071.風の行方
「ね、神奈。今度の日曜ヒマ?」
「日曜?空いてるよ」
「じゃあさ、一緒に買い物行こうよ。冬物見たいんだー」
「いいね。行こうか。でも彼氏はいいの?」
「うん。てゆーか、最近あまり会ってないんだよね」
「仕事が忙しいの?」
「そうみたい。ドタキャンとかも多いし、土日も時間が作れないって言われることも多いし。お陰ですごーく寂しいんだけど」
 だから神奈、つきあってよ。
 寂しそうに笑う紗智に「もちろん、いいに決まってるじゃない」と返しながら「あの馬鹿男」と胸中で罵声を飛ばす。先週の土曜、神奈を誘って食事に出かけておきながら紗智のことを放っておいたとは。因みに神奈の方は滝本の家に行く予定があったので断った。「最近つきあい悪いな」。そんな一言でメールを終わらせた良幸だけど人のことは言えないじゃないか。
 今度連絡を取る時はなじってやる。そんなことを考えながら紗智と日曜の約束を交わした。
 


 約束の日曜になり、街をぶらついていると紗智が「ねえ」と神奈の袖を引っ張った。
「神奈は例の彼とどうなってるの?」
 例の彼、と言うと思い当たるのは一人しかいない。彼氏はいないけれど、友達に片想いをしている人がいると話したのは少し前のことだ。
「彼って……相変わらず。進展なし」
「えー。最初に話を聞いてから二ヶ月くらい経ったよね。本当はなんか色々あるんじゃないの?」
 神奈に片想いの相手がいることを知った三人はちょくちょく様子を聞いてきた。その度に神奈は軽く流している。嘘は言わないが、曖昧な態度を通していた。それが皆の興味を余計に惹きつけていたことも知っている。けれども今回もそのスタンスを崩すつもりはなかった。
「残念ながら無いんだな、これが」
 あっても困るという気持ちもある。彼が好きだ。どうしようもなく。今までだったらとっくに動いている。けれども今回それができないのは先がない関係を結ぶことへの恐怖があるからだ。これまでの彼氏とはつきあい当初から別れることを念頭に置いていた。相手のことは勿論好きだったけれど、今だけの関係で先がないことをわかった上で隣にいた。相手は神奈がそんなことを考えていたなんて知らなかっただろう。でも良幸がいながら他の男と恋愛をするということはそういうことだ。神奈はそれで良かったし、仕方がないことだと思っていた。
 でも、滝本さんとはそんな気持ちでつきあえない。
 終わりがあることを知っていながら先を望むことなんてできなかった。ただでさえ今の関係は居心地が良い。それに甘えてしまっていることもわかっている。先が望めないなら今のままでいたい。それで満足したい。
「神奈はそれでいいの?つきあいたいとか思わない?もっと一緒にいたいとか」
「考えないわけじゃないけどね。今の状態がすごく好きなの」
「それどんな状態?」
「一緒にまったりしたり、時々ドライブしたりって感じ」
「ちょっとそれ、すごくいい雰囲気じゃない!」
 ありのままに話すと紗智が声を上げた。そして、聞いてないわよと眉を顰める。確かに普通に片想いをする身だったら期待してもいい状況だ。現に神奈も自惚れではないと思っている。滝本から向けられるものの中には確かに好意がある。その深さはまだ測りかねているけれど知らないままでいたいとも思う。それを知っても苦しくなるだけだ。お互い好意を抱いているのに素直にその感情に従うことができないなんて。
 だから、嬉しく思いながらその一方で見えない振りをする。それは今のままでいる為に必要なことだ。
「そうでもないよ。仲のいい先輩後輩みたいな感じ。紗智が言うようなのじゃないって」
「えー。うっそだー」
 そんなわけないでしょ、と問い詰める視線に苦笑で応える。紗智はしばらく「もー」とか「神奈のけち」とか言っていたが、やがて溜息をついた。
「あたしがわがままなのかな」
「紗智?」
「いっぱい会いたいとか、会えない日はせめて声だけでも聞きたいとか、たくさんメールしたいとか。みんなそうじゃないのかな」
 急に下がった紗智の声のトーンにハッとする。
 何を、と尋ねようとして振り返り、表情の暗さに思わず口を閉じた。
「よし君、最近あまりあたしに構ってくれなくなった。仕事が忙しいって言ってるけど一緒にいてもなんか違うこと考えてる気がする。あたしの話聞いてないことも多くなったし。よし君、あたしのこと嫌になってきちゃったのかな……」
 それが紗智と良幸のことだと理解するのに少し時間がかかった。
 最近良幸が構ってくれないと紗智の愚痴を聞いたのはついこの間のことだったが、聞いたことをそのまま受け取っていた。良幸が紗智に構うことが少なくなった。けれどもそれ以上のことがあるとは思っていなかった。
 聞き逃すことはできない。けれど紗智の言葉をありのままに信じるのもどうかと思う。紗智は不安になると過剰に反応してしまうところがあった。だから良幸の行動が大きく言われている可能性もある。
 これは探ってみる必要がありそうだ。
 次に良幸に会った時に聞いてみようと心に決め、神奈は紗智の背をぽんと叩いた。
「社会人だと休みの日でも仕事のことばかり気になっちゃう人なんて珍しくないよ。紗智の考え過ぎじゃない?」
「そうかな」
「彼氏が疲れてる時は紗智が休ませてあげなくちゃ。そういうのできるのも彼女の特権だよ」
「特権かあ……」
「そうそう。どんどん先のこと望んじゃうのは仕方ないけど、今ある幸せも忘れないで」
 元気出して。
 笑顔を浮かべると紗智も「そうだね」と表情を柔らかくした。
 それに安堵しながらも、もしかしたらまたこういう相談をされるかもしれないという予感が過った。

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