人災はある日突然やってくる

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  2月の猛威 3  

  一週間ぶりに登校した学校は、なるほど、いかにも具合の悪そうな人達が増えているという雰囲気だった。うがい・手洗い・休み時間ごとの換気を忘れずに!マスクもしっかりしなさいよ!と保険医が拳を振るって熱弁する様子が目に浮かんだ。
 快復したとはいえ、病み上がり。油断すれば風邪をもらいやすくなっていることくらいはわかっているから、梢もマスクをしている。目立つだろうかと思ったけれど、クラスのほぼ全員がマスク着用だった。とはいえ、予防目的の生徒も多い。梢に声を掛けてくる面々のマスクの奥から発せられる声は張りがあった。佐和子もその中の一人だ。
「復活組は全員揃ったわよ。今日出席停止になる人が出たらかわいそうだけどね。きっといるんだろうな」
「佐和子は予防注射の効果が出てるってわけ?」
「かもね。最近はそれプラス、栄養ドリンク飲んで学校来てるんだ。家では生姜湯が流行ってて、実は水筒はメインにお茶、サブで生姜湯を持ってきてるくらいなの。お母さんが持ってけって」
「それはすごいね」
 確かに生姜は体にいいって聞いたことがある。
 あれはなんの番組だっただろうと考えていると、秋田君がやってきた。
「おはよう、浅間さん。すっかり元気?」
「おはよう。もう大丈夫だよ。火曜には熱が下がってたんだから。心配してくれてありがとう」
「そりゃ心配するよ。浅間さんだしね」
 電話越しではなく直接耳に入ってくる声。
 マスクをしているけれど、目を見れば本当に笑っているとわかる。
 久しぶりに登校して本物の笑顔を見れたのはよかった。ここで偽物笑顔が現れたら早速声を上げていたかもしれない。思わせぶりなことを言っているのに、どうしてだろう。今日はホッとした。日常に帰ってきたと実感できるからだろうか。
「秋田君も元気そうだね。全然変わらない」
「一週間で変わるようなら病気って?そうかもしれないな」
「ノートもありがとね。コピー、助かっちゃった」
 金曜に佐和子が届けてくれたのはプリントだけじゃなかった。休んでいた分のノートのコピーを持ってきてくれた。基本的には佐和子のノートだったけれど、うっかり寝てしまったところは秋田君のノートを借りたらしい。そのありがたい差し入れを使って土日に勉強させてもらった。
 秋田君は思い出したように「ああ」と目を細める。
「読めない字とかあったらごめん。少しは役に立てるといいけど」
「少しどころか大いに助かりました。今度なにかお礼するね」
「ちょっと、ほとんどは私のノートのコピーだったと思うんだけど。私にはお礼なし?」
「佐和子にも感謝してるって。秋田君につっかからないでよ」
「えー、ちょっとなにこの扱い」
 自分よりも秋田君の肩を持つとは思わなかったらしい佐和子は顔を膨らませた。面白くて笑えば、「ひどーい!」とまたむくれる。「仲がいいね」なんてのんびりと秋田君が言うのを聞きながら、いい朝だと思った。



 授業が終わり、これから佐和子と帰ろうという時に携帯を見るとメールが五通きていた。相手は全部同じだ。
「あー……」
 平日にこれはちょっと……ね。
 今日は一日携帯をチェックしていなかった。だから、朝から今までで五通。それにしても。
<あさこ、今日から学校行くんだろ?頑張れよー! 三沢>
<朝イチで体育。ほとんど徹夜で追試の勉強してたからきつい。さぼりたいけど、体育の先生厳しいんだよな。どうしよう。 三沢>
<一時間目終了!結局体育は頑張った。サッカーだったから全力疾走でした。今から世界史。これはもう完璧に熟睡フラグ。おやすみー。 三沢>
<あさこ、学校どう?久しぶりだとペース戻すのが大変だよな。俺が金曜そうだった。あさこはしっかりしてるから余計な心配だったかな。 三沢>
<うちのクラス、四人休んでたけど一日で二人早退したよ。まだまだインフルエンザ流行りそう。A型はかかってもB型にかからないように気をつけような! 三沢>
 三沢は人とうまくやれるタイプだから他にすることがないわけじゃないと思うのに。一つ一つは大したことのない内容だし、メールを打つのだって時間もかからない。
 でもこれ、どう考えてもそういうことだよね?
「なにげんなりしてるの。梢、帰ろうよ」
 佐和子に声を掛けられて携帯を閉じる。
「ごめん。今行く」
 荷物を持って隣に並ぶと、佐和子がじっと見つめてくる。
「久しぶりだから大変だった?」
「ううん。そうじゃなくて。ちょっとね、三沢からメールが着てて」
「三沢?え、三沢ってあの三沢?」
 佐和子には名字だけでぴんときたらしい。高校では同じ学年にその名字の人はいないようだから、自然と中学の同級生の彼を思い浮かべたんだろう。
「そう。中学の」
「今も繋がってたの?」
「早退した日に病院で会って、それでメールするようになったんだけど」
「へー。休んでる間、そんなことになってたんだ」
「まあ……」
 佐和子の指す「そんなこと」がどんなことなのか。多分、想像よりも面白いことになっているんじゃないかと思う。少なくとも佐和子にとっては。からかわれたくないけど一人で考えるのも気が引ける。かと言って三沢のことを知らない人には話せない。どんなに仲がいい人でも。
 言葉を途切れさせたまま帰り道を歩いて行く。佐和子が休んでいた時のことをあれこれ話してくれるのに相槌を打ちながら、言うなら早い方がいいと心を決めた。
「ねえ、佐和子」
「んー?なに?」
「三沢からやたらメールが来るんだけど……」
「どれくらい?」
「今日は五回。私は一回も返事してないのに。出席停止になってた時は一日二十回くらい?どうってことない内容なんだけどね」
「あー、梢にしたら多い数だよね。男友達の距離超えてるっていうか」
 佐和子が微妙な空気を出している。その反応に違和感があった。
「佐和子、驚かないんだ」
「だって三沢は中学の時、梢のこと好きだったし」
 思わず足が止まった。
 三沢が、私を。
 驚いたというよりは、やっぱりと納得した。
「わかりやすかったよね。多分修学旅行で梢のこと気になり出したんだよ。その後から梢と話すのが多くなったし。後期の委員会は梢と一緒だったでしょ?三沢、文章書くの好きじゃなかったのに新聞作るのわかってて広報委員会選ぶんだもん。梢、変だと思わなかった?」
「……思った」
 すっかり忘れていたけど、そんなこともあった。なかなか記事を書けない三沢を助ける為に放課後残って一緒に新聞作りをした思い出もある。もっと言うなら、あの頃、「三沢とつきあってるの?」と聞かれたことも何度かあった。
「うすうす感じてはいたんだけど、私はそういう感じじゃなかったから曖昧にしてたんだよね」
「三沢もあと一歩踏み出せなかったみたいだったし。私はどっちでもよかったから放ってたんだけど。そっか。梢もわかってたか」
 そりゃそうだよね。梢だもんね。
 そう呟いて佐和子が肩を軽く叩いた。促されて、再び歩き始める。
「今はどうなの?って聞きたいけど、あまり嬉しくないんだ?」
「ほぼ二年ぶりだよ。特に何とも思ってなかったのに」
「でも三沢って社交的なやつだし、久しぶりに会ってテンション上がってるだけかもよ?しかも同じタイミングで出席停止なんて、滅多にない共通点だし。仲間意識っていうの?」
「それならいいんだけど。でも、『彼氏いる?』なんて聞かれたらやっぱ考えちゃうでしょ」
「あー……それは…………、三沢のやつ」
 佐和子も否定できないらしい。
 だって、ただメールをするだけならそんな確認いらなかったはず。聞くってことは、それなりに意識しているってことで。
 でも、私は。
「佐和子は三沢のことどう思う?」
「いいやつだよね」
 佐和子はたった一言で片づけてしまう。文句を言う気にならないのはその通りだからだ。三沢はいい人。明るくて、誰とでも仲良くなれて、面倒見がいい。
 次の瞬間、佐和子から出てきた名前に束の間思考が止まる。
「秋田も基本的にはいいやつだよね。でも、梢にはしつこい」
 今、秋田君のことなんて聞いてないのに。
 どうして、と視線を向けると、意外にも佐和子は真面目な顔で言った。
「秋田よりは三沢の方がいいかもしれないよ」
 つきあうなら?
「……佐和子が秋田君のこと気に入らないだけでしょ。簡単に言わないでよ」
 それだけ言うのがやっとだった。 



 インフルエンザにかかるのがせめてテストの後だったらよかった。そしたら、三沢のことを考えなくても済んだのかもしれないのに。
 三沢に対して特別な気持ちはない。
 でも学年末テストが間近に迫っている今、そちらに割く時間はない。うまく対処しようと思ってもその方法を考える時間も足りないし、行動する余裕は更になかった。結果、三沢への態度もはっきりしないままずるずるときてしまっている。明日はもうテストだっていうのに。
「どうも落ち着かないね」
 休み時間、自然に隣にやってきた秋田君は他の人に届かないくらいの声で話しかけてきた。こちらのことは全部お見通し?
「明日からテストだし」
「いつもの浅間さんはもう少し余裕があったよ。今回は病み上がりだし、そのせい?」
「まあね。……秋田君は元気だね」
「インフルエンザ大流行してるのにね。予防接種してたのが効いたかな」
「打ってもかかる人もいるっていうから気をつけてね」
「ん。俺の心配してくれるんだ」
「インフルエンザ、かかると辛いしね」
 嫌いでもない人に対してあの辛さを味わえなんて普通は思わない。そして私は普通だって自覚してる。
「素直に俺のこと気にしてるって言えばいいのに」
「自意識過剰な男は嫌われるよ」
 楽しそうな秋田君はいつも通りだ。ちょっと癪だけどいつもの雰囲気が少し楽しくてにやりとしてしまう。
 そう、これがいつもの私。いつもの生活。
 余分なことを考えずに普段の空気を取り戻せばこんなにも気は楽だ。
 そう気を良くしているところにポケットの中で携帯が震えてメールの着信を報せる。ほとんど相手を察しながら確かめると予感的中。たった今忘れることに成功したばかりの三沢だった。
<とりあえず追試3つ返ってきた!セーフ!なんか希望が見えてきたかも。 三沢>
 思わず寄ってしまった眉間に秋田君はきっと気づいたんだと思う。
「浅間さん?」
 すぐに画面を待ち受けに切り替えて視線を上げた。
「どうでもいいメールだった」
 気にしないで、と小さく笑うと秋田君も「そう」と流すものの瞳には窺うような色が出ていた。



 期末テスト初日。
 今日の科目は一通り終わった。一息ついていると秋田君がやってきた。
「お疲れ。どうだった?」
「お疲れー。まあ、いつも通りってとこかな」
「良かったね。せっかく今日頑張ったわけだし、明日に向けて午後は一緒に勉強でもしない?」
 このタイミングでそれ?
 やっぱり秋田君は秋田君だ。
 そんなので動揺を誘っても無駄なんだから。……ちょっとドキッとしたけど。
「冗談。佐和子!帰ろー」
 秋田君に手を振って佐和子と一緒に教室を出て行く。
「梢、結構余裕?」
「まさか。赤点にはならなそうだけどね」
「三沢じゃないしね」
「ちょっと」
 確かに、きちんと受けたテストもほとんど追試だった三沢はちょっとどうかと思う。直前の授業でやったところはわからないとしても、普通に授業を受けていればそこだけで赤点は免れそうな気もする。
「バスケばっかりやってるって言ってたしね」
「あー、部活馬鹿か。青春してるねー」
 これっぽっちも感心した様子のない佐和子が面白くて笑ってしまう。 
「ねえ、今日もメール来てるの?」
「全然見てないや」
 多分来てるだろうと思いながら携帯をチェックする。新着1件。
 まあ、一つくらいなら。軽い気持ちで開いたメールに思わず固まった。
<テストお疲れ!どうだった?あさこ頭いいし俺と違って赤点はないかな。ないよな。ないことを祈ってます。俺の方も明日の放課後で追試全部終わるから必死に勉強してるけどなかなか頭に入ってこない。まずい……。とにかく最後だと思って頑張ってる。最後にしたい。あさこも明後日で終わりだろ?せっかくだし、二人で打ち上げしない?夕方ファミレスでも行ってテストの鬱憤を晴らそうぜ。 三沢>
 これは一体何?
 理解できるけどこの状況を受け入れたくない。
 三沢の気持ちはわかってるから二人で会うつもりなんてない。でもそれ以前に誘われることが嫌だ。
「なに、梢どうしたの。顔怖いんだけど」
 黙り込んでしまった私を不審に思ったのか佐和子が肘でつついてきた。自分で説明する気になれなくて携帯をそのまま渡す。さっと読んだ佐和子はしらけた顔で携帯を返してきた。
「モテ期の女はいろいろめんどくさいね」
「やめてよその言い方」
 めんどくさいのは否定しないけど。
「一人で行けって返事すれば?」
「いくらなんでもそれはないでしょ」
「じゃあ行くの?」
「やだよ。向こうの気持ちわかってて二人きりとか」
「秋田とは二人でいるのに?」
 あくまで佐和子は静かに言った。責める様子なんてどこにもなかった。でも、その一言が胸を抉った。
 秋田君は私のことを好きだと言った。でもまだ付き合いたい程じゃないとも言った。だから安全?まだ許容範囲?
『浅間さんが俺のこと好きになれば問題ないよ。俺も浅間さんのこともっと好きになりたいし』
『その為には、俺しか目に入らなくなるようにしないとね。期待に添えるよう頑張るよ、浅間さん』
 はっきりと宣言された。
 あれ以来いろんなやりとりもあったし、秋田君は距離を縮めてくるばかりで。
 でも。
 ショックで足を止めた私を佐和子は振り返る。 
「確かに秋田はいけすかないし、嫌いだけど、あんたが秋田がいいって言うならちょっと我慢する。そもそも、私に梢の彼氏決める権利なんて全然ないんだから」
「…………彼氏とか」
「じゃあ梢の二人への態度の違いはどこから来るんだろうね」
「それは……」
 頭が痛い。
 なんでこんな時に。
 あと二日テストがあるのに。
 頭の中は秋田君と三沢のことでいっぱいだ。
「最悪だ…………」
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