人災はある日突然やってくる

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  嵐を起こせ 3  

 秋田君がおかしい。
 それに気づいたのは朝だった。
 向こうから全く声を書けてこない。それどころか一度も目が合わない。視線すら感じない。いつもはなんだかんだで人の方を見てくるのに。それは偶然じゃなくて、意図的なものだった。それなのに、今日はいつもと逆――意図的に視線を外されていた。朝だけじゃなくて、授業中も、休み時間も、昼休みも、全部、ずっと。
 最初は、昨日の警戒がまだ続いているのかと思った。秋田君の本音を引き出そうと積極的になったこと――多分、秋田君からしてみればかなりの奇行だったと思う。自分でも疲れたし、嫌なところもあったし、かなり無理をした。お陰で昨日は宿題もやらずにぐっすり眠ってしまった。
 あれを秋田君が良く思わなかったことは昨日の態度ではっきりわかった。それに安心した部分もある。あれに乗ってこられたら、どうしていいかわからないし、一緒に盛り上がるわけにもいかない。そんな気持ちは全然ない。だから、今日はいつも通りにしても秋田君も大丈夫だと思ったのに。肝心の秋田君がああなるなんて。
「梢、目怖いよ」
「そんなことない」
 佐和子の一言をばっさり切り捨てたものの、本当は言われた通りだってことは嫌でもわかる。
 昼休み、もうとっくに昼食を終えたにも関わらず、ずっと窪田君達と話している秋田君。顔には毎度お馴染みのトレードマーク。あの無表情笑顔が出てるってことは、調子が悪いわけじゃないんだろう。でも、それだったら、どうしてこっちに来ようとしないの?いつもだったら、すぐにちょっかいを出しにくるのに。
 原因なんて一つしか考えられない。昨日のが秋田君に大きな影響を与えたってことでしょ?それしか考えられない。
「昨日のあれ、どん引きさせちゃったみたいだね」
「それでこうなるわけ?」
 その程度で離れるようなものだったら、最初からつきまとわないで欲しい。秋田君のおかげで、一体どれだけ迷惑を被ったか。ただ平和に暮らしていられればそれで良かったのに、突然波風を立てられて、気づけば公認カップル扱いされて。そんなふうに目立つのは、すごく嫌だった。なにかと傍にやってきた秋田君だけど、全部が全部嫌だったわけじゃない。そうでなかったら、もっと違う対応をしていた。最近は信用できるようにもなってきたし、時々見える素の表情は結構気に入っていたのに。
 それなのに、この仕打ちはなんなの。
 頭に血が上って血管が切れそうだ。一体今までのあれは何だったのか。こんなことでいとも簡単に離れるなら、さっさと追い払っていればよかった。これまでの時間を返せ。乱されてきた平和の代償を払ってもらたい。
「ちょっと、だから梢さー、なんていうんだっけ、そう、あれだよ、鬼の形相ってやつ?すごい顔してるよ」
「仕方ないでしょっ、怒りが抑えられないんだから!」
 ドン、と水筒を机に叩きつけると何人かのクラスメートが何事かと振り返った。それを無視して、でも不機嫌な表情は隠さずに頬杖をつく。
「梢、みんな見てるって」
「悪いけど、こういう時に笑えるほど器用じゃないから」
 そう、秋田君とは違うんだから。
 ジロリと睨みつけた後ろ姿は、まるで私を拒否しているようだった。


 
 放課後、佐和子と一緒に帰ろうとしたところに真衣ちゃんがやってきた。いつも明るい真衣ちゃんが顔を曇らせて尋ねてきたことは、
「ねえ、こずっち、秋田君とケンカした?」
 真衣ちゃんもそれか。
 今日一日で、似たようなことを何回も訊かれていたから、一気に脱力してしまう。同時にわき起こる不快感。
「別に、何もないよ」
「でも、二人とも今日変だったよね」
「変も何も、元々はほとんど話さないクラスメートだったんだし。ここ数ヶ月がおかしかっただけでしょ」
 じゃあね、バイバイ、真衣ちゃん。
 それ以上話したくなくて、さっさと切り上げる。佐和子を引っ張って教室を出る。
「コンちゃんは梢のこと心配してるんじゃん」
 今の態度は無いんじゃない?と佐和子が非難の眼差しを送ってくる。
 わかってる。真衣ちゃんは悪くない、と思う。言い切れないのは、真衣ちゃんがやけに私と秋田君をくっつけたがるからで、どちらかと言うと秋田君側の子だからだ。窪田君との仲を取り持ったことで彼女は秋田君にすごく感謝したらしい。私もちょっと手伝った関係で真衣ちゃんと仲良くなったけど、それはあくまで秋田君のおまけみたいなもの。そんな真衣ちゃんに、こんな時に優しくなれないのは心が狭いんだろうか。でも、そう言われても今の私には無理。
 結局、秋田君と視線が合うことは一度もなかった。
 向こうがその気なら、こっちもそれなりの態度をすればいい。
 一日が終わる頃には自分が取るべき行動の結論が出た。そうと決めたら、後はそれを貫くだけ。秋田君のことを気にかけるのも癪で、帰りのHRあたりからは一切向こうを見ないようにした。よっぽど鈍感な人じゃなければ、今日の私達がおかしかったことくらい簡単に気づく。だからと言って、理由を探りに来るのは迷惑だ。私だってよくわかってないっていうのに。
 離れるのはそっちの自由だけど。
 でも、それなら今までのがなんだったのか説明くらいしてもいいじゃないの。
「全部、秋田君が悪い」
「はいはい」
 今の梢に何言ってもムダだね。
 佐和子の呆れた声にムッとする。そんなこと言ったってしょうがないって。だって、秋田君が意味不明なのがいけないんだから。
 訴えるように隣を見るけれど、既に佐和子はイヤホンを耳につけて音楽に聴き入っていた。今日は聞く耳持たず、か。それならそれでいい。下手に話をしてると、怒りが止まらなくなりそうだもの。
 
 

 その後も、秋田君と会話することは一度もなく。気がついたら、秋田浅間ケンカ説がまことしやかに流れていた。真相を確かめに来る人も最初はいたけれど、不機嫌オーラを全開にして拒絶していたらその内その話題で近づいてくる人もいなくなった。当然、向こうの方にも聞きに行く人達がいて。そしたら秋田君は笑顔で「二人のことだから」とはねつけたらしい。なにが二人のことなのか説明してもらいたい。こっちだってわけがわからないんだから。
 そんなこんなで秋田君と話さなくなって四日目。今日も私は静かな生活を送っている。
 秋田君の態度は納得いかないけれど、こちらも無視しようと決めたから意地でも関わらないつもりだ。初日と違って、何回か気に掛ける素振りも見えた。でも、気づかない振り。絶対にこっちからは話しかけるもんか。秋田君のこと以外は至って普通に過ごしていると、以前の学校生活が戻ってきたような気分になってきた。秋田君と話す前に戻っただけ。
 そう、これが欲しかったんじゃない。
 何度か自分に言い聞かせたけれど、素直に嬉しいと思えないのは、すっかり秋田君に毒されてしまっていたのか。物足りない、と思うなんて。
 でも、もう少し時間が経てば。来週、再来週、そして一ヶ月。その頃にはきっと何とも思わなくなっている。人間ってそういうものだ。中学を卒業する時に辛かった友達との別れも、すぐに慣れたのと一緒。
 まだしばらくは噂もつきまとうだろうけど、その内、それもなくなる。そしたら、平和な日々が戻ってくるんだろう。それが待ち遠しい。
 少し先のことを考えながら、ページをめくる。この間買ったばかりの文庫本。割と好きな作家の作品で、ハードカバーが出た時にひたすら我慢して文庫化するのを楽しみにしていた。高校生でハードカバーはやっぱり金銭的に辛い。でも待った甲斐があった。まだ三分の一くらいしか読んでいないけれど、確かな読み応えに満足している。そこに、「こずっちー」と明るい声が降ってきた。
「グミ食べる−?」
 はい、と差し出す真衣ちゃんに、お礼を言って一つもらう。甘酸っぱいレモン味が口の中に広がる。
「美味しい」
「コラーゲン入ってるからお肌にいいしね。新しい味も出てたから、買ったら分けてあげる」
「楽しみだなー。でも、いつももらってばかりじゃ悪いもんね。今度何かお返しするね」
「いいよー。だって、一人で全部食べたら太っちゃうもん」
 真衣ちゃんには、きつく当たってしまった次の日にちゃんと謝った。真衣ちゃんは「ごめんね。私も余計なこと聞いちゃったから」と許してくれたけれど、本当は私と秋田君のことが気になって落ち着かないのがよくわかる。それでも、私の前では秋田君の名前を出さないでいてくれる。気を遣わせてしまって悪いな、と思う。でも、気にしないでいいよ、とはまだ言えない。だから、真衣ちゃんには和やかに接するように心がけている。それくらいしか、今の私にはできないから。
「いざとなったら窪田君に任せちゃえばいいじゃない」
「それがね、カズって結構好き嫌い多いの。チョコもね、普通のやつはいいけどイチゴチョコは無理って言うんだよ。わがままだよね」
「そうなんだ。でもそんな時は、私や佐和子が喜んで手伝うから。心配しないで」
「やっぱりこずっちは頼りになるなー」
 二人で笑い合う。いつ見ても真衣ちゃんの笑顔は可愛くて元気が出てくる。この子がどうして秋田君の肩を持つのか不思議だ。秋田君が窪田君との仲を取り持ったって言っても、あまりいいやり方じゃなかったのに。それを抜きにしても、秋田君と窪田君の仲がいいからだろうか。考えてもわからないし、それを知ったところでどうにもならない。もうそれについては見て知らぬ振りをした方がいいかもしれない。
 そうやって、少しずつ秋田君との関わりを切り離していけば、わけのわからない苛立ちも怒りも、きっと消えるだろうから。
 秋田君なんていない方がせいせいする。いいじゃない、今のままで。そうだ、ずっと平和な日々を取り戻したいって願っていたじゃない。それが叶ったんだ。なんだ、思い通りになったんじゃないの。すっきりした。これでいいんだ。神様がかわいそうな私を救ってくれたんだ。だったらこれ以上イライラする必要もない。後は私の気持ちが落ち着けばいいだけ。そうだ、そうなんだ。
 そう思っていたのに。
「梢、空元気するくらいなら落ち込んでてくれた方がマシなんだけど」
 真衣ちゃんが戻った後、すっと隣にきた佐和子に見下ろされる。
「空元気?なにそれ」
 佐和子が何を言ってるのかわからない。一体何を勘違いしてるの?
「私、今起こってます。不機嫌だから近づかないで。秋田君のことは一切聞かないで。って雰囲気が収まってきたかと思ったら、目に見えて元気ないんだもん。だからコンちゃんもああして心配してるんでしょ」
「元気ない?私が?そんなことないよ」
「無自覚?すっごい冴えない顔してるって。鏡見なよ。今の梢、全然らしくないから」
「らしくない?」
「そう。いつものひょうひょうとした梢は一体どこに行っちゃったの?」
 佐和子に言われたことを考えるより先に、脳裏にあの言葉が甦ってくる。
――浅間さんらしくないよ。
 揃いも揃ってなんだっていうの。
 この間のことについては自分からやったことだ。それはわかりきってる。
 でも、今も同じことを言われるなんて。今の私は、らしくない?
 だとすれば、原因は一つしか思いつかない。
 どうしてもそこに結びついていくのか。考えれば考えるほど嫌になる。
 切り離そうって思ってる時に、そんなこと言わないで欲しかった。
「その内、戻るんじゃない?」
 他人事を装って答えると佐和子は肩を竦めた。
 でもね、佐和子。私だって見かけほど落ち着いてなんかいないから。
 結局、秋田君に掻き回され続けてるって思ったら、一気に気持ちが沈んでしまった。



「浅間、ちょっとつき合えよ」
 窪田君に声を掛けられたのはHRが終わってすぐだった。窪田君がする教室で出来ない話なんて、秋田君関係のことしか考えられない。
「今日はちょっと」
 顔を顰めて断ろうとする。でも、窪田君はお構いなしに制服の袖を引っ張って私を教室から連れ出した。思いの外強い力に、制服の袖を伸ばしたくなくて仕方なくついていく。早足の窪田君に歩調を合わせながら、手が離れたらすぐに戻ろうと決める。でも、その機会が一向にやってこない。そして窪田君の足が止まる気配もない。
「どこまで行くの?」
「人がいなそうなところを探してる」
 つまり、はっきりした行き先は決まってないわけだ。でも、人がいないところで話をする――どう考えてもいい状況じゃない。校内の人気がない場所なら幾つか知っているけれど、今回は教える気になれない。黙っている間に解放してくれないかなとその時を待ってみるけれど、それよりも先に窪田君が足を止めた。特別教室が並ぶ最上階。授業ですら滅多に来ないこの階は、今も見事に無人だった。
 窪田君がやっと手を離す。壁に寄りかかると、窪田君は手前の手すりに両肘を置いて視線だけこっちに寄越した。二人の体が直角を作る。距離は不本意にも近い。逃げようとしたら、すぐに捕まえられそうだ。
「言っとくけど、聡の差し金じゃないからな。俺が勝手にしてることだから。あいつは関係ない」
「そう言われてもね」
 むしろ、秋田君の差し金なんじゃないかと思えてくるんだけどな。でもどっちでもいい。どうせ大したことを話すつもりはない。
「何があったか知らないけど、早く元通りになって欲しいんだ」
「いきなり直球だね」
 普通、もう少し遠回りすると思うんだけど。潔いと言うか、なんと言うか。
 しかも、理由や原因を聞く前に結論を言うだなんて。
 早く元通りになって欲しい?
 私もそれを願ってるよ。でも窪田君とは「元通り」の意味が違うんだろうね。
「戻ってるよ。秋田君と関わる前の状態に」
「誰がそんな前まで戻れっつったよ。つい数日前まで聡をうざがってただろ?あれでいいんだよ。四六中一緒にいろとは言わねーよ。でも、不自然なんだよ、お前ら」
「私にしてみれば二学期入ってからの方がおかしかったんだってば。これ以上、秋田君につきあう義理はないと思うけど」
「あーもう、浅間まで喧嘩腰になるなよ。ただでさえあいつのせいで疲れてるってのに」
 よく聞けよ、と窪田君が重心を前にかける。不機嫌なのを隠しきれない眼光が至近距離で突き刺さる。こっちは動く場所がないからそのまま負けるものかと気合いを入れる。
「ここんとこ、あいつの機嫌が悪い。表向きには笑ってるから余計にタチ悪いんだよ。ストレス溜まりまくり。そんなのがずっと近くにいる俺の身になってみろよ。最悪だ」
 確かに最悪だと思う。私だったら一回キレてるんじゃないだろうか。窪田君は意外と忍耐強いんだ。そこは感心する。ついでに、秋田君の偽物笑顔についてちゃんと理解していたようで安心した。そうだよね、仲のいい友達だもんね。こんな状況でちょっとだけ、良かったね秋田君、なんて思ってしまう私はいい人なんじゃないかな。そんな私にはご褒美があってもいいよね、神様。
「おい、浅間。聞いてるか?聡の機嫌が悪いって言ってるんだけど」
「ふーん、そう……って、そうだったんだ」
 つい聞き流してたけど、秋田君の機嫌が悪い?
 そんな素振り――知らなかったのも当たり前だ。だって、避けてたもの。できる限り、秋田君を見ないようにしてた。特に、顔は。
「気づかなかったろ?浅間、ここ何日かあいつのこと見てないもんな。すごいぜ。あいつの話だと、浅間の方があいつの感情によく気づくらしいからさ。見たら相当びっくりするんじゃないか?」
「そんなこと言ってたの?秋田君が?」
「そう。すごいよなって、話してたんだけどさ。あ、勘違いするなよ。あいつ、浅間のことは絶対ネタにしないから。周りから言われてもさらっとかわしてる。俺もあまり聞かせてもらえない。元々そうなんだけど、今のあいつは浅間のことは一切言わないし、聞いてもはぐらかすんだ。浅間も浅間で変だしな。お前ら、このままでいいのかよ」
 窪田君が言ったことを飲み込むのに時間がかかった。
 すごく意外なことを聞いた。
 あれだけ人のことをからかってる秋田君が、他の人と話す時はそれをしない?
 考えてみれば当たり前だ。そういう嫌なことをするような人だったら、さっさと突っぱねていた。お世辞にも性格がいいなんて言えない。でも、最低な人じゃない。そして、多分悪い人でもない。
 だから距離を縮めることもできた――と思ってた。けれどそれは勘違いだった。じゃなきゃ、そう簡単にこんな状況になるはずがない。もしくは、ちょっとは信頼関係が芽生えてきたと思っていたけれど、あの程度で崩れるようなささやかなものでしかなかった。どちらにせよ、大したものじゃなかったのに。
「戻れると思う?」
「は?」
「無理だと思うよ。私もびっくりしてるんだから。最初からみんなが思ってるような関係じゃなかった。でも、私が思ってるほどの関係でもなかった」
「浅間、それは」
 窪田君が怪訝な顔になる。
 わからない?そうだよね。私だって最近やっとわかったんだから。
 口元が自然につり上がる。面白くもないのに笑うのは嫌いだ。だから秋田君のいつもの笑顔なんて大嫌い。でも今、私が浮かべているのはいいの。だって、これは自嘲の笑顔。 
「戻れないよ。戻ろうとしたって、何の意味もない」
 元に戻るだけの価値なんてない関係だったんだから。
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