008.おひるごはん
 女は恋愛話が好き。
 昔からそう決まっているけれど。 



「そろそろ別れようと思うんだけど」
 突然そう切り出した友人に神奈は食事を進める手を止めた。
 向かいに座る恵子の顔に三人の視線が集まる。
「あれ?うまく行ってないっけ?」
 むすっとした恵子に軽い調子で尋ねたのは好美。つきあってもなかなか長続きしない恵子に対し、好美は高校の時からつきあっている彼氏と既に五年目に入っている。タイプの違う二人だけれど、この四人組の中では一番相性がいいというのが不思議なところだ。
 好美の疑問はもっともで、恵子の恋愛事情については最近特に何も聞いていなかった。恵子曰く一つ上の可愛い系の彼氏について文句も言わないし、ケンカしたとも聞いていなかったから、てっきりうまくいっているとばかり思っていた。ただでさえ、自分のことでいっぱいで、それから良幸と紗智のことを気にしていると他のことが入ってくる余裕がない。
 なんていうか、びっくりした。
 他に言いようがない。紗智も神奈の隣で目を丸くしている。それを見た恵子が苦笑した。
「あー、そんな顔しないでよ。特に何かあったわけじゃなくて。彼氏優しいし、ケンカもしないし、会いたい時に会ってくれるし、すごくいい人なんだけど。でも何か違うの」
「違う?」
 好美が聞き返すと、恵子はうーんと唸った。
「そう、違うの。なんかピンとこないの。好きなんだけどさー」
「物足りない?」
「……やっぱそうなのかなあ」
 好美の指摘に恵子は頬杖をつきながら溜息を一つ。見事な連携だと思っていると、紗智が口を開く。
「いつでも会える彼氏なんて、贅沢なのに」
「紗智の彼氏は社会人だからねぇ」
 好美がコロコロと笑う。
「んー、そうかもしれないけどさ。私は別にいつでも会えなくたっていいし」
「えー。あたしはやだなー。会いたいものは会いたいんだから」
 紗智にそう思ってもらえるなんて幸せじゃない。
 神奈は頭の中で良幸の頭を小突いた。
「まあ、紗智はそこが重要かもしれないけど、恵子のポイントは違うところにあるってことなんでしょ」
「そう、神奈の言う通り。恵子はフィーリングが合わないとダメだもんね」
 神奈に同意しながら好美が恵子の頭をよしよしと撫でる。小さな好美が背の高い恵子の頭を撫でるのはなんだかおかしくて、神奈は小さく吹き出した。
「ちょっと神奈、笑うなって」
「ごめんごめん。二人が可愛くって」
「誤魔化そうとするなー」
 恵子が不機嫌な顔で低い声を出す。誤魔化してなんかいないのに。でもそんなことを言っても恵子が受け付けてくれそうにないので笑顔で受け止めた。寧ろそれが誤魔化しになるのだけれど。
 そんな神奈を見て、好美が「ねー」と声を掛ける。
「そう言えばさあ、神奈、彼氏できた?」
 その一声で空気が固まる。
 三人の視線が神奈に集まった。紗智は目を丸くして、恵子は吐きなさいと命令するかのような鋭い目つきで、好美は笑顔で。
 神奈でなくてもきっとこう思ったはず。
 逃げたい、と。
「え、あの、いないよ?できてないよ。何で?好美ってばいきなりどうしたの?」
 驚かせないでよ。何の根拠があってそんなこと。
「最近、神奈楽しそうだし?それになんかキレイになった気がする。これはもう恋なんじゃない?」
 いや、疑問形で聞かれてもね。
「なになに、そうなの?」
「知らない内に男作ってたらショックなんだけどー」
「どうなの神奈?」
 三人が身を乗り出してくる。興味津々な目が三対。
 そんなに楽しそうにしてたかな。神奈は最近の自分の行動を思い出してみるけれど、よくわからない。滝本さんと元通りになってからはちょっといい雰囲気になることも多くて浮かれることもある。でもつきあってるわけじゃない。
 これまでなら「残念ながら全然ないよ。勘違いだって」と返す場面。好きな人がいても、つきあっている人がいても、大学の友人には絶対に明かさなかった。
 でも、今回は。
「つきあってる人はいないけど、好きな人なら」
 少しだけ。これだけなら言ってもいいかな。そう思った。
 返ってきたのは「えええ〜!?」という不協和音。神奈は思わず耳を塞いだ。
「どんな人?」
「どういう繋がり?」
「神奈からそういう話聞くの初めてじゃない?」
「うわ、ほんと気になるんだけど」
「ねえねえ、もっと聞かせてよ」
 鳥の雛かと言いたくなるくらい次から次へと口を開く三人に、予想していたこととはいえ神奈は少しうんざりした。
 そりゃあ女はこういう話が大好きな生き物なんだけど。
「年上。社会人。それ以上はノーコメント!」
 再び「えー!!」と声が上がる。今度のこれはブーイングだ。
「それだけ〜!?」
「けち〜!」
「神奈にせっかく男の影が見えたっていうのに〜」
 もっと話しなさいよ、と騒ぎ立てる友人達に神奈は苦笑する。
「ダメなものはダメ。どれだけ聞かれても何も言わないから」
 ギャーギャー言われながらも、頑なに口を開かずにいると好美が「も〜」と言いつつも笑った。
「本当はもっと聞きたいところだけど、神奈がこういう話すること自体これまでなかったから今のところはいいにしといてあげる」
「さすが好美。話がわかる!」
「その代わり、上手くいったら報告してよ。黙ってたらぶん殴った上に食事奢りだからね」
「恵子、それはちょっと……」
 発想がいただけない。三人分の食事と言ってもどうせアルコールもあるんだろうから結構な出費にはなる。しかも殴られるなんて物騒な。冗談だとわかっていつつも、軽い脅しだと思う。
「嫌ならこそこそ隠さなきゃいいの」
「……はーい」
 返事をしつつも、神奈は上手くいったなんて報告をする日が来ないことを感じている。
 滝本さんのことは好きだ。
 でもそれを告げるつもりはない。
 脳裏に良幸の顔が浮かぶ。そのままつられるように紗智を見ると、彼女は期待をこめた瞳でにっこりと笑った。
「約束だよ」
「うん、そうする」
 何も知らない紗智。
 その瞳がずっと曇らなければいい。
 心からそう思った。
Template by Vel
inserted by FC2 system