感を指摘されれば瑞穂も無視はできない。
「茜もそう思う?」
「じゃあ瑞穂も?」
 やっぱりそうだったかと茜の眉が八の字になる。
「……ちょっと気をつけてみるね。もし言える機会があったら言ってみる。瑞穂からは言いにくいよね」
「ごめんね、茜」
 でもこんなふうに気にしてくれる親友がいてくれて嬉しい。瑞穂は困りながらも笑顔を返した。
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