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 2日間かけて行われた球技大会はただ一つの種目を覗いて全て3年5組が優勝を飾った。表彰式でクラスが異様な盛り上がりを見せて教頭にマイクで注意されたこともなんのその。お祭り騒ぎ上等と言わんばかりに壇上に上がる代表生徒に声援を送っていた。中でも一際声援が大きかったのは瑞穂が女子テニス3位で前に出た時だ。クラスメートが一斉に「みずほー!」と呼びかけたので呆気に取られた。でもすぐに手を振って応えると「ありがとう!お疲れ様!」の声が返ってきた。
 瑞穂の過去は知らないとはいえ、瑞穂に無理矢理テニスを押しつけたことを悪いと思っていたのは森本だけではなかったらしい。でも、壇上から見たクラスメートはこちらが笑いたくなるくらいのいい笑顔ばかりで。5組でよかったとつくづく思った。それから――元々の理由はどうあれ、やっぱりF学にきてよかった。そう思えた。



 帰りのHRはまだお祭り気分が続いていたけれど、放課後になるとそれも次第に薄れていった。5組には部活をやっている生徒が多い。球技大会が終わればそっちに気が行くのは当然で、最後の夏だと意気込んでそれぞれの活動場所に散り散りになった。
 瑞穂はそんなクラスメートを見送った後、家に帰るべくラケットを背にかけた。家に帰っても押し入れに片づけないでしばらく出しておこう。そう決めていた。
 残念ながら今日は塾の日だ。こんなに疲れた日は塾どころか夕飯の準備も億劫になる。なにしろ、普段の何倍もの運動をしたのだから。明日は絶対に筋肉痛だ。自信をもって言えるのが悲しい。
 廊下に出たところで、2組の前で壁に寄りかかっている光二を見つけた。最初からこっちの方を見ていた光二は手を挙げた。瑞穂も同じ動作を返す。球技大会前のやりとりを思い出して急に気まずく感じた。思えばあれからまともに話をしていない。どうしていいものか迷っていると、光二の方からやってきた。
「お疲れ様」
「そっちも」
「いや、俺は今日はずっと応援だったから」
 瑞穂の、と言われて少し気が重くなった。
 行こうと促されて頷く。廊下を歩きながら瑞穂は何を言おうか考えた。けれどもこんな時に限って何も浮かばない。今の光二は無言で歩いても平気な対象じゃない。それが更に気持ちを焦らせる。それなのに話題が見つからない。結局、話を振ったのは光二の方だった。
「瑞穂、すごかったな」
「……ありがとう」
「でも俺、ずっと心配だった。瑞穂が大丈夫って言っても信じてなかった。3位決定戦の時も途中で嫌なこと考えたよ。――ごめん。俺、余計なことばかりして」
「それを言うなら私だって。この間は言い過ぎた。ごめんね」
 ほとんど反射的に謝っていた。謝るならこのタイミングだ。そう思った。
 自分勝手な言い分だとわかっていた。でも、どうしても光二に深入りされたくなかった。光二に心配されればされる程、一番辛かったあの時期を思い出した。最後の大会で棄権負けし、別人のように変わってしまった瑞穂を見ていた周囲の目。それを心底嫌いながら耐えたあの日々。球技大会前の光二はあの頃を否が応でも彷彿とさせた。
 だから突き放した。
 それで正解だったと思う。でも光二を傷つけたのは事実だ。それをなかったことにできるほど無神経にはなれない。
「いや、俺が悪かったんだ。瑞穂はとっくに過去にしていたのに、俺はそれに気づけなかった。まだ大丈夫じゃないって勝手に思ってた。瑞穂がそれをよく思わないのは当然だから」
 違う。あの時はまだ大丈夫じゃなかった。内心びくびくしていた。
 でもそれは言えない。
 一つ大きな山を乗り越えられたのは嬉しい。けれど、それを事細かに説明するのは不自然な気がした。何より瑞穂が言いたくなかった。あの過去が自分の中のとても脆くて弱い部分、誰にも立ち入られたくないところであることにまだ変わりはない。それを話すくらいなら光二の勘違いを見逃すくらいなんてことはない。
「これでも高3だよ。光二は心配しすぎなんだって。私のことよりもっと自分のこと心配しなよ」
「そうだな。球技大会も終わったし。勝負の夏が始まるからな」
「そうそう。8月の予定、ほとんど塾で埋まっちゃった。スケジュール帳見てもうんざりするね。毎週模試があるし」
 塾の方から渡された夏季講習予定表は散々だった。必要な講座を幾つも取って、結果、塾に行かない日の方が少ないくらいだ。でも塾に引きこもるくらいの覚悟でやらないといけないこともわかっている。この夏が勝負だ。
 光二とはお互いの塾の話を少しだけして、スーパーの近くで別れた。本当は家の近くのスーパーに行くつもりだったのだが、光二とあまり長く一緒にいる気がしなかった。スーパーに入った瞬間、やっと肩の力が抜けた。そんな状況になっていたことに苦笑し、瑞穂は夕飯の材料を探すことに意識を切り替えた。



 塾からの帰り道、駅から出た瑞穂と良臣は並んで夜道を歩いて行く。
 昨日今日と慣れない運動をした身体は既にがたがたで、講義中も睡眠を欲していてどうしようもなかった。夕方帰ってすぐにシャワーで汗を流したけれど、今度はゆっくりお湯につかりたい。その思いで重い足を前に進める。
「あー、明日絶対筋肉痛だよ」
「これでもかってくらい動いてたよな、お前」
「だって動かなかったら相手のポイントになるでしょ」 
「そうだけどさ。それにしても、つくづく思った。お前頭で考えるより先に身体が動くんだよな。そりゃ、数学が苦手なはずだ」
 良臣の失礼な言いぐさにムッとする。
 そこまで言うことないじゃない。まるで考えて行動できない生物みたいだ。
「TAは普通だって。UBが壊滅的なだけで!」
 体育会系なのは関係ないもん、と抗議すると「壊滅的なのを主張するなよ」と呆れられる。その通りなだけに、言葉に詰まった。相手が茜ならともかく、良臣では何を言ったって勝てない。伊達に秀才と認められてるわけではないとよく知っているから。
「まあ、でも仕方ないかもな」
「え?」
「テニスしてるの、かっこよかった」
 思いがけない一言に瑞穂は「え?え?」と意味のない単語を繰り返した。
 日本語がわからない――なんてわけがない。腐っても日本人だ。でも良臣がかっこいいと思うようなことをしただろうか。むしろその逆で――良臣にまるでコーチのような一言を言わせてしまった。それなのに誉めてくれるのか、この男は。
 混乱している瑞穂の反応が気に入らなかったのだろう。良臣は軽く眉を顰めた。
「この俺が誉めてやってんのに、馬鹿っツラ引き下げてんじゃねーよ」
「うわ、なにその言い方!ひどくない!?」
 本当に口が悪いんだから。こいつは。
 瑞穂もムッとするが、すぐにその表情を消す。今の発言も重ねて考えると、やっぱり良臣は誉めてくれたらしい。
「私、前半ずたぼろだったよ?一方的に負けてた。狩屋が見かねて口出しするくらいに酷かったのに」
 試合に勝てたことは嬉しい。野島紗枝との一戦は瑞穂にとってとても特別なものになった。5組のみんなが「よくやった」と声をかけてくれるのも嬉しい。でもやっぱり良臣に言われるのは――変な感じがする。
「まあ、確かに最初はそうだったけど。その後の切り替えがすごかったよな。お前がテニス強かったってのも見ててわかった。一生懸命やってたんだろうなってのも。球技大会なんて所詮お遊び大会だよ。でもお前と野島のは違ってたな。気づいたら真面目に見てた」
 興味なかったんだけどな。
 さり気なく酷いことを言われているような気がする。でも全く悪気がないからか、嫌な感じは受けなかった。それよりも良臣が真剣に自分達の試合を見たということを意外に思った。
「狩屋には感謝してるの。ちょっと昔の嫌なこと一気に思い出して暗くなってたから。現実に引き戻してくれて助かった」
「感謝しろよ」
「感謝してるってば。何回言わせたら気が済むの」
「何度でも。ま、でもそれならまた今度上手い飯期待してるから」
「はいはい」
 憎らしいくらい偉そうな態度だけれどもう腹は立たない。逆に意外なわかりやすさが面白いとも思う。
 今度は何を作ろうか――頭の中でメニューを巡らせ始めたところで、良臣が「とりあえず」とカバンからコンビニの袋を出した。いつも待ち合わせているコンビニの袋だ。それを目の前に差し出される。
「なに?」
「やるよ。今日のところは瑞穂の方が疲れてるだろうし。頑張ったから。褒美だ、褒美」
「ん、ありがと」
 良臣が物をくれる不気味さにほんの少し警戒しながら袋を受け取る。中に入っていたのはコンビニスイーツだった。トロピカルフルーツの乗ったプリンが食べてと言わんばかりに顔を覗かせている。
 ありがとう、ともう一度声が出たのは自然の流れだった。
 良臣が瑞穂の頑張りを認めて、労いにデザートをくれるなんて。
 なんだかんだいってすごくいい一日だったと思う。
 きっと、この日のことは大人になっても忘れない。予感ではなく確信だった。  
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