殿下に愛をこめて

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  殿下に愛をこめて 3  

 オブシェルに通されたのは殿下の寝室。そこには鬼のような顔をした陛下と、冷や汗を垂らして縮こまっている殿下と、そんな殿下を診察中の医師がいた。医師が異常なしの診断を下すと、陛下は医師を追い払って殿下を睨みつけた。
「最近少しは大人しくなったかと思いきや、このような大事を起こしてくれるとは。親として民に顔向けできぬ!料理長にもだ!菓子が食べたければ頼めばよい。そちは菓子職人ではないのだ!どうしても自分で作りたければ百万歩譲ってその手を使ってもよい。だが、教えには素直に従わなければならぬ!菓子作りに置いてはその道を究めた者が師であるのだぞ!言われた通りに一から十までやればそれでよい!しかし言われたことがわからぬなら、最初から何もするな!よりにもよって爆発沙汰とはどういうことだ!」
 初めて聞く陛下の大音声は怒りに激昂して空気をビリリと震わせる。圧倒的な力を上から降らせるように陛下は次から次へと言葉を紡ぐ。
「そちの失敗はそちだけのものではない!そちに使える者達、皇室、ひいてはツァルク帝国の顔に傷をつけるも同然!皇族の行為は皇室の行為であり、そちの恥は余の恥である!軽はずみな行動は一切許されぬ!それをそちは何十何百繰り返せば理解できるのだ!?呆れた!呆れ果てた!そちの頭は何の為についているのだ!下を向くな!顔を上げよ!今はまだ良い!余や皇妃がいるのだからな!だがそのまま歳を取り余がいなくなった時、誰がそちを擁護し導くのだ!そちの愚鈍ぶりが各国に知れたらどうなる!?同盟を打ち切る国や反旗を翻す国も出てくる可能性もあるのだぞ!その時、そちは責任を持って困難を乗り越えられるのか!?その先にあるものはなんだ!帝国の滅亡だ!皇室の断絶だ!今の自分が帝国の崩壊に繋がる糸であると自覚せよ!」
 陛下の一言一言には全身全霊がこめられている。殿下にぶつけられた言葉は重く、けれども殿下が受け止めなければならないものだった。
 自分に向けられたものではないのに、視界が滲んでくる。
 陛下が本気だからだわ。
 怖いからじゃない。
 陛下は真剣にこの国のことを、皇室のことを、殿下のことを思っている。二人を知っている身であれば、心を動かされないわけがない。
 殿下もきっとわかっているはず。
 陛下の前で殿下は顔を上げながら震えていた。目には涙が浮かんでいる。布団をきつく掴んだ手にはどれだけの力がこめられているのか、指が白くなりだしていた。
「…………申し訳、ありませんでした」
 今の殿下には精一杯だったのだろう、掠れ声は短い言葉ながらも深い反省に溢れていた。
 よかった、伝わったみたい。
 少しだけホッとする。それでもまだこの場を動けない。陛下は拳を握るとガツンと一発殿下の頭にくらわせた。
「この馬鹿者が!」
「っ!」
「親としてもう少し言う。どれだけ人を心配させるつもりだ。余だけではない、皇妃やクディナス、そちの侍従達や侍女達もそうだ。そちの婚約者も心配したからこのようにすぐ駆けつけたではないか。今回は無事だったから良かったものの、そちに万が一のことがあったらアティエットはどうなる。危うく取り残していくところだったかもしれぬ。婚礼はまだだ。国に帰すか、もしくは他の相手を探すか。しかし第一皇子の代わりはなかなか無い。クディナスではあいにく釣り合わぬ。そうだな、考えられるのは余の側妃くらいか」
「父上!」
 それまで落ち込みながら黙って聞いていた殿下は反射的に顔を上げていた。瞳には強い警戒。
 私も陛下の突然の話に驚きを隠し切れず、うっかり口を開けたまま間抜けな顔を晒してしまった。
 陛下の側妃?とんでもないわ。冗談でも口に出せない。
 陛下はいつもの余裕のある表情に戻り、腕を組んだ。
「死ねぬ理由ができたな。一生懸命邁進せよ」
 陛下はこれで充分だと思ったのか、この部屋に入って初めてこちらを見た。
「この通り、これは体の方は問題ない。そちにも迷惑をかけたな」
「いえ、ご無事で何よりでございます」
 頭を下げて答えると、陛下は扉に向かって歩き始めた。慌てて道を空ける。頭を下げたまま陛下が出て行くまで過ごそうとしたものの、正面に来たところで陛下が足を止めた。
「アティエットよ、それは何か?」
「は?」
 それ、が何なのかわからなくて顔を上げると、陛下は不思議そうに私の手を指した。
「見舞を用意する暇などなかったろう」
 両手で持っていたのは小さな箱だった。私としたことが、これを包もうとしてその途中で報せが来て持ったまま慌ててここまでやってきてしまっていたなんて。緊張のあまり今の今まで気づかなかった。
「これは、見舞ではありませんが――」
 どうしよう。
 今言っていいものか迷ってしまう。でも、見られた以上隠すのも変だもの。こんなタイミングで渡すことになるなんて思わなかったけど仕方ない。どんな形であれ、行く先は同じならば。
「殿下への贈り物を包んでいた途中だったのです」
 顔は陛下に向けて、でもしっかりと殿下に届くように声を出した。
「ほう。それは余が聞いても良いものか?」
「殿下が良いと仰せでしたら」
 今のこの状況で殿下は断れないだろう。その予想通りで、殿下は陛下に答える許可を出した。聞かれて困るものでなくて良かったと思いながら、箱から缶を出した。
「これはお茶でございます」
「茶?何の茶だ?」
「恐れながら、私が殿下のイメージでブレンドしたものです」
「そちが作ったと?」
「その通りでございます」
 陛下の目が小さく光ったのは気のせいか。陛下は殿下を振り返る。そこには驚きに目を丸くしている殿下の姿があった。
「そちには過ぎた妃だな。アティエットの茶は余も気になるところだが、最初に飲む権限は流石に無い。今日のところはこれで行くが、近い内に振る舞うように」
 最後は私に向かって命じ、陛下はやっと殿下の部屋から出て行った。一気に部屋の張り詰めていた空気が和らぎ、思わず小さく息をついた。
 気を取り直してベッドの上で呆然としている殿下の傍まで行くと、途端に殿下は期待に瞳を輝かせた。
「アティ、私の為に茶を……?」
 さっきまでの沈んでいた殿下は一体どこに行ったのか。でも陛下があれだけ叱咤して下さったから、もう細かいことでいちいち腹を立てたくない。先に渡す物を渡してもいいわよね?
「殿下から婚約の贈り物をいただいて、ずっと何かお返ししたいと思っていたのです。殿下は私を喜ばせようと素敵なブレスレットを下さいました。だから私もできるだけ殿下に喜んでいただける物を贈りたいと……。あれこれ考えて殿下の為にお茶を作ろうと思ったものの、なかなかうまくいかなくて。でも、やっと今日完成しました」
 缶の蓋を開けると、中からさわやかなオレンジの香りがほんのりと漂った。
「殿下のイメージは、明るく、健康で、思わず笑顔になる――オレンジを主に取り入れて作りました。殿下のお口に合えばよいのですが……」
 缶を差し出すと、殿下の両手が私の手ごとそれを包み込み、軽く引き寄せられた。
「ありがとう、アティ」
 お礼の言葉なのに謝られたように感じたのは多分間違いではない。殿下の目尻に雫を見つけ、私は缶を近くの台の上に置いて殿下を抱き締めた。
「無事にお渡しすることができてよかった」
 殿下の両腕が腰に回る。そして、殿下の額が肩に押しつけられた。
「済まない。本当に済まなかった。難しいことは考えていなかったのだ。あんなことになるなんて。多くの者に迷惑をかけた。アティにも心配をかけてしまって……」
「心臓が止まるような思いをしました。こんなことはこれきりだと約束して下さると安心できるのですけど」
「もうしない。……アティが他の男に嫁ぐかもしれないなんて絶対に嫌だ」
 陛下の話がそんなにショックだったのか。でも殿下にはそれがいい薬になるかもしれない。
「でしたら、ずっとお元気でいて下さいませ」
「そうする」
 殿下はゆっくりと顔を上げた。そして台に置いたお茶に視線をやった。
「アティ、その……茶を淹れてもらえないか?アティが私の為に作ってくれた味が気になって仕方ないのだ」
 そわそわしている殿下に笑みを一つ零して私は部屋の外のコーテアに茶器の準備をするように伝えた。準備が整うまでの間、殿下に改めて体の調子を尋ねる。少し痛みはあるが大したことがないらしい。なんていうか、悪運が強いわよね。
 茶器や熱湯が揃ったところでお茶を淹れる。ほんのりとオレンジの香りが部屋中に広がった気がした。殿下の顔は既に嬉しそうだ。
「どうぞ召し上がれ」
 気に入ってくれるかしら?
 何ヶ月もかけた自信作ではあるけれど、殿下にとってはどうかしら?
 どうかこの顔が曇りませんように。
 祈るように殿下を見つめていると、優雅に一口味わった殿下は美しい顔をほころばせた。
「今まで飲んだ茶の中で最高の香りと味だ」
「本当に?」
「勿論。流石アティ。私の好みもわかっている。でも何よりもアティの気持ちが嬉しい。嬉しすぎて、一日で全部茶葉を使ってしまいそうなくらいだ」
 それでは勿体ないなと苦笑する殿下に、不安だった心が軽くなっていく。
「殿下がお望みなら、またお作りいたします」
「うん。大量に頼む。どうせ父上達にも振る舞わなければならないようだしな。……悔しいことだが」
「よいではありませんか。これは私が殿下の為に作ったことに変わりありませんもの」
「そうだな。ところでアティ、名前は考えたのか?」
 全く考えたこともなかったことを聞かれ、名前なんて無くてもいいと返しそうになり、咄嗟に口をつぐんだ。
 特別なものだもの。たまには悪くないわよね?
「では、『殿下に愛をこめて』というのはいかがでしょう?」
 これ以上ないくらいストレートな名前。もっとセンスがいいものを考えたい気持ちもあるけれど、最初に浮かんだのがこれだった。そして、特別なお茶を贈りたいと思った気持ちにこれ以上合うものが浮かばなくなってしまった。殿下が気に入らないのなら殿下が好きな名前をつければいい。そんなふうにも思ったのだけれど。
 殿下はそれをいたく気に入ったようで、大輪の花がほころぶような満面の笑みを浮かべた。
 

*        *        *



「アティ、今日も頑張ってきたぞ!」
「それはお疲れでしょう?どうぞおかけになってくださいませ」
 厨房のかまど爆発事件以降、殿下は前より少し真面目になった。あくまで態度が真面目になっただけで、中身はまだまだだけれど、気持ち楽になったとオブシェルがこの間感謝してきたのは殿下には内緒。ただ、楽観視はしていられない。いつまで続くかしら?なんて思いながら今日も夕飯を共にする。
「今日は何にいたします?」
 あらかじめ食後のお茶を尋ねるのも最近始まった決まり事。本当はデザートにぴったりのお茶を選んでいるのに殿下がどんどん変更してしまうからだ。それも、いつも同じものに。
「勿論、いつものに決まっている」
 また?と言いたいのを肩を竦めて終わりにし、私は今日も「殿下に愛をこめて」を淹れる。
 毎回毎回こればかりでちょっと呆れるけど、心から殿下が喜んでくれるのが嬉しくて私も結局希望通りにしてしまう。この話は宮廷中に広まっているそうで、微笑ましく感じている人達と呆れている人達がいるらしい。殿下の評判をこれ以上下げたくない私としては悩ましいところだけど、今回は大丈夫だと踏んでいる。これくらい大丈夫、よね?
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