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 珍しいところに連れてってやるよ。
 良臣がそう言って瑞穂を案内した場所は本当に珍しい場所だった。
 電車に乗って普段使わない駅に降りた。そのまま、近くにある大きなマンションに入ると良臣がカードを取り出した。それを使い、ボタンを幾つか押してマンションの中に入ったかと思えば広々とした綺麗なロビーが瑞穂を出迎えた。瑞穂が住んでいるマンションだってかなり綺麗だが、その比ではない。どこのホテルだと頭を抱えたくなるような作りだ。
「こっち」
 良臣に言われるままについていく。下手にはぐれたりしたら大変だ。
 エレベーターに乗り込んで着いた先は流石に最上階ではなかったがかなり高い場所だ。フロアは広いのに扉の数は少ない。見慣れない光景に瑞穂は不安を覚える。
 良臣が一つの扉の前で止まる。その扉を開けると瑞穂を手招きした。
「入れよ」
「えと、もしかして、ここが狩屋の……?」
「そう。俺の家。定期的に掃除は入っているはずだから」
 促されて瑞穂は中に入った。いきなりおしゃれなランプが目に入って動揺する。横を見ればこれまた高そうな花瓶がある。T大に入った時とは別の緊張感が瑞穂を包み込む。良臣に促されてリビングに通される。現在の倉橋家の倍はあるリビングに瑞穂は卒倒しそうになった。
「ひ、広い……」
「掃除が大変なだけだろ。まあ、転がり放題だけどな」
 好きなところに座れよと言われ、瑞穂は大きなソファの隅に恐る恐る腰を下ろした。これがまた座り心地がいい。
 会社の社長は良臣の祖父だったか。父親が専務だと聞いたのはついさっき。更に、この間会った母親の玲子は国内外を駆け回るジュエリーデザイナー。そんな家族を持つとこんな場所に住めるのか。
 良臣は人一人分空けて瑞穂の隣に座る。テーブルの上に置いたのは途中で買ってきたペットボトル。瑞穂の分を渡してから良臣は自分のものを一口飲んだ。
「昔は兄貴もここに住んでたんだけど今は一人暮らし。その後は俺と親父と母さんで住んでたけど、うちの両親はほとんど帰ってこないから。維持費ばかりかかって結構な無駄遣いだよな」
「忙しいんだね」
「それもある」
 それも――という言い方に他の理由の存在に感づいた瑞穂は反応に困ってペットボトルを開ける。買ったばかりのお茶はまだ冷たい。エアコンが効くのにまだ時間がかかりそうだから、しばらくは冷たいままでいて欲しいと願う。
「仲悪いんだよ、うちの親。滅多に会わないのに口を聞けば喧嘩ばっかり。最近はたまに顔を合わせても二人が話してるところなんか見たことない」
 瑞穂のペットボトルをいじる手が止まる。
 大変だね、と言うのはあまりに安直過ぎるだろうか。逆に良臣を傷つけないだろうか。不安になる。黙っていると瑞穂を見た良臣が呆れたように肩を竦めた。
「お前な、気を遣ってるつもりかもしれないけど、そんなわかりやすい顔するんだったらいっそ言った方がいいぞ」
「えっ」
 思い切り顔に出ていたのかと驚いて反射的に顔を手で包み込んだ。
「あー、ごめん。なんか知らない私が言うのは違うんじゃないかなって」
「そういうこと考えられるだけバカじゃないよな、お前」
「……狩屋は失礼だよね。言わなくていいことを」
「そうだよ。俺、いい子に育った覚えはないからな。と言うか、今のは誉めたつもりなんだけど」
「相変わらず上から目線だよね。仕方ないけどっ」
 軽く腹が立ってきた瑞穂はお茶をぐびっと飲み込む。それを良臣が「いい飲みっぷりだな」と茶化す。
 うん、こんな奴に同情なんかするもんか。
 半ば意地になりながら瑞穂は思う。
「俺もさ、両親に仲良くして欲しいとか思ってた可愛い頃もあったけど今は諦めてるな。その内離婚するかもしれないって思ってる。でもその方がいいかもしれないな。仕事面ではいい影響を与え合ってるみたいだけどその為に一緒にいたってしょうがないし」
「でも狩屋から見た2人と実際の2人が同じとは限らないよ」
 子どもが知らない親の一面なんてごまんとある。
 良臣の見方が本当に正しいかどうかはわからない。ただ、そうだとしたら寂しいし悲しい。今は淡々と話しているが、全く平気だとは瑞穂には思えなかった。それに、ここまでに何度も傷ついて寂しい思いをしてきた筈だ。両親が円満の瑞穂には想像もできない。それがどれだけ幸せなことかを突きつけられたようだった。
「お前の言うことも一理ある。でもまあ、どっちでもいいよ。俺、今はお前んちに預けられてるんだし。いちいち気にしたって仕方ない」
「それはそれで狩屋のおじさんとおばさんが寂しがるかも」
「どうだか」
 自分の知らないところで息子がこんなことを言っているなんて。けれども良臣は本当にどうでもいいように笑っている。両親のことについて深く考えるのを放棄してしまっているようにも見えて、瑞穂の心が揺れる。
「倉橋のおじさんもおばさんも、俺にはすごく新鮮だった。2人とお前の関係も。2人の俺への接し方も。しばらく俺には縁が無かったからさ。最初は戸惑ったけど慣れると楽しいし。お前の作る飯は美味いし。母さんにお前んちに行けって言われた時は何考えてんだって思ったけどな。今は良かったって思ってる。だから少しとはいえ、ここに戻ってくることを考えると気が滅入るな」
「え?」
 最後の意味が理解できなくて瑞穂は身を乗り出した。
 ここに戻る――少しの間?一体何の話なのか。初耳だ。
 すると良臣は頭の後ろで手を組んでソファに体重を掛けた。
「夏休みが終わったら1週間帰ってこいってさ。母さんがその間ここにいるらしくて。ついでに親父も何日かいるんだと。まあ、帰省ってやつ?」
「それ、聞いてない」
「今初めて言った。この間の三者面談の時にいきなり言われたんだ。母さんは大体いつも突然だからな。おばさんは多分知ってる。おじさんはどうかな。今度聞いてみるよ」
「そう……」
 ショックだった。良臣が知らない間に家に戻ることになっていたことも。それからこの話にショックを受けている自分自身にも。良臣の家はここだ。この家に戻ることに何の問題もない――と言いたいけれどつい先程両親の不仲を打ち明けられたばかりの瑞穂にはそうは思えなかった。
 でも、帰るなとは言えない。
 それは瑞穂が言うべきことではない。そんな権利はどこにもない。
「瑞穂」
 良臣に名前を呼ばれて瑞穂は顔を上げる。いつの間にか下を向いてしまっていた。良臣は膝の上に肘をついて瑞穂に視線を向けている。
「これでも俺、お前には感謝してるんだよ。毎日美味い飯食わせてもらってるし。勿論、おじさんとおばさんにはそれ以上に感謝してるけど」
「いきなりどうしたの」
 良臣らしからぬ発言に瑞穂は心配してしまう。どこか具合が悪いんだろうか。今日はなんだか普段しないような話もしているし。しかしそんな懸念はすぐに吹き飛んだ。
「だから俺としてはお前の勉強を何とかしてやりたいわけ。俺も受験生だから限界はある。でもそこまでは面倒見てやるよ。これは俺が俺に課した責任だ。A大現役合格、絶対にやりきるぞ」
「狩屋……」
 良臣の力強い言葉が瑞穂の胸に落ちていく。
 現時点ではまだ難しい目標だ。それなのに良臣にこうして言われると不可能ではないような気がしてくる。
「俺が引っ張ってやるよ。邪魔が入ったら一緒に蹴り倒してやる。だからお前もついてこい」
「……蹴り倒すわけ?私と狩屋が?」
「なんだったらお前はラケットで殴りかかるでもいいんだぞ」
「やだ。大事なラケットをそんなことに使わない。って言うか、狩屋だって自分の勉強があるのにそんなこと言っちゃっていいの?私が覚えの悪い生徒なの知ってるでしょ」
「見くびるなよ。俺も上がってくからな。これ以上差がでかくならないように努力するんだな。負けず嫌いのお前ならできるだろ?瑞穂」
 挑発的な瞳を向けられれば瑞穂の気持ちが膨れ上がる。
 ふざけたこと言わないでよ。そこまで言われて「できない」なんて言えるわけないじゃない。そうきたらとことんやってやる。どんどん力をつけてA大にも合格して、胸を張って「どう?」と笑ってみせるんだ。
「這ってでもついてくからね。途中で嫌だって言っても遅いから」
 瑞穂が高らかに宣言すると良臣は望むところだと笑った。
 良臣のマンションから帰る途中で瑞穂はふと気づく。
 良臣の誕生日の前祝いだというのにプレゼントをもらったのは瑞穂の方だった。それなら今夜の食事はめいっぱい腕を振るうしかない。
 そして実際にその夜、瑞穂は良臣が感動する程の量と質の食事を作ったのである。
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