人災はある日突然やってくる

ススム | モクジ

  暗躍事情  前編  

「世界史の教科書忘れちゃった。浅間さん、見せてくれない?」
「嫌。って、なに勝手にやってんの」
「ん?こうしなきゃ見えないから」
 授業が始まるとすぐに声を掛けてきた秋田君は私の言うことを無視して机をくっつけてくる。
 にこにこしたって無駄。その笑顔は私にとって意味がないんだから。
「山本君に見せてもらえばいいじゃない」
「やだよ。男同士で机くっつけるなんて」
 秋田君がさらっと言うと、秋田君の隣に座ってる山本君が「俺だってやだよ」と返す。にやにやしている顔に気づいてうんざりする。私と秋田君のやりとりを楽しんでるわけね。それはきっと山本君だけじゃなくて、クラスのほとんどがそう。ちらっと後ろを振り返れば、真衣ちゃんと窪田君がこっちを見ながら何か話しているのが見えた。
 みんなはきっと気づいていない。教室の片隅でいい雰囲気になってる人達がいることに。ほら、まるでピンクの幸せなオーラが目に見えるよう。そっちに目が行かないのは、そう、例えば授業中に居眠りをしていてうっかり額を机にガンとぶつけてしまっても同じタイミングで椅子から転げ落ちる人がいれば人々の目を集めるのは後者だけで額を痛めた人は注目されないで済む。まさしく今はそんな状況。
 自分で認めるのは嫌だけど、私と秋田君がみんなの好奇心を集めているのは事実。秋田君がまた無駄に目立つことをしてくれるものだから、どさくさに紛れて距離を縮めている人達は周囲の目から逃れることができるってわけだ。そもそも私と秋田君はみんなが思っているような関係じゃないし、注目を浴びるのもお門違いでこの状況は本当に不公平だと思う。でも真衣ちゃんの邪魔をするつもりはないし、うまくいけばいいなとも思うから二人のことを口にはしない。でも、だからと言ってみんなに噂を提供する気はさらさらない。
「秋田君、ジュース一本おごりね」
 タダじゃ見せないと言うと、秋田君は瞳の奥で「なるほど」と笑った。
 そう、やられっぱなしでいると思ったら大違いなんだから。大体、ジュース一本で済むほど安くないんだからね。この状況は。



「ねえ、最近窪田君と一緒にいるの減ったよね」
「うん。わかってた?」
 購買に向かう廊下で、声を潜めて交わす会話。傍から見れば男女が横に並んでさぞかし仲良く見えることだろう。普段はお弁当だけれど今日はうっかり家に忘れてきてしまった。それを知った佐和子が「秋田ー、梢連れてってー」と秋田君に声をかけたものだからさあ大変。秋田君はにっこりとそれを引き受けて私を連行した。購買くらい一人で行けるっての。幼稚園児じゃないんだから。でも秋田君と一緒に歩くのを嫌がって購買に行くのが遅くなったら残り物しか買えなくなってしまう。それならばと早足で秋田君を置いていこうとしたけれど、秋田君には何でもないようで一緒に早歩きで購買に向かっている。
「それって気遣い?」
「って思うことはやっぱ知ってるんだ」
「知ってるって言うか、気づいた」
「流石だね。浅間さん」
 肝心の言葉を出さないで続く会話だけれどしっかりと通じている。周りに聞かれないようにと隠しているけれど、頭の中では教室を出る前に楽しそうに話していた真衣ちゃんと窪田君が浮かんでいる。最近二人がいい感じで一緒にいることが多いなと思うと同時に、窪田君が秋田君と一緒にいる時間が少し減っていることに気づいた。窪田君が秋田君を放って真衣ちゃんといるのか、秋田君が窪田君に気を遣っているのかが気になっていたのだけれど、どうやら後者だったらしい。
「で、どう?浅間さんから見て」
「どうって?」
「うまくいくと思う?」
「いい雰囲気だと思うけど、それ以上のことは私にはわからないよ」
 真衣ちゃんと窪田君のことなんだからこの先どうなるかなんて私にわかる筈がない。でも秋田君は違うのかもしれない。窪田君と仲のいい秋田君は私よりもたくさんの情報を持っているんだろう。
「秋田君はどう思うの」
「俺もいい感じだなとは思うけどね。でもあいつそういう話してこないから。まだ言いたくないんだろうな」
「そうなの?確かに、からかわれるのは嫌いそうに見えるけど」
「それもあるなあ」
 からかわれるのが好きな人なんていないと思うけどね。
「秋田君、もしかしてちょっと寂しい?」
「んー、別に。浅間さんといれば楽しいし」
「……あー、そ」
 こういう時は流すに限る。全部に反応してたら疲れてしまうもの。
 でも秋田君って窪田君と二人の時はどんなふうに接してるんだろう。私に対するものと全く一緒、ということはないだろう。少なくとも秋田君は窪田君につきまとっていない。男が男を追いかけるというのもあまり気持ちのいい話ではないけれど。それが男女になったからと言って認められるかというとそうとは限らない。現に私は迷惑でしょうがない。でも秋田君と一緒にいるのが100%嫌かと言ったらそれも違う。頻繁に話しかけられたりついてこられるのはやめて欲しい。けれど、秋田君との会話が楽しいと思う時だってある。それに気づいた時はちょっと――かなり複雑な気持ちになったけれど。でも認めてしまえば以前よりは楽になった。だからと言ってつきまとわれるのも認めたわけじゃない。それだけは、断じて。
「そう言えば、そろそろ席替えだね」
 席替えの三文字に耳がぴくっと動く。言われてみればもうすぐ一ヶ月が経つ。恒例のくじ引きがまたやってくるわけだ。前回のそのイベントで酷い目にあったのは記憶に新しい。
 まさか、また傍迷惑なことするつもりじゃないよね?
 恐る恐る秋田君の表情を窺うと、ポンと肩に手を置かれた。
「そんなに警戒しなくても。安心しなよ。次は大人しくくじに従うから」
「本当に?」
「本当だって。だってさ、隣の席になっても授業中だと話せないし」
「授業中に話す方が間違ってるって」
「まあまあ。隣だと確かに楽しいことも多いけど、隣じゃなくたって別に困らないかなって」
「そうだね」
 全くもって困らないし、その方が嬉しい。私も心から同意するよ、秋田君。
 私が秋田君に賛成するのは珍しいなあ、なんて思っていると、秋田君はいつもの笑顔を浮かべた。
「そんなこと言われると寂しいな。やっぱり融通してもらおうかなあ」
「それは駄目!」
 後の発言には同意できるはずがない。頼むから冗談でありますように。



 それから数日後、席替えがあった。
 今回は秋田君が小細工をすることもなく、隣の席にはならなかった。それは嬉しかったけれど、今度の秋田君の席は私の二つ後ろ。つまり人一人挟んでるだけなので近いことに変わりはない。時々授業中に後ろからの視線が気になることもあって、安心するにはまだ遠いのが現状。
 相変わらず休み時間には私のところにやってくるし、何かとからかってくるし、その辺は今までと同じ。けれどそこまで酷い害もないので別にいいかなと思う。最近は割と楽しい話も多いからいい暇つぶしにもなる。ただ、どうしても楽しい話ができないこともある。例えば、優先するべき話がある時なんかがそうだ。
「ねえ、あの二人どうしたの?」
 小声で話を切り出すと、秋田君は無表情ながらに瞳を曇らせた。
「……さあ。何かあったことは確かみたいだけど、俺は何も聞いてないよ」
 私と秋田君が「あの二人」と言うのは真衣ちゃんと窪田君のことだけだ。そんな二人のことで私と秋田君が神妙な顔をしているのは、最近二人の様子がおかしいことに原因がある。とてもいい雰囲気の二人だったのに、席替えの少し前からなんだかぎこちなくなっていた。そして席替えして二人の席が離れてからはおかしなくらい接触がなくなった。
「なんか真衣ちゃんの方が避けてるように見えるんだけど」
「カズもそれで結構参ってるようだよ。俺には何も言わないけどね」
「なるほど、秋田君はそれが寂しいわけだ」
「いや、寂しくはないけど、心配?ついこの間までとの差が酷いからさ」
「だよねえ」
 やっぱり真衣ちゃんの行動が今の二人のぎすぎすした空気を作り出しているみたいだ。一体何があったんだろう。気になるけれど私達が下手に入るわけにはいかない。
 どうなるにせよ、この状況が落ち着きますように。
 転機が訪れたのはそう願ってから数日後。
 動いたのは意外にも真衣ちゃんの方だった。



 放課後、秋田君と雑談をしていると真衣ちゃんが秋田君に話があると言ってきた。その時点で話の内容に見当のついた私は二人が人目を気にせずにいられる場所を教えて見送った。
 取り敢えず三十分だけ待ってみようと思った。人のことにむやみに首を突っ込むのはよくないとわかっていたけれど、戻ってきた二人の顔で何かしらわかることもあるかもしれない。
 一応帰り支度をしながら待っていると、三十分しないうちに二人が帰ってきた。そこで何故かわからないけれど真衣ちゃんに「浅間さん、秋田君にすっごく愛されてるよね」「あたし応援してるから」なんて言われて言葉を失った。二人は一体何の話をしてきたのかと疑いそうになったけれど、真衣ちゃんの顔は少し前に比べると明るさが戻っていたから何も言えなかった。
 真衣ちゃんが帰った後、教室に秋田君と二人残される。
「ただいま、浅間さん」
「帰ってこなくていいって言ったのに」
 真衣ちゃんに言われたことの八つ当たりを兼ねて皮肉を言えば返ってくるのは秋田君の顔にすっかりしみついたあの笑顔。
「そんなこと言われたらますます帰ってこずにはいられないな」
「あっそ」
「ところでさ、近藤さんの用事なんだけど」
「……私に言ってもいいの?」
 あまりにも普通に切り出されてうっかり「うん」と言ってしまいそうになったけれど、すんでのところで止めた。内容が気になっていたし、できる範囲で耳に入れたいと思っていたのに。実際この場面になってみると躊躇いがあった。
「気にならない?」
「何となく想像はついてるけど私が聞いていいわけないでしょ」
「そこは微妙なラインだな。でもさ、聞いてよ。勿論全部話したりはしないけど」
 秋田君は私に聞いて欲しいんだろうか。全てを話さないということは、秋田君が口外していいものとそうでないものを判断した上で私に伝えてくれるということだ。そこは信頼してもいいと思う。秋田君は言葉で人をからかうことはあっても決して口が軽い人じゃない。その秋田君が私に「聞いて」と言うんだから。何か考えがあるのかもしれない。ただ。
「私が他の人にしゃべるとか考えないの?」
「しないよ、浅間さんは」
 私でいいんだろうか。もしかしたら窪田君に伝えた方がいいこともあるかもしれない。そもそも、私に話して秋田君が後悔しないだろうか。そうなる前に確認しておきたかった。それだけだったのに、返ってきた力強い言葉に思わず口をつぐんだ。
 秋田君は私のことを信用してくれている。嫌でもそれを認めないわけにはいかなかった。真面目な話をしたことなんてない。いつだって何かと仕掛けてくる秋田君に私が嫌がったり冷たく当たったりさらっと流したり、そんなやりとりしかしていないのに。
 本当にいいのかと再び尋ねる気にはなれなかった。こっちだって最初から秘密を漏らすつもりはない。真衣ちゃんを傷つけたくないもの。それに、秋田君がそんなふうに言ってくれるのなら聞かないわけにはいかない。
「わかった」
 短い間の後に一言出すと、秋田君は笑って前の席に座った。そして早速本題に入る。
「あのさ、早い話、カズのことで相談されたんだけど。そこで今の状態になった原因がわかってさ。俺とカズが話してるのを近藤さんが偶然聞いて、それで傷ついたらしいんだ」
「……何話してたのよ」
 聞き捨てならない。要は秋田君と窪田君が真衣ちゃんを傷つけるような話をしていたってことじゃないの。
 女の敵め、と睨むと秋田君の瞳の奥が困ったような色を浮かべた。
「まあ色々ね。浅間さんのことも話題に出たけど、聞きたい?」
「結構です」
「それは残念。……で、俺達にしてみれば軽口だったんだけど、カズのちょっとした言葉が近藤さんにはきつかったみたいで」
「それで今までと同じようにすることができなくなった?」
「そう。でも、近藤さんは今の状態を何とかしたいって思ってる。カズもきっとそう思ってる。だから今回は俺がちょっと頑張ろうと思うんだよね」
「へえ。お詫びのつもり?」
 秋田君が動くと宣言したのは意外だった。むくむくとわき上がる好奇心。偏見かもしれないけど、秋田君って基本的に誰かの為に走り回ったりしなそうだ。その代わりと言っては何だけれど、時々嵐を巻き起こすのが傍迷惑で仕方ない。しかも被害に遭っているのが私だけなのが不条理で仕方ない。
「一応、俺にも責任はあるし。それにカズの為だしね」
「ふうん。頑張ってね。あ、でもあまり出しゃばらないように気をつけて」
 こういうことはあまり第三者が関わらない方がいい。下手にかき回して余計に事態をややこしくしたら大変だ。それを気にしない秋田君ではないと思うけれど、念の為。けれど秋田君の反応は意外なもので。
「それは……どうかな。やり方は大体決めてるんだ」
「もう?」
 秋田君の頭の中には計画ができあがっているようだ。真衣ちゃんから話を聞いたのはついさっきのことだったのに。
「どうすればカズが動くかわかってる」
「どうするの?」
「近藤さんに近づく。そしたらあいつ、動かざるを得なくなるから」
「うわあ。それ窪田君も怒るんじゃない?」
 それでもって真衣ちゃんにも迷惑に違いない。もしかしたら秋田君の被害者第二号が生まれてしまうかも。いやいや、真衣ちゃんがそんな目に遭うのは可哀そう。ただでさえ今大変な思いをしてるんだから、これ以上の災難は避けてあげたい。
 しかし秋田君は珍しくやる気を見せている。瞳の奥が楽しそうに輝いている。責任を感じているとか言っておきながら楽しそうに見えるのはどうして?
「終わり良ければ全て良し。それが一番手っ取り早いからね。だから俺、ちょっと色々すると思うけど浅間さんは気にしないで」
「いや、全く気にしないけど」
「それも寂しいなあ」
 気にすることがあるとすれば秋田君が必要以上に引っ掻き回したらどうしようという心配だけ。でも秋田君は窪田君と仲がいいし、自分に相談をしてきた真衣ちゃんを悪いようにはしないはず。そう思いたい。
 少しの不安に眉を潜めていると、秋田君がひょいと身を乗り出した。反射的に身体を後ろに反らして距離を取ったのは間違ってはいないはず。
「でさ、出来れば浅間さんにも援護射撃を頼みたいんだけど」
「なに、私も巻き込む気?」
「そういうことになるかな」
 頼みたい、と言いながらも秋田君の中では私が協力することは決定事項になっているようだ。いつもの笑顔を浮かべながらでも内心では次のことを考えている――と思う。
 それにしても、どうしてこんなにいきいきとしてるんだか。
 私にわかるのは秋田君がとても楽しそうだっていうこと。
 秋田君の言う援護射撃が具体的にどんなことなのかはわからない。でも、「援護」と言うくらいだから面倒なことではないんだよね?
 それで真衣ちゃんと窪田君の関係が良くなるなら手を貸すのも悪くない。
「しょうがないな」
「そうこなくちゃ」
 了解の意思を伝えると秋田君の口元がいつもより長い弧を描いた。久しぶりに見るわかりやすい本物の表情だ。偽物笑顔は大嫌いだけど、本物は嫌いじゃない。それが例えたちの悪い種類の笑顔だったとしても。 さあ、秋田君のお手並み拝見と参りましょうか。
ススム | モクジ
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