005.綺麗なもの

 それは唐突に。


「川崎く〜ん、久しぶり〜」
「飲んでる〜?」
「一杯どうぞー」
 同期で開いた飲み会。普段は違う部署でなかなか顔を合わせない奴らと久々に酒を酌み交わすのはなかなか楽しい。上司の目を気にせず、自由気ままに騒げる機会は数少ない。
 くじで決めた席だったが、飲み食いが始まればビール瓶を持って動き出す面々も多い。普段は良幸も上司に酒をついで回るのだが、こういう場では自分から動く気にはならない。そんなことをしなくても、こうやって向こうから来てくれるからということもある。但し、その大半が女だが。
「おー、飲んでる飲んでる。ありがとう、一杯もらうよ」
 グラスに残っていた分を飲み干して空のグラスを向けると弓野が笑顔でビールを注ぐ。
「ほらほら、どんどん飲んで。まだまだたくさんあるわよー」
 そう言ってビール瓶を振ってみせる。成程、中身はまだ半分以上残っている。
「今度はあたしがついであげるよ」
「あ、じゃああたしがその次〜」
「いや、他のやつらにもついでやってよ。綺麗どころを独占すると俺が後でどつかれるからさ」
 冗談交じりで笑うと、弓野達も「川崎君ってば〜」と笑う。彼女達は同期の中でも抜きん出た存在だ。弓野は社内のフリーの男がこぞって狙っている女だし、他の2人も彼女にしたら自慢できるレベルの女だ。俺もフリーだったら手を出す気にもなっただろうが、生憎と今は彼女がいる。それに、こういうタイプの彼女は今までにもいたし、美人というだけでつきあうのはとっくに飽きていた。それに社内恋愛はあまり気が進まない。
 多くの人間は俺の祖父が川崎コーポレーションの会長だと知っている。今は社会勉強で傘下のグループに勤めているが、いずれは上の方に行くことになる。次男だから会社を継ぐことはないが、それでもある程度の地位は約束されていた。社内で近づいてくる女は金目当てだったりすることもある。それはそれでありだ。でも、今はそういう女と一緒にいるのに飽きているし、つきあうとなると癪だ。
 紗智に家のことを言っていないのはそれも関係していた。年下の彼女は事実を知ったら果たして金に目を輝かせるのだろうか。全くないと言い切れないのが現実だ。でも打ち明ける気は無い。結婚する気はさらさらない。紗智ともいずれ別れる。それがいつなのかはわからない。ただ、来年の今頃一緒にいることは考えられなかった。彼女とつきあって半年。一周年を迎える日が来るんだろうか。
 無理だな。そう思うのは、最近紗智と過ごすことに飽きてきているからだ。
 紗智よりもずっとつきあいの長い女の顔を思い浮かべる。あいつが聞いたらすごい勢いで怒るんだろう。
「おーい、川崎」
 広瀬が自分のグラスを持って隣にやってきた。弓野達は既に向こう側に行っている。同期の中で一番顔のいい男を囲んでいるところが抜け目ない。
「なー、お前女子大生の彼女とはどうなってんの」
「んー、まあまあ」
 腰を下ろすなり尋ねてくる広瀬にお決まりの返事をする。
 そりゃそうだ。特に喧嘩もしてないし、問題が起こったわけでもない。デートだって週に1回はするようにしてるし、この間はネックレスをプレゼントした。会う回数が減ってきているのは否めないが、仕事が忙しいのも事実だから仕方ない。
「いいよな、あの子美人だし。俺もああいう子とつきあいてーな」
 広瀬には以前写真を見せたことがある。先月彼女と別れたばかりで傷心の広瀬だったが、そろそろ次に進む気持ちになったらしい。広瀬とはよく話す方だが、こっちは女に振られて落ち込むなんて経験はもう何年もしていないからすっかり他人事だ。
「それは俺に誰か紹介しろって言ってんの?」
 自慢じゃないが心当たりなら結構ある。美人系、可愛い系、スタイルよし、性格よし。全部を満たす女は流石に知らないが、その内のどれかだったらそれなりに。
「それも悪くないけど、でもお前の周りにいる女が俺に興味持つとは思えねーんだけど」
「ああ、そうかもな」
「……肯定すんなよ、ボケ」
「まあ、その気になったらいつでも言えよ。お前の為に探してやるって」
「そんときゃよろしく」
「おう」
 広瀬のコップの中身が少なくなっているのに気づいて継ぎ足してやる。今日初めて酌をするのがこの男だと気づいてどことなく微妙な気分になった。まあ同期しかいないから誰でも同じか。
「それにしても一次会からみんなすげー発散してるな」
 広瀬の呆れたような声に周囲を見回す。どんどん空けられていく酒。仲のいい奴を捕まえて盛大に愚痴を零している奴ら。社員の噂話に花を咲かせている奴ら。一件目にしては確かに盛り上がりすぎているような気がしないでもない。
「同期の飲み会なんてこんなもんだろ」
「まあな。そういや向こうの奴らが話してたけど、総務の北見さんが寿退社するらしいぜ」
「はぁ!?」
 総務の北見と言ったら来年四十路を迎えるお局だ。やたらとガミガミ怒鳴る人で、表情は常に険しい。バツイチだの昔男に酷い目にあってああなっただの噂はいくらでもあったが、今度は結婚だと?社内で一生結婚できないだろう女ナンバーワンの彼女が、まさか。
「おい、その冗談笑えないんだけど」
「冗談じゃないと思うけどな。だって、菊池が言ってたし」
「菊池が?」
 テーブルの反対側に座っている菊池に目を遣る。彼女は嘘をつくタイプには見えない。また、根拠のない噂話を流すようなタイプでも。何より総務にいる彼女がそう言うならやっぱり真実なんじゃないのか?
 でも、あの北見が?
「ちょっと俺、あっちに行ってくる」
「川崎?」
 広瀬を無視して移動したのは菊池の横。幸い、彼女の隣は空いていた。
「どう?飲んでる?」
 声を掛けて隣に座る。彼女は振り向いて笑顔を見せた。
「うん。飲んでるよ。でもお料理が美味しいからさっきからずっとそっちばっかり」
「ここ美味いよね。あ、角煮はまだ食べてない?」
「ああ、今から食べるとこ」
「それすごい美味いよ。柔らかくてさ」
「わー楽しみ。いただきまーす」
 大きな口で角煮を頬張った彼女は「ん〜!」と歓声を上げる。
「すごーいっ!これ、すごい美味しい!」
 幸せいっぱいに輝いている顔を見て思わず口元が緩くなる。
 こんなふうに食事をする女を見るのは初めてかもしれない。
「そんなに美味しかった?」
「うん。すごい、とろけそう。角煮だけじゃなくて、ここは全部お料理が美味しいよね」
「そうそう。今回の幹事の広瀬が、飲めない人も食事で楽しめるようにって考えて決めた店だから」
「なるほどね。後で広瀬君にお礼言わなきゃ」
「菊池さんは飲めたよね?」
「人並みに」
 そう言って彼女はグラスに残っていたビールを飲み干した。俺は近くのビール瓶にまだ残りがあることを確認して尋ねる。
「つごうか?それとも別の頼む?」
「そうだなー、違うのにしようかな」
「じゃあ、はい」
 メニューを渡すと、菊池は礼を言いながら笑顔で受け取った。その笑顔が思いの他可愛かったのでドキッとする。
 待て。
 ときめいたのなんていつ以来だ?最近は紗智にすらそういうことがないのに。
「そう言えば北見さんが結婚するって本当?」
 僅かに生まれた動揺に戸惑いつつ、彼女のところに来た目的を口にする。
「うん、本当。なに、川崎君ってば北見さん狙いだった?」
 すっかり慣れた質問だったのか、菊池はとんでもない冗談を飛ばしてくる。
「やめてくれ。それはきつい。いや、あの人は一生独身でいるのかなって思ってたから。どうも信じられなくて。でも菊池が言うんだもんな」
「相手を聞いたらもっとびっくりするよ」
「どんな人?」
「十歳年下」
「えぇ!?」
 何も飲んでいなくてよかった。口に入っていたら絶対に噴き出していた。それくらい衝撃だった。
 菊池はそんな俺を見て苦笑する。
「私も最初知った時はびっくりしたけどね。なんか向こうが猛アタックしたって話だけど」
 どうだろうねと首を傾げる菊池は店員を呼んで酒を注文した。ついでに俺も便乗して日本酒を頼む。お局の北見が十歳年下の男と結婚すると知っただけで何だかやってられなくなった。世の中どうなってるんだ。北見の旦那になる男を見てみたい気もするが、それも恐ろしい気がする。絶対に気が合わない。そうに違いない。
「北見は呼ばれてるの?結婚式」
「ううん。部長には招待状渡してたけど。私はご祝儀だけ。正直なところ呼ばれても困るしね」
「確かにそうかも」
 世も末だとはこういうことを言うんだろう。残念ながら、今度の世紀末までにはまだまだ時間があるけれども。
 テーブルの反対側では調子のいい奴らが騒いでいる。広瀬もその中にいて、酒が回っているのか普段よりもずっと高いテンションで笑っていた。その中に入っていくのも疲れそうで、結局もうしばらく菊池の隣で酒を飲むことにした。どうせ、しばらくしたら誰かが声を掛けるだろう。そう思って俺は他愛のない話を菊池と交わしながら、彼女が幸せそうに食事をするのを眺めていた。

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