人災はある日突然やってくる

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  甘くない  

「でさ、シローがインタビューに答えてる間、リンジがずっとカメラ目線でさー。すっごくかっこいいの!手振ったりウインクしたり!あたし番組終わってからそこだけ20回くらいビデオで見直してさぁ!」
「ちょっと莉奈ー、いくらなんでも見すぎだってー。もー、ホントどんだけ好きなんだよ」
「そんなの、リンジにだったら全財産つぎ込んでもいいくらい愛してる!」
「うわー。リンジ破産だけはやめてね。あたし絶対助けてあげないから」
「リンジ破産……それもいい響きかも」
「やめてよっ」
 休み時間、莉奈の好きなバンドの話で盛り上がる。昨夜、彼らが音楽番組に出て、莉奈はものすごくテンションが上がったらしい。番組が終わるや否や真衣に送られてきたメールには『やばい。リンジかっこよすぎて死にそう』の一言が書かれていた。真衣はテレビを見ていなかったから、何がどうなって莉奈が死にそうなくらい興奮しているのかわからなかったけれど。
「いや、今度DVD貸すからさ。真衣もちゃんと見なさいって。あれを見ない人生なんて豚肉の入ってない豚汁くらい意味ないって」
「それ、豚汁じゃないじゃん」
「とにかく、あんたもリンジの最っ高にかっこいい姿を拝め!」
 拝むって、リンジは神様ですか。あたしは別にあのバンドが好きってわけじゃないんだけど。そりゃ、莉奈が好きだから雑誌とかはチェックしてるし、切り抜きとかも譲ってるんだけど。それにしても拝むってすごい言葉だな。
「拝むってなに?何かの宗教?」
「お、秋田君」
「いや、怪しい話してる人たちがいるなあと思って」
 ひょいと現れたのは秋田君だった。後ろには窪田君。
 あ、どうしよう。少し戸惑う。困ったけれど昨日までとは違って嫌な気持ちにはならなかった。そもそも学校にいて憂鬱じゃない日は久しぶり。すっきりしたとまではいかないけれど、胸の中にわだかまってたもやもやは随分軽くなった。それもこれも秋田君のおかげだ。
「怪しくないって!オメガの話してたの。もうねー、昨日のテレビがサイコーで!」
「オメガってロックの?」
「ああ歌手か」
 莉奈の反論に、窪田君と秋田君が顔を見合わせる。そう、そのオメガ。バンド名はちゃんと記号でΩって書かないと莉奈は怒るから要注意。
「莉奈はねー、オメガのヴォーカルに夢中なの」
「その人を崇拝してるって話?」
「崇拝って秋田君!なんかの宗教じゃないんだし!」
「そう?ライブって結構宗教っぽくない?この間テレビで見たやつすごかったよ。なんか異世界だった」
「異世界!ちょっ……!秋田君サイコ―!」
 なんて的確な表現。さすが秋田君。笑いを堪えきれなくて秋田君の背中をバンバンと叩く。あ、無駄な肉がない。これ言ったらセクハラになっちゃうかな?
「サイコーじゃないよ真衣。秋田君、どこのバンドのライブ見たか知らないけどさー。オメガ聴いたらばかにできないよー」
「そうなの?近藤さんも信者になった?」
 笑顔で尋ねてくる秋田君に「まさか」と笑いながら答える。
「歌は結構いいと思うよ。でもあたし、お気にのバンドあるもん」
「へえ。どこ?」
「オメガよりは有名だと思うよ。あのね、」
「NEXT」
 あたしが言うよりも先にそのバンド名を告げる声。胸がトクンと跳ねる。秋田君の隣に目を動かすと、久々に窪田君と視線が合った。
「NEXTが好きだって言ってたよな」
 確認するようにもう一度言われて、緊張しながら頷いた。
「うん。覚えてた?」
「前に、すげーハイテンションで語ってたから」
「あーわかる。真衣ってNEXTのことになると一気にテンション上がるよね」
「莉奈ほどじゃないって」
「うっそー。あたしも真衣も変わんないって。くぼっち、真衣のNEXTトークに巻き込まれたんだー。真衣止まらないからさー。大変じゃなかった?」
 莉奈だってオメガのことになると止まらないくせに。自分は蚊帳の外なんだから。にやにやしている顔はどことなくタチが悪い。
「そんなことないよ。ね?窪田君」
 莉奈に同意なんかしないでよね。牽制をこめて尋ねると、窪田君はへらっと笑った。
「おう。俺は楽しかった」
 あ。やばい。ドキドキする。
 窪田君。反則だって、それ。
 楽しかったとか言われたらさ。恥ずかしいって言うか嬉しいって言うか。
 何を言っていいかわからなくなる。どうしよう。
「そうだね。近藤さんと話すのって楽しいよね。ねえ?近藤さん?」
「え?う、うん……って、あれ?何であたし?」
「そうだよ秋田くーん。そこは真衣以外に聞くのがフツーじゃないの?」
「ん。そうだね」
 あたしと話すのが楽しいってことをどうしてあたしに尋ねるのか。
 それよりも、今のは何かちょっと違ったような。すごく含みがあった気がする。昨日のことかな。それくらいしか思いつかないし。秋田君はそれを人前で言うような人じゃないって思ってるけど。大丈夫だよね?視線で尋ねると、秋田君はにこにこと笑いながら視線だけで応えてくれたような気がした。けれど、視界に入った窪田君から怒っているような空気を感じて思わず息を飲んだ。
 何で?どうして?
 窪田君の視線は壁の方に向けられていて、その感情が誰に対して起こったものなのかわからない。
 よくわからないけど。でも、どうしよう。
 掛けるべき言葉を探している内に、チャイムが鳴る。秋田が真衣と莉奈に向かって「じゃあね」と断っている間に窪田はさっさと背を向けて自分の席に戻ってしまった。


 一時間目が終わる。礼をしてすぐに座らず、斜め後方に視線を配る。教室の左隅の席に座っている窪田君はまだ不機嫌な顔をしていて、うわ、と思わず声に出してしまう。
 もしかして、授業中もずっとあんな感じだった?
 真衣も気になって気になって仕方なかったけれど、理由もなく後ろを向くことができなくて確かめることができずにいた。けれど、気づかなくて良かったかもしれない。これじゃ心臓に悪い。
 誰に怒っていたのか――その疑問の答えは今わかった。秋田君だ。理由はわからないけど、窪田君は秋田君に対して怒ってる。授業が終わったら必ず一言二言は交わすのに、今は秋田君の方を見ようともしない。席を動く気配もない。
 秋田君は……とその姿を探すと、浅間さんのところにいた。浅間さんの机の前は今やすっかり秋田君の定位置と化している。
 真衣はその二人の間に割り込んだ。邪魔してごめん、という気持ちは今はない。
「ねえ、秋田君」
「なに?近藤さん」
「どうしたの?真衣ちゃん」
 突然の介入にも関らず、二人は全く動じない。この安定感は何なんだろう。まるで長年連れ添った夫婦のような。いや、今はそれよりも。
「ねえ、何で窪田君怒ってるの?」
 声を潜めて尋ねると、秋田君はにこっと笑って、浅間さんはそんな秋田君を怪訝な目で見た。
「何したの」
「どうして俺が何かしたっていう考えになるのかな」
「実際何かしたんでしょ。そういう顔してるもの」
「うん、ちょっとね」
 浅間さんが何もかも見透かしたように言うと秋田君はあっさり肯定した。なんだろう。今、ちょっと浅間さんが怖いと思った。秋田君、笑ってただけなんだけど。いつもと同じ顔だったよ?
「でも大丈夫。支障はないから。寧ろ布石?」
「は?何?どういうこと?」
 秋田君が言ってることがわからない。支障?大いにあるでしょ。窪田君と一番仲がいいのは秋田君でしょ。それとも何?秋田君は浅間さんがいればいいの?友情より恋愛?どっちも違うレベルで大事なものだと思うんだけど!
「大丈夫だよ、近藤さん。今日中……は無理かもしれないけど、長引かせないようにするから。それにカズは俺が気に入らないだけだから近藤さんが心配することないよ」
「でもさあ。何でさっきの流れで窪田君が怒るのかよくわかんないんだけど」
「うーん、それはカズの機嫌が直ったら教えてあげるよ。だから近藤さんは心配しないで」
「……ほんとに大丈夫?」
「うん」
「秋田君が何とかしてくれるの?」
「それはどうだろう?でも大丈夫だから」
 そうは言われても。根拠のない「大丈夫」ほど信用できないものはないと思う。それが顔に出ていたんだろうか、浅間さんが苦笑した。
「その顔がうさんくさいよね」
「どこがうさんくさいって?」
「んー、全部?」
「酷いな」
「だって本当のことでしょ」
 内容はどこか殺伐としてるのに、二人の間に刺々しい空気はない。浅間さんは言葉の割に非難しているような顔ではないし――むしろ流しているような気がする――秋田君は相変わらずにこにこしている。二人にとってはなんでもないありふれたやりとりなんだ。なんかこういうのって。
「夫婦っぽいよね」
「は?」
 ぽろっと零れた言葉に振り返った二人は目を丸くしていた。特に浅間さんはすごかった。あれ?なんか固まってる?秋田君の驚いた顔も珍しいな。
「いや、すごく仲がいいなと思って」
 ストレートに伝えると、浅間さんが机に沈んだ。なんか今、鈍い音がしたような。頭大丈夫なのかな。ちょっと心配になってしまう。
「真衣ちゃーん……。あー、もういいや。とにかく、うさんくさいから信じられなくれもしょうがないと思うんだけど。ちょっと、秋田君に任せてみてよ」
 ね?と視線を送られる。
「浅間さんがそう言うなら」
 ちょっと時間が欲しいって言ってるだけだし。それに、原因はやっぱり秋田君みたいだし。他でもない秋田君がそう言ってるんだから。秋田君が自分で何とかするのが筋だよね。
「ただ、ずっとあのままでいられるのは嫌なんだけど」
 チラッと窪田君を窺うと、どうやら席からずっと動いていなかったらしく机にうつ伏せている。ピリピリした空気はまだ消えていない。他のみんなにもわかっているのか、窪田君の周りから人がいなくなってぽっかりと異様な空間ができあがってしまっている。
 せっかく勇気を出してちょっとずつ距離を元に戻していこうと思ったのに、これじゃ近づけもしない。
「OK。出来る限り今日明日中に何とかできるように頑張るよ。迷惑かけるけどごめんね、近藤さん」
「わっ」
 謝ってくる秋田君の顔が近くて思わず後ろに下がった。何でそんなに近いのよ。机に太ももをぶつけちゃったじゃない。痛いところをさすっていると「大丈夫?」と浅間さんが心配してくれる。
「だいじょーぶだいじょーぶ。音が大きかっただけ。じゃ、秋田君、よろしくね」
 頼むよと手を挙げると秋田君は笑顔で手を挙げた。それを確認して莉奈のところに行く。だから二人のやりとりがあたしの耳に入ることなんて当然なく。


「秋田君、やりすぎ」
 真衣が莉奈と話しているのを横目で見ながら、梢はポツリと呟いた。秋田はいつもの笑みを浮かべながら僅かに目を細める。
「ん?でも、早く片付けて欲しいってリクエストされちゃったからさ」
「やりすぎて愛想つかされても知らないよ」
「浅間さんに?」
 その返しを予想していなかった梢は一瞬言葉に詰まり、不機嫌そうにため息をついた。
「真衣ちゃんと窪田君に決まってるでしょ。何で私が出てくるの」
「真っ先に愛想つかしそう」
「言えてる」
 不本意ながら梢が納得すると、秋田はあははと声を立てて笑った。
「大丈夫。愛想をつかされないように頑張るよ」
 梢は秋田を見上げて口元に小さく笑みを浮かべた。
「自信あるんだ?」
「もちろん。これでも友達だからね。浅間さんは騙されたと思って俺に任せてくれればいいから」
 笑顔で答えた秋田に、梢は目を細める。
「元々そのつもりだよ」


 その頃、あたしは莉奈といつものように喋っていたけれど頭の中では「秋田君、もう本当に頼むから!」ってことしか考えていなくて。
 まさかこれ以上大変な展開が待っているとは夢にも思わなかったのだ。
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