086.海の道
 これは意外なことだったんだけど、彼の運転はあいつよりも速度が出ていて。
 危険運転ではないけれど、安全運転でもなくて。
 でも、そんなところも好きだと思った。



 視界いっぱいに青い空と海が広がっていく。
 窓から入ってくる風が心地良い。
「わあ、気持ちいいー」
「今日は絶景だな」
 歓声を上げると、隣から満足げな声が返ってくる。振り返ると、彼が少しだけ視線を外側に向けて、眩しげな表情を晒していた。思わずドキッとして、バックに添えた手に力が入る。
「ちゃんと前見て下さい、前っ」
 照れ隠しに注意すると、彼は大丈夫と言いながら視線を前に移した。それを確認してホッとし、再び横に広がる世界を見つめる。
 滝本さんから電話が来たのは、今日の午前中だった。暇かと聞かれ特にすることもないからと正直に答えると、気分転換に付き合って欲しいと誘われた。返事をする間もなく駅で待ち合わせの約束を取り付けられた。時間になると、滝本さんは車に乗って現れた。助手席に招かれ、発進し、目的地を尋ねて返ってきたのは一言、「ドライブ」。そんなわけで、私は彼に連れられて海岸線を走っている。
 最近は良幸以外の男の人と車の中で二人きりになることがなかったから、やけに緊張する。慣れない車の臭いが、隣で運転する彼の存在が、私の脳を支配していく。
 冬が近付いているのに、珍しく強い太陽の光を反射して、海がキラキラと輝く。彼がこの道を選んだのは、きっと天気のいい日にここから見える景色が美しいことを知っていたからなんだろう。
 初めてまともに彼と外出したドライブで、こんなに素敵なものを見せてもらえるなんて。私は今、世界で一番幸せだ。単純な考えだけど、心からそう思う。
「夏はもっと綺麗なんだろうなあ」
 今でさえこんなに綺麗なんだから、きっと。
「じゃあ、夏になったら、また来ようか」
 返ってきた言葉に、瞳を瞠る。
 夏になったら。
 それは、来年の夏も私達は会っているということで。
 滝本さんはまたこうしてドライブに誘ってくれるということで。
 そんなことを言われたら、期待してしまう。
「見たいって言ったら、また乗せてくれるんですか」
 こうして、あなたの隣に。
 緊張を表に出さないように注意を払って尋ねる。
「ああ」
 本当に、呆気ないくらいに簡単に言うから、適当に返事をしているのかと思って彼の方を振り返る。すると、ミラー越しにこちらを見ていた優しい瞳と視線が合った。
「約束、破るなよ」
 ドクンと心臓が大きな音を立てる。
 無言で頷くと、彼は口元に小さな笑みを浮かべて前を見据えた。
 
Template by Vel
inserted by FC2 system