殿下に愛をこめて

ススム | モクジ

  私、側室を卒業します 1  

 拝啓、親愛なるお父様

 お父様、お元気ですか。
 お母様や妹のリリカも元気ですか。私はとても元気です。
 ツァルク帝国での生活も7年目を迎えました。
 あっという間の7年でしたが、振り返るといろいろな思い出がよみがえります。
 第一皇子殿下にお茶を気に入られたこと。何人かの側室の方々と懇意になれたこと。殿下の剣のお相手を務めるようになったこと。殿下の剣のお相手が難しくなった後、第二皇子殿下の剣のお相手をするようになったこと。王子殿下方から話が伝わり、皇帝陛下の目に止まり、一年の始まりには剣舞を披露するようになって5年にもなること。
 ネルフェスカのことを心配しながらも、わたくしはわたくしの居場所をここで築いてきました。
 でも、そろそろそれも終わりのようです。
 始まりは、殿下の一言でした――――。


*        *        *


「後宮を解体する」
 招集が突然かけられたのは夏も終わりかけた頃のこと。招集をかけたのはこの後宮の主であるツァルク帝国の第一皇子ユルトディン様。私が後宮に来たばかりの頃は実年齢に比べて結構幼く、頭も割と弱く、帝国の先が思いやられた殿下も16歳になった。見た目は麗しく成長し、頭の方も――いや、そちらは置いておこう。この国には第二皇子のクディナス様がいる。まだ10歳だけど、こちらは年齢以上にご立派で優秀で賢くていらっしゃる。あの方さえ無事でいらっしゃれば帝国は安泰よ。ええ、とにかくそういうことなの。え、こちらの殿下の方?お元気で暮らしていればそれでいいんじゃないかしら。
 ああ、話が逸れたわ。とにかく、16歳になり、側室は8人になっていた。と言っても、特に殿下がどの側室とどうこうなったという話もない。いまだにない。私のところに話が届かないようになっているということもない。情報通のチェレーリーズ姫でさえ聞いたことがないと言うのだから本当に何もないのかもしれない。下世話な心配だとわかっているけれど、心配だわ。
 私は殿下が後宮で休憩する時にお茶を出したり、第二皇子殿下の剣の相手をしたりして居場所を作ってきた。剣の腕が皇帝陛下の目に止まって新年のおめでたい席で剣舞を披露するまでにもなり、なかなか充実した生活を送っていたと思う。後宮の側室としてどうかと思うところはある。でも殿下は5歳年下だし、もっと殿下に年の近い側室もいるし、姉のような気持ちで成長を見守ってきたのが正直なところ。
 そんな弟のような殿下が一人残らず集まった側室達を前にしての第一声がそれだった。
 8人の側室達は軽くざわつく。私は隣にいたチェレーリーズ姫と顔を見合わせる。
 知ってる?
 いえ、初耳よ。
 視線で会話を交わした。流石に困惑は隠せない。後宮を解体するとは具体的にどういうことなのか。殿下の考えと私の受け止め方が合っていれば、私の身はどうなるのか。次の言葉に耳を傾けた。殿下はいつになく神妙な顔をしている。
「長年世話になったそなた達にこういうことを言うのは忍びない。しかし、わかって欲しい。私ももう16歳だ。そろそろ妃のことを考えなければならない。苦言を呈してくる者達もいる。私も私なりに考えた。それはもう、1ヶ月くらいかけて考えた」
 まあ、あの殿下が1ヶ月も一つのことについて真剣に考えるだなんて。これはすごい成長だわ。皇帝陛下もきっとお喜びになるわね。
 私が変なところで感動している間にも、殿下は話を続ける。
「かねてより考えていたことがある。私は真に愛する人だけを妃とし、生涯その人を愛し続けていきたいと。その為にはどうしたら良いか。それをずっと考えた。その結果、後宮を解体することにした。そなた達に1ヶ月時間を与える。それぞれ考えて欲しい。自分がどうしたいのかを。想う者がいるのなら結婚できるように尽力しよう。地位が欲しいのなら出来る限り叶えよう。仕事に就きたいのならそれもいい。国に帰りたい者は、父上に私から頼もう。それでも、もし、側室に残りたいという者がいたら、それも許そう。だが形だけになる。私は妃となる者以外、愛することはないのだから」
 辺りがしんと静まりかえる。殿下がいる場でこんな空気になったことが今まであったかしら。いいえ、無いわね。殿下の周りはいつも賑やかだったもの。いろいろ問題はあるけれど、いつも明るくて笑顔の殿下。私達は、なんだかんだ言ってそんな殿下が好きだったのだわ。その殿下がそう言うのなら、もうそれは仕方ないわよね。
「あの、窺ってもよろしいですか」
 す、と小さく手を挙げたのは誰よりも早く殿下の側室としてこの後宮に入ったレティヴィア姫だった。殿下が許可すると、彼女はいつものように落ち着いた雰囲気で質問をした。
「それは皇帝陛下もご承知なのですか?」
「そうだ。父上にもご理解いただいた。あくまで、私に関してのことなので父上やクディナスの後宮には関係のないことだが」
「そうですか。わかりました。それならば、私に異論はございません」
 レティヴィア姫が頭を下げて引くと、入れ替わりに他の姫君達からも声が上がる。殿下はそれに一つ一つ答えていった。
 私達の今後をしっかり保障して下さるのですか。
 今回の決断で故国に不利益が生じることは無いのですね。
 結婚を望んだ場合、どのような相手でも良いと?
 殿下は全てに「そうだ」と答えた。こちらの願いは全面的に叶えようという姿勢だ。そして、今回のことで私達側室やその故国に一切非はないと約束してくれるという。殿下だけが言うと不安だけれど、皇帝陛下が承諾済みなら不安がらなくてもいい。聞きたいことは全て他の姫君が聞いてくれたので私には敢えて言葉にするようなことはなかった。でも、一応私のことも聞いておこうと思ったのか、殿下がこちらを見る。しかし、殿下が尋ねる前にチェレーリーズ姫が遮った。
「殿下。わたくしからもお尋ねしたいことがあります」
「なんだ、リズ」
「殿下は既に妃にと考えている方がいらっしゃるのですか」
 再び辺りが静寂に包まれる。
 その中で殿下ははっきりと答えた。
「そうだ。妃はもう決めている」
 強い意志を感じる。なるほど、殿下にはちゃんとそういうお相手がいて、その上で決めたことなのね。これから愛する人を見つけてとかいう夢物語ではないんだわ。私は少なからず安心した。いつまでも寝言のようなことを言っているようでは困るもの。私達の殿下も少しずつ大人になりつつあるんだわ。 
 質問したチェレーリーズ姫は小さく微笑を浮かべる。
「わかりましたわ。では、わたくしはわたくしで最良の選択をするべく考えさせていただきます」
 その言葉を受け止めた後、再び殿下と私の目が合う。
「そういうことだ。わかったか?アティ」
「はい。全ては殿下の望むままに」
 了承の意を伝えると、殿下にやっと笑顔が戻った。いつもよりは幾分か穏やかなそれに私も笑顔を返す。
 そして、この場は解散することを告げられる。
 姫君方が自分の部屋に戻ろうとする中、それまで静かだったエミサリル姫が殿下にあれこれ言い始めた。私より半年早く後宮に入った1歳年下の姫。いまだに我が儘で、側室の中では結局浮いてしまっている。殿下にふさわしいのは自分だと言って憚らなかった彼女がヒステリックに殿下を責める声を後にしつつ、私は廊下で待機していた侍女コーテアと合流した。
「たくさん考えなければならないことができたわ」
「さようでございますか」
「後宮を解体するのですって。殿下には愛する妃1人いらっしゃればそれでいいそうよ」
「えっ」
 流石に驚いたコーテアに大丈夫だと目を配りながら、私は部屋に戻る間に経緯を説明した。


*        *        *


 この身をどう振ろう。
 そればかり考えて、2週間が経つ。
 21歳。この後宮に来ることさえなければ、今頃結婚して子どもでも生まれていたかもしれない。相手は外国の王族だったかもしれない。いや、それはないか。一応世継ぎの姫として育てられていたのだから、国内の有力貴族と結婚するあたりが妥当よね。そうすると、相手はあの人か――今考えても仕方ないことだけれど、浮かんできた幾つかの顔に苦笑いするしかない。中には悪くない人もいる。でも悪くないからと言って、国に帰れたところで彼はとうに既婚者になっているだろう。そうすると、残った辺りは――やっぱり却下。
 ネルフェスカに帰ろうか、ここに残ろうか。
 まずはそこで悩んでいる。ここに用が無いのならば国に帰るのは難しいことではない。皇帝陛下の許可があるのならば尚更のこと。しかし、帰った後に自分がどうなるのか。身は清いままとはいえ、ツァルク帝国の第一皇子の側室だ。その立場で国で誰かと結婚することは恐らく不可能だ。ネルフェスカの常識では有り得ない。例え帝国から事実の証明をしてもらえたとしても、周囲がそれを信じることはないだろう。
 頭が固いのよね。
 毒づいたところで、世間はそういうものだ。そもそも、これが他人事だったら私自身が信じなかっただろうから。
 かつてはネルフェスカの世継ぎだった身とはいえ、今は、妹が世継ぎの姫として育てられている。私が帰ることはないと考えていたのだから当然だ。国に帰るとすると混乱するかもしれない。少数の貴族が長子の私こそ国を継ぐべきだと国政を乱す様子が目に浮かぶ。お父様はそれを止めるだろう。私を世継ぎに戻すことはしない。きっと。
 そうなると、私の人生はどうなるのかしら。国を背負うことなく、結婚もせず、ネルフェスカの王族として一生を過ごすことになるの?結婚――もしできたとしても、きっと事実は伴わない。それか、良くて後妻だわ。どちらも幸せになれるとは思えない。
 幸せ。
 小国とはいえ王族に生まれた身で自分の幸せにしがみつくのはみっともないだろうか。国の為を第一に考え行動する。そもそも、その為に帝国に来たのに。
 ここに残ったとしても国に不利益は生じない。
 だとしたら?
 ここに残って何をする?
 帝国の方が少しはましな人生を送れる?
 私は何をするべきかしら。何を選択するべきかしら。
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