小さな村の診療所

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  夏 4  

 すっかり慣れた二人で取る昼食なのにサリーは気まずそうに下を向いている。今日の弁当は水洗いをしただけのトマトだ。丸かじりしている様子は見るに堪えない。若い娘の昼食の光景ではないとディーンはいつもの感想を抱く。
「サリー」
 ディーンがサンドイッチを一切れ差し出すとサリーはおずおずと受け取った。朝食こそイオネが作ったがサンドイッチはいつもの習慣通りディーンが作った。イオネが作ったものをサリーに渡すのもおかしな気がしたからだ。その時にはこんな展開が待ち受けているとは想像もしなかったが、考えてみればサリーは昨日からディーンとイオネのことを誤解していたのだろう。だから様子がおかしかったのだ。
「あ、あの、トマト食べます?」
「いや、いい」
 断るとサリーは目に見えてしょんぼりとした。
「やっぱり怒ってるんですね。変な勘違いしたから」
「いや、違うから」
 ディーンは慌てて首を振った。
「トマトを丸ごと食べる気がしないだけだ。サリーの勘違いとは直接関係ない」
「でも、勘違いしたことは怒ってるんでしょう?」
「そりゃあ、妹とあんなふうに見られれば誰だって嫌に思うに決まってる」
 それもサリーにそう見られていたというのが結構ショックだった。
「ごめんなさい」
「そんなに謝るな。ちゃんと説明してなかったのはこっちだ」
 最初にもっとしっかり紹介していればサリーが誤解することもなかった。そう分かってはいるけれど気持ちは簡単に穏やかにならない。それでもサリーに出来るだけ苛立ちを露わにしないように装おうとする。
「イオネとは普段名前で呼び合うしな。顔もそんなに似てないし言われなければわからないのは当然だ。サリーは悪くない」
「先生……」
「わかったらさっさと食べろ。午後の診察もあるんだ」
「はい」
 トマトを元気のない顔でかじるサリーを眺めながらディーンも残りのサンドイッチを口に運ぶ。気持ちに余裕があれば何気ない話題を振って明るく努めるが、今はそこまでできそうにない。それでも、反省している様子のサリーを見ていると少しずつ落ち着いてくる。
 午後の診察に入る頃には完全に切り替えようとディーンは瞼を伏せた。



 午後の客足が途絶えたのはいつもより随分と早い午後三時くらいのことだった。夕飯の時間になっても患者がいる時もあれば、こういう時もある。次の患者がやってくるまで束の間の休憩だ。サリーと二人でお茶を飲んでいるところにイオネが顔を出した。
「今、いいかしら」
 わざとではないが眉間に皺を刻んだディーンとは対照的にイオネは昼の出来事など全く気にした様子がない。しかしディーンが腰を上げようとすると手を出した。
「ディーンじゃないわ。サリーの方よ。でも……心配ならついてくれば?別に誰に聞かれても困らない話だし」
「え?私?」
 きょとんとしているサリーをイオネは手招きする。それでも戸惑っているサリーの背をディーンがぽんと叩いて促した。
「行こう」
 ディーンも一緒にイオネに貸していた一室に入れば中にはあまり馴染みのないにおいが充満し、机の上には幾つかの瓶が置かれていた。それを見たディーンはイオネが何をしていたのかをすっかり理解した。 
「サリー、座って」
 サリーがイオネの言う通りにすると、イオネは瓶にラベルを貼りながら質問を始めた。
「今まで化粧品や薬で体質に合わなかったものはある?」
「え?特になかったと思うけど……」
「それなら大丈夫ね」
 イオネはラベルを貼り終えた瓶をサリーの前に並べた。
「まず最初に、ちゃんとした食事をしてね。最低三種類はないと食事とは言えないわよ。調理もして。体の中の栄養バランスが十分にならないと意味がないんだから。で、睡眠もしっかり取る。洗顔も普通にすること。その上でこれよ。朝にはこれを使ってね。夜はこっち。肌荒れが酷い時は時間に関係なくこれもつけるといいわ。でも一日二回くらいで。使いすぎもよくないから。あ、肌に合わない時にはすぐにやめること。私でよければいつでも相談に乗るから。貴方に合ったものを考えてあげるわ」
「え?え?え……?」
 なんの話をしているかさっぱりわからない様子のサリーにイオネはにこりと笑ってみせた。
「化粧水」
「え、もしかして今日はこれを作ってたんですか?」
 まさかイオネがそんなことをしているとは思わなかったサリーは口を大きく開けたまま驚きを露わにしている。
「安心して。領主の奥様の化粧水も幾つか承っているの」
「俺も保証するから。サリー、安心して使えばいい」
「え、でも、確かに嬉しいですけど」
 どうして?
 声に出ずともその疑問は伝わった。
「同じ女性としておせっかいをしてみたくなっただけ。薬草や花を使う得意分野でもあるし。それから、頭を洗う時にこれも使ってみて。乾かす時にはこれを髪にすりこみながら完全に乾かして、その後寝る。少しはその癖も軽くなると思うのよ」
 化粧水の瓶の横の大きな二つの瓶を示しながらイオネは優しげな微笑みをサリーに向けた。それが客に向けるものとは少し異なるものであることに気づいたディーンは「おや」と目を細める。イオネはどうやらサリーを少なからず気に入ったらしい。
「お近づきにあげるわ。効果があるといいんだけど。それでなくなったら連絡して。新しいものを送るから」
「そんな、私、ちゃんとお代は払います」
 思わず立ち上がりかけたサリーの肩をディーンが軽く押さえる。
「いいよ、そんなの。イオネがくれるって言ってるんだから」
「そうそう。ディーンがお世話になってるからそのお礼だと思って。他にもディーンに相談できないことがあれば私に聞いてくれればいいわ。きっと力になれると思うの」
 そこまで言われてはサリーはもう代金のことは言えないようだった。
 そしてイオネは手早く片づけると「夫が待ってるから」と嵐のようにアルモンドに帰って行ってしまった。そのあまりの手際の良さに取り残された二人はしばし呆然としていた。
「……先生、私、イオネさんにちゃんと謝ってませんでした」
「……いいだろ。そんなことよりも早く旦那に会いたいみたいだし」
 以前のイオネなら考えられない発言、柔らかな表情。たった一年で急激に女らしくなったと感じるのは旦那のお陰なのかもしれない。――見合い結婚のくせに。最初は興味なんてなかったくせに。
 イオネの変化を両親は間違いなく喜んでいる。娘が幸せになったのだから、息子も結婚して幸せな家庭をと話し合う両親の姿を想像してディーンは気が重くなる。
「なんか、パワフルな人ですね」
「医者ほどじゃないけど薬師も体力勝負だからな。気持ちの方もそれなりじゃないと。ただ、イオネの場合はただの薬草マニアだ」
 あまり尊敬の眼差しを向けてくれるな。
 しかしサリーは首を振る。
「でも、化粧水とか作ってくれましたし。薬を届けにきたついでにそんなことまでしてくれるなんて、いい人じゃないですか」
「二、三日くらいはテストだからな。気をつけて使うように」
「はい、それは大丈夫です」 
 サリーがふわりと笑う。その笑顔を見るのは昨夜以来か。ディーンもつられて柔らかい表情を浮かべた。
 サリーは勘違いをしている。イオネが突然訪れた理由は薬を売りつける為ではない。以前ディーンがサリーの肌荒れと癖毛について何かいいものがあったら送って欲しいと頼んだものを届ける為だ。薬はそのついでに過ぎない。まさか実際にイオネが足を運ぶとは思ってもいなかったが、サリーの肌質や髪質を直接見極めたかったのだろう。そもそも、化粧水があんなに短い時間で作れるわけがない。いろいろな成分を抽出した液を何種類か用意しておいて、必要な分をここで合わせただけだ。けれども肝心なことは一切口にしなかったイオネにディーンはひっそりと感謝する。ディーンからだとサリーに知られるのは気恥ずかしかった。
 これで少しはサリーの悩みが軽くなるといいのだが。
「――先生?」
 呼びかけられて視線を落とせば、不思議な顔をしたサリーがいる。
「ごめん、聞いてなかった」
「考え事ですか?」
「……まあ、ちょっとね。それよりもサリー、せっかく患者がいないんだ。こういう時こそ羽を伸ばそう」
「じゃあ私、お茶を淹れ直しますね」
 くるりと向きを変えて給湯室に入っていくサリーの背を視線で追い、ディーンは頭を掻いた。
 誤解に関しては複雑な思いがあるが、まあいいか。
 サリーの喜ぶ顔が見られるのなら、チャラにしよう。
 そう思ったディーンに肌が綺麗になってきたとサリーが嬉しさ全開で報告をしてくるのはそれから数日後のことだった。  
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