人災はある日突然やってくる

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  2月の猛威 2  

 夏休みや冬休みでもないのに平日に家にいるのは意外とつまらない。それが出席停止になって発見した一番大きなことだった。
 なんとなくだるいから休みたいとか、みんなが学校にいる間、家で自由に過ごしたいとか、普段はそんなことも考えるのに、いざそうなってみると時間を持て余した。
 出席停止だから当然外には出られない。録り溜めていたビデオを見て楽しかったのは最初だけで、途中からなんだか気が進まなくなった。雑誌を開いてもすぐに閉じてしまう。
 一人ってこんなにつまらなかった?
 いつもは家に帰って一人になる時間が結構好きだ。休日に一人で過ごすのも。でも今はそう思えない。
 病気で心細くなっているからか。それとも、本来誰かと一緒にいる時間なのに一人になってしまっているからか。
 そんな中、メールで繋がることだけが慰めになった。
 インフルエンザと診断されて2日目。昨日薬を飲んで、今朝になってみたら熱が下がっていた。このまま熱が上がらないで2日経てば学校に行ける。その2日が長い。でも、もし明日また熱が出ていたら来週までみんなには会えない。今日は水曜日。うまくいけば金曜には学校に行けるけれど、駄目だったら来週になるのを待つしかない。少しでも早く良くなるようにベッドの中でじっとしている。枕元に携帯を置いて、ちょこちょこメールを打つ。相手は佐和子だったり秋田君だったり真衣ちゃんだったり窪田君だったり。でも圧倒的に多いのは一昨日再会したばかりの三沢だった。
 彼も退屈で仕方ないらしい。同じように暇を持て余している者同士、一時間目が始まるくらいの時間から学校が終わるくらいまでの間、大して中身のないやりとりをぐだぐだ続けている。
<俺、昨日の夜には平熱まで下がってた!タミフルってすごいな!あさこは? 三沢>
<なんかすっかり平熱。あさこも下がってよかったな。でも無理するとまずいかな。俺、体動かしたいんだけど。でもやめといた方がいいかな…。 三沢>
<松井とか元気?今も仲いいの?平尾とか加藤とか大輔とかジョージの様子も知ってる? 三沢>
<俺んとこだと、大森がすげー変わったよ。ほとんど学校来てないでバイト三昧だとか。一丁目のコンビニに行けば顔見れる。女子だと野沢。すっかり肉食系。近寄るのちょっと遠慮したくなる感じ。 三沢>
 最初はお互いの体調を聞き合って、それが同級生の近況報告になっていった。それぞれの学校に同じ中学だった人が十人くらいいて、変わった人、変わらない人についてあれこれ言っている内に午前中が終わろうとしていた。
「やっとお昼かー」
 メールのやりとりはゆっくりだった。わざと時間をかけて打ってみたりもした。それでもやたらと長く感じた。
「世界史が終わった頃だよね」
 今日のところはきっとテスト範囲だったはずだ。ノートやプリントは写させてもらおう。
 佐和子にメールを送ろうと携帯に手を伸ばすと、メールの着信音が鳴った。
 また三沢かと思えば、佐和子からだった。
<梢、調子はどう?熱上がってない?いいニュースを一つ届けてあげる。世界史テスト範囲変更。教科書121ページまでだって。ちょっと短くなったよ!やったね! 佐和子>
「ほんと?」
 ラッキーだと目を輝かせていると次々とメールが届く。
<こずっち、ちょっとは元気になった?インフルエンザ辛いよね(:_;)早く良くなってね。世界史のテスト範囲短くなったって。ページとかは聞いてなかったからわからないけど、秋田君あたりが教えてくれるかな?早くこずっちに会いたいよ〜(>_<) 真衣>
 話を聞いていないところが真衣ちゃんらしい。思わずクスッと笑ってしまう。そして、一斉に届いたメールの最後は秋田君からだった。
<浅間さん、しっかり休んでる?熱の方は下がった?浅間さんがいないから調子が狂いそう。俺の為にも早く良くなってね。そうそう、世界史が少し早く終わって購買で人気のメンチカツバーガーを買えたので写メを送ります。 秋田>
 内容の通り、一番最後にはメンチカツバーガーの写真が添えられていた。人気があるだけあって、写真で見ても美味しそうだ。でも、メールの前半の方がどうしても気になってしまう。
「こっちの調子も狂わせようとしてるんじゃないでしょうね」
 こんな時まで。
 最初に出たのは苦い気持ち。けれど、その中にじわりと生まれた温かさに気づかない程鈍感でもなかった。
 早く元気になって欲しいと言われるのは嬉しい。自分だってそう思っているけれど、人から言葉をもらうことでたくさんのパワーをもらっているように思える。
「なんで秋田君の為に良くならなきゃいけないの、とか、流石に言えないよね」
 昨日、あれだけ気を使ってくれた秋田君に対していくらなんでもそんな態度は取れない。誰よりも早く梢の不調に気がついて、保健室に連れて行ってくれた。遅かれ早かれ誰かが指摘していたと思う。でも後になるほど体は辛かったかもしれない。そう思うと感謝してもしきれない。
 ただ、今は秋田君が心配だ。
 うつってないといいんだけど。
 少なからず接触してしまっている。向こうが勝手に寄ってくるから悪い、と思い切ることもできず、ただ秋田君がインフルエンザにならないことを祈るしかできない。
<メンチカツバーガー美味しそうだね。私は朝になったら熱が下がってたよ。うまく行けば金曜には復活できるかも。ところで秋田君は大丈夫?インフルエンザうつってないか心配です。 梢>
 佐和子よりも真衣ちゃんよりも先に、秋田君にメールを返す。気になったまま後回しにすることができなかった。送信が済んだところで二人にも返信する。一段落したところで、キッチンまで降りようかとベッドから身を起こす。そこでまたメールがきた。
 秋田君だろうか。そう思いながら開くと、それは三沢からだった。
<今から昼飯。悲しいかな、カップラーメンです。 三沢>
 一瞬、呆気にとられた。
 秋田君かと思ったらそうじゃなかった。それだけのことだけど。
 でも急に割って入られたようで閉口してしまう。
 これは今返さなくてもいいや。そのまま携帯を手に持って下に降りる。母が作り置きしてくれた昼食を食べながら携帯の様子を窺い、結局秋田君からメールがきたのは梢が食べ終わる頃だった。
<俺なら大丈夫だよ。本村が赤い顔して早退したけど。藤井もインフルエンザで休んでるし、一応予防でマスクはしてる。あ、どうせうつるんだったら浅間さんのがいいな。浅間さんはきっと怒ると思うけど。 秋田>
「何言ってるかな。この人は……」
 馬鹿なこと言ってないでインフルエンザもらわないように気をつけてよ。
 そう返そうかとも思った。でもやめた。昼休みはまだ10分弱くらい残っている。少ない操作の後、通話ボタンを押すと、5回目のコールの後に電話が繋がった。
「もしもし?」
「元気みたいで何よりだね。今、教室?」
「ん、廊下を移動中。電話かかってきたから。あ、人少なくなってきたからもう止まるけど。どうしたの?」
 驚いた秋田君の声がなんだか心地良い。昨日の朝ぶりなのに、もう何日も話していなかったような気がする。
「あんなメールもらっておいて黙ってられるわけないでしょ。熱下がったらすごく楽になったの。あれを見過ごす程弱ってないから」
「それは頼もしいな」
「昨日は本当に大変だったんだから。簡単にうつりたいとか言っちゃ駄目だよ」
「いや、流行りそうな感じだし。隣のクラスも何人か休んでるって。それなら、いっそ浅間さんのところにうつりに行こうかなって」
「お断りします。ただでさえ昨日秋田君に迷惑かけて申し訳なく思ってるのに、これ以上気負いさせるようなこと考えさせないで」
「そんなこと考えなくていいのに。俺としてはちょっとでも役に立てて良かった」
「うん。ありがとう。本当に助かった」
「声聞いてると昨日よりはいいみたいだけど、まだ無理は駄目だよ。しっかり休んでて」
「そうする。あ、そろそろ時間だよね。午後も頑張って」
「村上の独演状態の数学で何を頑張ればいいのかな。まあ、松井さんがうっかり寝ちゃった時の為に俺も一生懸命ノートとっておくよ」
「ありがとう。じゃあね」
「うん。それじゃまた」
 携帯を閉じると、さっきまでの不安は消えていた。
 声だけだったけど、秋田君は元気そうでよかった。
 薬も飲んだし気がかりもなくなったところで一眠りしよう。
 早く元気になって学校に行かなきゃ。来週の水曜から学年末テストなんだから。



 できれば金曜から学校に行きたかったけれど、結局月曜から行くことになった。医者が首を縦に振らなかったから仕方ない。
「もう元気なんだけどね。先生が大事をとれって。でさ、佐和子。来週テストだし、心配だからプリントとか届けてもらえると助かるなーって」
「来なくて正解だと思うよ。今日だって五人インフルエンザで休んでるし、怪しいのが二人いるもん。もうちょっとで学級閉鎖になるかもってとこだったんだけどね。私、マスク外せなくてさ。他のクラスも似たような状況。下手したらすぐに別のタイプのインフルエンザにかかるよ。A型とかB型とかあるよね」
「そうそう。ってか、そんなに休み増えてたんだ」
「まだ増えると思うよ。テストの追試、今回は賑やかになるんじゃない?梢はそこに入りたくないだろうから、いいよ、帰りに寄ってく。大丈夫だって医者のお墨付きなんでしょ?」
「証明はしっかりもらってるから安心して。念の為換気しておくし、玄関でプリントの受け渡しするだけにすれば平気じゃない?佐和子だってマスクなんでしょ?」
「そうね。まあ一応予防接種してるからそこまで心配してないけどね。じゃあ、夕方ってことで」
「うん。よろしく」
 時計を見れば、丁度昼休みが終わるところだった。土日で少し取り戻せるかと思って佐和子に配達係を頼む為に電話をしてみたら、最初に関係ない話をしていたせいでもうこんな時間になってしまっていた。中学も同じだった佐和子はクラスで一番家が近い。届け物もそんなに苦にはならないはず。ただ、夕方はまだ寒いし、佐和子にウイルスをうつしてしまったら悪いから夕方は用だけ済ませてすぐに帰ってもらおう。
 もしも寝てしまった時の為にアラームを設定していると、メールが届く。
<せっかく学校来たけど、テスト全滅。すっげー地獄だった。いや、一つくらいはなんとかなってるかも。でも厳しい。厳しすぎる…。 三沢>
 三沢は今日から学校に行っている。月曜の夜には熱が下がっていたからいいらしい。とはいえ、三沢の学校は水曜からテストで、水曜木曜のテストは既に追試が決定。今日は最後の三教科のテストがあったけれど、ほとんど勉強していなかった身としては相当きつかったに違いない。
 三沢、苦手教科とそうじゃない教科の差が大きかったよね。
 中学の頃を思い出す。どうやらそれは今も変わらないらしい。
 簡潔に、大変だったね、追試頑張れ!とメールを返すと、すぐに三沢からまたメールがくる。
<こんなことだったら火曜に熱下がったことにすればよかった。ちょっと頑張れば追試の数減るかと思ったけど、あれなら最初から全追試でも変わらない気がする。いいなーあさこの学校は来週テストで。あさこは俺みたいにならないように頑張れよ! 三沢>
「…………」
 これでも、追試にかかったことは一度もないんだけど。
 そう言い出すとメールが長々と続きそうだ。もう元気になったから、ベッドに転がりながら授業に出ていた分の復習をするつもりだ。それを邪魔されたくない。ただでさえ、この五日間で三沢とやりとりしたメールの数は多い。最初はまめに返す努力もしたけれどここ二日は切れるところでやめるようにしていた。そうでないと、三沢からのメールは延々と続いてしまう。
 そういう人だったっけ?
 中学の時にもメールしたことはある。でも、もうちょっとこう、落ち着いたやりとりだったような気がする。
「秋田君の方がわきまえてるよね」
 思わず声に出た内容に自分で驚いた。
 でもそうだ。秋田君は過度にメールを送ってこない。三沢が十だとしたら秋田君は二くらいだ。秋田君や佐和子とメールをしている間に三沢のメールが割り込んで手が止まったことも何度かある。水を差されたと思うくらいには三沢のメールは梢にとって多すぎた。
 月曜からは学校に行く。三沢も普段の学校生活に戻る。そうすれば、きっとなりを潜めるだろう。
 取り敢えず、勉強の間は携帯を気にしないでおきたい。メールの着信を無音にして、携帯を机に置き去り、梢はベッドで世界史のノートを開いた。
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