035.連鎖
俺の望みを聞いて欲しい。
「この間は、ありがとうございました」
ペコリと頭を下げた彼女に、「礼を言われる程のものじゃ」と返す。
4日前、彼女を友達の家まで送った。それだけのことだ。何か用事があったわけでもないし、迷惑だったわけでもない。ただ、彼女の為に何かしたかっただけだ。あの時の彼女は、本当に焦っているようだったから。
「友達は、どう?少しは落ち着いた?」
彼女の知り合いの男と付き合っていたという友達。
千野さんの女友達の方は知らないが、男友達というのが一度見たことのあるあいつだろうと確信している。その男に、彼女の友達が振られたというのがこの間の話だった。
「えっと、月・火って学校休んでたんですけど、今日は来ました。まだ沈んでますけど、ちょっとずつ元気になってくと思います」
「そっか。千野さんも少しは落ち着いた?」
「ここに来ることができるくらいには」
実は、友達と相談して、昨日まで毎日彼女のところに行ってたんですよ、と苦笑する。
「大変だったな」
「まあ、友達ですから」
これくらいのことは、という彼女の顔には疲れが見える。
来てくれたのは嬉しいけれど、少しは休んでもらいたい。
「千野さん、せっかく買い物してきてくれたところ悪いけど」
「はい?」
何だろうときょとんとする顔が可愛い。俺は頬を緩めながら彼女の手に触れた。
「今日は、外で食べよう」
「え?」
「たまにはいいだろ。ほら、決まり。行くよ」
そう言って、手を引き、俺は彼女を連れ出した。
何を食べたいかと聞くと、パスタが食べたいという答えが返ってきたので、俺の知る中で一番美味い店に決めた。名前を言っても、彼女は知らないと言う。隠れ家的な店だから知らなくてもおかしくはない。
店に入ると、彼女はクリームソースのページと睨み合いをし、5分くらい迷った末に注文を決めた。そんなに悩むものだろうかと驚いたが、彼女があまりに真剣だから何も言わずにただ待っていた。
ウェイターが席を外すと、彼女はごめんなさいと申し訳なさそうに謝った。
「行きなれていない店だといつもこうなんです。悪い癖ですね」
「そんなことないよ。自分が食べるものなんだし」
「でも、滝本さん退屈だったでしょう?」
「そうでもなかったな。千野さんの観察してたから」
「えー、観察とか言わないで下さいよ。恥ずかしい」
「恥ずかしくなんてないよ」
「いやいや、恥ずかしいですよー」
他愛のない話をしながら、料理が運ばれてくるのを待った。
「クリスマスは友達の家に集まる予定なんですよ」
もうすぐ冬休みだね、と話しかけると、彼女がそう言った。
「へえ、クリスマスに友達とパーティーね」
「はい。4人で集まって、それぞれ分担して料理作ったり飾りつけしたりして。朝までお喋り」
「楽しそうだな」
相槌を打ちながらハンドルを回す。一瞬、別の道を行った方が近いかもしれないと思ったが、今日は急がないし、少しでも長く彼女といたいと思った。案の定、入った道は混雑していて、彼女の家から近いという駅までにはまだ時間がかかりそうだ。
「クリスマスにやるのは初めてですけど、中身はいつもと一緒ですよ。ただ、食べ物がクリスマスっぽくなるってだけで」
「去年まではなかったんだ」
「んー、まあ、今年は友達が寂しくないようにって」
ほら、この間の子。
千野さんの顔が曇る。
なる程。クリスマスを楽しみにしてたにも関わらず、その前に振られてしまった友達の為ってわけだ。
「流石にイブは無理ですけど、25日ならって。一人の子は、バイトも代わってもらって」
「ふうん」
確かに、イブと言ったら恋人と過ごすのが一般的だ。彼氏がいるならそれが当然――ちょっと待て。今、イブは無理って――。
千野さん?
まさか。
嫌な予感に頬が引き攣る。
「千野さん、イブに予定あるの?」
「え?私?ないですよ」
予定があるのは、友達2人ですよ。
笑いながらそう付け足した彼女にホッとし、肩を撫で下ろす。
ああ、びっくりした。
「じゃあ、家でクリスマスとかやらないの?」
他にも、あの男と、とか。気になるけれど、そこまでは聞けない。
「うちは毎年クリスマスディナーとケーキ食べて終わりなんで。プレゼントとかパーティーとか、そういうことはしないですね。そのご飯だって、24日か25日か決まってないし。その日になってみなければわからないんですよ」
「へえ。そうなんだ」
確か4人家族だったな、と思い出す。
取り敢えず、24日は空いてるのか。
それなら。
「俺は、もう何年もクリスマスなんてやってないな」
最後に誰かとクリスマスを過ごしたのはいつだっただろう?前の彼女と別れたのは秋だったから、それより1年前ということになるだろうか。だとしたら、もう3回も一人のクリスマスを過ごしていることになる。
「滝本さんって、イベント好きなんですか?」
「そういうふうに見える?」
「え、あの、……いえ」
ぎこちなく否定した彼女に、笑いながら「正解」と言う。イベント事にはあまり興味がない。だから、一人のクリスマスでも、何とも思わなかった。
「俺はキリスト教徒じゃないし、クリスマス商戦とか見ると頭にくる方だし、基本的には興味がないよ。別になくたって不都合が起きるわけじゃないし」
「……彼女にそういうこと言ったら、嫌がられますよ」
「千野さんは、クリスマスとか好きなの?」
「うーん、好きって言うか、イベントって色々思い出になるでしょ?普段何もしなくてもイベントの時だけちょっと特別なことしたりとか。逆に言うと、イベントがなければずっと何もしない人だっているし。だから、結構大事だと思います」
その話し方が、やけに現実味を帯びているような気がして、思わず尋ねた。
「……それ、経験談?」
「……さあ、どうでしょう」
一瞬間が空いたことから、きっと彼女の経験談だったのだろうと確信した。
これまで尋ねたことは無かったが、彼女にもそういう過去があるのだと思うと、無性に苛立ってきた。けれど、それを彼女にぶつけるわけにはいかない。
「まあ、でも、彼女がやりたいって言えば、やるよ」
その言葉に、千野さんが顔を上げた。
「彼女……いるんですか」
普段より、弱気な声だった。何かを必死で抑えているような、そんな声。
やっぱり、彼女は俺のことが好きなんだと思う。
その考えが、迷っていた俺の背を押した。
「いないよ。でも、彼女にしたい子ならいる」
目の前が赤信号になる。車間距離に気をつけながらブレーキを踏み、千野さんを見た。
彼女は、強張った顔で固まっていた。
その反応に、大丈夫だ、と自分を勇気付けながら、左手で彼女の手を取った。千野さんは、戸惑いと不安の混じった顔で俺を見る。
「彼女になって欲しい子がいるんだ。今、俺の隣に」
そう告げると、彼女は瞳を大きく見開いた。先程とは違う表情で固まる彼女が何も言わない内に信号が青になり、仕方なく前を向く。ただ、彼女の手に重ねた自分の手はそのままにして。
そして無言の時間だけが過ぎ、目的地の駅に着いた。
車を止めると、再び彼女と向き合った。
彼女は戸惑った表情を浮かべていた。
だから、もう一度言う。
「俺と付き合って欲しい。駄目かな、千野さん」
その告白に、彼女はじっと俺を見つめ、やがて、俯いた。
「……あ、あの」
「うん」
「考える時間を、もらえませんか」
少し意外だった。
本当は今すぐここでいい返事を聞きたかった。
けれど、彼女がそう言うのなら頷くしかな。
「そうだな。いきなり言われても困るよな」
俺にしてみれば、いきなりではないけれど。
「好きなだけ考えて。俺はいい返事を待ってるから」
そう言いながら、彼女のシートベルトを外す。
「すみません」
千野さんが小さく頭を下げる。それは返事を待たせることに対してか、シートベルトを外してもらったことに対してか。恐らく、前者だろう。
「いいよ。気にしないで。でも、俺は真剣だから、それだけは忘れないで欲しい」
「……はい」
頷くと、千野さんは荷物を持ってドアを開けた。そして、片足を出したところで「あ」と声を漏らして振り返る。
「今日はありがとうございました。パスタ、美味しかったです」
どこか困ったような顔で、でも、微笑を浮かべた彼女に、俺も笑みを返す。
「気に入ってもらえたみたいで良かった」
「はい」
「気をつけて帰って」
「はい。さようなら」
そして彼女は駅の構内に消えていった。
姿が見えなくなったところで、重い溜息をつく。
こんなに緊張してたのか。
告白したのなんて何年振りだ?大学3年の時以来か?
今の彼女と同じ歳だな、と考えてハンドルに顔を伏せる。
考える時間が欲しいって、一体どれくらい考えるのか。明日?明後日?一週間?それとも、もっと?
彼女は俺のことを好きだと思う。
だから、あの困ったような戸惑ったような複雑な顔をされるなんて思ってもみなかった。
いい返事を期待しているけれど。
もし断られても、諦めるつもりはないけれど。
しばらくは落ち着けなさそうだ。