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 孝臣を自分の部屋に入れた良臣はしまったと顔を顰めた。
 瑞穂と勉強していた跡が残ったままだ。机とミニテーブルそれぞれにテキストや筆記用具が出しっぱなしにしてあれば2人がここにいたことは一目瞭然。やましいことは何も無いが孝臣がどう取るかが問題だった。振り返れば、案の定孝臣は眼鏡の奥の瞳を細めている。
「人の勉強を見てやるほど余裕があるのか」
「あるよ。それにひっついてやってるわけじゃない」
「そりゃそうだろう。そんなお前想像もできないね」
 孝臣は馬鹿にするような笑みを浮かべた。良臣はベッドに座りながらそれを一瞥する。
 案外こまめに瑞穂の勉強を見てやっていると言ったら孝臣はどんな顔をするのか。まず信じないだろうというのが良臣の答えだ。それは絶対に合っている。
 孝臣は許可を取らずに良臣の椅子に座り込む。良臣もその程度ではいちいち文句は言わない。
「やけに髪の長い子だな」
「そうだな」
 だからどうした。視線で促すと孝臣は優雅に足を組む。
「お前が人の面倒を見るとはね。いや、驚いたな。置いてもらってることへの義務感か?それとも気まぐれか?」
「さあな」
「意外と、彼女を気に入っていたり――とか」
「何言ってるんだか」
 睨みつけたくなるのを抑えて良臣は一笑に付す。突然現れたかと思えばまた人の詮索をする孝臣が気に入らない。たかだか8歳しか違わないのに保護者面か。そもそも顔を合わせればいろいろ言ってくる割にその実良臣への関心は高くない。それなのに変に首を突っ込まれるのは不快だ。
「高校生の料理上手なんてたかが知れてるだろ。お前のは言い訳にしか聞こえないね。母さんの言いなりになってるのはお前自身がここから離れる気が無いんだろう?」
「順番が間違ってるよ、兄貴。まず母さんに逆らっても意味がない。次にここに来たら飯が美味かった。だから俺は兄貴のところに行く気はないって言った。全然違うだろ」
 根本的な部分を組み替えるな、と良臣は毒づく。
「兄貴、この間のことを根に持ってわざわざ来たわけ?そんな暇人なのかよ」
「まさか。久しぶりの休みに前のことでお前に文句を言いにくる程堕ちちゃいないさ」
 さらっと返す孝臣に嘘つけと良臣は叫びたくなる。血の繋がった兄弟ながら実に気味が悪い。言いたいことがあるならはっきり言え。でも実際に言われたらお前が言うなとも思う。嫌な葛藤だ。
「今度お前が帰る時、俺も家に帰ることにした」
「なんで」
「せっかく家族が揃いそうな時に俺だけ居ないのは感じが悪いだろ。まあ、同じ家に居ても4人顔が揃うかは別として。親父や母さんに直接近況報告するのも必要だしな」
「そう」
 そんなの勝手にしてろ。投げやりになりながら、両親だけでなく孝臣もいる空間を思い描いて苦い気持ちになる。今から居心地の悪さが気になるくらいだ。もし瑞穂がそこにいたら逃げ出したくなるに違いない。いっそ瑞穂をダシに自分も倉橋家に帰りたいくらいだ。帰省前からこんなことを考えていてはいけないとわかっていつつも想像してしまう。
 でも、どうせ良臣は塾があるし、食事以外は基本的に部屋にこもっていればいい。それが救いだ。
「学校はどうだ、良臣」
「夏休みのタイミングで聞かれてもな。でも変わりないよ」
「そうか。それならやっぱり注意すべきなのはこの家だけだな」
「なにが」
「お前が問題を起こさないか心配してやってるんだよ。親父の立場を忘れるな。何かあってももみ消せるなんて甘いことを考えるんじゃない。一悶着あれば親父の地位だって危なくなるし俺の将来にも影響が出る。わかってるだろう?」
 良臣は孝臣に見えない方の拳を強く握った。父親のことを考えているようで自分のことを考えている孝臣に吐き気がする。それを隠そうともしないところがまた気に入らない。
「俺が親父の迷惑になるようなことをするって?」
「さあ。でも同い年の女の子と一緒の家にいて何かの間違いが起こったら困るって話をしているんだ」
 わかるだろう?と諭すように孝臣が言う。
 まるで宇宙人と話をしているようだと良臣は胸の中で深いため息をついた。きっとこの兄はこのまま上に立ってもうまくやっていけない。それを補う人間が傍にいるか、孝臣が変わるか。そうでなければ会社の未来も危なそうだ。
 もう何も言う気が起きなかった。そこにコンコンとノックの音が響く。
「ご飯できましたー」
 ドア越しに瑞穂が声を投げかける。天の救いに良臣は重い腰を上げた。



 瑞穂が用意した昼食はチャーハンに若鶏のピリ辛炒め、夏野菜のスープだった。デザートに一応杏仁豆腐も出せる状態にはしてある。勿論、杏仁豆腐だけは流石にスーパーで買ったものだが。
 席は迷った末、瑞穂の席を孝臣に譲ることにした。そして孝臣の向かいに瑞穂が座る。良臣は一瞬渋い顔をしたが何も言わずに席に着いた。孝臣は良臣の隣に座るとメニューに軽く目を見開いた。
「へえ、割としっかりしたものを作るんだな」
「お口に合うかわかりませんけど。どうぞ召し上がって下さい」
 瑞穂が勧めると孝臣はチャーハンから箸をつけた。先程よりもはっきりと目が大きくなる。若鶏、スープと一通り味を確かめたところで孝臣は瑞穂を褒め称えた。
「本当に美味しいね。高校生でこれだけのものを作れるなんて思わなかった。良臣はラッキーだな」
「そう言っていただけると嬉しいです」
 瑞穂は少し表情を緩めてお礼を言った。
 実はあまり深いことを考えて作ったメニューではなかった。元々今日の昼はチャーハンにしようと決めていた。それで全体的に中華風で揃えて終わりにすることにした。時間はあまりかけずに――というのは良臣と孝臣を長い間2人きりにさせておくのはあまりよくないように思ったからだ。
 良臣が兄に対して苛立っているのが短い時間で十分すぎるくらいに伝わってきた。どことなく喧嘩腰だったのも気になる。以前会った時に何かあったのだろうか。それとも男兄弟はあんなものなのだろうか。それなら余計なお世話かもしれない。ただ最悪の状態を予想したらいてもたってもいられなくなった。いつもより気が散漫していたから味付けは適当だ。それでも孝臣の口に合っていたならよかった。お世辞でも構わない。キッチンに再び現れた良臣の様子に疲れが見えた。一体どんな話をしていたのか。気になるけれど怖くて聞けない。立ち入る勇気もない。それなら孝臣の気が良臣から逸れればいい。
 瑞穂の願いは呆気なく叶った。孝臣は料理のことに関して瑞穂に幾つか話題を振り、良臣とはほとんど話をしなかった。食事が終わったところで孝臣は席を立った。
「食べてすぐっていうのは失礼だけどこの後約束があるんだ。今日はこの辺で帰らせてもらうよ」
 玄関まで見送った瑞穂と良臣に孝臣は柔らかい笑みを浮かべた。
「美味しい食事をありがとう。お礼はまたの機会にするよ。それから良臣、また来週な」
 前半は瑞穂に、後半は良臣に投げかけて孝臣は去って行った。玄関をロックした瑞穂が振り返れば良臣は壁にもたれかかって深いため息をついている。
「塩まいとけ、塩。ったく、ふざけんなよあの野郎。何が来週だ」
「なんか大変だったみたいだね」
「おう。とてつもなく。あいつ自分勝手だからな」
 そう言う良臣自身も結構自分勝手じゃないかと瑞穂は苦笑する。それに気づいた良臣は体を起こした。
「午後はスパルタで行くぞ。猛特訓してやるよ。泣こうがわめこうができるまで逃がさないから」
「ええっ!?」
 そんなの八つ当たりじゃない!と抗議しても良臣は聞く耳を持たない。そのまま良臣の部屋に引っ張り込まれて、夕飯の準備の為に瑞穂が解放された時には頭の中を数字や記号が渦巻いている状態だった。瑞穂が孝臣に対する苦手意識を強くしたのは言うまでもない。 
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