殿下に愛をこめて

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  皇妃様の刺客 2  

A大臣の姫

 エミサリル姫の訪問の翌日にやってきたのは某大臣の娘だった。
 容姿・性格・知性・品格・家柄、全ての項目において皇子妃にふさわしいと高評価を得ている姫だ。殿下と同い年なのもいい。
 彼女はエミサリル姫とは違い、ちゃんと面会の予約を取り、その時間通りにやってきた。
 さっきまで哲学をみっちり叩き込まれていた殿下はげっそりしている。
「まあ、殿下。お疲れのようですね」
「教師にかなりしごかれたのでな」
「わたくし、殿下に差し入れを持って参りましたの。よければ召し上がって下さいませ。当家お抱えの菓子職人の素晴らしい一品ですの」
 姫が差し出した小箱を受け取った殿下は早速開いた。中から出てきた焼き菓子は見た目からしてとても美味しそうだ。
 殿下に促されて別の侍従が毒味をする。
 素晴らしい味だと殿下に感想を伝えるが、もう少し時間が経つまで殿下は焼き菓子を口にできない。それくらいは殿下もわかっている。
 焼き菓子に後ろ髪を引かれながらも、殿下は姫の方に視線を移した。
「ところで、今日は何の用だ」
「殿下のご婚約が決まったと聞いたので、お祝いを申し上げにきたのです。殿下、本当におめでとうございます」
 仕草は控えめに、しかし可憐な花を思わせる笑顔を浮かべて彼女は祝福する。
 実は、殿下の妃候補の筆頭に名前が挙がっていたのがこの姫だった。皇子妃として何1つ欠点がなかったと言っていい彼女。殿下がこうでなかったらとっくに婚約者に内定していたに違いない。それなのに、そんな経緯を一切感じさせないで華やかな表情で殿下に接する彼女が本当に眩しい。殿下には勿体ない。彼女が殿下の犠牲にならなくて本当に良かった。心からそう思う。
「ありがとう。そなたには色々迷惑もかけたな。そなたが困ることがあったら、いつでも協力しよう。私はそなたの味方だ」
「ふふ。お優しいのね。心強いですわ」
 本当に嬉しそうに、しかも微かに頬を染めている。
「正直に申し上げます。わたくし、殿下のお側に上がる日を心待ちにしていたのです。周りはわたくしなら大丈夫だと言って下さって、それを真に受けてしまったのですわ。いつまでも少年らしさを忘れない殿下の天真爛漫さはとても眩しく、そんな殿下の隣に立てることを楽しみにしていました。自分を磨いていれば、いつかお声が掛かる。そんなふうに信じていたのです。そんなところに殿下からお話があって……わたくし、自分がいかに傲慢な人間かを思い知りました。わたくしが信じていたものの中に、殿下からのお言葉は全くなかったのです。殿下のお気持ちを察することも出来ず、ただただ恥ずかしくて。きっと、殿下に失礼なことも幾つもあったのでしょう。わたくしのような者が、殿下のお心を射止めることができないのは当然でした」
 なんという女性だろう。言葉の端々に表れたいじらしさに聞いている方が涙が出そうだ。
 殿下に対して申し訳なさなど抱かなくてもいいのに。
 こんな姫を見て心が動かないわけがない。――――普通は。
 不安になりながら殿下を見ると、穏やかに微笑んでいた。
「そなたには全く非はない。ただ、私がアティエットを愛してしまっただけなのだ。美しい心を持つそなたならば必ず幸せになるだろう。私はそなたの幸せを強く祈っている」
「わたくしが入る隙はどこにもないのですね」
「済まない。私の心はアティエットのものなのだ。そなたに感じるのは得難い友情だ。生涯、私の大切な友人でいて欲しい」
「殿下は本当に素敵な方です。お側にいられないのは残念ですけれど……一生殿下にお友達と呼んでいただけるようにもっと自分を磨いていきますわ」
 ほろりと零れた涙を指で拭う仕草も美しい。
 それにしてもなんだ。
 この姫相手だと殿下がやけにまともに見える。
 これは彼女の力なのか。
 だとしたら彼女にこそ妃になってもらいたい。切にそう願う中、彼女は退室していった。
 後ろ姿を見送った後、殿下は焼き菓子を食べながら言った。
「良い女性だな」
「彼女がアティエット姫に劣るとは思えませんが」
 たまらず口を出すと、殿下はムッとして軽くこちらを睨みつけた。
「そんなことを言ってアティを奪う気か」
「とんでもありません」
「さあな。信じがたいものだ」
 それっきり、殿下は無言で焼き菓子を食べ続けた。
 多分、殿下自身、姫の資質が妃にふさわしいことはわかっているのだろう。だからこそ、彼女に寛大だったのかもしれない。


B寝台の女

 10日の期間も半ばを折り返した頃、彼女は現れた。
 夜、殿下を部屋まで送り届けた時のことだ。
 殿下は寝室に繋がる扉を開くと、硬直した。
 そして扉を閉め、こちらを振り返った。
 嫌なものを見たと言わんばかりの顔に、流石に去ることもできず、部屋に足を踏み入れた。
「どうしました」
「何だ、あれは」
「あれとは?」
 殿下はそれには答えず、開けてみろと命を出した。
 殿下の部屋は兵士に守られている。不審者などいるはずがない。
 しかし、寝室の中には人影があった。
 もっと正確に言うと、殿下の寝台に透ける布だけを無造作に纏った裸の女性がいた。美女だ。かつ、見事な体型だ。そして艶めかしい。
 目が合うと向こうはギョッとした。こちらも気まずくなり、視線を背ける。
「誰かの気遣いかと思われます」
「何故気遣いで見ず知らずの女に私の寝台を占領されなければならない」
「そう言わずに。せっかくです、厚意を受け取ってみては」
 流石に真剣にそんなことを言うわけにもいかず、いかにもこちらも困ってます、という感じをありありと出しながら言う。
 だが殿下は不機嫌になるばかりだ。
「いらん」
「少々拝見したところ、かなりの美女ですよ」
「いらんと言っている」
「あまり固いのも問題ではありませんか」
「選ぶのは私だ。何の問題がある。そしてあれは選ばぬと言っているのだ」
「では、彼女に何の問題があると言うのでしょう」
 尋ねると、殿下はつまらなそうに吐き捨てた。
「趣味じゃない」
 殿下の趣味って何ですか。
 アティエット姫ですか。
 もっと具体的な嗜好を聞いてもいいのだが、寝台には皇妃殿下に差し向けられた哀れな女性がいる。これ以上言い合うのはよくないだろう。
「では、どうされます」
「決まっている」
 殿下は部屋の外にいた兵士達に声をかけた。
「おい、寝室にいる女をつまみ出せ。あのような者、何があっても勝手に入れるでない。職を失いたいのか」
 慌てて入ってきた兵士は寝室の女性を連れて行く。彼女は部屋に入った時に着ていたと思われる服を一応身につけていた。ばつの悪そうな顔を見ていることもできず、やはり目を合わせないようにする。
 不幸な女だったな。
 相手が殿下でなかったらあんな屈辱を受けることもなかったろうに。
 彼女がいなくなると、殿下は侍女を呼びつけた。
「あんな女が入った寝台になど入れるものか。新しくせよ」
 その言葉に侍女達が顔を見合わせ、困ったように布団やシーツを取っていく。
「今夜はそこで寝る気がしない。客室で寝る」
 その言葉に、1人の侍女が慌てて客室の準備に行く。
 周囲が慌ただしく動く中、殿下はボソッと呟いた。
「どうせ気遣いをするのなら、アティを寄越せばいいものを」
 それがあまりに忌々しそうで、しかも真剣だったので、敢えて聞かなかった振りをする。
 女性に興味がないわけではないらしい。それがわかっただけで安心するべきだろうか。
 後のことは考えてはいけない。
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