人災はある日突然やってくる

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  蝶番  

 それからも、窪田君はあたしに話しかけてきた。相変わらずストレートに「何か怒ってる?」と聞いてくることもあれば、ただただ積極的に話題を振ってくる時もあった。あたしはそのどちらも軽く流してしまっていたけれど。
 しかし、四、五日しても彼の態度が変わらないのを見て、真衣の気持ちの揺れが大きくなっていった。
 窪田君がこんなに粘るとは思ってなかった。
 席替えもしたし、毎日真衣に話さなくなってもおかしくないのに、席替え後も彼に話しかけられなかったことはない。
 あたしだって、できれば前のように話せるようになりたい。
 でも、どうしてもあの一言が引っかかってしまう。
 どうすればいいの?
 悩んだ真衣は、机に伏しながら教室を眺めた。
 教室の隅で話し込む窪田君と秋田君の姿を見て切なくなる。
 あたしも、ちょっと前まではあんなふうに話せてたのに。
 ……あ、でもそれはちょっと言い過ぎかも。窪田君と一番仲のいい秋田君とあたしが同じはずないか。……いいなあ、秋田君。
 あ……そうだ。
 秋田君なら、窪田君のこともよく知っているはずだ。
 秋田君は窪田君に負けないくらい優しい人だ。人の悪口は言わないし、いい人だし、彼なら信用できる。真衣が相談を持ちかけても、外の漏らしたりはしないと思う。
 本人に聞く勇気はない。
 だったら。


 秋田君に声をかける隙を窺っていたら、放課後になってしまった。
 しかし、秋田君が一人になる気配は全くない。
 今秋田君と一緒にいるのは浅間さん。正確に言うと、自分の席で宿題をしている浅間さんのところに秋田君が寄っていって話しかけている。何を話しているのかはわからない。ただ、時々部分的に単語だけが耳に入ってくる。多分、最近話題のドラマの話だと思う。それならちょっと秋田君を借りても問題ないような気がするけど、こんな時に限って浅間さんも楽しそうに話をしているからそこに割り込むのに戸惑ってしまう。
 そんなふうに躊躇っていたら、かれこれ三十分が経過していた。教室に残っている顔ぶれも少し減った。真衣が珍しく教室に居残りする為の理由にした生物の観察レポートも完成してしまった。なのに、二人の会話はまだ続いている。
 この辺が限界だと思った。
 秋田君、浅間さん、ごめん。
 心の中で謝りながら椅子をひいた。そして、二人のところに近づいていく。
「お話中ごめんね。秋田君、今、ちょっといい?」
 二人の邪魔をしたというのに、秋田君はにこっと笑って微かに首を傾げた。
「うん、何か用?」
「うん。だめかな?」
 いつも通りいい笑顔だけれど、その裏には鬱陶しい気持ちもあるのかもしれない。いや、絶対にあると思う。逆の立場だったら、真衣だってそう思う。
 でも今日だけは許して欲しい。
 手を合わせてお願いすると、秋田君が目を細めた。
「いいよ。じゃあ、ちょっと行ってくるから」
 秋田君が浅間さんに断りを入れる。
 ……って秋田君、あたしはまだ場所を変えたいなんて言ってないのにどうしてわかったの?
 あたしが軽く驚いているのにお構いなしに浅間さんはシャーペンを動かしながら毒を吐く。
「いちいち断る必要ないでしょ。帰ってこないでいいから。うん、是非ともそうして」
「つれないな」
「何言ってんの」
 あー、もう、この二人って。
 うん、なんかよくわからないけどいい。
 秋田君を一蹴した浅間さんだったけど、思い出したように顔を上げる。
「あ、そうだ。この時間なら第二自習室が空いてるはずだよ」
「うん、わかった。それじゃ行こうか、近藤さん」
「じゃあ浅間さん、秋田君借りるね」
 一言謝っておかないと。
 そうしたら、浅間さんは苦笑して手を止める。
「私に所有権はないから、どうぞご自由に」
 
 
 第二自習室は浅間さんの言うとおり本当に誰もいなかった。第一自習室の方が広いし綺麗だし空調も整っているとあって、こちらはどうも人気がないらしい。
「ごめんね、邪魔しちゃって」
 机に軽く寄りかかった秋田君にもう一度手を合わせて謝る。
「そんなことないよ。今頃、浅間さんは喜んでるだろうし」
「……ほんと、仲いいんだね」
 内容はちょっとどうかと思うのに、目の前の秋田君は寂しさの欠片も見せない。それどころか、なんだか楽しそうだ。
 窪田君が秋田君にマゾっぽいと言っていたのを思い出す。
 この間の時点で同意してたけど、今の発言でますますそうなんじゃないかと思うようになっちゃったよ。
 あたしの複雑な視線に気づかないのか、秋田君は笑顔を崩さない。視線を地面に落としていた秋田君がまっすぐにあたしを見る。
「どうかな。それを言うなら、ちょっと前までの近藤さんとカズの方が仲が良かったと思うけどね」
 図星を指されて驚いた。
 顔が固まっているのがわかる。秋田君は相変わらずにこにこしてるのに。
「話って、カズのことだよね」
「なんでわかるの?」
「近藤さんが俺に用があるとしたら、それくらいしか思いつかないよ。それに、浅間さんだってそう思ったから、他の人に話を聞かれないようにここを教えてくれたんだ」
「……浅間さんが?」
「うん。浅間さんは、よく見てる人だから」
 この部屋が空いてるって、そういう意味だったの?
 しかも、浅間さんにもばれてたってこと?
 て言うか、秋田君と浅間さんってどうなってるの?ひょっとしてエスパーだったりする?それともあたしの行動がわかりやすすぎた?他にも気づいてる人がいっぱいいたりするの?
「ちょっと複雑」
「大丈夫だよ、俺はカズと仲がいいから気づいただけだし、浅間さんは人よりそういうのが得意なだけだから。気にしなくていいと思うよ」
「あー、そう……」
 なんかよくわからないけど、わかった。
 秋田君って意外と鋭い。どうやら浅間さんも。意外な人に気持ちを知られていて動揺したけど、浅間さんは口が堅いタイプだからもういいやと思うことにする。
「……なんか意外にすごい人なんだ、浅間さんって」
「うん。でも、あまりそれ言わないでね。皆には知られたくないんだ」
 秋田君のこの言い方は、もしかしなくても。
「独占欲?」
「かもね」
 冗談半分で言ったのに、あまりにすんなり認められて息を飲んだ。
 どうして秋田君は躊躇いもなくこういうことを言えるんだろう。
 どうしてそんなに素直でいられるんだろう。
 羨ましい。
「近藤さんにも、あるんじゃないかな」
「何が?」
「独占欲」
 秋田君は意味有りげな視線を送ってくる。
「カズが近藤さんにだけ見せる面を、誰にも知られたくない。自分だけのものにしていたい。他の誰にも見せないで欲しい。そういう気持ち」
 独占欲。
 そんなの考えたこともなかったけれど。
 ないと言ったら嘘になる。
 優しい窪田君が好き。でも、他の子にも優しくしてるところを見るのはあまり好きじゃない。
 他の子に優しくしないで。
 あたし以外の子とそんなに仲良くしないで。
 彼女でもないのに、そう思うこともあった。
 でも、それはいけない感情じゃない。
 だってあたしは窪田君のことが好きだもの。
 だから。
「あのね、秋田君」
「なに?」
「あたし、この間、窪田君と秋田君が話してるとこ、聞いちゃったの」
「俺とカズの?……ああ、あの時かな」
 半月くらい前のことだけれど、秋田君はすぐに思い出したらしい。隠すつもりはないみたいだ。
「あたし、窪田君のことが好き。だから、あんなふうに言われてショックだった。好きじゃないなら優しくしないでよって思った。苦しく、なっちゃったんだ」
 好き、の一言は自分でも意外なくらいスッと言えた。相手が秋田君だったからかもしれない。
 秋田君がストレートに物を言う人だから、あたしも自分の気持ちをストレートに出すことに抵抗を感じなかった。
 秋田君は「うん」と頷いた。
 最初からわかっていたよ、と言わんばかりの態度がちょっと恨めしい。
 当の秋田君は、そんなあたしの気持ちはどうでもいいらしく、あたしが二人の会話を聞いたっていう事実を知って大体の事情を理解したようだ。
「それで、最近おかしかったんだ」
「……うん」
「あんなところであんな話をしてた俺達が悪かった」
 ごめん、と秋田君が頭を下げる。
 確かにあの言葉を聞くきっかけを作ったのは秋田君だったけど、悪いのは秋田君じゃない。
 でも、彼がそんなふうに感じているなら、答えてくれるかもしれない。
「一つ、秋田君の意見を聞きたくて」
「なに?」
「あたしが窪田君のこと避けてるの、窪田君、気にしてるみたいだった。それって、ちょっとは特別って思っても、いいのかな。それとも、誰に対してもそうなの?あたしじゃなくても同じ?」
 それが聞きたくて、彼を呼び出した。
 少しでも悪いと思ってるなら本当のことを教えて欲しい。
 秋田君は少し考えてから口を開いた。
「俺はカズじゃないから、憶測で物を言うのはやめておくよ。カズの気持ちはカズにしかわからないからね」
「……そっか」
 やっぱり甘くはなかったか。
 いくら秋田君でも、そう簡単に教えてくれないよね。秋田君にとって窪田君は親友で、あたしはただのクラスメート。だからこの態度は間違ってない。
 ただ、あたしはがっかりせずにはいられなかった。こうなったら、本人に聞くしか答えを知る方法はないんだろうか。
 気を落としていると、秋田君が名前を呼んだ。顔を上げると、秋田君はまたにこにこ笑っている。
「でも、俺が言えることもあるよ。カズはどうでもいい人のことなんて気にしたりしない。カズの中の近藤さんの位置はわからないけど、ただのクラスメートじゃないことは確かだと思うよ」
「秋田君……」
 そうなのかな。
 秋田君が言うならそうなのかもしれない。
 でもさ、秋田君。
「いいの?あたしにそんなこと言っちゃって。もし違ったら、秋田君のバカーって八つ当たりするかもしれないのに」
 窪田君の気持ちは窪田君にしかわからないって言ったのに。秋田君はこう思うっていう前置きがあるけれど、それも憶測の域を出ないものなのに。
「八つ当たりはちょっと遠慮したいなあ。……まあ、あれだよ。話を聞くくらいならいいけどさ」
「わかってるって。そこまで秋田君に迷惑かける気にもならないってば」
 その時は、莉奈にでも愚痴ろうかな。突然の話でびっくりするかもしれないけど、莉奈ならきっとあたしの気が済むまで話を聞いていてくれる。
「それじゃ、そういうことだから。そろそろ戻ろっか」
 話はこれで終わり。
 教室にはまだ浅間さんがいるかもしれない。だったら秋田君は、あたしよりも浅間さんの方に行きたいはずだ。いるといいなあ、なんて考えるのはきっとあたしが恋する乙女だからだ。


 秋田君と連れ立って教室に帰ってくると、浅間さんはまだ残っていた。丁度帰る準備をしていたようで、ナイスタイミング!と胸の中で密かに親指を立てる。
「あ、お帰りなさい」
 浅間さんは笑顔で迎えてくれる。その笑顔があたしだけにしか向けられていないのは……気のせいじゃないかもしれない。
「ごめんね、浅間さん。長々と借りちゃって」
「私に断るのは間違ってるよ」
 ご自由にって言ったでしょ。
 苦笑する浅間さんはやっぱりつれない。でもさっきああいう話をしてきた真衣としては、秋田君の幸せを願わずにはいられない。ここは、と思って浅間さんに詰め寄った。
「ねえ、浅間さん」
「なに?」
 笑顔で返してくる浅間さんの耳元に寄って、秋田君には聞こえないように、手を添える。内緒話のポーズで浅間さんに一言。
「浅間さん、秋田君にすっごく愛されてるよね」
「はぁ!?」
 浅間さんは身をひきながら大きな声を上げてあたしを見た。本気で驚いているようだ。目も口も大きく開かれている。あれ、もしかして自覚なかったのかな?
「こんないい人、他にはいないよ。もっと大事にしてあげてね!あたし応援してるから」
「ちょっ、ちょっと……!!真衣ちゃん!?」
 ひそひそと耳打ちして、浅間さんが更に声を上げる。真衣はぴょんと自分の席に走って、机の上に置きっ放しだった鞄を手に取った。
「じゃあね、浅間さん。秋田君、今日はありがと。それじゃまた明日ー」
 ばいばーいと二人に手を振ると、秋田君はにこにことしながら手を振り返してくれた。浅間さんは未だに唖然としている。そんな二人を視界に収めてどことなく満足な気分になり、真衣は教室を後にした。
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