殿下に愛をこめて

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  皇妃様の刺客 1  

 殿下には秘密の話だと言われ、オブシェルに呼び出されたある日の夕暮れ。
 コーテアを伴ってひっそりと訪れた後宮と王宮の境目にある東屋で、殿下の侍従オブシェルは待っていた。
「ご足労いただき恐縮です」
 頭を下げるオブシェルを手で制し、早速本題を促すと彼から思いがけない話が出た。
「今回は皇妃殿下の命で参りました。皇妃殿下はユルトディン殿下が本気かどうか疑っておられます。万が一軽い気持ちであればアティエット姫に申し訳ないとも。だから殿下が少しのことで気持ちが動かないか試されることになりました」
「試すとは?」
「姫が気を悪くされることを承知で申し上げます。10日程お時間をいただきまして、殿下を様々な女性が誘惑します。それに負けるようであれば皇妃殿下は此度の婚約を無かったことにし、姫にとって最善の処置を考えるおつもりであらせられます」
「なるほど」
「つきましては、その期間、姫におかれましては殿下との接触を全て断っていただきたく願います」
 気分を悪くすると言うよりは、皇妃殿下も大変だわ、と変に同情してしまう。
 殿下の婚約者に内定してまだ日が浅く、自分に実感がないのもあり、嫌だという気も起こらない。
「わかりました。事後報告はしていただけるのでしょうか?」
「お望みとあらば」
「では、そのように」
 話は終わりだと東屋を出ると、それまで口を出さなかったコーテアが「想像できませんね」と呟いた。
 殿下を誘惑する。
 それに簡単になびく殿下は想像できるような気もするし、やっぱり想像できないような気もする。
 殿下も年頃ですもの。
 そんなふうに考えもするものの、普通だったら後宮解体なんてしなかったはず。多くの女性を愛でたかったら後宮はそのままにしておくべきよね。
 そこまで頭が回らなかったというのは大いに考えられるけれど。
「姫様、10日間は殿下に悩まされることなく過ごすことができますよ」
 明るいコーテアの声にこちらも期待が大きくなる。
「それは素敵ね」
 久しぶりにのんびりできそうだわ。


*        *        *


 侍従というのは非常に面倒な仕事である。
 侍従と言っても殿下につくには身分がいる。かくいう私も公爵家に生まれ、父は大臣。私自身も爵位を持っている。いずれは殿下の側近だ。更に行く末には、栄えあるポストが待ち受けている。しかしこれっぽっちも友人達から羨まれないのは私が他ならぬ第一皇子ユルトディン殿下の侍従であるせいだ。
 幼少の頃よりお仕えしてきたが、何というか…………オブラートに包んで言うと、非常に残念な皇子だった。そして残念さに磨きをかけながら殿下は16歳になってしまった。
 公務は何とか――お世辞ではない。本当にギリギリすれすれ及第点だ――こなしていたが、この間とんでもないことをやってのけた。
 妃は1人宣言。その為の後宮解体。
 それでいながら、妃にと望んだ側室のアティエット姫には一言も伝えていなかったという衝撃的な事実。お陰で私は事情を知らないアティエット姫の結婚相手候補に名前が上がり、背筋が凍る思いをした。アティエット姫はなかなか賢い方だけあって、無事(?)殿下の婚約者に収まったが、殿下は姫が私を選んだことを根に持っている。何かにつけて嫌がらせをするのはやめてもらいたい。あの殿下のことだ。長くは続かないと思うが――。
 そんな殿下の姫に対する気持ちを確かめるべく、皇妃様が持ち出した計画。皇帝陛下は承知しているらしい。
 あれこれ殿下の周りに女性を送り込んで誘惑するというものだが、はっきり言って時間の無駄だ。
 あんな殿下でも第一皇子。妃になりたいという女性は少なくなく、あれこれ頑張る方々もいたが、その全てをのらりくらりとかわしてきた殿下だ。簡単に籠絡できるなら今頃こんなことにはなっていないと思うが、皇妃様の命であるから仕方ない。
 面倒な仕事が増えた。
 事が一段落したら休みをもらおう。
 そうだな、1週間くらい。


@エミサリル姫

 最初に現れたのは殿下の側室の1人だったエミサリル姫だった。
 美しい姫だが、正直に言って我が儘だ。自尊心も高い。絵が上手だという長所もあるが、殿下が敬遠していた女性の一人である。
 彼女を寄越してどうする。
 それが率直な感想だった。
「殿下、妃の件、もう1度よーくお考え直し遊ばせ」
 よりにもよって勉強中にズカズカと部屋に入ってきた彼女は周囲の目も気にせず殿下の机までやってきて、ずいと身を乗り出した。歴史の教師が困惑している。視線で「放っておいて下さい」と合図を送ると、諦めたように分厚い帝国史のページをめくり始めた。
 私も何か暇を潰すものが欲しい。しかし残念ながら何もなかった。
 仕方なく、殿下とエミサリル姫のやりとりを目に収めることにする。
「私は熟考した上で皆に話をした。考えは変わらない」
「後宮解体については今更何も言いませんわ。問題は妃です。殿下はこの帝国の第一皇子ですのよ?小国の姫を娶っても何の利もありませんわ。帝国より優れた何があるわけでもなし。殿下は殿下としての役目を果たさなければなりませんわ!もっとふさわしい相手を選ばれるべきです!」
 高い声が頭に響く。
 言ってることは割と正論だが、何しろしゃべり方が悪い。声のトーンが高すぎるのはいかがなものか。
「父上は良いとおっしゃった。エミがそれについて口出しすることはない」
「皇帝陛下だって親ですもの。殿下に甘いのですわ。陛下も本当は殿下にはもっと殿下らしく行動して欲しいのです。その思いを汲むべきではありませんか」
 これも正論だ。
 今日の彼女が言うことはやけに筋が通っているな。
 皇妃様が誰かに台本でも書かせたか?
 しかし、姫に対する殿下の態度は実に面倒くさそうだ。ノートに落書きを始めている。一応、話している相手の顔を見ているところは評価するべきか。いや、しかし落書きは問題だな。後で注意しなくては。
「あの姫よりも殿下にふさわしい人はたくさんいましてよ。例えば公爵家の令嬢とか、外国の姫とか。身近なところでは、そうですわね、私とか私とか私とか!!」
 前言撤回。
 これはいつもの姫だ。
 台本があったとしてもさっきのところまでだろう。
「私の国は敗戦国ではありません。同盟国という立場です。航海術は既に帝国に技術提供をしているように、世界一優れたものです!海を制する者は世界を制するのです。第一、私の方が何倍も何十倍もあの姫より美しい!剣を振るい、お茶にしか能がないあの姫と比べて、絵画を愛し、芸術を愛する私のなんて高尚なこと!客観的に考えて、私の方が殿下にふさわしいことは一目瞭然でしてよ」
 この姫は現在結婚相手を探している最中だ。
 こんな面倒な性格の姫を押しつけられる方はたまったものではないな。
 いっそ国に帰って思い通りに暮らした方が幸せではないか?
「私の婚約者を侮辱することは私を侮辱するのと同じことだぞ」
 殿下はついに教科書を閉じた。
 まずい。この騒ぎに乗じて今日の歴史の勉強を終わらせるつもりだな。
「客観的にどうあろうが問題ではない。私は私の主観に基づいて妃を選んだのだ。私も皇族である前に1人の人間である。かの偉大なる哲学者グローウィンもそう言っている」
 殿下は格好よくそう言い放つと席を立ち、部屋を出て行った。
 後に残されたエミサリル姫はぶすっとした表情で私を睨みつけてくる。
「殿下の趣味はおかしいわ。ネルフェスカの姫より私の方がずっと優れているけれど、相手があの殿下じゃこちらから願い下げよ」
 忌々しそうに扇で机をバシッと叩いて、去ろうとした彼女は一旦足を止める。
「グローウィンとモルガンの違いくらい教えなさいよ。恥ずかしいったらないわ」
 それだけ言って彼女はやっと帰っていった。
「姫の言う通りですね」
 帝国史を読んでいた歴史の教師の悲しげな声が耳に届く。
 私も悲しくなる。
「また1つ復習しなければならないことが増えたな」
 殿下が引用したのは偉大なる哲学者でもグローウィンではなくモルガンの言葉だ。
 これを間違える貴族はいないと言われていたが、まさかこんな身近に存在していたとは。
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