猫と毒草

ススム | モクジ

  はじまりはその一言  

「良い縁談があるのだが」


 その時、薬の調合をしていたイオネは主人が脈絡なく放った一言に顔を上げた。
「はあ」
 椅子に座り、優雅に足を組んでイオネを見ているのはエンイストンを治める若き領主オリヴァー・ロレンス。発言は突然であったが、科白自体は珍しいものではなかった。オリヴァーはやたらと人の縁談を取り持ちたがる。これまで彼が成立させた婚姻は数知れず。それはいつも「良い縁談があるのだが」の一言から始まるのであった。彼の口癖とも言えるそれはオリヴァーの周囲にいる人間にしてみれば「またか」と思う程度のもので、けれども白羽の矢が立った人間にすればとても厄介な問題である。領主が持ってきた縁談を断るのは至難の業。
 ついこの間、乳母の娘の結婚を取り持ったばかりだったというのに。オリヴァーの周りには結婚適齢期以上の人間で未婚の人間はもうほとんどいない。今度は一体誰が標的にされたのか。イオネは数人の顔を思い浮かべる。
「今度は誰ですか」
 誰か知らないけれど気の毒に。
 胸中で同情の言葉を呟くイオネの無関心な様子にオリヴァーはにっこりと笑ってみせる。エンイストンの領民から穏やかで春の陽ざしのようだと例えられるその笑みに潜む食えなさを見つけたイオネは嫌な予感にかられた。
「君だよ、イオネ。君の幸せの為に私が一肌脱いであげようじゃないか」
 イオネの手から匙が落ちる。
 唖然とするイオネに、オリヴァーは有無を言わせない笑みで応えるのだった。


 23歳。
 自分が結婚適齢期のギリギリ後ろにひっかかるくらいの年齢であることをイオネはすっかり忘れていた。ロレンス家の臨時顧問薬師として充実した毎日を送っていたイオネは結婚には無関心で毎日薬草や毒草を扱うことで頭がいっぱいだった。特に毒草を扱うことの喜びといったら他にない。他人が結ばれればめでたいとは思うものの自分のことは一切考えていなかったのだからオリヴァーの話は寝耳に水だった。
 結婚に興味はない。けれども雇い主の厚意――余計なお世話もいいところだが――を断る真っ当な理由も見つからず、話をどんどん進められていってしまった。
 相手はルイス・ハワード。
 エンイストンの議員の一人息子で、本人は役所に勤めている。経済的にも裕福で、社会的地位もある家だ。
 しかし。
 ルイス・ハワードにはとんでもない問題点があった。
 彼はエンイストンでも有名な無類の猫好きだったのである。
 オリヴァーが設けた席でイオネが初めてルイスと顔を合わせた時、自己紹介もそこそこに彼は主張した。
「これだけは譲れない。絶対に猫に危害を加えないでくれ。僕が何よりも愛するあの子達を傷つけるようなことがあれば、僕は一生君を恨む。あの子達を邪険に扱うような人とは結婚できない。僕と結婚するなら何が何でもそれだけは守ってもらう」
 結婚に際する唯一の条件がそれなのかと面食らったイオネだったが、それならそれで、と気を取り直した。
 元々相手に興味はない。好きで結婚するのではないのだから、変に期待を持っては後々気を落とすことになるだろう。第一ルイスは人間よりも猫を溺愛する青年だということは周知の事実。
 それならば好都合。イオネにだって譲れないものはある。
「私も条件があります。私は一生この仕事をやめる気がありません。それを許して下さる方でなければ結婚できません」
 薬師でいること。それだけは譲る気はない。
 毒草を扱う機会なんて、薬師でもなければ絶対にない。イオネの何よりの楽しみを結婚なんかに奪われるのはごめんだった。
 それを聞いていたオリヴァーは声を上げて笑いながら双方に条件を認めることを確認して「いやあお似合いだね。君達はいい夫婦になるよ」と言ってイオネとルイスの結婚を決めてしまった。
 かくしてイオネは猫好きの夫を持つことになったのである。
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