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モドル | ススム | モクジ

  21  

 文化祭が終われば今度は実力テストが待っている。6月になり、梅雨を迎えてからは毎日のように降る雨に、瑞穂の気分もどことなく憂鬱になる。朝から降り続ける雨は夜になっても止まず。窓に張り付く水滴に軽く顔を顰めてカーテンを閉めた。
もう30分くらい睨めっこを続けている数学の問題に降参だと体重を椅子に預ける。難易度はそんなに高くないのに、どうしても論理がわからない。仕方ない、とノートと参考書、筆記用具を持って良臣の部屋の前へ行く。ノックをして「今いい?」と尋ねると、「ああ」と短い返事。ドアを開けて入れば、机に向かっている良臣の姿。サラサラと走らせるシャーペンに、もう少しかかるだろうと瑞穂は部屋の真ん中に置かれた小さなテーブルに荷物を置く。奥にはテレビ、ボードの中にはビデオとゲーム、壁には制服がかかっていて、机の隣にはあまり大きくない本棚、その上にはパソコン。もう一ヶ月近く日常的に訪れている良臣の部屋を見回す度に、机や本棚の中にある難しい問題集や参考書に瑞穂は「やっぱり違うんだな」とレベルの差を感じずにはいられない。
「で、何?」
 見直しを終えた良臣が椅子に座った儘瑞穂を振り返る。瑞穂は立ち上がってノートを開き、机の上に置いて良臣に見せた。
「これ、模範解答なんだけど。ここからここへ行くのがどうしてもわからなくって」
 状況を説明すると、良臣は「これはさ、」とノートにペンを走らせていく。
「途中の式が省略されてて、ここからこうなって、これで、これで、こう。3段階も抜かしてるからわかり辛いんだろうな」
 何でもないことのように説明をする良臣に、「そうだったのか」と瑞穂が納得する。同時に、自分が30分も悩んだ問題をいとも簡単に説明できるなんて。しかも説明の仕方が上手いから何だか悔しくなって。努力の違いかもしれないが、世の中不公平だ。ここまで差をつけなくてもいいのに。ムッとした顔で解説を聞いていると、「何だよ」と良臣が僅かに顔を顰めた。
「ん……いや、相変わらず見事だなあと。一瞬でわかっちゃうんだもんね、私はすごく考えたのに」
 これ、誉めてるんだけど?
「このレベルだったらパターンは大体決まってるからな。ってか、お前が持ってくるのは数学が多いってだけの話だろ」
「う〜ん、そうだけど……。だって、世界史は自分でやるしかないし、英語は合ってるかわからないからって一つ一つチェックしてもらうわけにはいかないでしょ。それに一番ネックになってるのってUBだし」
「なら仕方ないだろ」
「……やっぱり?」
 こんなことうだうだ言っても仕方ない。
 瑞穂は良臣が説明を書き加えたノートを持って「ありがとう。お邪魔しました」と言って良臣の部屋を出た。



 学校に行くと、進路室前にちらほらと人がいた。それだけで瑞穂は中間テストの上位者表が貼られたのだろうと察し、近付いて足を止めた。予想に違わないそれは、実力テストとは違い、上位10人だけを各教科毎掲載したもの。総合順位は出ないものの、一通り目を通せば誰が1位かなんてことはすぐにわかる。今回もめでたく全部の教科でトップを掻っ攫っていったのは良臣だ。しかし、世界史では何と宏樹と同列一位で、第一回実力テストの結果が出た時の宏樹の意気込みを思い出し、これは軽く祝ってやるべきだろうかと小さく笑みを浮かべる。そんな宏樹は他にも政治経済に名前が載っている。光二も化学と日本史でトップをとり、英語でも名前を覗かせている。古典の結果を見てみれば、瑞穂は1位の良臣とは5点差で2位だった。既に全教科テストが返ってきているとはいえ、順位までは出ていなかったので意外だった。思わぬ好成績に喜びながらも、自分より12点差で4位につけている増山の名前を見つけて苦笑する。
 ……ライバル視、しないでくれるといいんだけどね。
 でも、この結果を喜んでも仕方がない。テストはどうせすぐにまた行われる。
 憂鬱な季節に、憂鬱なテスト。
 幾つ憂鬱なことが重なれば気が済むのだろう。
 瑞穂はしとしと降る雨を見つめて、教室に向かった。


 雨は昼頃やんだ。
 帰りのHRで担任の話を聞きながら空を見て、今日はもう降らないだろうな、と少し気が軽くなったところで、担任が「女子、特によく聞けよー」と注意を促した。
「最近痴漢が多発してるそうだ。あまり一人で出歩くなよ。塾の帰りとかは同じ方向の奴を見つけて複数で帰るように!えっと、警察から要注意だと言われた場所は……」
 次々と告げられる地名に、瑞穂は自分の塾や塾通いに使っている駅周辺が含まれているのを聞き、また気分が重くなった。


 塾の本日最後の授業が終わると、瑞穂は階段を降りながら担任の話を思い出す。忘れていればいいのに、よりにもよってこれから帰るって時に。
1階のカウンターで良臣を見かけ、今日も質問かと感心しながら校舎を出た。少し歩きだしたところで携帯のバイブが鳴り、見てみると良臣からの電話だった。帰りがけに何か買っていけという用件だろうか?
「もしもし」
≪おい、お前急いでる?≫
「え?」
≪だから急いで帰るのかって聞いてんだよ≫
「ううん、別に」
≪じゃあ交差点のコンビニで待ってろよ。中入ってていいから≫
「え?何で?」
≪いいから言う通りにしろよ。こっちは10分もかかんないから≫
 それだけ言うと良臣は電話を切った。
 ツーツーと音を立てる携帯を見て、瑞穂は何なんだと首を傾げる。
 何で私が良臣を待たなければいけないんだろう。
 わけがわからない。
 不審に思いながらも、瑞穂は塾から100m程度しか離れていないコンビニに入り、雑誌を読んでいた。しばらくしてコンコンと音がし、顔を上げるとガラスの向こうに良臣がいた。雑誌を元に戻して店を出ると「瑞穂!」と名前を呼ばれ、駆け寄ってきた良臣に腕を捕まれ強く引っ張られた。瑞穂はバランスを崩して転びそうになるがそれを良臣が支える。
「ちょっと!」
 いきなり何!?
 瑞穂が怒って顔を上げると、良臣は前の方を睨んでいた。瑞穂がそちらに視線を移すと、自転車に乗った男が不自然に左手を宙に浮かせた手をハンドルに置いて左折していく後姿を見た。
 良臣は瑞穂から手を離すと、通路側に歩き出した。
「ほら、行くぞ」
「あ、ちょっと」
 瑞穂は慌てて後を追った。
「ねえ、今のって、もしかして――」
 あの自転車に乗った男は、まさか――胸に生まれた不安を口にすると、良臣は「ああ」と瑞穂を振り返った。
「痴漢だろうな。後ろから近付いてきたから」
「っ!」
 良臣の言葉に瑞穂はゾッとし、良臣がいたことに感謝した。
「……ありがと…………」
「別に」
 素っ気なく足を進める良臣。瑞穂は自分が壁と良臣に挟まれる形になっていることに気づいた。これなら、後ろから近付かれても大丈夫だ。
 もしかして――良臣が「待ってろ」と電話をしてきたのはこういうことなのだろうか。
 瑞穂がチラチラと良臣を見ていると、「何だよ」と不快げな声が降ってきた。
「ううん」
 何でもないと視線を前に向ける。5分もしない内に二人は駅に着いて、定期を改札に通し、ホームに立った。ホームには二人と同じ制服を着た人々がいた為、良臣は瑞穂の後ろに並んでいたが、二人が視線を合わせることはなかった。電車に乗ってからもそれは続いて、下車し、駅を出たところで良臣が瑞穂に話しかけてきた。
「お前、月・木・金だっけ?塾あるの」
「うん」
 頷くと、良臣は「じゃあ」と口を開く。
「終わったら玄関かコンビニにいろよ」
 驚いて、瑞穂は足を止める。良臣が振り返ると、瑞穂は驚愕を隠せない儘良臣を見上げた。
「……何、その顔」
 指摘されると瑞穂は軽く眉を顰めるが、すぐになりを潜めた。
「やけに親切じゃん。何か裏があったりする?」
 勘繰りながら尋ねると、良臣はケッとポケットに手を突っ込んだ。
「ヒトが親切に言ってやってるのに、そういうこと言うんだ。お前って」
「ん……いや……とてもありがたい申し出だけどさ、狩屋、それ困らない?」
「はあ?何で?」
「一緒に歩いてるの見られてもいいの?」
 あらぬ噂を立てられそうなんですけど。
 良臣はそのことかとまた前を向いた。
「思うんだけど、家が近い奴らが同じ方向に帰ってくって、当然のことだと思うんだよ」
 そりゃそうだ。近所に住んでいて同じ方に帰らない方が問題じゃないだろうか。
「で、同じ学校で、同じ学年で、同じ塾行ってる奴らが帰り道一緒になってもそうおかしなことじゃないと思うんだよ」
「それは、まあ」
「だから同じマンションに住んでるってことにしとけばいいんじゃないか?俺の母さんとおばさんが仲いいのは事実なんだし。予めそう意識しておけば、何かあった時に自然に対処できると思うんだ」
「あ……」
 そうか。そういう考え方もあるのか。
 幸い瑞穂は引っ越してそんなに時間が経ってないし、これまで縁のなかった狩屋良臣と接点ができたのが最近でもおかしくない。寧ろ自然だ。母親同士の交流があるというのが大きなポイントで、最終的には「まさかうちのお母さんが狩屋君のお母さんと仲が良かったなんて思いもしなかったよ」で片付けられるのでは……?
「な?」
 振り返って尋ねる良臣に頷く。
「まあ、その手を打っとくなら、日頃から俺達があんまり他人他人してるのも問題になるな。でもそれは学校で会った時に挨拶するくらいでいいと思うけど」
「会えば話をする程度には知り合いってことね」
「そう」
 何だかなあ。
 こいつは淡々と話してるけど、それって結構すごい発想なんだと思う。
「狩屋って、勉強だけの人じゃなかったんだね」
 感心したのに、言葉が気に入らなかったのか狩屋は「あぁ」と不機嫌そうな顔をした。
「当たり前だろ。俺は勉強ができるだけじゃなくて、そういうところにも頭が回るんだよ。お前とは違うんだよ、一般人とは」
 その台詞があまりにらしくて苦笑する。
「どうせ一般人ですよっ」
 わざと拗ねてみせると、良臣は「あ」と思い出したように言った。
「でもこの間の古典はなかなかだったんじゃないか?俺と5点差だろ」
 上出来だよな。
 珍しく誉める良臣に、瑞穂は何とも言えない気分になる。
「……まあ、ありがと」
 取り敢えずお礼を言うと、良臣が「どういたしまして」とどうでも良さそうに返してきた。一応、彼なりの社交辞令だったのだろうか。
 世界史は宏樹と同列一位のくせに。
 そう思ったけど、口に出したりはしない。きっと、こいつは怒るだろうから。
「あー、腹減ったな」
 夜食は何だと尋ねる良臣に、瑞穂は「野菜炒め」と答えた。
 倉橋家が住むマンションまで、あと数十メートル。
 街灯に照らされた明るい道を、二人は何気ない会話を交わしながら歩いていった。
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