殿下に愛をこめて

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  殿下に愛をこめて 1  

 ドレスを持った侍女達をずらっと並ばせて、私は悩んでいた。
「緑も黄色もいいわね。一番右のも素敵だわ。ああ、でも青に銀糸の刺繍が入ったのも捨てがたいわ」
 全て殿下から贈られたドレスで、まだ一度も袖を通していないもの。今日は一月も前から楽しみにしていた日で、この特別な日の装いをどうするかかれこれ三十分も決められないでいる。
 困ったわ、とコーテアに視線を送っても、愛読書の詩集を開いている彼女は気づかない。他の侍女がいても平気で職務放棄ってかなり問題じゃないかしら。これで後宮の風紀が乱れたらどう責任を取るつもり?
 そんな私の気持ちが伝わったのか、一番近くでドレスを持っている侍女がコーテアにそっと耳打ちする。やっと顔を上げたコーテアは何もなかったかのように姿勢を正した。
「ドレスはお決まりですか?」
「全然決まらないわ。少しは絞ったけど」
 その言葉に反応して、私が気になっているドレスを持った侍女達が揃って一歩前に出る。一枚の抜けもないし、余分なものも入っていない。本当によくできた侍女達だわ。
「殿下の趣味はようございますからねえ。でもそろそろ決めていただかないと準備の時間がなくなってしまいます」
「そうなのよ。わかってるわ。わかってるけど決められないの」
「姫様ったら、お気持ちはわかりますけれど」
 今日は、私らしくて、素敵なドレスにしたい。
 なんていったって、ほぼ一年振りにレティヴィア姫とチェレーリーズ姫に会う日なんだもの。


*        *        *



 チェレーリーズ姫の暮らす屋敷に着くと、馬車から降りて早々にチェレーリーズ姫が駆け寄ってきて両手を包みこんだ。
「アティエット姫!ようこそわたくしの屋敷へ!!大歓迎しますわ!!」
 満面の笑みで出迎えたチェレーリーズ姫は後宮を去る時に見た姿と何ら変わりない。大臣の一人――中年だけれど洗練された雰囲気でとても魅力的な方だわ――の第二夫人になり、何かと苦労もあるだろうし、もしやつれていたらと不安もあったのだけれど。第一夫人や子ども達の暮らす本邸に足を運ぶことは滅多に無く、彼女の為に用意された別邸で生活しているのがやはりいいのかしら。
「お二人にお会いできるのをとても楽しみにしていました。チェレーリーズ姫、レティヴィア姫」
 チェレーリーズ姫の二歩後ろで穏やかに微笑んでいるレティヴィア姫にも視線を向けると、彼女もようやく近寄ってきた。
「皆、気持ちは同じです。私は時々お目にかかれるけれど、三人揃うのはなかなか難しいわね」
 レティヴィア姫は高官と結婚した後も、作法の先生として王宮に出入りしているから、数回顔を合わせたことがある。それにしても片手で足りるというのは寂しいことだけれど、チェレーリーズ姫に至っては王宮に出入りすることがないからちらっと顔を見る機会すらない。二人の姫とは手紙のやりとりをしていて、またのんびりとお茶でもしたいわね、という話になって、とうとう我慢できずに殿下にお願いをした。「会えばよいではないか」と簡単に言った殿下に拍子抜けしたけれど、式に向けてスケジュールがみっちり詰まった身ではすぐに実現することは叶わず、一ヶ月もかかってしまった。
「今日はお庭に席を用意していますのよ。さあ、おいでになって」
 チェレーリーズ姫が手を引きながら軽やかな足で進み出す。私も歩き出せば、コーテアを始めとした侍女達、その何倍もの数の警護兵達もぞろぞろと動き出す。以前は一側室だったけれど、今は第一皇子殿下の婚約者。三ヶ月後には婚礼の儀を控えている。何かあってはならないとつけられた護衛の数の多いこと。邸内に入る兵達とは別に屋敷の外で待機する兵達も多い。仰々しさに溜息の一つもつきたくなるけれど、これからはこれが当たり前になるのだから慣れなければいけないんだわ。
 案内された庭に作られた場には可愛らしい椅子と机、茶器やお菓子が用意されていた。手を加えられた花壇も見事で感心する。
 三人で一つの円いテーブルを囲んで座れば、すぐに近況報告で盛り上がる。質問を交え、時々脱線しながら、一通り話が終わると、チェレーリーズ姫はキラキラした瞳をこちらに向けてきた。
「殿下はアティエット姫のことを大切にしていますのね。大丈夫だろうとは思っていましたけれど、話を聞いて安心しましたわ」
「大丈夫かどうかは怪しいわよ」
 なにしろ殿下にはいろんなことで悩まされているのだもの。
 でも、レティヴィア姫は「大丈夫よ」と意見を重ねる。
「大事なのは殿下の想いよ。あの方はやり方がわかってらっしゃらないことが多いけれど、それは近くにいる者が支えて差し上げなければならないと思うわ」
「まあ。チーム殿下ですわね」
「そう。残念ながら、私達はそこに入ることはできないのだけれど」
 本当に残念と思っているのかしら?レティヴィア姫だって面倒なことはそんなに好きではないはず。でも、殿下を弟のように思い、教育係を買って出て本当の姉のように厳しく接していたのは彼女だけだった。後宮を去った後もその役目を続けろなんて勝手なことは言えないわ。
「心配いりませんわよ。わたくし、夫からいろいろ話を聞いてるのですけど、アティエット姫のお陰で殿下も少しずつ見識が広まってきているようですわよ」
「そうかしら。確かに、陛下や皇妃殿下からお勉強の方をかなり事細かに指示されているということですが」
 それが実を結んでいるという話は全く聞かない。オブシェルに尋ねれば答えてくれると思うけれど、二人でうんざりした気分になりたくないから、敢えて避けているところもあるのよね。
「以前に比べると、国政のことをちゃんと知ろうとしたり、国民のことをよく見ようとする気持ちが出てきたそうですわ。やり方こそ、まだまだ荒削りだと夫が言っていましたけど、そんなの当たり前ですわよねえ。いきなり器用にあれこれこなすような方は殿下ではありませんもの」
 うふふ、とチェレーリーズ姫が口元を抑えて笑う。私もレティヴィア姫もつられて笑いだした。
 そうよね。そんな人は間違っても殿下じゃないわ。弟殿下ならきっと見事に役割を果たして下さるだろうけれど。でも、私の殿下は不器用で、頭を使うのが苦手で、なかなかまともな判断もできない方だもの。それと同じくらい明るくて優しいから、傍にいたいと思える。そんな人は殿下が最初で最後。もし同じような人と出会うことがあっても、殿下のようには大切にできないと思う。
 殿下は私にとって例外中の例外、特別中の特別なのよ。
 殿下に思いを馳せていると、チェレーリーズ姫の目が私の手首に止まった。
「もしかして、それが殿下からの贈り物の?」
「ええ。ネルフェスカの伝統工芸品なのだけれど、見事でしょう?小さな国ですけど、宝石とこういう意匠に関しては世界に誇れると思うのです」
 茶化しながら答えて、二人に見えやすいように手を前に出すと、レティヴィア姫までもが目を輝かせた。
「貴婦人達の間でも話題になっているのよ。殿下がアティエット姫に贈った婚約祝いのブレスレットのこと。実物を見た人はごく一部なのだけれど、そういう人達がネルフェスカから似たようなものを取り寄せて身につけ始めてるの。今、ちょっとした流行りなのよ。でも気持ちはよくわかるわ。これなら私も欲しいもの」
「殿下ったらやりますわね。離れて久しい国の懐かしい品を婚約祝いにお選びになるなんて。こんなことされたら、ほだされてしまいますわ」
「ですよね」
「あら、あなたもほだされたのね」
「そういうこともありますわ」
 ところで、とチェレーリーズ姫が首を傾げる。
「アティエット姫はお返しの品を贈りましたの?」
「そうね。何を選んだのかしら?」
 やはり興味津々の二人に、私は笑顔を苦笑に変える。
「そのことですが……」
 話の続きを聞いて、二人の顔は最初こそ曇っていたものの、最後にはぱあっと明るくなって、私の行動が間違ってないという自信を与えてくれた。
「素敵だわ。あなたでなければ絶対にできないわね」
「殿下がいちころになる姿が目に浮かびますわ」
 しばらくその贈り物のことで盛り上がり、やがて時間がきてお茶会はお開きになった。
 本当はもっともっと共に過ごしたかったのだけれど、私の方の都合だから仕方がない。
 久しぶりに会った二人は、変わらない部分もたくさんあったけれど、離れていた時間を感じさせるところもあった。レティヴィア姫は後宮にいた時よりも表情が豊かになっていて、彼女があの場所でどれだけ気を張っていたのかを感じさせた。使用人にあれこれ指示を出すチェレーリーズ姫の姿を見ていると、彼女もすっかり女主人になったのねと妙な感慨が生まれて来る。
 でも、変わったのは私も同じ。
 以前よりも作法を気にするようになった。使用人達や侍女達や兵達を気にしないようにしながらも、時々目を配って全体の様子を見るようになった。身につけるものも上等のものになった。何より、殿下にとても近くなった。
 これから先、二人の姫とも遠い存在になってしまうのかしら。
 馬車に乗る前に少し気を落としていると、チェレーリーズ姫が再会した時のように手をそっと包み込んだ。
「今日は来てくださってとっても嬉しゅうございましたわ。こうして、時々お会いできるといいですわね」
「貴女は忙しくなるでしょうから、私達を呼んで下さればいつでも駆けつけるわ。お手紙もまた書くわね」
 そう言ってレティヴィア姫も手を重ねてくる。
「そんなことおっしゃると、私、毎日のように呼び出してしまうかもしれませんわ」
 泣きそうになるのを抑え、苦笑に変えると二人の姫は構わないと笑った。
 大丈夫よ。寂しくなんてないわ。この姫達とはいつまでも親友でいられるもの。
 

*        *        *



 ディナーの時間、二人の姫と過ごした話をしていると、嬉しそうに微笑む殿下と目が合った。あまりに美しくて言葉を失う。
 こういうのをとろけそうって言うんじゃないかしら?胸がドキドキする。
 どうしたのかしら。殿下はどうしてこんなに素敵に微笑んでいらっしゃるの?
「殿下?」
「とても楽しかったようだな」
「ええ。だって、レティヴィア姫とチェレーリーズ姫とはとても親しくさせていただいてるのですもの」
「最近は何かと忙しかったからな。アティがこんなに嬉しそうに話すのを見るのは久しぶりだ。アティが嬉しいと私も嬉しい。ヴィアとリズとならいつでも会っていいぞ。ただし、私を後回しにしないように」
「まあ、殿下ったら」
 確かに、最近はこんなに自分から話をすることはなかったかもしれない。何もかも決められた日程の中でやっと気分転換できたのが今日のお茶会だった。
「そうですわね。落ち着いたら、またお茶会でも」
「そうするといいい」
 殿下は満足げに頷いて、デザートに手を伸ばす。
 殿下もご一緒したがるかと思ったのに、それを口にしなかったことが意外だった。
 確かに殿下はお忙しい。私よりもずっと過密な予定が組まれている。でも無理をきかせることも多い。やろうと思えばできるけれど、最近は私と会う時間を作る以外の無理を聞いたことがない。今、彼女達とのお茶会について何も言わないのはもしかして元側室だから?気を使っているのかしら?彼女達に?――私に?私が同席しても、元側室達とお茶会だなんて聞く人が聞けば不躾な噂を立てられるのは目に見えている。そういうことも考えているの?
 チェレーリーズ姫の声が甦る。
『殿下も少しずつ見識が広まってきているようですわよ』 
 そうかもしれない。
 殿下も殿下で頑張っている。私のことも大切にしてくれる。その気持ちに応えたい。
 あれをもう少し急がないと――そっと決意しながら、私もデザートに手を伸ばした。
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