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 二人きりの朝食という物珍しさを味わうこともなく、瑞穂は昨夜の発言を後悔していた。
 どうしてあんな話をしてしまったんだろう。言わなくてもいいことまで口走ってしまったのは光二のメールにうんざりする回数が増えたからだ。だから誰かに聞いて欲しかった。そう思うのは仕方ない。でもせめて話す相手は茜あたりにしなければならなかったはずだ。それなのに、よりにもよって良臣に。相手を間違えるにも程がある。
 朝食はありきたりなメニュー。ご飯、味噌汁、卵焼き、アジの開き。魚はいいかとも考えたけれど良臣の食欲を思えば必要なメニューだった。ついでに瑞穂の謝罪の気持ちもこめたが良臣は気づいているのかいないのか。
 先に食べ終えた瑞穂は自分の片づけをする。それが済んだらなんとなくこの場に居づらくてキッチンを出て洗濯機のスイッチを押した。簡単に玄関を掃除していると食事を終えたらしい良臣がやってきた。
「おい」
「なに?」
「今日一日つきあえよ」
「え?」
 突然の誘いに瑞穂は顔を顰める。
 一体なんの話。つきあうってどこに。そもそもなんで私が。
 そんな瑞穂を見て良臣は面倒くさそうに頭を掻く。そして瑞穂を納得させるように言った。
「俺、来週誕生日なんだよ。その日は塾があるから今日前祝いにする。だからお前もつきあえ」
「え、誕生日っていつ?」
「17日」
 計算するまでもなかった。明後日だ。
 よくわからないままに瑞穂は頷いた。何も考えていなかったけれど、本人が前祝いをしたいというのなら、まあ。どうせ今日は一日塾がない。それなら、と瑞穂は出かける準備をする為に自分の部屋に向かった。



 良臣に指示されるまま電車に乗って辿り着いた場所に瑞穂は絶句した。
 目の前にどんと構える大きな門。これは以前テレビで見た記憶がある。そして、その柱に大きく書かれた文字。
「か、狩屋。ここ……?」
「そう。今日はオープンキャンパスじゃないけど、また違う雰囲気がわかっていいだろ。これもイメージ作りだ。ほら、行くぞ」
「え、ええっ!?」
 良臣はスタスタと歩き出してしまう。しかし瑞穂はいまだに看板から目が離せない。T大。確かにそう書いてある。日本の大学の中でも最高峰。全国から頭のいい学生が集まって、優秀な人材を社会に送っているあのT大。良臣の志望校とはいえ、まさかこんなところに連れてこられるとは思わなかった。
 場違いすぎる。
 怖じ気づいて立ち止まっている瑞穂に気づいた良臣は不機嫌顔で戻ってきた。
「なにやってんだ」
「だ、だって……こんなとこ気軽に入れないよ」
「馬鹿か。ちょっと中見て歩くだけだよ。校舎の中に入るわけじゃないんだからいちいち気にするな。大体学校ってのは開かれた場所だろうが。あー、もうぐずぐずすんな!」
 いっこうに歩こうとしない瑞穂に痺れを切らした良臣は瑞穂の手を乱暴に取った。ぐいぐい引っ張られて瑞穂は門を通ってしまう。
「うわ!」
 入っちゃったよ。
 妙な焦りと緊張で瑞穂はいてもたってもいられない。けれど瑞穂を引っ張る手の力は強く、逃げ出すこともできない。周囲の目も気になってキョロキョロと辺りを見回すとちらほらと人影が見える。いかにも大学生です、という雰囲気の人々は恐らくここの学生だろう。
「夏休みだからそんなに人はいないな。やっぱりオープンキャンパスの時は人を集めてたのか」
 一人納得したように呟く良臣は瑞穂が何も言わなくても気にした様子はない。
「あ、でも学食はやってるな。一通り回ったら帰りは食べてこうぜ。丁度昼時になりそうだし」
「ええっ!?いいよそんなのー。その辺のファミレスとかで済ませようよ。ファーストフードとかさ」
「そこまで我慢できるか。とにかく、まずは歩くぞ。せっかくだからお前もしっかり見とけよ。まずは東側からな」
「えー、ちょっと狩屋ってばー」
 お願いだから勘弁してちょうだい。
 情けない声を上げる瑞穂を無視して、それどころか愉快そうに引っ張って歩く良臣はなかなかに清々しい顔をしていた。



 一通り見学が済み、瑞穂が気づいた時には学食に連れ込まれていた。そこまできたらもう文句は言えず、瑞穂は適当に冷やし中華を注文する。良臣はつけ麺セットだった。人気の少ない席で向かい合って水を飲んだところで瑞穂はやっと少し落ち着いた。
「狩屋さー、これ一人で来ても良かったんじゃないの?」
「まあな。でも誕生日の代わりだって言ってんだろ。今日来なかったら一生来なかったかもな。感謝しろよ」
「なんなの、その理屈」
 別にT大に一生来なくても困ることはない。言い返したくなったけれどやめた。ここにいる人達に聞こえたら失礼だ。あの人達だって努力してここに入ったんだから。そう思って瑞穂は麺を食べることに集中する。良臣も食事を優先させたようで、しばらく2人は無言で食べていた。
 一段落したところで、良臣が口を開く。
「イメージって大事だと思わないか」
「あー最初なんか言ってたね」
「どんな学校なのかとか、そういう話じゃないぞ。そういうのを知るのは当然。それに加えて、来年の今、自分がここを歩いているイメージ。ここで飯を食ってるイメージ。つまり、ここの学生になってるイメージを作るんだよ。今やってることの先にあるものをしっかり考える。じゃないと受験勉強なんてやってられないよな」
 初めて聞く良臣の受験勉強への考えは瑞穂の中にすんなりと溶け込んでいく。
 受かりたい、で終わらないでその先を思い描くこと。来年の今頃、自分は何をしているだろうと瑞穂は考える。
 ちゃんとA大に受かっている?無事に最初の夏休みを迎えられている?サークルは?バイトは?――全くイメージが湧かない。ただ、オープンキャンパスで歩いたあの道を半袖の自分が進む姿。かろうじてそれだけは浮かべることができた。
 その為に今やるべきこと。こなさなければいけないこと。そんなのわかりきっている。でもついていけきれていないのも事実だ。それを悔しく思うし危機感も抱いている。光二のことでイライラしている場合じゃない。
「……ってまあ、これは親父の受け売りなんだけどな」
「狩屋のお父さん?」
 良臣が父親の話をするのは初めてだ。物珍しさに瑞穂は身を乗り出した。
「そう。身内がやってる会社とはいえ、一応専務だからな。何かをする時はそれがうまくいった時のイメージを最初から持つんだとさ。割とまともな意見だろ」
 良臣は苦笑しながら腰を上げる。瑞穂もそれにならい、2人で食堂を出た。門に向かって歩きながら、蝉の大合唱を聞く。時間帯のせいか辺りに人はいない。会話がないことも相まって蝉の声がいっそううるさく感じられる。
「……この後、どうするの?」
 良臣の父の話題を続けてはいけないような気がして、瑞穂は行き先を尋ねる。すると良臣は「そうだなあ」と間延びした声を出した。
「まあ、ついてこいよ。珍しいところに連れてってやるよ」
「珍しいところ?」
 首を傾げた瑞穂に良臣はもう答えなかった。
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