人災はある日突然やってくる

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  暗躍事情  後編  

 秋田君が真衣ちゃんと窪田君の関係修復の為に一肌脱ぐと宣言した翌日。
 私は休み時間に秋田君と真衣ちゃんの話を聞いていてため息をつきたくなった。
 ――早速真衣ちゃんが不安になっているのはどういうことよ。
 なんでも、窪田君が怒っているらしい。教室の左隅を探せばやけに不機嫌な顔で席に着いている窪田君の姿があった。見ているだけでイライラとピリピリが伝わってくる。誰も近づかないのはそのせいだろう。
 真衣ちゃんのどうして窪田君怒っているのかという問いに秋田君は定番の笑顔で返す。そこに悪戯が成功した子どものような喜びを見つけて確信する。犯人はこいつだ。
「何したの」
「どうして俺が何かしたっていう考えになるのかな」
「実際何かしたんでしょ。そういう顔してるもの」
「うん、ちょっとね」
 否定しないのは真衣ちゃんに知られても構わないと思っているんだろう。
「でも大丈夫。支障はないから。寧ろ布石?」
「は?何?どういうこと?」
 秋田君、それ説明になってないよ。真衣ちゃんの周りに疑問符がいっぱい浮かんでる。できることなら何か言ってあげたいけれど、実際に秋田君が何をしたのか知らない私は下手に口を挟めない。
 ほら、もう少しちゃんと言葉にしてあげなよ。
 視線で促すと、秋田君はそれもそうだというように頷いた。
「大丈夫だよ、近藤さん。今日中……は無理かもしれないけど、長引かせないようにするから。それにカズは俺が気に入らないだけだから近藤さんが心配することないよ」
「でもさあ。何でさっきの流れで窪田君が怒るのかよくわかんないんだけど」
「うーん、それはカズの機嫌が直ったら教えてあげるよ。だから近藤さんは心配しないで」
「……ほんとに大丈夫?」
「うん」
「秋田君が何とかしてくれるの?」
「それはどうだろう?でも大丈夫だから」
 最低限の意思表示をしているからぎりぎりだけど合格点にしてあげてもいいかな。そんなことを考えていたら、秋田君の「大丈夫」に真衣ちゃんが不審な顔を浮かべていた。
 そうだよね。大丈夫って言われても心配になるよね。秋田君と真衣ちゃんってよく話すわけじゃないし。
 第一。
「その顔がうさんくさいよね」
 信用されるには偽物笑顔を何とかした方がいいんじゃない?
 苦笑して視線を送ると秋田君はわざとらしく首を傾げる。
「どこがうさんくさいって?」
「んー、全部?」
「酷いな」
「だって本当のことでしょ」
 多分真衣ちゃんには私の言っていることはわからないんだろうな。でもね、この人は本当にうさんくさいんだって。普段の笑顔は秋田君の内面とは全く関係ないんだって。
 そんなことを考えていたら、真衣ちゃんから「夫婦っぽいよね」と意味不明な言葉がかかる。ちょっと待って。一体今の話のどこをどうしたらそんな台詞が出てくるの。尋ねると「いや、すごく仲がいいなと思って」だって。真衣ちゃん、話聞いてた?
 一気に脱力して机に崩れ落ちた為に頭をゴンとぶつけてしまった。痛い。たんこぶにはならないと思うけど間抜けだ。佐和子が見ていたら遠慮なしに笑ってきそう。
 もういいや。ここはさっさと話を終わらせてしまおう。
「とにかく、うさんくさいから信じられなくれもしょうがないと思うんだけど。ちょっと、秋田君に任せてみてよ」
 ね?と視線を送ると真衣ちゃんは不安げな表情で「浅間さんがそう言うなら」と言ってくれた。
「ただ、ずっとあのままでいられるのは嫌なんだけど」
「OK。出来る限り今日明日中に何とかできるように頑張るよ。迷惑かけるけどごめんね、近藤さん」
「わっ」
 秋田君は謝りながら真衣ちゃんに顔を近づける。あ、近い。そう思ったのとほぼ同時に真衣ちゃんが驚いて後ろに下がった。
 なるほど。こういうふうに距離を縮めていくわけね。いつも窪田君が見ているとは限らないけれど、見ていないとも限らないもの。しかし、真衣ちゃんにしてみたら迷惑だろうなあ。秋田君、「迷惑かけるけどごめんね」ってまんまその通りの意味じゃない。
 真衣ちゃんが莉奈ちゃんのところに戻って行ったのを見計らってポツリと一言。
「秋田君、やりすぎ」
 真衣ちゃん、秋田君の行動に驚いていたじゃない。
 程々にしなよ。暗にそう言うと秋田君はいつもの笑顔を浮かべながら僅かに目を細める。
「ん?でも、早く片付けて欲しいってリクエストされちゃったからさ」
「やりすぎて愛想つかされても知らないよ」
「浅間さんに?」
 誰がそんなこと言ったって?しかも愛想をつかすとかそういう以前の問題だ。
 こんなふにからかわれるのは好きじゃない。まともに相手をしても疲れるだけだ。でも、言い返せずにいられないことの方が多い。
「真衣ちゃんと窪田君に決まってるでしょ。何で私が出てくるの」
「真っ先に愛想つかしそう」
「言えてる」
 秋田君の言う通りかもしれない。秋田君のことを他の人達よりは少しだけよく知っていて、今回の秋田君の計画も知っているのは私だけだ。絶対にいい方法ではないとわかっていながらも今は黙っているけれど、これからの展開次第では秋田君を見放すことだってあるかもしれない。ただ、そうなるのは真衣ちゃんに悪い状況になってしまった時だ。そんなこと絶対にあってはいけないし、そうなる前に止めなければいけないと思う。
 そんなこちらの心配をよそに秋田君は「あはは」と笑う。
「大丈夫。愛想をつかされないように頑張るよ」
「自信あるんだ?」
 見上げて尋ねると、秋田君は親指を立ててみせた。
「もちろん。これでも友達だからね。浅間さんは騙されたと思って俺に任せてくれればいいから」
 力強い言葉じゃないの。
 いいよ。信用してあげる。
 昨日も思ったけど、いきいきしてる秋田君は悪くないもの。
 だから秋田君には滅多に向けない笑顔で応えた。
「元々そのつもりだよ」
 動くのは秋田君。もし必要だったら私は援護射撃。それでいいんでしょ?



 事態は思った以上に早く動き出す。
 秋田君が昼に窪田君への罠を色々と張り巡らせていたのが功を奏したようだった。今や窪田君の秋田君への視線は友達に向けるものにしてはあまりに険悪なものになっている。秋田君の狙いが当たり、窪田君の気持ちが動いてるということだ。ただその分、真衣ちゃんはどんどん落ち込んでいってしまって見ていられなかった。
 帰りのホームルームの前に視線で呼びかけると、秋田君はすぐにやってきた。
「放課後で片づけるつもり。昨日と同じ部屋に呼び出したから。カズが俺達のこと探してたらちょっとそそのかして行かせてくれないかな」
 秋田君もこのままの状況で今日を終わらせるつもりはないらしい。確かにこれが明日以降も続くのは気が落ち着かない。それを避ける為なら窪田君をけしかけることくらい構わない。
「わかった。頑張ってね」
 今のあの二人の行く末は秋田君次第なんだから。
 秋田君は頷くと声を潜めた。
「うん。だからさ、浅間さん俺が戻ってくるの待っててよ」
「……何で?」
「頑張ったら褒めてもらいたいものなんだよ」
 どこの小学生よ。そう思ったけれどツッコミは胸の中に留めておく。この会話を長引かせることはしたくない。最初から人に聞こえないような声で話しているけれど、私と秋田君が一緒にいると視線を向けてくる人はいる。望む望まないに関わらず、注目を集めやすい身になってしまったのは自覚しているから。それは秋田君も同じだったらしい。じゃあよろしく、と言って私のところを離れ真衣ちゃんの方に向かって行った。
 ホームルーム終了後、秋田君はすぐに教室から姿を消した。通りすがりに「行ってくるよ」という言葉を残して。反射的に出そうになった「行ってらっしゃい」はすんでのところで止めた。それを言うのは何だかおかしい気がした。だって、それじゃまるで家族みたいだ。
 秋田君が教室を出て行った後、後ろの方を見ると真衣ちゃんもいなくなっていた。どうやら秋田君よりも先に行ったらしい。そこに真衣ちゃんの焦りや辛さを感じていたたまれなくなる。昨日までのことはともかく、今日加わった辛さは秋田君が作ったものだ。それを黙認している私も秋田君のことは責められない。だからせめて早くこの件が片付くことを祈るしかない。
 少し重くなった気を引きずりながら英語の教科書とノートを出す。待っている間は宿題でもしていよう。今日中にやらなければならない宿題は結構な量で肩を落とす。全部解くのは大変そうだから、わかるところだけやっていって取り敢えず最後までたどり着けばいいだろうか。
 一問目を解こうとした時、「浅間」と声を掛けられる。顔を上げるとそこにはピリピリした表情の窪田君がいた。
「聡どこにいるか知らない?」
 きた。
 でもいくらなんでも早すぎる。秋田君と真衣ちゃんが教室を出てからそんなに経っていない。もう少し後でないと向こうの準備もできていないかもしれない。
「知ってるけど、今、取り込み中だよ」
「誰と?」
「さあね」
 少し時間稼ぎをしようとはぐらかすと、窪田君は少しムッとした顔を見せながら隣の机に寄りかかった。
「ま、いいや。ここで待ってよ。浅間と一緒にいれば、確実に会えるだろ」
「……嫌がらせはお断りするよ」
 人からどう見られるか気になる年頃だけれど、この手の話題では渋い顔を隠そうとも思わない。曖昧な態度を取っても相手のいいように解釈されてしまうから。
 窪田君がすぐにでも教室を飛び出していかなかったのはいいが、このままずっとここにいられても困る。頃合いを見て向こうに行かせないといけない。
「嫌がらせって……。あのさ、聡とはまだ付き合ってないんだよな?」
「まだじゃなくて、付き合わないから」
 日本語がおかしいよ、窪田君。
「何で?聡、いい奴じゃん」
「窪田君は、いい人だったら誰とでも付き合うの?」
「あ、そっか」
 どうやらそれで納得したらしい。窪田君は案外物分りのいい人みたいだ。
「そういうこと。それに、秋田君はやたらつきまとってくるけど、付き合うとかそういうことは一切言わないから」
 だから皆が思っているような関係じゃないの。そう伝えると窪田君は目を丸くした。
「え、そうなの?」
「そうなの」
「態度で気づいて欲しいと思ってるんじゃねえ?」
「だから」
 反論しようとしたけれど口をつぐむ。今は自分のことよりも、真衣ちゃんと窪田君の方に話を向けた方がいいかもしれない。今日の窪田君の態度はとてもわかりやすくて、でも真衣ちゃんはそれをわかっていなくて。
 窪田君はそれに気づいていただろうか?真衣ちゃんがどんなふうに思っていたか考えただろうか?
「あのさ、窪田君」
「ん?」
「態度だけじゃ足りないこともあるよ」
「どういうこと?」
「気づく人もいると思うよ。でも、気づかない人もいる。一番伝えたい相手にわかってもらえないことだってある。だから本当に大切なことは言葉でも言わないと。ちゃんと言わないと伝わらないこともあるよ」
 わかってる?窪田君のことだよ。私は窪田君に伝えたくて言葉にしてるんだよ。 
「浅間って……」
 窪田君が何かを言いかけて止める。何を考えているのかは知らない。知る必要もない。それは窪田君がわかっていればいいことだ。後は行動に移してくれれば言うことはない。
 時計を見て、そろそろ頃合いなのを確認する。あまり窪田君をここに引き止めていても、秋田君が困るだろう。
「ところで窪田君。秋田君ね、真衣ちゃんと第二自習室に行ったよ」
「……な」
 窪田君の瞳が鋭くなる。彼が何を想像したのかは大体わかる。
「最近一緒にいることが多いみたい。仲いいよね、あの二人」
 作り笑いは好きではないけれど、敢えてにこにことした表情をする。その方が窪田君はきっと不安になる。
「なんで止めないんだよ」
「いいことじゃない。秋田君に彼女ができたら、私は平和を満喫できるもの。秋田君が女の子と仲良くするのを止めるわけないよ」
 イライラした空気の窪田君に決定打を畳み掛けると彼の表情が険しくなった。
「……自習室って言ったな」
 窪田君がその気になっている。本当はちょっと悪い気もしている。けれどここは窪田君が出て行くまで顔を変えてはいけないと思った。
「第二の方ね。今の季節はほとんど人がいかないんだよね」
 二人きりだとほのめかすと窪田君は何も言わずに教室を走り出て行った。
 あまりに速くてびっくりする。離れた第二自習室まで一分くらいで着いてしまいそうだ。
 思わず出てしまうのはため息。疲れた。こういうのはあまり向いていない。今後こういうことにはできるだけ関わりたくない。そもそも、今回は部外者なのに秋田君が協力を求めてきたから付き合わされただけで。
 後は何とかしてよ、秋田君。
 ここからは全く見えない第二自習室の方向に向かって祈った。



 秋田君が帰ってきたのは窪田君が教室を出て十分経たない頃だった。
「ただいま、浅間さん」
「お帰り」
 昨日も聞いたなと思いながら昨日とは違う返事をする。お疲れ様、の方がよかっただろうか。いや、それよりも気になることがある。視線で尋ねると、秋田君はまだ教室に人が残っていることを気にしてか目の前の席に後ろ向きに座り、声を潜めた。
「後はカズ次第」
「そっか」
 秋田君ができるところまではやったってことなんだろう。
 窪田君、ここは男らしく決めてきなさいよ。
 ここにはいない窪田君に向かってエールを送る。もし真衣ちゃんが暗い顔で帰ってきた時はきつい言葉でも浴びさせようか。そんなことも考える。でもそれは二人が帰ってくるまでお預け。だから今は向こうでの様子を聞いておこう。
「あのさ、窪田君に秋田君の居場所聞かれたからそれっぽく言っておいたんだよね。慌てて飛び出して行ったけどどうだった?」
「うん、切羽詰まった顔で飛び込んできたよ。しかもすごくいいタイミングで。あれ以上は俺も動きたくないとこだったから助かった。ありがとう、浅間さん」
 あれ以上って一体なにしたの。
 気になったけれど深くつっこまない方がいいかもしれないと判断してスルーした。だって、あまりよくない予感がするんだもの。
「後で謝りなよ」
「そうだね。二人がうまくいったらね」
 悪いことをした覚えはないとばかりに秋田君はサラッと流す。けれど、ふと笑顔を消して真顔でこっちを見てくる。
「浅間さんも、ごめん」
 意外だった。謝られる覚えはなかった――と言うと嘘になるけれど、謝られる程のことはしていない。迷惑もかけられていない。普段の周囲に誤解されるような言動の方がよっぽど迷惑だしあれこそ何とかして欲しい。
 だから、今回のことはなんてことなかった。ほぼ強制的に秋田君に引き込まれたとはいえ、秋田君に頼まれたことを少しやっただけで、基本的には第三者でいた。
 それなのに秋田君は謝る。しかも本気で悪かったと思っているみたいだから軽々しい反応ができない。
「別に私は」
 その先の言葉に詰まった。
 何て言えばいいのかわからない。
 少しの間困っていると、秋田君が机に手を置いた。視線を上げると、無表情笑顔より少し優しい笑顔がそこにあった。
「ありがとう、浅間さん」
 その声がやけに嬉しそうでまた困る。
 勝手に一人で納得して次に進まないでよ。何だか置いてけぼりにされた気分だ。悔しいから、わざと話題を変える。
「窪田君が彼女持ちになったらつまらなくなるんじゃない?」
「なに、心配してくれてるの?俺がカズに放っとかれるんじゃないかって?」
「いや、そうじゃないけど……うーん、でもやっぱりそうなのかな。心配はしてないよ」
 ただ秋田君も寂しくなるのかって思っただけ。心配なんかするはずもなくて、からかうネタになるなら面白いのに。
「学校の中ではそんなに変わらないんじゃないかな。それに、つるんでるのはカズだけじゃないし」
 なるほど。確かにあからさまなカップルってそんなにいない。友達との付き合いもあるし。窪田君は学校だと普通にしてそうなイメージだ。……秋田君はどうなんだろう?ふと疑問に思う。
「秋田君は彼女作らないの?」
「んー、今は興味ないや。浅間さんは?」
「私?そうだなあ……」
 聞き返されるとは思っていなかったので考えてみる。
 彼氏。
 欲しいような、いなくても困らないような。
「どうなんだろう。わかんないや」
 これでも高校生だからそういう憧れだってある。でも彼氏はおろか片想いすらしていない現状ではまだまだ先の話なのかもしれない。そういうのはちょっと寂しい気もする。ただ、それならそれで今の生活を楽しみたい。――楽しめているかはわからないけど。秋田君のせいで。――そんなふうに思っているから、興味がないわけではなくて。そして積極的でもない。それを秋田君に説明しようとは思わなかった。
「そう。ならまだしばらくはいいかな」
「何が?」
「さあ?何だろうね」
 はぐらかした秋田君の顔は私の嫌いなあの笑顔。この顔を見ているとどうもイライラしてくる。「慣れ」って言葉はどこに行ってしまったんだろう?
 でも台詞の意味を追求しようとは思えなくて無言を決め込む。そして辺りを見回してみるといつの間にか教室から他の人がいなくなっていた。
 誰かいれば声をかけたのに。タイミングの悪さにがっかりする。
「ところで浅間さん、昨日のドラマ見た?」
「……見た」
 最近二人の間でよく話題に上がるドラマを出されては無視できない。実は朝からずっとその話をしたくてたまらなかった。もしかしたら秋田君は気づいていただろうか?だとするとなんだかばつが悪い。――ああ、せめて佐和子があのドラマを見ていれば昼にたくさん話せたのに。
 結局は秋田君のペースになってしまう。嫌でも自覚せざるを得ない。
 ああ、早く帰ってきてくれないかな。真衣ちゃんと窪田君。

 その願いが叶うのは、まだ少し後のこと。
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