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 思ってもないことは言うものじゃない。瑞穂はほとんど身動きが取れない状態でそう思った。
 背後にいる良臣に髪を乾かしてもらうのはどうも居心地が悪い。ドライヤーを満足に使ったことのなさそうな良臣は案の定その扱いは上手いとは言えないものだったが、少しずつ慣れていく様子を見せた。今は瑞穂の髪も3分の2くらい乾いてきている。あと少しと自分に言い聞かせるものの、何度も髪に通される良臣の指が気になって仕方がない。必要な行為とはいえ、そもそも本気で良臣にこんなことをさせるつもりのなかった瑞穂としては非常に落ち着かない。
「なんか実際にやってみると」
 毛先の方を乾かしている良臣が普段より少し大きめの声で言った。ドライヤーの音がうるさいからだろう。
「全くもってこんなに長くすることの良さがわからないな」
「大体の人はそうだろうね。女の子だって我慢できないって子いるよ」
「俺もそっち。たまにやる分には珍しいことをしたと思えばいいけど、毎日なんて無理だろ。俺の集中力はこれには使えない」
「そうだろうね」
 良臣の発言に瑞穂は笑いながら同意した。おしゃれに気を遣う良臣はあまり想像できない。別に良臣が野暮ったいという意味じゃない。環境のおかげなのか良臣の服のセンスは割といい方だと思うし最低限の身だしなみには気をつけているようだ。ただ、流行の最先端を追いかけるようなことには興味がない。でも良臣は顔の作りだって悪くない。体のバランスも。だからそっちの分野で何かを頑張る必要は無いように思えた。
「なんか、昔お母さんにこうして髪乾かしてもらったこと思い出すなあ」
「俺はおばさんと同列かよ」
 なんとはなしに過去にも似たような体験があったことを瑞穂が懐かしめば良臣が不機嫌な声を返す。
「まさか。それにお母さんだって今はもうやってくれないよ」
「高校生なんだからそれくらい自分でやれ、とか言いそうだよな」
「そうそう」
 わかってるじゃないかと瑞穂は頷いた。
「おじさんとおばさんは、毎年こんなふうに旅行するのか?」
「うん。最低1回は。去年は2回くらいあったかな。その時は流石に1人じゃ危ないってことで茜の家に泊まったんだけどね」
 今年は良臣がいるからだろう。両親はそんな話を出してこなかったし、それなら瑞穂から言い出す必要はないと流れに任せてしまった。
「普通さ、年頃の男と女を二人きりにさせないだろ」
 良臣がドライヤーのスイッチを切る。そのまま渡されて、瑞穂はお礼を言って髪の仕上がりを確かめた。大丈夫だ。一通りしっかり乾いている。
 良臣は自分のいた場所には戻らず、そのままソファに肘をつき、瑞穂の右肩の上から顔を出す。
「うちの母さんも非常識だけどお前のところももう少し危機感持った方がいいんじゃないか?」
「ごもっともで。……でも、一応信用されてるんじゃないの?狩屋は大丈夫だって」
「何を基準に」
 良臣が軽く顔を顰める。
「そりゃあうちの両親基準で。反対に、何かあってもいいと思ってる可能性もあるけど」
「ああ?」
 良臣が今度は怪訝な声を上げる。それはそうだろう。瑞穂は苦笑した。
「うちはそういうのあまり言わないんだよね。好きにすればってタイプ」
「それでお前は好き勝手してきたと」
「してません!彼氏作るのはお好きにどうぞって雰囲気だけど、羽目を外すのはだめ。でも今は関係ないからいいけどね。そんな余裕もないし」
 誰かを好きになるとか、誰かとつきあうとか。憧れてみたり羨ましがったりするけれどこれという出会いもチャンスもない。幸い、今は受験に集中しなければいけない時期だからそんなことしてられないと突っぱねていればいい。少し寂しい気もするけれどそれどころではないのだから仕方ない。
 良臣はやや躊躇うようにしてから口を開いた。
「瑞穂。お前さ、2組のあいつとまだ続いてるんじゃないかって思ってるやつ、結構いるみたいだぞ」
「2組って、光二?なんで……」
 瑞穂は思いがけない情報提供に驚き、更にそれが良臣からもたらされたことに動揺した。まだ続いてる、ということは――――。
「狩屋、知ってたんだ。光二のこと」
「ちょっとした拍子にクラスの奴から聞いた。悪い」
「ううん。謝るようなことじゃないよ」
 隠していたつもりはない。けれど話したこともない。直接聞かれれば素直に答えただろう。うん、つきあってたよ、と。けれども周囲の目を通し回りに回った情報がどんなふうに良臣の耳に入ったのかを考えるとため息をつきたくなった。
「あのさ、狩屋が何を聞いたかわからないんだけど。光二とは1年の夏から秋の終わりまでつきあってたよ。5ヶ月くらいかな。でも、それ以降はただの友達。ちょっと前までは親友でもあったんんだけど、最近どうかな」
 最後は声が重くなってしまった。最近のメールのことを考えると少し気が重くなる。良臣が瑞穂のその変化に気づかないわけがなかった。
「どうかなって、その言い方だと別によりが戻りつつあるって話でもないんだろ」
「違う……けど。それもどうかな。最近ね、光二がやけに2人で会おうみたいな感じのメールを送ってくるの。前も、時々2人で出かけることはあったんだけど。なんか私の気が乗らなくて。球技大会の少し前から光二とはちょっと微妙だったんだけど。私がそれを引きずっちゃってるのかも」
 ソファの背に全体重をかける。上を見れば斜め右上に瑞穂を見下ろす良臣の顔。良臣は少し考えて、それから言いにくそうに口を開いた。
「向こうがよりを戻したがってるって可能性は?」
 率直に聞かれて瑞穂は額に手を当てた。
 それを聞かれるのは痛い。元々一定の距離を取るのに努力していた瑞穂と光二だ。最初から微妙な線の上に立っていた。けれど、球技大会前に友達として瑞穂との間にはっきりとした亀裂が入った。そこで瑞穂の気持ちは離れつつあった。けれど球技大会後、何かにつけて瑞穂と会おうとする光二に嫌な予感を抱いたのも事実。それを何と言えばいいのか。
「そういうのもあるかもしれないけど、わからない。大体ね、また光二とつきあうなんて有り得ないんだよ」
「言い切るんだな」
「うん。だって私が我慢できなくて光二を振ったんだから」
 瑞穂は勢いをつけてソファから立ち上がる。そして良臣を振り返った。
「光二は私にとって大事な友達ではあっても、つきあう人じゃなかった。彼氏じゃなかった。今も変わらない」
 良臣がソファに預けていた体重を戻す。背筋を伸ばした良臣の目に映るのは瑞穂の傷ついた顔だった。
 瑞穂はどうしていいのかわからなかった。終わった恋を良臣に話すのか?それで今、光二のメールに気を悪くしていることを強調するのか。――それは違う。良臣を頼るのは間違っている。
 これ以上は駄目だ。
「……ごめんね、こんな話。ドライヤーありがとう。おやすみ」
 瑞穂はドライヤーを持って良臣の横を通り過ぎる。良臣は何も言えずに、ただ瑞穂の背を視線で追うことしかできなかった。
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