殿下に愛をこめて

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  殿下に愛をこめて 2  

 テーブルの上に広がるのはたくさんの茶葉。種類も豊富で、中には限られた人間しか手に入れられないものもある。茶葉とは離れたところにこれまたたくさんの果実や花が小分けしながらも無造作に置かれていた。それらをじっと見ながら、頭の中でああでもないこうでもないと考える。
 やっぱり、こっちはこれよね。
 茶葉は少し迷ったものの、最初に決めたものがいい。しかし、そうなると次の段階が難しい――――。
 やると決めたのは自分なのにこれでよかったのかと不安になる。でも考えを変える気はない。だからやるしかない。難しくてもここを超えなければ意味がない。
 何がいい?
 どれがふさわしい?
 一つ一つの素材を見ながらじっくり考える。
 時計の針が進む音がとても速く感じられた。


*        *        *



 数ヶ月前から習慣になったことがある。週に一度の皇妃殿下とのお茶会だ。時には皇帝陛下が加わることもあるけれどそれは本当に稀だ。お茶を淹れるのは当然ながら私の役目で、お菓子を選ぶのは皇妃殿下だった。最初はとても緊張した。今だって緊張する。だって相手は帝国一の女性だもの。そそうがあってはいけない。
「最近、サンジェノ候夫人とハドム伯夫人の見栄の張り合いが大きくなってきています。きっかけが些細なことだったので目を瞑ってきましたが、そろそろ釘を刺さねばなりません」
「すっかり派閥ができてしまったというあのお二方ですね?」
「下らぬ派閥などいりません。単なる仲好しごっこであればそれもまたよし。しかし、宮中の空気を悪くするなど言語道断」
「皇妃様の出番でございますね」
「面倒なことですが」
 皇妃殿下は億劫がる様子にも気品が溢れていて、思わず感嘆の声を上げてしまいそうになる。内容は皇妃殿下のおっしゃる通り、とても面倒なことで自分が当事者だったら避けたいところだけれど。
「お二方の夫君は優秀な臣下ですから。つまらぬことで陰を落とすのは無粋というものでしょう。普通の姑であれば、ここで『あなたも夫を貶めるような振る舞いはしないように』と諭すところでしょうが……」
 ほう、と溜息をつく皇妃殿下。
 私と殿下の場合、私だけに言えることではないとよくわかっていらっしゃるのよね。それでも言うだけは言っておこう。
「私も殿下の恥とならぬよう心しておきます」
「心遣い、感謝します」
 それ以上考えても仕方ないと思ったのか、悩ましい表情を消し去った。小さく切ったタルトを一口食べてうっとりとしていらっしゃる。私もそれにならってタルトを口に運ぶと、季節の果物の甘酸っぱい味と香りが口内いっぱいに広がった。流石皇妃殿下お抱えの菓子職人が作っただけあるわ。私が選んで淹れたお茶もぴったり合っている。組み合わせがうまくいくのは嬉しいわね。そんな気分が顔に出ていたのか、皇妃殿下が目を細めた。
「本当に、あなたのお茶のセンスは帝国一ですね。ユルトディンがお茶にうるさくなったのはあなたが来てからでした。あの頃からあなたのお茶のことを誉めていましたが、当時は子どもの言うこととまともに取り合わなかったのです。あの時すぐにでもあなたにお茶を淹れてもらえれば、もっと早く素敵なお茶会を楽しめていたと思うと残念なことをしました」
「勿体ないお言葉でございます。私はこうして皇妃様にお茶をお淹れできるだけで光栄ですもの」
「我が皇室はとうにあなたのお茶のとりこですよ。陛下もクディナスも最近はお茶にうるさくなってしまって。昔のユルトディンを見ているようです」
「まあ、こればかりはユルトディン殿下の方が先でしたのね」
 殿下が他の方の先を行くのは珍しい。
 それが例えお茶のことであっても、なんだか嬉しくなってしまう。
「大丈夫です。ユルトディンが人より先に出ることはこれからいくらでも増えるでしょう。良くも悪くもですが、それはあの子が超えねばならぬ定め。あなたは気が気でないでしょうが、長い目で見守る気持ちを忘れてはなりません」
 人の親とはいえ、皇妃殿下はやはり皇妃殿下。
 殿下も一人の男性でありながら帝国の第一皇子。
 何が有ったとしても、嫌になったからといって放り出すわけにはいかない。
 大丈夫。わかっているわ。覚悟はとっくに決めているもの。
「心得ましてございます」
 真っ直ぐ返した返事に皇妃殿下は眼差しを和らげた。


*        *        *



「最近、疲れが溜まってないか?」
 ディナー後に殿下が尋ねてきたことに一瞬固まってしまった。
 そんなに顔に出ていたのかしら?
 疲れているのは無理もない。式が近づくにつれ、時間に余裕がなくなっていく。でもそれだけなら殿下も同じ。お互いさまだ。
「疲れるには疲れますけど、殿下に心配をおかけするほどではありませんわ。大体、私よりも殿下の方が忙しくしていらっしゃるではありませんか」
「でも私は男でアティは女だからな。単純には比べられないだろう?クディナスも言っていたぞ。この間、図書館で顔を合わせたがしっかり休んでいるのかと」
「まあ。クディナス殿下が?」
 毎日会う人間よりも時々顔を合わせる人間の方が変化に気づきやすい。クディナス殿下がそう感じたのなら、周囲にはきっとそう見えているに違いない。
 殿下は何かひらめいたらしく、ハッと顔を上げた。
「そうだ!明日は公務を休んで一日アティの看病をしよう」
「看病など全く必要ありませんわ。確かに疲れていますが、特に支障はありませんもの」
 公務を休むなんて言語道断。更に殿下に看病されるなんてとんでもないわ。逆に病気になってしまいそう。いや、元気になれるかしら?殿下が危ない手つきでいろいろ施してくると考えただけで脳が活性化しそうだ。
「そうか?遠慮する必要はないぞ。私が一日や一ヶ月や十年公務をさぼったところでこの国は潰れぬ。それだけは自信があるのだ」
 そんな自信は早く捨ててちょうだい。困るわ。そんなこと胸を張って言われても。
「私、自分の責任を果たさない方は好きになれませんわ。どうかご冗談で留めてくださいませ」
 暗に実行したら嫌いになるからと含めると、流石に殿下も気づいたようだ。顔を青くして、引き攣った笑いを浮かべた。
「あ、ああ。勿論冗談だ。まだそこまで体調が悪いようではないようだしな」
 ははは、と乾いた笑い声を響かせた殿下はふと真面目な顔になる。
「でもアティ。くれぐれも体は大切にするように。アティの調子が悪いと私が平気ではいられない」
 立ち上がった殿下が身を屈め、目の下にそっと触れてくる。
「化粧で隠せる内に、しっかり調子を戻せ」
 キスを受けながら、よく見ているのね、と感心する。
 殿下の言う通り、今は化粧をとるとうっすらと隈が顔を出している。睡眠時間はまだそこまで減ってないのに、身体はしっかり疲れを訴えてくる。
 ただでさえ自分の方が年上なのだから、もっと美容には気をつけよう。そう決めて瞼を閉じた。


*        *        *



 緊張しながら飲んだ一口は、ずっと追い求めていた味だった。香りも申し分ない。これなら大丈夫。自信を持って出すことができる。
「やったわ。ついに完成よ」
 笑顔を向けると、コーテアも両手を合わせて喜んだ。
「おめでとうございます。やっと姫様が納得いくものができたのですね」
「ええ。思ったより時間がかかってしまったわ」
「でも期限には充分間に合っていますもの。本当に頑張ってらっしゃいましたものねえ。これでやっとぐっすりお休みになれますわ」
「あなたも一杯と言いたいところだけど……」
「最初の一杯は遠慮させていただきます。機会があれば私にもごちそうして下さいませ」
「ありがとう」
 コーテアから労いの言葉を受けながら完成したものを包んでいると、遠くでドォンと大きな音がした。驚いて会話は途切れ、コーテアと顔を見合わせる。
「何かしら」
「ただならぬ音でしたけれど……」
「なんだか聞き覚えのある音だったような気がするのよ」
「私もですわ。戦時中、街の向こうから聞こえてきた轟音に似ていたような気が……」
 まさか。
 今や世界をリードするこのツァルク帝国は内乱すら無いというのに。
 不穏な空気でそわそわしていると、バタバタと走る音が近づいてきた。
「今の音の報告でしょうか」
 落ち着きのない様子でコーテアが部屋の入り口に行き、来客を待つ姿勢を整える。そしてやってきたのは殿下に仕える侍従の一人だった。息を切らしてむせこんでいる様子に嫌な予感が過ぎる。
「何があったのですか?」
 コーテアが尋ねると、彼は真っ赤になった顔を上げた。
「突然の無礼、申し訳ございません。ただいまの爆発音、お聞きでしょうか」
「こちらにも届きました。しかし、爆発音――?」
 対応をコーテアに任せながら、自分の顔が渋くなっていくのを感じた。
 爆発音とは一体どういうことなの?
「はっ。ユルトディン殿下が厨房で菓子作りに励まれていたところ、かまどが爆発致しまして!殿下は軽い擦り傷で済みましたが、念の為、今医者を呼び、」
「殿下はどちらにいらっしゃるのです」
 いてもたってもいられなくなり、侍従の話を切って殿下の居場所を尋ねる。
 どうして殿下が厨房にいて菓子作りなんてしていたのかわからないけれど、すぐにでも駆けつけたかった。無事を目にしなければ暴れ出した心臓が落ち着かない。
 私室にいると聞き、コーテアに声を掛けて部屋を飛び出した。廊下を全速力で走る。淑女が走るだなんてとんでもない。でもそんなことに構っていられない。ついてくる侍従から詳しい様子を聞き出すと頭が痛くなった。
 厨房の竈が爆発し、竈の壁が一部崩れた。厨房の中はぐちゃぐちゃになり、怪我人も出たという。殿下は幸い大事がないようだけれど、宮殿の中は今大騒ぎになってしまっている。
 驚く人々を余所目にやっと殿下の私室に辿り着いた時には流石に息が切れていた。
 殿下の私室の扉には多くの人々がいて、その面々から陛下が部屋の中にいることを知った。コーテアに取り次いでもらうと、オブシェルが顔を出した。
「陛下より、許可をいただきました。どうぞ」
 すぐにでも入って行きたかったけれど、陛下と聞いて少しだけ正気を取り戻した。深呼吸をし、心を落ち着ける。身だしなみをチェックし、それから一人で部屋に入って行った。
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