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「あ、ヤマトナデシコだ」
「は?」
 クラスメートが呟いた一言があまりに意味がわからなかったので、良臣はうっかり間の抜けた声を出してしまった。わからない問題があるから教えて欲しいとやってきたクラスメートの石原に放課後の時間を少し使って解説をし、解決したので丁度教室を出ようとした時のことだった。
「ほら、廊下に」
 指で示す石原の視線を追って廊下に目を向けると、2組の廊下のところに一組の男女がいた。
 他でもない倉橋瑞穂と――時々一緒にいるあの男、名前は思い出せないが、体育は同じクラスで、背の順でも場所が近い。
 ――誰がヤマトナデシコだって?
 まさか瑞穂のことじゃないよな。
 他に誰かいたか?と辺りを見回しても、廊下にはあいつら以外の姿はなかった。何やら深刻な顔で話をしている。二人の距離は大分近い。声の響く廊下にいるのに、何を話しているかはっきり聞こえないのは、わざわざ気を使っているからだろう。
 人に聞かれたくない話なら他のところですればいいのに。
「狩屋は知らない?ヤマトナデシコ」
 石原に尋ねられ、良臣は隣で廊下の二人を窺っているクラスメートの存在を思い出した。
「ヤマトナデシコって……倉橋さんのこと?」
 まさか、と思いつつも聞いてみる。
 石原は「何だ、知ってるじゃん」と然程驚かずに言った。
「倉橋さん、黒髪ですっごい長いじゃん。最近また伸びたかな、うわ、腰まであるよ。結構静かなタイプだし、洋風よりは和風って感じだからヤマトナデシコって呼ばれてるんだよ」
「……それは知らなかったな」
 静かなタイプ?そうでもないぞ。
 学校ではそれなりに猫被ってる俺が言えたことじゃないかもしれないが。
 でも黙ってりゃ和風ってのはその通りかもな。腰まである黒髪ストレートは普段学校では縛ってるけど、家だと結構おろしていて、あの姿を見ればわからないでもない。あくまで喋らなければ、だが。
「狩屋はあんまよそのクラスのこと興味ないみたいだしね」
「まあな」
「それにしてはヤマトナデシコのこと知ってるんだ」
「家が近所なんだよ」
「へえ」
 じゃあ、と石原が面白そうに笑う。
「狩屋なら噂の真相、知ってるのかな」
「噂?」
 何だよ、それ。
 瑞穂に関する?
「ヤマトナデシコ、2組の中西とよく一緒にいるじゃん。昔付き合ってたけど、一度別れたんだってさ。本人達も周りもその後はずっと友達付き合いだって言ってるけど、付き合ってた頃より別れた後の方が親密な雰囲気なんだよな。だから、本当は今も付き合ってるんじゃないかって。中西はヤマトナデシコと別れた後、他の彼女がいたこともあったみたいだけど、今はフリーだし。ヤマトナデシコの方もそれっぽい話はないらしいし。どう?家の近くとか、二人が歩いてるとことか見かけない?」
「いや、俺は見ないけど」
 そうだ、あいつの名前、中西だ。
 ちょっと前、二人がやけに深い仲のようだと思ったことがある。付き合っているんだろうかとも考えた。
 でも、あれが元カレ元カノ――?
 それにしてはやけに「ぽく」見える。破局した二人だと考えるには、あまりに不自然過ぎた。普通、別れた男と女っていうのは、もっとこう――。
 光二と話している瑞穂は浮かない顔をしている。
 ここ最近、瑞穂は何やら沈んでいる様子だった。塾の帰りや夜食の時もどこか上の空だし、ここ3日はわからない問題があると持ってきた記憶はない。
 何かあったのだろうかと思ったが、その原因が自分ではないだろうということだけ見当をつけて、だったら自分が口出しすることではないだろうと傍観している状態だ。
 頭に、宏樹達の声が蘇る。
『光二に任せるか』
『こういう時は光二に任せるしかないよね……うちらも』
 昔の男に?
 いや、本当に別れているのかいないのか。
 どちらにせよ、仲間から相当あてにされてるんだろう?あの男は。
 瑞穂は両手を動かしながら中西に笑顔を向けて何か言っていた。
「俺、帰るよ。狩屋は?」
 石原に声を掛けられる。
 視界から二人の姿を消した。
「俺も帰る。塾の宿題、ちょっとわかんないとこあるから」
「狩屋が解けないなら皆安心だよな。あ、俺解けなくてもいいんだ、ってさ」
 笑いながら歩く石原に歩調を合わせて廊下に出る。
「皆出来てるのに俺だけ出来なかったらかなり問題だぞ」
「それはないって」
 よくあるような会話をしながら、その場から立ち去った。



 一週間の終わり、金曜日。
 授業も終わって、後は塾に行くだけで今週も終わり――そんな時に光二が瑞穂に声をかけてきた。
『瑞穂、球技大会でテニスになったって、大丈夫なのか?』
 茜から聞いたんだ、と言う光二の顔を見て、本当に心配させてしまったな、と反省した。
 光二に言ったのは同じようなことばかり。
『決まっちゃったものはしょうがない』
『あれから3年経ってるから大丈夫じゃない?勝たなくていいって言われてるし、参加するだけだから』
『もっとも、私の方が打ち方忘れちゃってるかもしれないけど』
『光二がそんなに心配しないでよ』
『急に決まったからちょっとびっくりしてるだけ。もう少しすればいつも通りになるから』
 それは、この四日間、ずっと自分に言い聞かせてきたこと。
 もう大丈夫。
 大丈夫だから。
 別に頑張らなくてもいい。
 勝たなくてもいい。
 だから――――。
 瑞穂は収納の一番奥にしまっていたラケットを出し、ケースから取り出した。
 青と白がベースのフレームがお気に入りだったラケットは、ガットも随分と緩くなっていた。
 グリップを握ると、あの夏を思い出す。
 怖くなって、咄嗟に手を離した。
 ラケットと一緒にしまってあったシューズをシューズバッグから出せば、やはり思い出すコート。
 いつまでも、逃げてはいられない。
 一ヵ月後には、例え一試合でも、どんなに強い相手でも弱い相手でも、テニスをしなければならないんだから。



 土曜日の朝、今日も仕事に行ってしまった母志帆のいない食卓で、瑞穂と良臣は共に朝食を取っていた。
 静かな食事風景だったが、先に食べ終わった良臣が「お前さあ」と湯のみを置きながら言った。最後にサラダを片付けようとしていた瑞穂は「何?」と言ってキャベツを口に押し込んだ。
「この間聞いたんだけど、ヤマトナデシコって呼ばれてるんだって?」
 似合わないよな。
 良臣の言葉に瑞穂は明らかに不機嫌な顔になった。サラダを咀嚼して飲み込むまで無言だったが、お茶で口の中のものを胃に流し込んだ瑞穂はカタンと音を立てて湯のみを置いた。
「やめてよ、それ。一部の人達が勝手にそう言ってるだけじゃん」
 しかも絶対に本人には言ってこない。
 外見だけでそういうイメージをつけられるのは嫌いだ。
 ヤマトナデシコ?髪が黒くて長いだけで?何て安直なネーミング。
「誰が言い出したのか知らないけどね、私、そう言われるのホント嫌いなんだから」
 瑞穂は「ごちそうさまでした」と言うと空になった食器を良臣の分も重ねて流し台に持っていった。蛇口を捻り、スポンジと洗剤を持って食器を洗い始める。その後姿が明らかに怒っているものだったから、良臣は小さく吹き出した。
「そうだな、お前らしくないもんな」
 やっぱり中西とのことは聞けない。昨日から少し気になっていたけれど、瑞穂にしては活気が足りないように思えるから。
 いつか聞くことになるのかもしれないけど、今はまだ。
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