FAKE

モドル | ススム | モクジ

  加速する嵐  

 初めて誠也とした大喧嘩は最悪の結果に終わった。とは言え、誠也があっさり由貴那の言い分を認めるとも思っていなかったので予想の範囲内の状況ではある。
 去年の秋から続けてきた誠也の「偽彼女」をやめたいという主張は誠也にはどうあっても受け付けられるものではなかった。けれどもこのまま嘘を続けて欲しいという誠也の主張だって由貴那は受け入れられない。
 だから決めた。
 向こうが折れるまで、誠也とは絶対に口を利かない。
 由貴那はそれを朝から実行していた。誠也は朝から由貴那を説得しようと話しかけてきたが、由貴那はうんともすんとも言わずに完全無視を決め込んだ。校内では半日も経たない内に由貴那を追いかけてあれこれ言う誠也に対し一切反応しない由貴那の姿が様々な憶測を呼んだ。
「おい、由貴那。由貴那って、なあ」
「あ、あの、由貴那ちゃん。誠也君の話聞いてあげた方が……」
「いいんだよ、奈美」
 休み時間の度にやってくる誠也と一緒になっておろおろする奈美はきっと昨日の顛末を聞いたのだろう。朝会った時からやたらとおどおどしていた。本当は詳しく聞きたいけれど、学校でできる話ではない。そんな考えが手に取るように伝わってくる。
「でも、由貴那ちゃん」
 ねえ、どういうことなの。
 視線で尋ねられて、由貴那は勝気な笑みを浮かべた。
 どうもなにも、そういうことだよ。
「もう誠也にはうんざり」
 その発言に聞き耳を立てていた人達がざわざわし出す。その中にいながらも、何も言わずにこちらの様子を窺っている森君と一瞬視線が合った。流石の森君も驚いているようだ。
「ねえ、奈美。奈美ならわかるよね。私の気持ち」
「う、うん……でも」
「だったら奈美からも言ってあげてよ」
 こんなのやめようって、という言葉は口には出さずにおいた。そこまでしたらいくらなんでも無茶苦茶だ。ただ、部外者がたくさんのこの場で意思をはっきりと伝えた。今の発言もすぐに学校中に伝わるだろう。
 誠也がなかなか動かないのならば、外堀から埋めていってしまえ。それが昨夜、由貴那が辿りついた結論だった。因みに昨日のことは森君にまだ報告していない。誠也の反応が難しかったのでそのまま伝えるのは良くないと思ったら、どう言っていいのかわからず結局他愛のないやりとりで昨夜のメールは終わってしまった。
 でも今日なら。今夜なら、言えると思う。
 それに、明日は森君と約束した土曜日だ。このまま誠也を一気に突き放しておきたかった。いつまでも避けることはできないだろうが、少しの間はこの状態を保ちたい。
 そんなことを考えていると、バン、と大きな音がした。誠也が机を叩いたのだ。
「いい加減にしろよ、由貴那。奈美を巻き込むなよ」
 至近距離で睨みつけられる。由貴那も負けじと誠也を睨み返す。
 なにが巻き込むなだ。巻き込まれてるのはこっちだ。
 二人の間に見えない火花が散る。教室内の緊張感が高まる。嫌な空気はしばらく続いたが、次の時間のチャイムが鳴ってその場は幕が下りた。



 四時間目が終わるとすぐに由貴那は教室から姿を消した。
 普段は三人で食べているお弁当だが、今日はとてもそんなことができる状態じゃない。休み時間の度に誠也の顔を見てうんざりしていて、少しでも落ちつける場所に行きたかった。
 空き教室に入り込んだ由貴那は外から姿が見えないように廊下側に席を陣取った。陣取ると言っても、どうせ五時間目の直前にならなければ人も来ない。それまではゆっくりしていられると肩をなでおろした。
 疲れた。
 喧嘩をするにもエネルギーがいる。身をもって実感したが、まだまだくじけるわけにはいかない。今すぐにでも森君と話して気持ちの充電をしたいけれど、それもまだできない。今、下手に動くと話が余計にややこしくなるだけだ。それこそ、森君をこの状況に巻き込んで外から何か言われるのはごめんだ。
 森君は部外者ではない。ただ、きっかけをくれた。由貴那を支えてくれた。由貴那が動き出す力をくれた。
 今すぐにでも森君と話したくてたまらない。でも携帯は生憎教室に置いてきている。今頃は誠也や由貴那から電話やメールが入っているかもしれない。それが嫌でわざわざ置いてきた。
 最早、誠也の顔を思い浮かべるだけでも疲労感がわいてくる。せめてこの時間くらいはあいつのことを考えるのはやめよう。由貴那は思考を放棄しようとした。
 その時。
 ガラガラ、と引き戸が開けられ、顔を出した奈美と目が合い、「あ」と呟く声が重なった。
 あーあ、見つかっちゃった。
 面倒だな、と思いながら由貴那は箸を置く。そしてお茶に手を伸ばしながら「どうしたの」と声を掛けた。奈美はハッとしてドアを閉め、中に入ってくる。幸い一人のようだ。
 奈美は由貴那の使っている机にパンの入った袋を置くと、前の席の椅子の向きを変えて向かい合うように座った。いつもお弁当を食べる時の位置だ。けれども奈美の顔は強張っている。
「探させちゃった?」
「……うん。誠也君も探してる。階を分けたんだ。だからここには来ないよ」
「そっか」
 奈美はこくんと頷くとパンにかじりついた。お昼ごはんにはちょっとどうかと思うチョコレートデニッシュは、奈美が食べるとなかなか様になっていた。奈美が小さくて可愛くて甘いものが似合うからだろう。それを羨ましくも思う。背の高い由貴那には、かっこ良さはマッチしても可愛らしさにはあまり縁がない。
 いいなあ、といつものように思いながら、誠也がここに来ないことに安心した。奈美が誠也に連絡を取らなければ、昼休みはきっとあいつの顔を見なくて済む。なにより、奈美とじっくり話ができる。
 由貴那は奈美の食事が終えるのを待って話を切り出した。
「ごめんね、奈美」
 最初に出てきた謝罪の言葉に奈美は目を瞠った。
「いきなりびっくりしたでしょ。私、奈美には何も言ってなかったからさ」
「ん……昨日、誠也君から聞いて。頭の中ごちゃごちゃで。それなのに今日の誠也君と由貴那ちゃんのやりとりでももっとぐちゃぐちゃになっちゃった」
 今も混乱してるの。
 戸惑いながら出される言葉に由貴那は相槌を打った。
 うん、そうだろうね。自分のことなのに、一人だけ蚊帳の外にされてたんだもんね。それは本当に申し訳ないと思う。
「あのね、私、好きな人がいるの」
「……うん」
「だからごめん。もう嘘をつきたくない」
 じっと奈美を見つめる。
 奈美の瞳が揺れている。驚かないところを見ると、既にその辺りも聞いているのだろう。色んな感情が入り混じって、やがて、その眼差しは下へと落ちた。
「簡単に言うとそういうことなの。誠也にも言った。でも誠也はそれでも今のままでいて欲しいって言った」
 聞いてるよね、と尋ねると奈美は静かに頷いた。
「でも、だったら、みんなにばれないようにすれば。嘘が一つくらい増えても大丈夫だよ」
 奈美が細々と出した提案は由貴那の癇に障った。
「みんなにばれないように、何?どうすればいいの?」
 自然と責める口調になってしまう。それでも由貴那はできる限り感情を抑えながら尋ねた。それでも由貴那の怒りは奈美に伝わり、奈美の気はどんどん小さくなってしまう。
「あの、その気持ちを隠してもらって……」
「どうして隠さなきゃいけないの?同じ学校の人を好きになったの。その人が見てる前で誠也の彼女とか言われてその振りをしなきゃいけないなんてどう考えてもおかしいよ。それにいつまでも嘘をつき続けることなんてできるわけないじゃない。どうせやめなきゃいけないことなんだよ、奈美」
「でも、まだ早いと思う」
「それじゃあいつならいいの」
「……卒業するまで、とか」
「……やってらんない」
 あと一年以上もあるじゃないか。そこまではつきあいきれない。何より、そんなことを本気で思っているならいくら奈美でも最低だ。昨日と同じように、気持ちがどんどん醒めていく。
「それは奈美の都合でしょ。奈美が安全でいる為の壁になれって言ってるんでしょ?ねえ?」
「そんな、由貴那ちゃん」
「誠也と奈美の為に、辛い思いをして、自分の気持ちを押し殺さなきゃいけないなんておかしい。どうして私が諦めなきゃいけないの?」
 自分勝手にも程がある。
 自分さえ良ければ人のことはどうでもいいの?奈美にとって友達ってそんなに軽いものなの?私はそれだけの存在ってこと?
 そんな子じゃなかったのに。誠也が奈美をこんなふうに変えてしまったの?
 奈美は由貴那の前で固まっている。言葉を探すが見つからない。そんな様子だった。
 ああ、言い返せないんじゃない。
 ぐにゃり、と由貴那の中で何かが曲がった。
「奈美、私、もう奈美の力にはなれない」
「困るよ、そんなの」
「困ってるのは私」
 それがわからないくらい盲目になっているだなんてこと、あるんだろうか。いや、それはない。
「……ああ、奈美にもあるもんね、困ってること」
 思い当たることはいくらでもある。
「本当は奈美だって嫌だよね。私が彼女だって言われてること。そこは自分の場所なのにって思うこともあるでしょ?学校では周りに合わせて私のことを誠也の彼女扱いしなきゃいけなくて、悔しいに決まってるもんね」
「ひどい、そんな……そんなふうに言わなくたって」
 奈美の声が震えているのに、何とも思わない自分がいる。いくらなんでも言い過ぎたかな、なんてこれっぽっちも思わない。普段は同情を誘う奈美の姿を見てもただイライラするだけだ。
「違う?」
「そんなの、嫌だって思うこともあるよ。でも仕方ないってわかってる。由貴那ちゃんに代わってもらってるんだから。由貴那ちゃんの方がずっとずっと嫌な思いしてることもわかってるよ。それなのにそんなふうに言われたら……」
「被害者気取り?わかってる?私にこんなこと言わせてるのは奈美と誠也なんだからね」
 違うとは言わせない。
 睨み付けると奈美はヒュッと息を飲んだ。
 身をすくめた奈美を一瞥して由貴那は片付けを始めた。つられたように奈美も机の上を綺麗にするが、心ここにあらずというのが明らかだ。由貴那がぶつけた言葉が相当ショックだったらしい。
 由貴那は奈美を置いて先に教室を出た。それと同時に昼休み終了のチャイムが鳴る。
 言いたいことは言った。けれどもすっきりしたと言うにはあまりに程遠い状況に肩を落とす。何一つ解決してない。誠也も奈美も納得していない。ただ、それでも今まで通りにいかないことだけは伝わっただろう。それだけのことをした。一方的だったのは由貴那だって自覚している。でもそういう態度に出させるだけのことをあの二人はしてきた。それをわかって欲しかった。
「……笑えないよ、まったく」
 こんなんじゃ、森君に好きだと言えるのはまだまだ先のことになりそうだ。それまでこんなもどかしい気持ちでいなければならないなんて。
 今すぐ話したいよ。
 教室に行けば森君がいる。でも誠也と喧嘩をして注目を浴びている今、迂闊なことはできない。幸せな時間は夜までお預けだ。それまでの時間の長さを思うと、今すぐここから逃げ出したくなった。



『桐島、大丈夫か?』
 いつもより早い時間帯、夕飯を食べてすぐ後の電話で森君が発した第一声がそれだった。由貴那は苦笑いしながらもその心遣いにくすぐったさを感じた。
「大丈夫って言ったら嘘になるけど、でも大丈夫かな」
『大丈夫じゃないだろ、それ』
 笑ってる場合じゃない、と電話の向こうから聞こえてくる声。この声を人目を気にしないで聞ける時間が本当に待ち遠しかった。
「ねえ、森君、聞いてよ」
『どうした?』
「あのね、私、二人にやめようって言ったの。昨日は誠也に、今日は奈美に。やっと言えたの」
 今日一日、これを伝えたくてたまらなかった。他の誰でもない森君に話したくて、認めてもらいたくて。いてもたってもいられなかった。
『……そっか、桐島』
「うん」
『あの様子じゃ大変だっただろ?』
「うん、二人とも今のままでいたいって。でも私はもう嫌だから」
『頑張ったな』
「……うん」
 不思議だ。
 誠也と奈美との喧嘩は由貴那にとってもかなり疲れるもので、随分心が荒れてしまっていた。それなのに森君の一言で気持ちがスッと軽くなっていく。今日はこの為だけに生きていたような気がする。ああ、なんて乙女思考だと自分で茶々を入れるが別にいいじゃないかと思った。だって、間違いなく森君のことが好きなんだから。
 由貴那は昨日の帰りから今日の昼にかけての出来事をかいつまんで話した。話の最中は相槌を打っていた森君は一段落すると長いため息をついた。
『すごいよ、桐島。そこまで言うとは思わなかった』
「本当のことだよ。それにあれくらい言わないと二人とも踏ん切りがつかないだろうし」
『そこまで計算してたのか?』
「そう言えたらいいんだけどね。ほとんど怒りに任せて言ったことなんだ。こっちも必死だったんだよ」
『本気だったなら絶対に伝わってるよ。友達なんだろ。いくらなんでもそれがわからない奴らじゃないよ、きっと』
「……だといいな」
 森君に話を聞いてもらっている内に、大分気持ちが落ち着いてきた。学校にいた時に纏っていたとげとげしさはどこに行ってしまったんだろう。自分でも驚いてしまう。
 まだ考えなければならないことはたくさんあって、これからどうするか、どうやって二人を説得するか全く見えていないのに、大丈夫な気がしてくる。
 楽観的でもいいじゃない。胸の中で自分に言い聞かせる。何としてでも「偽彼女」の汚名を晴らしてやる。歪んだ形から抜け出すんだ。
「私、頑張るから。森君、応援してね」
『もちろん。俺にできることがあったら何でも言えよ』
「うーん……」
 そんなのいいよ、と言おうとしてカレンダーが目に入る。目立つようにつけられた赤いマルは明日の日付だ。
 由貴那の口元が緩んだ。
「じゃあ取り敢えずは明日のデート、楽しみにしてるから」
『……あ、うん』
 短い間の後に返ってきた言葉はとても短いもの。それでも由貴那は満足だった。だって明日は今までよりずっと長く森君と一緒にいられる。二人きり、正真正銘デートだ。
「本当に楽しみにしてるからね」
『期待に応えられるように頑張るよ』
 照れたような森君の声に昨日から忘れていたうきうき感が戻ってきた。
 あまりに浮かれすぎて森君を困らせないようにしないとね。
 由貴那は二、三言交わして今日の電話を終えた。携帯電話を閉じた由貴那は通話時間を見てぎょっとし、今月はもう自分からはかけられないな、と反省しながらクローゼットの前に立った。
 さあ、今から明日の為のファッションショーだ。
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